2014年12月30日火曜日
ホイアンへの旅-⑦ホイアンの夜
ホテルから町へと向かう無料送迎バスは、夕方の便で2台ものエキストラ車両を追加することとなった。町へと向かって走り始めると、普段は快走する田んぼの中の道が夥しい数のバイクなどで渋滞している。日が暮れかかる頃、ホイアンの町は近隣の村々から繰り出した人々で満杯状態となった。バスの運転手はとうとう途中で客を降ろすという非常手段に出た。私たちは何度も出かけていて慣れていたから、バスを降りて目的地へ向かうことに抵抗はなかった。途中、道端に出ている屋台でドーナツやパンなどを買い、食べながら歩いた。朝来た時とはまるで別の町にいるような賑わいだった。
歴史的な地区の一軒の家の一階で、地元の子供たちが民族舞踊を踊っていた。日本との友好を目的とした催しも開催されていた。「日本橋」のたもとでは子供たちがスイカ割りをしていたのだ。そして日が暮れると大勢の子供たちが、手に灯籠を持って観光客に近づいてくる。彼ら、彼女らは1つ1ドルでその灯籠を売り、観光客は長い柄を使ってトゥボン川へ流していた。私たちは自分の幸福を祈りながら、灯籠が静かに流れていくのを眺めた。無数の灯籠が川いっぱいに広がり、静かに流れて行った。私は「銀河鉄道の夜」に出てくる祭りの情景を思い出した。
満月の夜はあらゆる照明が消され、まさに月光のみで町は輝いていた。足の踏み場もないくらいに混雑する橋を通り、ようやく川向うにたどり着くと、そこでは今日もまた屋台が並び、そのうちのいくつかは大変美味しいベトナム風サンドイッチを作ってくれた。冷たく甘いベトナム・コーヒーが疲れた体を覚醒させる。私たちは帰りのタクシーを探しながら、またもや歩きに歩いた。本日2回目の町歩きは、ホイアン滞在の最後の夜であった。さわやかな風が吹き抜けて行った。満月に照らされたホイアンの町は幻想的であった。私は何か夢でも見ていたような気分で、短かった一週間余りの滞在を終えた。
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