私がまだ小さいころ「ベトナム」は2つあった。すなわち「北ベトナム」と「南ベトナム」である。学校の先生は「北ベトナム」がソビエトの支援を受けた社会主義国で、「南ベトナム」はアメリカの支援を受けた資本主義国だと教えた。私が熱中した短波放送のガイドにも、北の「ハノイ放送」(日本語放送もある)とは別に、サイゴンにはいくつかの米軍放送などがあると紹介されていた。
南北ベトナムは1960年頃から戦争(第二次インドシナ戦争、つまりベトナム戦争)を始め、それは1975年3月にサイゴンが陥落するまで15年にも及び、死者は500万人を超えた。アメリカ軍による枯葉剤やナパーム弾の使用は世界中の非難を浴び、従軍記者が撮影するベトナムの人々の、沼地を命からがら逃げる姿などを写した写真は、その凄惨を極めた戦場の様子をリアルに伝えた。反戦運動も広がりを見せ、徴兵されるアメリカ人の若者にも反戦ムードが漂っていく。
東南アジアはまだ貧困にあえぐ地域であり、高温多湿な上に衛生状態も悪く、交通や通信といった社会資本などはまだ整っていなかった。そのような国の中でもさらに、長期に及ぶ戦争により開発に乗り遅れた社会主義国ベトナムに、旅行に行くことができるようになる、などと一体誰が想像しただろうか。それも高級リゾートホテルに滞在し、西洋化された部屋でクーラーをかけ、カクテルなどを飲みながらビーチやプールで泳いだ後は、ショッピングを兼ねて世界遺産を訪ねるなどどいう、当時を少しでも知る者にとっては想像できないようなことである。だがそれが今や現実のものとなって久しい。
実際には私には、ベトナム戦争の記憶はほとんどない。むしろ私が驚いたのは、ベトナム戦争が終わった直後にもかの国は、今度は中国との間で国境紛争を起こし、さらにはカンボジアへ軍事進攻してプノンペンを陥落させたことである。一体、戦争はいつ終わるというのだろうか。私は中学生のころに見た、中越国境付近を取材した「NHK特集」の光景が忘れられない。中国から歩いて逃げ帰って来た女の子とその弟は、何もない国境の道に茫然と立ち尽くしていた。雨が今にも降りそうな蒸し暑い熱帯の中を、このようにして命からがら超えてくる難民は、その何年後かにはボート・ピープルとなって南シナ海に現れた。
今にも沈みそうな漁船に何十人という人々が乗り込み、行き先もわからないまま祖国を逃げ出す南の人たち。一体革命とは何だったのだろうか。その行き先に、日本もなった。日本経由でアメリカへ。そう言えばニュージャージーの郊外で南ベトナム出身の人が経営するレストランに行ったことがある。民主党議員の写真などが飾られたその壁には、祖国南ベトナムの写真が、懐かしそうに貼られていた。
私は2014年の夏に、生まれて初めてベトナムへ行くと決めたとき、その歴史について少し知っておこうと思った。それもベトナム戦争をはじめとする近現代史だけでなく、もっと古くからのベトナムの歴史についても、この機会に知ろうと思った。折しも南シナ海の領有権を巡る中国とベトナムとの争いが生じつつあった。万が一軍事衝突ともなれば、家族を危険にさらすわけにはいかず、私のベトナム行きもキャンセルせざるを得ない。それにそもそもベトナムという国は、一体どうしてそんなに戦争にさいなまれた歴史を経なければならなかったのか。私はそのほんのさわりだけでも知っておきたいと思った。
そうしないと、ベトナム旅行は楽しくないとさえ思った。やはり少し古い人間なのだろう。だが大きな書店でベトナム関連の本を探しても、やれ雑貨屋だのグルメだのとやたら写真入りで紹介された旅行ガイド(それはかえって私には違和感をもたらすのだが)しか見当たらないのである。特に若い女性にはベトナムは人気のようで、私のまわりにも行ったことのある人が何人もいた。彼女たちにベトナム戦争の話しをしても違和感が強まるだけである。私はベトナムの歴史について書かれた入門書として「物語 ヴェトナムの歴史」(小倉貞夫著、中公新書)と、比較的軽い読み物として古典的に有名な「サイゴンから来た妻と娘」(近藤紘一著、文春文庫)というエッセイ集、それから「ベトナムに平和を!市民連合(べ平連)」で有名な小田実の著作から「『ベトナム以後』を歩く」(岩波新書)の三冊をまずは買い込んだ。
つまり私のベトナム旅行はベトナムの歴史を俯瞰することからスタートした。
ベトナムの歴史を知ろうとして私は、この国の歴史が、すなわち戦争の歴史であることを知ることとなった。もしかしたら戦争こそベトナムをベトナムたらしめるアイデンティティではないかとさえ思った。それはベトナムという国名が、中国による圧力の中で命名された国名であることに象徴的に現れている(「物語 ヴェトナムの歴史」の冒頭)。一方でベトナムは、常に中国に侵略され圧政に甘んじていたわけではない。中国から取り入れた文化を自らの文化に消化し、中国と微妙な関係を保った(この朝貢外交に関しては、朝鮮や琉球にも似たようなところがある)。その反作用としてベトナムは、カンボジア(クメール)や他のインドシナ諸国に対し、侵略を犯している。「北属南進」という言葉は、そのようなベトナムの、二面性を持った国際関係をズバリと言い表している。
