2014年4月15日火曜日

マスネ:歌劇「ウェルテル」(The MET Live in HD Series 2013-2014)

フランスにはワーグナーもヴェルディもいないが、マスネがいる、そう思わせるようなオペラだった。19世紀の後半はオペラ史にとっても、とりわけドラマチックで人間心理に肉薄した作品が多く作曲されている。女性の視点でオペラを語る書物はいくつかあるが、私はいつか、若い男性の視点で語ったものがあるといいと思っている(もっともほとんどのオペラは男性によるもので、男性の視点で書かれているが)。その中にはヴェルディの「椿姫」や「オテロ」、ワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」、ビゼーの「カルメン」、チャイコフスキーの「エフゲニー・オネーギン」、それからプッチーニの「ボエーム」も入れようか。そしてマスネの「ウェルテル」である。これらに共通するのはみな、情熱的で狂おしいまでの報われない恋愛ということと、19世紀後半の作品だということだ。

「ウェルテル」はその名の通り、文豪ゲーテの小説「若きウェルテルの悩み」を原作としている。この作品が書かれたのは18世紀後半だから、その間に100年の隔たりがあることになる。ワーグナーの影響も受けたフランス人マスネが、この作品を題材に選んだのは、この作品がヨーロッパを席捲するほどのベストセラーとなり、社会現象となったからだ。音楽史は19世紀後半になって、ようやくこの人間の心理ドラマを描くほどにまで成熟し、その表現が受け入れられるようになったのではないか。

「ウェルテル」の主人公はウェルテル(テノール)で、その歌は丁度「椿姫」のヴィオレッタを男女入れ替えたように感じられる。つまり作品の中にあって、彼だけが際立って主観的、叙情的、そしてドラマチックである。彼の周りはみな、社会の調和を乱す彼にかき回される。象徴的に、マスネは法務官と子供たちが歌うクリスマスの歌によって、あるいはそこに集う人々(にはシャルロットやソフィー、さらにはシャルロットに許嫁であるアルベールも含まれる)が平和的な日々を幸せに送ることを冒頭から表現する。

ウェルテルの存在は前半(つまり第1幕と第2幕)ではまだまだ控えめだ。その存在はややもすれば滑稽でさえもある。だが後半に入ると舞台は俄然、心理ドラマに深化する。ここで登場人物はウェルテルとシャルロットにのみフォーカスされる。演出のリチャード・エアは、今回この後半のシーン、とりわけ第4幕を、舞台の中に作ったさらに小さな空間でのみ演じさせることによって、作品と登場人物への集中力を増強した。その効果は、ゼッフィレッリの「ボエーム」の終楽章(屋根裏部屋)を思い出させた。

さらに素晴らしかったのは、第3幕と第4幕の間奏曲の部分で、その音楽に合わせて舞台上で演技がなされたことだ。この場面についてはインタビューでエア自身が語っている。その効果は恐ろしいほどにリアルであった。ウェルテルのピストルによる自殺シーンは、見ている私も目をそむけたほどだ。私はオペラでこのような経験をしたのは初めてである。

エアの独自の解釈は、幕切れで聞こえる子供たちの歌声(クリスマスの歌だが、冒頭の時と違ってここでは空虚に響く)を聞きながら、さらにピストルを自分にも向けようとすることだ。ヴィオレッタと死に別れたアルフレードは、プロヴァンスの実家へ戻って平和に暮らしたのだろうか。同様にウェルテルに死なれたシャルロットの今後については、誰も語っていない。ここでのエアの演出は、その「続き」を想像させようとする。

このような素晴らしい演出を可能にしたのは、何と言ってもマスネの音楽が素晴らしいからだろう。特に後半の充実ぶりは目を見張るが、物語が一貫して悲劇に向かう流れが、この集中力を維持している。ヨナス・カウフマンの歌うウェルテルほど、その役割に見事に応えられる歌手はいないのではないかと思わせるような歌いぶりは、前半の舞踏会のシーンでもすでに明白だったが、「オシアンの歌」(第3幕)でそれは頂点に達した。フランス語を見事に使いこなすその歌唱力に容貌と演技を加えて、彼は現在望みうる最高のウェルテルであることは、この作品を初めて見るものをも納得させるものだ。

一方、シャルロットを演じたフランス人ソフィー・コッシュ(何とMETデビュー)も、三位一体の素晴らしさであった。彼女は「手紙の歌」(第3幕)に代表されるシーンから幕切れまでの一挙手一投足までもが、次第にウェルテルに心を奪われていく心理的葛藤を十全に表現し、見ている方も心をえぐられるようだった。このように心理的にバラエティに富む音楽的要素がすべて含まれることについてカウフマンは、これこそがフランス・オペラの醍醐味であると語り、とりわけマスネがその表現に長けていると語っているところが興味深い。

主役二人以外の歌手も好演った。シャルロットの亭主のアルベールはデイヴィッド・ヴィズィッチ、妹のソフィーがリゼット・オロペーサ。指揮はフランス人のアラン・アルタノグルで、この指揮者は初めて知ったが十分に上手いと思った。そして演出の斬新さは、上記で述べた通りである。冒頭からビデオを駆使して、数々の美しいシーンが現れては消える。ヨーロッパの美しい田舎の風景を、こんなに見事に再現されると、古典的な演出は退屈に思えてくるだろう。

「若きウェルテルの悩み」は、男性ならもしかすると誰もが経験する要素を持っているのではないだろうか。最後にそのことについて触れない訳にはいかない。カウフマンが語っているように、壮絶な結末を迎えるほどではなくても、類似の経験を思いながら演じることによって、真実味を表現できる。だが、見ている方も醒めて見たのではつまらない。つまり、このオペラは誰しもが胸に秘めた出来事を思い出しながら、主人公に同化することのできるオペラである。女性ならどうか。私にはわからないが、シャルロットの気持ちの変化は、少し男性の願望が働き過ぎているようにも思う。一度誰かに聞いてみたいと思う。

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