2014年4月17日木曜日

国鉄時代の鉄道旅行:第14回目(1986年9月)①

私の初期の頃の旅行の最終目的地は北海道であった。当時、まだ海外旅行など一般的ではなく、関西地方から行くことのできる最もエキゾチックな旅行先、それは北海道をおいて他になかった。沖縄もまたそれに次ぐ場所ではあったが、陸伝いに行くには時間がかかりすぎる上に、鉄道が走っていない。それに比べると北の大地には、今とは比べ物にならない程多くの路線があり、そのほとんどが赤字のローカル線であった。

広い大地の何もないところに一両の列車が走っていて、その列車は駅舎もない無人駅に止まる。秋なら日が傾きかけたその停車場(と言ったほうが良さそうなところ)には駅名表示のみが立っていて、降り立つ客はひとり。北海道のイメージは大阪に住む少年にとって、このような想像力を掻き立てた。北海道に行ってみたい、と高校時代はいつも思っていた。そして大学生になった最初の年の夏休みの終わりに、私は北海道旅行を敢行することにした。

大阪から北海道へ行く最も安い方法は、舞鶴からのフェリーに乗ることであった。だが北海道ワイド周遊券を使用する私は、この方法を使えない。代わりに日本海側を北上する列車に乗ることが可能であった。青森までの特急「白鳥」は、単一の昼間特急としては最も長い距離を走る。10時過ぎに大阪を発つと、青森に到着するのは夜半近くとなる。そのまま夜行の青函連絡船に乗れば、早朝に函館に着くことができる。そして朝一番の列車で札幌へと向かう。これが私のプランであった。

北海道ワイド周遊券は、周遊エリア内の特急列車を含むすべての自由座席に乗り放題であることに加え、周遊エリアまでの指定されたルートにおける急行列車を自由に乗ることができた。「白鳥」は特急列車なので特別急行料金が必要となるが、この料金は乗車距離によって異なる。ところが大阪~青森といった長距離となると、その上限の金額以上には上がらない。つまり「白鳥」を利用することが、時間的にも料金的にももっともコストパフォーマンスがいいのである。

丁度秋田大学に進学した高校時代の同級生がいて、私は帰りに彼のいる秋田で途中下車することにした。まだ暑い日に私は大阪駅を出発し、途中、新潟で向きがかわった以外はほとんどすることもなくひたすら車内で過ごした。駅弁を2つ買い込み、お昼と夕方に食べた。秋田を過ぎる頃には日もくれて何も見えなくなった。次に夜が明けるのは津軽海峡を越えた頃だろうと思うと、感慨が沸き起こった。まだ青函トンネルのない時代、青森駅に到着すると人々は一斉に駆け出し、少しでもいい場所を確保しようと船内に入った。

船は石狩丸だった。夜行の2等船室は足の踏み場もないほど混雑していたが、各自場所を見つけて毛布をかぶり寝入った。陸奥湾を過ぎると揺れが大きくなったが、私はその揺れを高まる気持ちに合わせて感じながら、眠りに落ちた。

2014年4月16日水曜日

国鉄時代の鉄道旅行:第13回目(1986年3月)

記録によれば大学へ入学した1986年の春に、私は大阪から福知山線の列車に乗り、山陰地方を目指して日帰りの鉄道旅行に出かけたようだ。この時の同行の友人は、同じ高校から同じ大学へ進学したH君で、彼とはすでに3年以上のつきあいだったが一緒に旅行をするのは初めてだった。彼とはその後、大学時代を通じていろいろなところへ出かけたし、今でもたまに会うことがある旧友である(もしかしたらこの文章を読んでいるかも知れない!)。

彼は私よりもはるかに鉄道に詳しく、彼と旅行する時はすべてのプランニングを彼に任せることができる。彼もそのほうがいいようで、つまりは相互に補完的であり、従ってトラブルになることは少ない。そして彼の立てた計画に従い、私達は福知山線を福知山まで乗り、その後、山陰本線を鳥取まで下るということになった。福知山線は当時でも三田を過ぎるとのどかなところを走るローカル線で、大阪からもっとも鄙びた地域に向かう路線だという思いが強い。かつてディーゼル機関車にコトコトと引きずられて行く単線の旅は風情があった。今では宝塚線などという名称で呼ばれ、通勤電車がひた走っている。