ベトナムの歴史は、思うに4つの時代に分けるとわかりやすい。すなわち建国はしたものの中国に支配され続けた10世紀までの時代(何と1000年も続く)、独立国としての時代(1400年頃まで)、二回目の中国支配の時代、そしてフランスの植民地時代から現在までである。近代以降の植民地時代と独立戦争の歴史も、長い中国の圧政と抵抗の歴史の文脈の中で捉えると、より理解が深まるように思えた。このようにして私は、もともと北部に建国されたベトナムが、次第に南部を支配下に収めていく過程を知ることとなった。そして南部には、インドの仏教文化を受け継いだチャンパ王国なる国が存在していたことも初めて知った。
チャンパ王国がベトナムに滅ぼされていくと、ヒンズー文化に代わって北方系の仏教文化がベトナムに入ってゆく。タイとは異なる大乗系仏教がベトナムに栄えたのはなぜかという私の疑問は、ベトナムが直接的に中国の影響下にあったことを知ることによってあっさりと解決した。私が行く予定のダナンには、そのような複雑なベトナムの南北を分け隔てるハイヴァン峠がある。その北部にはベトナム最後の王朝(グエン朝)の首都がおかれたフエ(世界遺産)がある。フエはベトナム中部の代表的な観光地ではあるが、残念ながらベトナムの歴史においてはさほど重要な場所ではない。むしろ私が興味を持ったのは、ダナンから南に30キロほど言ったところにある古い町ホイアンである。ここは長年、交易都市として栄えた歴史を持っており、日本人町もあるという我が国にもゆかりのあるところである。
当時の街並みがそのまま保存されており、町自体が博物館と言ってもいい。トゥボン川に灯籠が流される満月の夜は、月光のみの明かりによって幻想的な光景に包まれる。町自体は数時間歩けば見て回れる大きさだが、私はこの地に8泊もしたので、昼夜を通して何度もここを歩くこととなった。大勢の観光客に交じって地元のお店もあり、天秤に野菜を入れて運ぶ老人などが普通にいたりして風情がある。最初の日、プールやビーチで過ごした私たちは、さっそくタクシーで旧市街の入り口に着いた。そこには様々な形のランタンが、色とりどりの照明をつけて店先に飾られていた。土曜日の夜、人々は大勢繰り出し、トゥボン川にかかる橋は歩くこともできないほどの混雑であった。
幻想的な夜のホイアンの町を歩くととても不思議な気分である。このような観光地が、少し前まで戦禍にまみれた社会主義国の片田舎に存在し、そこに大勢の国籍の人たち(それはありとあらゆる言葉を聞いた)がそぞろ歩いているのである。薄明かりの店内で甘いベトナムコーヒーを飲みながら、私はここが何世紀もの間、世界中の人々を受け入れ、交易で栄えたことを感慨深く思った。長い戦争の期間を経てようやくベトナムは平和を取り戻し、少しの経済的豊かさを持てるようになった。そのことをさりげなく楽しんでいるように、私には思えてくるのだった。
登録:
コメントの投稿 (Atom)
ブラームス:ヴァイオリンとチェロのための協奏曲イ短調作品102(Vn: ルノー・カピュソン、Vc: ゴーティエ・カピュソン、チョン・ミュンフン指揮マーラー・ユーゲント管弦楽団)
ブラームスには2つのピアノ協奏曲、1つのヴァイオリン協奏曲のほかに、もう一つ協奏曲がある。それが「ヴァイオリンとチェロのための協奏曲」という曲である。ところがこの曲は作品番号が102であることからもわかるように、これはブラームス晩年の作品であり(54歳)、すでに歴史に残る4つの交...
-
現時点で所有する機器をまとめて書いておく。これは自分のメモである。私のオーディオ機器は、こんなところで書くほど大したことはない。出来る限り投資を抑えてきたことと、それに何より引っ越しを繰り返したので、環境に合った機器を設置することがなかなかできなかったためである。実際、収入を得て...
-
当時の北海道の鉄道路線図を見ると、今では廃止された路線が数多く走っていることがわかる。その多くが道東・道北地域で、時刻表を見ると一日に数往復といった「超」ローカル線も多い。とりわけ有名だったのは、2往復しかない名寄本線の湧別と中湧別の区間と、豪雪地帯で知られる深名線である。愛国や...
-
1994年の最初の曲「カルーセル行進曲」を聞くと、強弱のはっきりしたムーティや、陽気で楽しいメータとはまた異なる、精緻でバランス感覚に優れた音作りというのが存在するのだということがわかる。職人的な指揮は、各楽器の混じり合った微妙な色合い、テンポの微妙あ揺れを際立たせる。こうして、...
0 件のコメント:
コメントを投稿