2021年11月13日土曜日

思い出のうた(2)天地真理「虹をわたって」(作詞:山上路夫、作曲:森田公一、編曲:馬飼野俊一)

今から思えば1970年代というのは、歌謡曲の全盛期だった。それまでの演歌歌手やグループ歌手に加えて大勢の若手のアイドルが台頭し、同年代の若者から圧倒的な支持を得ていた。20代になっていた団塊の世代が社会に出て、日本中のあらゆる側面で変化が起こった。圧倒的に人数の多いこの世代は、それだけでマーケティングの対象になる。勃興した大衆消費社会が彼らに迎合し、彼らも自分の時代が来たと思ったに違いない。それは文化的な意味で、戦後生まれの世代が我が国の中心に躍り出ようとする初期段階であった。

1966年(昭和41年)生まれの私は、その70年代を小学生として過ごした。1973年(昭和48年)に大阪郊外のマンモス小学校に入学、その6年後の1979年に卒業した。今でもよく覚えているのは、新しく赴任する小学校の先生が次々と若返り、新しい風を私たちにもたらしたことだ。遠足に持っていく歌集には、新しい歌が数多く登場した。それまでの文部省唱歌や教科書に載るような歌が中心のお仕着せの歌集の他に、先生が別刷りで作成したものだ。その中には流行のフォークソングなどが含まれていた。夜になればキャンプファイアーを囲んで、誰かのギターに合わせこれらを歌う。その歌詞は、それまでの体制から離れて自由になろうとする新しい時代の意志が込められていた。その象徴的な存在は、ジローズが歌った「戦争を知らない子供たち」(作詞:北山修、作曲:杉田二郎)だろう。この曲は大阪万博の年、すなわち1970年に発売された。

私の世代、つまり丙午(ひのえうま)を底とする「くびれ世代」は、その団塊の世代の20年ほど下である。従って、私達の親世代の文化と同時に、それとはずいぶん異なる団塊の世代の文化に大きく影響を受けていると言える。この2つの価値観が、学校や職場で共存・対立し、やがては下の世代が上の世代を駆逐してゆく有り様を、昭和から平成へと連なる過程で観察してきた。もっとも我々の世代は、その上下の世代に比して同年代の人数が圧倒的に少ないから、時流に乗ることもなければ世間の注目を集めることもない、極めて地味で消極的な世代だと思っている。実際、タレントや政治家になって世間の注目を浴びる人の割合は、これらの上下の世代に比べ圧倒的に少ない(1966年「ひのえうま」生まれは特に少ない)。

1970年代に隆盛を誇り、以後は低迷してゆく昭和アイドル文化はまた、団塊の世代が同年代の人を支えた文化ではないかと思う。そしてこれらアイドル系歌謡曲の裏で若者の心を捉えるニューミュージックもまた、彼らの文化である。実はニューミュージック系の文化こそ、若者文化の本流だったと知るのは、私が中高生になってからで1980年代のことである。従って小学生の私は、いわば表側の若者カルチャーたるアイドル歌謡曲に触れることが、生活の中でのごく一般的な出来事だった。そしてそのアイドル歌手の中で、もっとも高度成長期の底抜けの明るさを感じさせるのが、天地真理だと思う。

私が小学生に入った頃、すべてのチャンネルのテレビ局では歌謡曲番組が花盛りで、ヒット曲の歌手が出演する歌番組は、毎夜どこかの放送局がゴールデンタイムに放映し、その合間にはアイドル向け番組が時代劇やプロ野球中継の狭間に差し込まれた。TBSの「真理ちゃんシリーズ」は、そのような番組のシンボルだった。私はその中でも「真理ちゃんとデイト」を良く見ていた記憶がある。アイドルの中でも天地真理ほど、各放送局が競って登場させた歌手はいないだろう。どの時間にテレビをつけても、彼女を見ない時間帯はなかった。その様子は、全盛期の坂本九に匹敵し、それ以降にはもう存在しないと思われる。三人娘の他の歌手、南沙織と小柳ルミ子がこれに及ぶことはなく、郷ひろみや沢田研二のような男性系アイドルも、滅法有名ではあったが、そこまでテレビの寵児とまでは行かない。天地真理こそ1970年代を駆け抜けた満面笑顔の大スターだった。

彼女は「恋は水色」でデビューし、瞬く間にヒット作がこれに続いた。「ひとりじゃないの」「ふたりの日曜日」「恋する夏の日」などである。私はその中でも一番印象に残っているのが「虹をわたって」である。この曲は1972年にリリースされた4枚目のシングルで、3曲連続でオリコン1位を獲得したことでもわかるように、この年の代表的なヒット曲となり、翌年の選抜高校野球大会の入場行進曲に選ばれた。この1973年頃が天地真理の短すぎる絶頂期だったと思う。それ以降にも新しい曲は発売され、コンサートも活況を呈するが「思い出のセレナーデ」以降は翳りが見える。