三田、篠山口、福知山、和田山、豊岡、城崎などで一定時間の停車があり、そのたびに駅のスタンプなどを集めていたのはいつものことだった。そして昼を過ぎてようやく最初の目的地である余部鉄橋に達した。この余部鉄橋は香住と浜坂の間にあり、トンネルを抜けると日本海を眺めながら非常に高いところを渡る。その高さもさることながら、明治時代に造られた鋼鉄製の赤い橋脚は重厚感があって美しく、眼下には民家が見える。もともと険しい海岸線なので、よくこのようなところに橋を通したな、という感じがする。そして私にとってはこの橋のシーンは、NHKの連続ドラマ「夢千代日記」の思い出に重なる。


体内被曝という深刻なテーマを扱ったこのドラマでは、吉永小百合の演じる主人公が神戸から湯村温泉へ帰る際にここの鉄橋を渡るのである。テーマ音楽は武満徹で、裏日本のうら寂しい情景と複雑な心理が入り交じった、何とも言えないものだった。

その余部鉄橋で列車の転落事故が起きたのは、1986年12月のことであったから、私たちがここを通った半年余り後ということになる。強風にあおられて回送列車が転落し、そのために下の民家の住民が数多く亡くなった。後のJRはこの古い橋を架け替え、2010年には新しい橋となった。数年後、私はこの時の友人と自動車でここに出かけ、慰霊碑などが立ち並ぶ集落を訪問したこともある。

私はこの日も京都からの長距離客車列車に乗っていたので、ここから鳥取までの区間を海を眺めながら過ごしたように思う。小学校の臨海学習や、大学のゼミ旅行など、意外にもこのあたりはよく訪れている。しかし鳥取へはこの時がほとんど初めてであり、そしてここから因美線で津山へ、さらには津山線で岡山へと列車を乗り継ぐのも初めてであった。

中国山地の何の変哲もない風景が私は好きだ。川にそって次第に山へ分け入り、分水嶺を過ぎると川は逆方向に流れている。といっても東北や九州のような険しい山地ではなく、平行して走る国道もどことなく明るい。山の中に開けた盆地と、そこの風情ある街並みは、独特の歴史を感じさせる。津山もその一つである。だが私達は駅前を見る時間もなく列車を乗り換えざるを得なかった。若い時には、またどうせ来ることがある、と考えていた。だが私の場合、未だにその思いは果たせていない。東京に住んでいると、中国山地などという場所へは、そうそう出かける機会もないのだ。

岡山からは通常通り、山陽本線を乗り継いで大阪へ帰った。岡山を出る頃にはもう暗かったから、大阪へは深夜近くに帰り着いたのだろうと思う。それまではなかなか目的地につかなかった列車も、新快速電車が姫路を出ると、あっというまに大阪に帰った。だからこの旅行は、山陰と山陽の差を感じる旅でもあったように思う。

2014年4月15日火曜日

マスネ:歌劇「ウェルテル」(The MET Live in HD Series 2013-2014)

フランスにはワーグナーもヴェルディもいないが、マスネがいる、そう思わせるようなオペラだった。19世紀の後半はオペラ史にとっても、とりわけドラマチックで人間心理に肉薄した作品が多く作曲されている。女性の視点でオペラを語る書物はいくつかあるが、私はいつか、若い男性の視点で語ったものがあるといいと思っている(もっともほとんどのオペラは男性によるもので、男性の視点で書かれているが)。その中にはヴェルディの「椿姫」や「オテロ」、ワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」、ビゼーの「カルメン」、チャイコフスキーの「エフゲニー・オネーギン」、それからプッチーニの「ボエーム」も入れようか。そしてマスネの「ウェルテル」である。これらに共通するのはみな、情熱的で狂おしいまでの報われない恋愛ということと、19世紀後半の作品だということだ。

「ウェルテル」はその名の通り、文豪ゲーテの小説「若きウェルテルの悩み」を原作としている。この作品が書かれたのは18世紀後半だから、その間に100年の隔たりがあることになる。ワーグナーの影響も受けたフランス人マスネが、この作品を題材に選んだのは、この作品がヨーロッパを席捲するほどのベストセラーとなり、社会現象となったからだ。音楽史は19世紀後半になって、ようやくこの人間の心理ドラマを描くほどにまで成熟し、その表現が受け入れられるようになったのではないか。

