2014年12月27日土曜日
ホイアンへの旅-④ホイアン市街
タイに比べた場合のベトナムのリゾートの特徴は、何といっても風紀の良さであろう。あのネオンサインだらけのタイのリゾートには、いかがわしい店が公然と並んでいたりするが、社会主義国ベトナムにはそのようなところはほとんどない。ましてここが、近世の面影を残す交易都市となると、クーラーはおろか電気設備もあまりない。実際秋になると町中が水没するような洪水に見舞われるのだそうだ。そのような街に滞在する外国人は、タイと異なり健全である。自転車で付近を散策し、何カ月も滞在する。物価はタイよりも安く、従ってお金はないが長期に滞在したい外国人にはこれほど理想的なところはないだろう。
というわけでホイアンの町へは私たちは、ほぼ毎日昼か夜にでかけることとなった。最初は夕方までホテルのプールで過ごし、日が暮れてから出かけた。だが次第に生活のパターンが変わり、朝から昼にかけて街を歩き、昼過ぎにホテルに戻ってプール、夜はホテル近くの地元のレストランへ行く、といくパターンとなった。夜のホイアンはそれはそれでとても魅力的だが、ゆっくりとショッピングをするにはお昼も捨てがたい。だが日中の町はすこぶる暑い。
ホテルの無料バスが、1日4回往復していて、少なくて使いにくいという意見は多いものの、これを使わない手はない。少なくとも街へ行く際には、これを利用するのが便利である。実際バスの時刻になると、ロビーには毎日多くの人たちが集まってくる。多いときには臨時にタクシーを手配してくれて、乗合なので無料。ホイアンのホテル専用バスターミナルに到着する。ここから歴史的地区までは徒歩で10分程度である。その間も土産物屋やテーラーなどを眺めながら歩く。
ホイアンの中心部はそれ自体が観光地であり、入場券を必要とする。その入場券には博物館などの見どころに何箇所かはいることができるチケットが組み合わされている。ホイアンの中心部に足を踏み入れると、まるで時間が止まったかのような感覚に見舞われる。百年以上はタイムスリップしたような路地には、昔の街並みがそのまま残っている。けれどもその建物はほとんどすべて、土産物屋かテーラー、あるいはレストランである。町の趣を損なわないように気を使いながら、これらの店は多くの観光客を惹きつけている。
テーラーはホイアンを訪ねる際に、欠くことのできない訪問先である、ということを私たちはホテルからのシャトルバス内で知り合ったオーストラリア人姉妹から聞いた。彼女たちは毎年のようにここへ来て、靴やシャツをオーダー・メイドで買っていくというのである。私たちは彼女の推薦する店に行き、スーツ一着とシャツを注文した。勿論、数多くの生地が並べられ、採寸するための小部屋も並んでいる。その中でも最も有名なのが、Yalyというところで、ここはかなり手広くなっており品質はぴか一だが、地元の人に言わせるとめっぽう高いとのことである。それでも日本で同じことをするのに比べたら、大変お買い得と言える。それに旅の記念にもなる。縫製は確かで、ベトナムが世界中の衣料品の工場となっていることが頷ける。服や靴の仕立てには数日かかるので、再び店を訪れ寸法のチェック(直しが必要な場合は対応してくれる)、さらに受取りとなる。
ホイアンの町はそぞろ歩きが楽しい。昼、夜、最低2回ずつは訪れる必要がある。歴史的地区をはずれた界隈にも数多くの店やレストランがあり、それらはTrip Adviserによってランク付けされているので、いい店はどこも流行っている。私は郵便局に行くついでに、バーレー・ウェルと呼ばれる地元のレストランに出かけた。ここでは香ばしく肉を焼き、大量の野菜に巻き、ライス・ペーパーに巻いて食べる。つまり自分で春巻きを作りながら食べる。さしずめ手巻きずし感覚である。
ホイアンの町中にある市場は、訪れるべきナンバー・ワンの場所である。ここで料金交渉をしながら、あらゆるものが手に入る。香辛料やコーヒーなどである。そしてその中のレストラン(屋台のようなところ)で、大変に美味しいカオ・ラウという麺を食べることができる。市場の近くには歴史文化博物館、メインストリートを「日本橋」と呼ばれる来遠橋まで行く途中に、福州会館、貿易陶磁博物館などがある。これらに寄りながら、暑さで歩き疲れたら、川沿いのジュース屋で休みといい。サトウキビのジュースなどは一気に汗が吹き飛ぶ。ボートに乗らないか、と声を掛けられるがそれもまた楽しい。
「タンキーの家」は200年以上前に建てられた中国様式の家である。ここには今でも人が住んでいて、人の家に入る感覚で中を見せてくれる。私が行ったときには入り口におばあさんが横たわっており、そのそばでチケットを聞いてくれた。中には井戸や歴代の主人の写真などが飾られていたが、そのそばで子供がお母さんと遊んでおり、洗濯機が回っていた。
数日後ここの前を通りがかったら、隣の土産物屋が葬儀場になっていた。良く見るとあのおばあさんが亡くなっていた。その葬式は数時間後には終わり、もとの土産物屋になっていた。一人の人間がこんなにも自然に亡くなり、そして自然に弔われ、自然に時間が過ぎていく。考えてみれば、我が国でも少し前までは生と死がごく普通に共存していたのだろうと思う。そう言えばホイアンで毎夜のように行われる灯籠流しも、死者を弔うというよりは幸せを願う行為であるように思えてくる。おそらく両者は連続しているのだろう。実際、流す灯籠を1ドルで売る子供たちはみな、For Happy Lifeと言って寄ってきた。私たちは1つ買い求め、あの亡くなったおばあさんのために流した。彼女の、そして私たちの、これからの幸せな人生を願って。
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