2014年4月17日木曜日

国鉄時代の鉄道旅行:第14回目(1986年9月)①

私の初期の頃の旅行の最終目的地は北海道であった。当時、まだ海外旅行など一般的ではなく、関西地方から行くことのできる最もエキゾチックな旅行先、それは北海道をおいて他になかった。沖縄もまたそれに次ぐ場所ではあったが、陸伝いに行くには時間がかかりすぎる上に、鉄道が走っていない。それに比べると北の大地には、今とは比べ物にならない程多くの路線があり、そのほとんどが赤字のローカル線であった。

広い大地の何もないところに一両の列車が走っていて、その列車は駅舎もない無人駅に止まる。秋なら日が傾きかけたその停車場(と言ったほうが良さそうなところ)には駅名表示のみが立っていて、降り立つ客はひとり。北海道のイメージは大阪に住む少年にとって、このような想像力を掻き立てた。北海道に行ってみたい、と高校時代はいつも思っていた。そして大学生になった最初の年の夏休みの終わりに、私は北海道旅行を敢行することにした。

大阪から北海道へ行く最も安い方法は、舞鶴からのフェリーに乗ることであった。だが北海道ワイド周遊券を使用する私は、この方法を使えない。代わりに日本海側を北上する列車に乗ることが可能であった。青森までの特急「白鳥」は、単一の昼間特急としては最も長い距離を走る。10時過ぎに大阪を発つと、青森に到着するのは夜半近くとなる。そのまま夜行の青函連絡船に乗れば、早朝に函館に着くことができる。そして朝一番の列車で札幌へと向かう。これが私のプランであった。

北海道ワイド周遊券は、周遊エリア内の特急列車を含むすべての自由座席に乗り放題であることに加え、周遊エリアまでの指定されたルートにおける急行列車を自由に乗ることができた。「白鳥」は特急列車なので特別急行料金が必要となるが、この料金は乗車距離によって異なる。ところが大阪~青森といった長距離となると、その上限の金額以上には上がらない。つまり「白鳥」を利用することが、時間的にも料金的にももっともコストパフォーマンスがいいのである。

丁度秋田大学に進学した高校時代の同級生がいて、私は帰りに彼のいる秋田で途中下車することにした。まだ暑い日に私は大阪駅を出発し、途中、新潟で向きがかわった以外はほとんどすることもなくひたすら車内で過ごした。駅弁を2つ買い込み、お昼と夕方に食べた。秋田を過ぎる頃には日もくれて何も見えなくなった。次に夜が明けるのは津軽海峡を越えた頃だろうと思うと、感慨が沸き起こった。まだ青函トンネルのない時代、青森駅に到着すると人々は一斉に駆け出し、少しでもいい場所を確保しようと船内に入った。

船は石狩丸だった。夜行の2等船室は足の踏み場もないほど混雑していたが、各自場所を見つけて毛布をかぶり寝入った。陸奥湾を過ぎると揺れが大きくなったが、私はその揺れを高まる気持ちに合わせて感じながら、眠りに落ちた。

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