「ウェルテル」の主人公はウェルテル(テノール)で、その歌は丁度「椿姫」のヴィオレッタを男女入れ替えたように感じられる。つまり作品の中にあって、彼だけが際立って主観的、叙情的、そしてドラマチックである。彼の周りはみな、社会の調和を乱す彼にかき回される。象徴的に、マスネは法務官と子供たちが歌うクリスマスの歌によって、あるいはそこに集う人々(にはシャルロットやソフィー、さらにはシャルロットに許嫁であるアルベールも含まれる)が平和的な日々を幸せに送ることを冒頭から表現する。

ウェルテルの存在は前半(つまり第1幕と第2幕)ではまだまだ控えめだ。その存在はややもすれば滑稽でさえもある。だが後半に入ると舞台は俄然、心理ドラマに深化する。ここで登場人物はウェルテルとシャルロットにのみフォーカスされる。演出のリチャード・エアは、今回この後半のシーン、とりわけ第4幕を、舞台の中に作ったさらに小さな空間でのみ演じさせることによって、作品と登場人物への集中力を増強した。その効果は、ゼッフィレッリの「ボエーム」の終楽章(屋根裏部屋)を思い出させた。

さらに素晴らしかったのは、第3幕と第4幕の間奏曲の部分で、その音楽に合わせて舞台上で演技がなされたことだ。この場面についてはインタビューでエア自身が語っている。その効果は恐ろしいほどにリアルであった。ウェルテルのピストルによる自殺シーンは、見ている私も目をそむけたほどだ。私はオペラでこのような経験をしたのは初めてである。

エアの独自の解釈は、幕切れで聞こえる子供たちの歌声(クリスマスの歌だが、冒頭の時と違ってここでは空虚に響く)を聞きながら、さらにピストルを自分にも向けようとすることだ。ヴィオレッタと死に別れたアルフレードは、プロヴァンスの実家へ戻って平和に暮らしたのだろうか。同様にウェルテルに死なれたシャルロットの今後については、誰も語っていない。ここでのエアの演出は、その「続き」を想像させようとする。

このような素晴らしい演出を可能にしたのは、何と言ってもマスネの音楽が素晴らしいからだろう。特に後半の充実ぶりは目を見張るが、物語が一貫して悲劇に向かう流れが、この集中力を維持している。ヨナス・カウフマンの歌うウェルテルほど、その役割に見事に応えられる歌手はいないのではないかと思わせるような歌いぶりは、前半の舞踏会のシーンでもすでに明白だったが、「オシアンの歌」(第3幕)でそれは頂点に達した。フランス語を見事に使いこなすその歌唱力に容貌と演技を加えて、彼は現在望みうる最高のウェルテルであることは、この作品を初めて見るものをも納得させるものだ。

一方、シャルロットを演じたフランス人ソフィー・コッシュ(何とMETデビュー)も、三位一体の素晴らしさであった。彼女は「手紙の歌」(第3幕)に代表されるシーンから幕切れまでの一挙手一投足までもが、次第にウェルテルに心を奪われていく心理的葛藤を十全に表現し、見ている方も心をえぐられるようだった。このように心理的にバラエティに富む音楽的要素がすべて含まれることについてカウフマンは、これこそがフランス・オペラの醍醐味であると語り、とりわけマスネがその表現に長けていると語っているところが興味深い。

主役二人以外の歌手も好演った。シャルロットの亭主のアルベールはデイヴィッド・ヴィズィッチ、妹のソフィーがリゼット・オロペーサ。指揮はフランス人のアラン・アルタノグルで、この指揮者は初めて知ったが十分に上手いと思った。そして演出の斬新さは、上記で述べた通りである。冒頭からビデオを駆使して、数々の美しいシーンが現れては消える。ヨーロッパの美しい田舎の風景を、こんなに見事に再現されると、古典的な演出は退屈に思えてくるだろう。

「若きウェルテルの悩み」は、男性ならもしかすると誰もが経験する要素を持っているのではないだろうか。最後にそのことについて触れない訳にはいかない。カウフマンが語っているように、壮絶な結末を迎えるほどではなくても、類似の経験を思いながら演じることによって、真実味を表現できる。だが、見ている方も醒めて見たのではつまらない。つまり、このオペラは誰しもが胸に秘めた出来事を思い出しながら、主人公に同化することのできるオペラである。女性ならどうか。私にはわからないが、シャルロットの気持ちの変化は、少し男性の願望が働き過ぎているようにも思う。一度誰かに聞いてみたいと思う。

2014年4月13日日曜日

オペラ映画「トスカ」(1976年、イタリア・ドイツ)

プッチーニの歌劇「トスカ」は人気作品だけあって過去に数多くの映像作品が出回っている。その中でも古典的な名作とされているのが、ジャンフランコ・デ・ボジオによる映画仕立ての「トスカ」である。かつてテレビなどで何度か放映されているのではと思うのだが、まだ見たことはなかったし上映会が催されるというので出かけた。実際テレビで見ただけでは、集中して字幕を追うこともできず楽しめないことが多い。やはり映画館で見るのがいい。

それでもなお、実際の上演に比べると興に乗らないことは覚悟しておく必要があるだろう。私の場合、昨年新国立劇場で見た沼尻竜典が指揮をした上演の方が、音響的にも舞台の見事さも、当然良かった。やはりオペラは実際に見るのに限ると思うのだ。

オペラ映画の場合、けれども、実際の上演にはない魅力があるのは否定することができないのは確かである。この「トスカ」の場合、その映像は舞台を飛び出して、実際に存在する建物を使ってロケされているからである。「トスカ」のように、1800年のローマ、それも本当にある建物が舞台となっているわけだから、そういう演出も可能だったのだろう。その舞台は各幕に1箇所づつ存在する。

  第1幕:サン・タンドレア・デッラ・ヴァッレ教会
  第2幕:ファルネーゼ宮殿
  第3幕:サンタンジェロ城

これらはローマ市内の比較的近い場所に存在するため、Google Mapを使えば簡単に場所を確認できる(こちら)。

登場人物が比較的少ないのも「トスカ」に有利に働いている。すなわち主要な人物は、歌姫トスカ(ライナ・カヴァイヴァンスカ)、画家カヴァラドッシ(プラシド・ドミンゴ)、スカルピア男爵(シェリル・ミルンズ)、それに政治犯アンジェロッティ(ジャンカルロ・ルッカルディ)である。カヴァイヴァンスカは美貌でトスカそのものの容貌だし、若きドミンゴも素晴らしい。ミルンズの悪役もまたイメージそのものである。口パクながらこれだけのキャストが揃うと、映画としての見栄えは大層いいといわなければならない。演奏はブルーノ・バルトレッティ指揮ニュー・フィルハーモニア管弦楽団、合唱はアンブロジアン・シンガーズである。

だが実際の建物を使うと、それ以上の効果がでないのも確かである。例えば第1幕の最後のシーンはテ・デウムを歌う大聖堂のシーンとなるが、それまでにも教会内部が多く写されるので、ここでの圧倒的な感動は少ない(と私には感じられた)。また第2幕のファルネーゼ宮は、何も実際である必要はないかも知れない。ここでは執務室とその奥で繰り広げられる拷問、さらにはトスカによるスカルピアの暗殺というドラマチックなシーンの連続だが、そうであるためにはそうしやすいような道具の配置を行った方が、演出上の効果は高いと推測される。

それに比べると第3幕のサンタンジェロ城のシーンは圧巻である。この第3幕に入る最初のオーケストラのシーンで、テレベ川の周りを羊飼いが歩いている。この少年はドミンゴの当時10歳の息子であると紹介されている。やがて夜明け前の牢獄のシーンで、カヴァラドッシは銃殺刑にされる前のトスカとの会話を交わす。城の中の暗く冷たいシーンが印象的だ。

屋上に出ると、そこではすでに夜が明け、舞台は明るい。朝のローマ市内が良く見渡せるその中で、死刑が執行されえるのだ。この緊迫感はちょっとしたものだ。空砲と信じていたトスカは、倒れこんだカヴァラドッシが本当に打たれたのを見て仰天し、やがて殺人犯を追ってくる警官たちに囲まれてとうとう城から飛び降りる。実際のサンタンジェロ城を使ったロケだからこそ迫力のあるシーンに、しばし釘付けとなる。

このサンタンジェロ城は当時は牢屋として使われていたが、今では博物館になっている。私も今から20年ほど前に、ローマを旅行しここを訪れた。廊下を回りながら屋上へ出ると、正面にヴァチカンのサン・ピエトロ大聖堂が見え、その光景は息を飲むほどに美しかった。


主役がいすれも凄惨な死を遂げるこのオペラでは、死のシーンが4回も登場する。これほど血なまぐさいオペラを、身なりの良い老婦人方が大挙して上映会にお出でになっておられたのもまた、この催しの見どころであった。ただ40年近く前のカラー作品だけあってやや色褪せて見える映像と、どうしても効果に乏しい録音は、これがやはり映画であることを認識してしまう。歌唱とオーケストラが重なるような場面では迫力が不足し、歌唱力が響かないのだ。何度も言うように、これはそういう実演で接するオペラには及ばない欠点と、実際の上演では実現できない利点があることを理解して見るものだろうと思う。

2014年4月12日土曜日

シューマン:交響曲第1番変ロ長調作品38「春」(ウォルフガング・サヴァリッシュ指揮シュターツカペレ・ドレスデン)

毎年春、それも桜の散った後の、少し遅い春になると聞きたくなるのがシューマンの作品である。少し眠気を誘うような、もやがかかった日は特に、シューマンの作品が似合う。そのシューマンの作品でも「春」というタイトルが付けられた作品が、交響曲第1番変ロ長調である。この曲はシューマンの交響曲の中でもとりわけ明るく、親しみやすい。

シューベルトの「グレート」交響曲の発見に触発されたこの作品は、メンデルスゾーンによって初演された、ロマン派のまさに中間に属する作品である。第1楽章の冒頭から、トランペットとホルンのファンファーレで始まる。そのメロディーを弦楽器で繰り返すと、両者がからみ合って序奏部分のクライマックスを築く。ここの部分を聴くだけでもうれしくなる。少し遅くなって木管楽器などが陰影を保ちながら絡んでくる。少しずつクレッシェンドしていく様は春の息吹を感じさせる。やがて鳴り出す第1主題。どんな演奏で聞いても、ここの第1楽章は素晴らしい。

第1楽章の緩急を伴った曲調は、ほのかな中にも力強く春の始まりを感じさせる。時折響くトライアングルの響きは耳に心地よいが、私はこの曲を聞くとどういうわけか春の海を連想する(もちろんシューマンはこの当時ライプチヒにいたので海とは関係ないと思う)。

第2楽章のドイツ・ロマン派を地で行くようなラルゲットはまた、第1楽章とは違う魅力に溢れている。一方第3楽章は快活なスケルツォで、リズムの変化が面白い。音楽はそのまま終楽章に入っていくが、ここで春は満開となる。一気に書き進められたというこの交響曲には、後年になって自殺未遂をするようなシューマンを見つけることは難しい。

どのような演奏で聞いてもいいのだが、私は古くからの愛聴盤であったサヴァリッシュの演奏に耳を傾けている。この演奏は当時東ドイツ領だったドレスデンのオーケストラを使い、EMIが録音したものだ。当時のシュターツカペレ・ドレスデンの響きは、時折西側のレコード会社が録音している。例えばカラヤンの「マイスタージンガー」、クライバーの「魔弾の射手」といった具合である。サヴァリッシュも1972年、この輝かしいシューマン全集を録音してその評価は今でも下がることがない。

サヴァリッシュはこの演奏で、時に冷たいなどと言われる演奏を、颯爽と熱く仕上げている。時に元気が良過ぎるほどの演奏は全体にフレッシュで知的、メリハリが合って今では数多いテンポ感のある演奏も、この演奏が基準になっているのではないかとさえ思えるほどだ。

2014年4月11日金曜日

ベルク:歌劇「ヴォツェック」(2014年4月11日、新国立劇場)

クラシック音楽、特にオペラが好きだと公言している以上、どうしても避けて通れないものがある。その初演(1925年)から100年近くが経過したベルクの歌劇「ヴォツェック」がそのひとつである。20世紀初期のオペラとしてもはや古典の作品にもなったこの斬新なオペラも、初期には大変な難曲とされていた。だがエーリッヒ・クライバー指揮によるベルリンでの初演は大成功で、そのあと世界各地で上演され、無調音楽のオペラもその地位を不動のものとした経緯については、会場で購入したプログラム冊子に詳しく紹介されている。

我が国においても比較的早くから知られているようだが、私はもちろん初めて。新国立劇場での上演も2009年以来6年ぶりということになる。このような作品は滅多にお目にかかることがないから、行ける時に行っておくのが良かろうと思ったのが前日のことで、検索をしてみると比較的安い席でも当日券があることが判明した。平日のマチネとなると、よほどの物好きでないと出かけないだろうし、それがあの「ヴォツェック」である。救いようのない物語が、12音技法の無音階音楽によって3幕のドラマとなっている。

救いようのない物語・・・それは家族の崩壊の物語である。オペラ、特にヴェリズモのそれは、確かに現代の週刊誌をにぎわすような事件的性格と持った話が題材となっているが、時代設定がやや古かったり、話がいささか唐突だったりすることが多い。しかしこの「ヴォツェック」は現代においてもどこにでもあるような話である。特に昨今の我が国でも問題となっている貧困・・・ワーキングプアなどとも呼ばれている・・・によって破壊された人間性がもつ凶暴性をむき出しにした事件の数々は、社会に復讐しようとして実行される無差別殺人事件や、家族同士の殺し合いなど、このオペラの中ですでに取り上げられたテーマである。昨今の凶悪事件が「理解できない」などと批評するのは容易だが、それはこのように90年も前に作られたオペラの題材にもなっているというような事実を知らなさ過ぎる。貧困と暴力という人間社会の持つ本質的な部分が、すでに古くから文学的に「今日的問題」であることは、少し考えれば明らかである。

家族という唯一の支えを失う主人公のヴォツェック(バリトンのゲオルク・ニグル)は、内縁の妻マリー(メゾ・ソプラノのエレーナ・ツィトーコワ)との間に一人の私生児を設けている。この子役は最後に一声発する以外には無口だが、終始舞台に登場して物語のテーマを際立たせる役割を担う重要な位置づけとなっている。ヴォツェックはその貧困ゆえに、「社会の庇護から抜け落ち、自分の肉体を、労働力を、幸せを売ることによって家族を養わなければならない」存在である。この存在は、原作のビューヒナーの作品が書かれた20世紀初頭から21世紀の現代に至るまで、資本主義文明社会のいわば本質的な問題である。

例えばヴォツェックは「小心者の大尉(テノールのヴォルフガング・シュミット)の髭を剃ったり」(第1幕第1場)、「誇大妄想気味の医師(バスの妻屋秀和)の人体実験のモルモットになったり」(第1幕第4場)して小銭を稼いでいる。マリーはそのような生活に疲れ、敬虔なクリスチャンとしての心を持ちあわせてはいたものの、鼓手長(テノールのローマン・サドニック)と不倫の関係を持ってしまう’(第2幕)。

その関係に気づいたヴォツェックは、半ば錯乱気味にマリーを刺し殺し(第3幕)、そのナイフを川の奥深くへ投げようとして溺れ死ぬ。そのことも知らない息子は、事態を理解せず、ひとり馬ごっこに耽る。今回の演出は2009年の上演時と同様、ドイツ人アンドレアス・クリーゲンブルク(バイエルン国立歌劇場との共同制作)で、指揮はギュンター・ノイホルト、演奏は東京フィルハーモニー交響楽団である。

物語の残酷さは、幕切れを迎えても素直に拍手さえしずらいような雰囲気をもたらす。しかも音樂が叙情的でもなければ、心を打つようなメロディーがあるわけでもない。いわば現実がむき出しになったような感覚は、かえって心の中に刃物を差すように感じるというべきだろうか。つまり涙をもってある種のカタルシスを得ることは、このオペラの場合できない。オペラが娯楽作品と言うよりは、芸術作品としての、いやそれ以上に社会問題をありのままに映し出す鏡のように、鋭利に迫るのだ。

舞台上に終始張られた水が、舞台上の様々な人やものを反射して映し出し、それが水面に揺れるという一種異様な感覚が、4階の席からもよくわかる。水面に足をつけてピチャピチャと歩くと、それがオーケストラの響きに重なる。カーテンコールの指揮者までもが、この水の中を歩いて挨拶をした。それ以外にはヴォツェックの部屋が前に出たり後ろに下がったりして遠近感を出す。照明は概ね暗いが、人物はみな白い服を来ており、特にヴォツェック以外の者は異様でさえある。

歌唱力については、ここでとやかく言うことは差し控えたいと思う。第一私はこのような無調オペラを見るのは初めてだし、シュプレヒシュティンメと言われる歌唱法については、今回初めて知ったくらいなのだから。ただ他の作品を見た時と比べ、決して悪くはなかった。みな声は良く届いていたし、オーケストラの演奏も水準を維持していた。何よりも遂に私のオペラ体験が「ヴォツェック」に及んだことがとても感慨深いのだ。1時間40分休憩なしの上演は、集中力を絶やさないための措置だったと思うが、水の中で濡れてしまった出演者にとってもそれは必要なことだったと思われる。

ベルクはこのような音楽をドビュッシーや師のシェーンベルクなどから学び、このオペラを見たショスタコーヴィッチは歌劇「ムツェンスク郡のマクベス夫人」でやはり家庭崩壊のドラマを書いた。だから音楽史に位置づけられる作品としての「ヴォツェック」は、その重要性を今では明確に定義されていると言える。けれどもこのオペラをそうなんども気軽に見ることができないというのもまた事実である。シュールなオペラも娯楽作品を求める観客からは支持され続けるだろうか。救いは客席に比較的若い客が多かったことで、学生席を求めて当日券を手にした若者も目立った。やはりこれは避けて通れないオペラ史の一側面を持った重要作品ということになるのだろうと思った。

ボロディン:歌劇「イーゴリ公」(The MET Live in HD Series 2013-2014)

折しもウクライナをめぐるロシアと西欧諸国との争いが激化しているさなか、ロシアの民族主義的なオペラとも言うべきボロディンの大作「イーゴリ公」がメトロポリタン・オペラで100年ぶりに上演され、The MET Live in HDシリーズでも見ることができた。この作品をアメリカで初演したのがメトだから、まさに初演時以来の上演ということになるのだが、その今回の演出は斬新なもので、モスクワ生まれのディミトリ・チェルニアコフが手がけ、歌手達もロシアから数多く参加して、ロシアものを本場さながらに楽しむというメトならではの贅沢な企画となった。

ボロディンは歌劇「イーゴリ公」を未完のまま残し、友人のリムスキー=コルサコフとグラズノフによって仕上げられたようだ。このあたりの経緯を含め、この作品はロシア以外ではさほど知られていない。ストーリーは中世ロシアの叙事詩に記述された史実に基づいている。従って12世紀の話で、ロシア人のイーゴリ公がホロヴェツ人(韃靼人)の制圧に向けて遠征したが失敗し、囚われの身となったものの、敵方の協力者を得て脱走し妻ヤロスラヴナのもとへ帰るという内容である。

Met Live Viewingのホームページに記載されたあらすじでは、以下のように紹介されている。

「ポロヴェツ人との戦に敗れたノヴゴロド公イーゴリと息子ヴラヂーミルは、ポロヴェツ人の首領コンチャーク汗に捕われた。協力者を得たイーゴリ公は脱出に成功するが、汗の娘コンチャコーヴナと恋仲になったヴラヂーミルは留まることを決意し、汗に娘との結婚を許される。一方イーゴリ公の領地では、主が不在の間に陰謀を企む義兄ガーリツキィ公らの専横が人々を脅かし、さらにポロヴェツ軍の侵攻により街は荒廃してゆく・・・。」

だがチェルニアコフの演出では、この英雄的表現が薄められ、主人公イーゴリ公に焦点をあてた人間的ストーリーとして描かれている点が新鮮であると言う。言われてみればそのように感じるのだが、それにもまして見せるのは舞台装置のデザインである。まずプロローグの前に、舞台上にメッセージが表示される。「イーゴリ公にとって戦争は自己逃避である」といった趣旨である。これはこの演出を解釈する上での鍵であると、インタビューで彼自身答えている。

プロローグの舞台は大理石で作られた宮殿内部で、いままさに遠征に出発しようとしている軍人たちが、急に起こった日食に恐れおののき、イーゴリ公(バス・バリトンのイルダール・アブドラザアコフ)の妻ヤロスラヴナ(ソプラノのオクサナ・ディーカ)は遠征をやめるようにと促す。ディーカの第1声はメトの広い舞台に轟く、震撼するような声だった。だがそのような忠告を無視し、イーゴリ公は遠征に出発する。

さて続く幕は、舞台上に設けられた真っ赤なケシの花が一面に咲く、現実離れした舞台である。イーゴリ公は戦争で負傷し、いまやホロヴェツ人によって捕虜となってしまったのだ。時折挟まれる映像が、負傷した兵士をクローズアップすると、この異様な美しさと奇妙なコントラストを見せる。この幕は、本来第2幕として置かれているようだが、ここでは第1幕として上演されている。そして父と同様に囚われた息子のウラヂーミル(テノールのセルゲイ・セミシュクール)と、ホロヴェツ人の領主コンチャーク汗(バスのステファン・コツァン)の娘コンチャーコヴナ(メゾ・ソプラノのアニータ・ラチヴェリシュヴィリ)は恋に落ちる。コンチャーク汗は、戦闘を放棄すると約束するなら逃してやってもいいとイーゴリ公に迫るが、イーゴリ公は取り引きに頑として応じない。コツァンの低音の響きは頂点に達し、やや苦しいながらも低音の魅力もまたあるものだと気付かされる。

やがて舞台にはあの有名な音楽「ダッタン人の踊り」が流れてくる。こういう風に演奏されるのか、と思いを新たにしながらバレエに見入る。このようなバレエシーンは、グランドオペラの流儀に従ってこのあたりに置かれるのがしっくりくる。舞台を覆うけしの花が、ちょっと異様な美しさを持っているので、ここは心から楽しむというふうではない。娯楽作品としてのオペラではなく、もっとシリアスな内容なのだ。90分に及ぶ第1幕が終わり、最初の休憩時間となる。

今回出かけた六本木のTOHOシネマは、METシリーズを上映するに際してプレミアムなシートを用意してくれた。リクライニング付きの椅子に十分な広さの座席と手すり、飲み物を置く広い台、それに防寒用の毛布の配布など、4時間にも及ぶ大作を見るのに相応しい空間である。平日の昼間というのに、結構な人出で驚いた。

第2幕(と今回の上演ではなっている)は再びロシアのプチーブリである。イーゴリ公の妻ヤロスラヴナは、夫の帰りを待って慕うアリアを歌う。そこに登場するのは彼女の弟で悪役のガリツキー(バスのミハイル・ペトレンコ)に娘を誘拐されたという女達の直訴である。ガリツキーは姉の言うことにも顧みず、自らがイーゴリ公に代わる領主だと宣言するが、その横暴ぶりもまたロシア風というか、私などはイタリアやドイツのオペラにないものを感じる。

困惑するヤロスラヴリに貴族たちはイーゴリ公が捉えられ、ホロヴェツ人の軍団がまさにプチーブリに迫っていることを告げる。舞台は急展開し、天上の一部が剥がれ落ちて舞台にいたガリツキーは死んでしまうのだ。イーゴリ公の不在をいいことに、街の権威をほしいままにしていたガリツキーに天罰が下ったかのようなシーンは、(私が調べた範囲では)オリジナルにはない。そして2人のグドーク弾きの代わりに、ガリツキーに媚びへつらう2人の廷臣が登場して舞台を盛り上げた。

最後の幕(第3幕)では、再びホロヴェツの陣営である。ここにホロヴェツ人の中に捕虜を逃すという協力者が現れ、イーゴリ公は脱走を決意するのだが、困ったのはコンチャーコヴナと恋仲になったウラヂーミルである。結局ウラヂーミルは、愛と祖国の間に揺れるものの、最後には祖国を捨てる決意をするのだ。ここでのラチヴェリシュヴィリは、迫真の演技で見るものを熱くさせたが、彼女は来シーズンにカルメンを歌うことが決まっているという。今から楽しみである。

最終幕は廃墟と化したプチーブリ。一人の若者がうなだれているが、周りの誰も気がつかない。グドーク弾きが彼を見つけ、イーゴリ公であることを発見すると一同驚くが、イーゴリ公は自分だけが生き残って脱走したことに呵責の念を抱くのだ。つまりこの演出ではハッピーエンドというわけではない。散らかった廃墟を片付け始めるイーゴリ公は、ロシア人としての誇りを保ったのか、それとも裏切ったのか。そのあたりの評価は見るものに任されているのだろう。

ロシアという土地が、やはり他の西欧と違うということをまざまざと感じた今日の上演は、私にとって新たなオペラ鑑賞体験のまたひとつの新しいページとなった。韃靼人とはロシア南部に生活するトルコ系の遊牧民、すなわちタタール人で、その後モンゴル人を総称するものとなった。汗というのは、タタール人の君主に付けられる称号である。音楽は時折アリア的なものをみせつつも合唱が全体に展開し、大音量の歌が続く。スタミナがないとなかなか実演で楽しむことはできないと思われるのだが、指揮者のジャナンドレア・ノセダは聴かせどころを捉えて手堅くまとめ、客席から大きな拍手を受けていた。

バルトーク:管弦楽のための協奏曲(小澤征爾指揮シカゴ交響楽団)

有名曲でもどうにも馴染めない曲というのがある。私にとってバルトークの代表作「管弦楽のための協奏曲」は、まさにその一つだった。他にはストラヴィンスキーの「火の鳥」、R・シュトラウスの「ドン・キホーテ」、あるいはベートーヴェンの「荘厳ミサ」も加えていいかもしれない。馴染めない要因は定...