とにかく天地真理の屈託のない曲と朗らかな歌唱は、高度成長が続く我が国の、楽天的で自信に満ちた喜びを感じる。楽曲の中にはメランコリックな曲も多いが、それがちっとも深刻にはならず、むしろ幸福感を感じるようで、この時代の雰囲気を良く表している。だが、実際にはベトナム戦争がひどくなってゆくこの頃、社会のひずみも増していくのと同様に、彼女自身もまた少々無理をしていたようだ。1974年を最後に紅白の舞台からは遠ざかり、1977年には体調不良で芸能活動を休止。以後、今日に至るまでマスメディアの話題にのぼることはなくなった。昭和アイドル歌謡の絶頂期を駆け抜けた表の顔は、彗星の如く登場し、虹のように消えて行った。

2021年11月7日日曜日

京都市交響楽団・東京公演2021(2021年11月7日サントリーホール、指揮:広上淳一)

まるで魂が乗り移ったような演奏だった。

長年、常任指揮者などを務めた広上淳一が京都市交響楽団を率いるのは、来年2022年3月までとなった。京響の2年ぶりとなる東京でのコンサートは、このコンビとしては今回が最後となる。常任指揮者としての「ファイナルコンサート in 東京」と題されたチラシを見たのは先月の下旬だった。演目はベートーヴェンとマーラーのいずれも交響曲第5番。前者がハ短調、後者は嬰ハ短調。凡そ100年を隔てて作曲されたこの2曲は、それぞれ新しい境地へと踏み出す交響曲であると同時に、モチーフにおいても大きな関連性がある。広上は大胆にもその2曲をプログラムに配し、真っ向から勝負するというチャレンジングなもの。14年に及ぶ関係の有終の美を飾るものとなるかは、勿論当日の出来次第。音楽は決して事前に作り置きしておくことのできないものだからだ。

ベートーヴェンの冒頭で、聞きなれた主題が鳴り響いた時、私はとても新鮮なものを感じたのは不思議ですらあった。配置は昔からの標準的なもので、左からヴァイオリン、チェロ、ヴィオラの順。古楽器奏法が主流の現在、むしろ懐かしい響きである。しかもテンポはゆっくり目。主題提示部の繰り返しは省略。たっぷりと旋律を歌わせ、自らも道化師のように踊る広上の姿に、こちらも釘付けとなるのに時間はかからなかった。このような「古典的な」ベートーヴェンは随分久しぶりに聞くな、などと思いつつ、それがここまで新鮮に響くには何か理由があると考えた。それは広上が、すべてのフレーズ、すべての和音に至るまで、ここはこういう音でなければならないという確信に満ちた音作りを目指しているからではないだろうか。

広上の演奏に接するのは初めてである。最近ではNHK交響楽団にもたびたび客演しているし、東京生まれの指揮者なので勿論のことながら、東京での活躍が多い。にもかかわらず、私はこれまで広上の生演奏に接したことがなかった。それなのに、初めて聞く彼の指揮するオーケストラが、京都のオーケストラであるというのも何か不思議な感じである。第1楽章のオーボエのカデンツァ以外では、オーケストラの自発性に任せているというよりは、細部にまでこだわって指揮をしているように思えた。ただそれが威圧的ではなく、開放的で明るいのは、その滑稽とも思える大袈裟な指揮姿からではないだろうか。

第2楽章もたっぷりと歌わせ、聞きなれた音楽が何故かとても嬉しいくらいに新鮮だ。きっちりと、しかし曖昧さもなく進むが、それについて行くオーケストラの技量も確かなものだと感じた。そして第3楽章の低弦の響き。最近の我が国のオーケストラも、かつてのように薄っぺらい低音ではなくなって、むしろヨーロッパのそれに近い。しかし第3楽章までですでに非常に朗らかな感じがしてしまうため、第4楽章の歓喜はむしろ控えめに感じられた。第4楽章でも主題提示部の繰り返しはない。これはプログラム自体が長いためだろうか。

私はこの曲をこれまでにどのくらいコンサートで聞いているか、過去のメモを手繰ってみた。印象には残っていないものの、結構な回数であることが判明した。今回の第5交響曲の演奏は、その過去の記録に照らしても、これほどまでに印象に残った演奏はないと思った。聴衆が期待しているのはこんな演奏ではないか、と広上は考え、その実践をしているように思われた。だから後半のマーラーに、期待が膨らんだ。ただマーラーの交響曲第5番は、ホルンやトランペットを始めとして、結構な技巧が要求される。京都市交響楽団は、その期待に応えられる技量があるのだろうか、と私は少し心配だったのが正直なところだ。だがこれは杞憂に終わった。

私は広上の指揮に限らず、この地方自治体が運営するオーケストラを聞くのも初めてだった。いや実際には、2回目ということもできる。それは小学生の頃、体育館で聞いた出張演奏会の小さなアンサンブルが、京響だったからだ。今から50年近く前のことである。私の通っていた小学校は、大阪府の北部にあった。私の通っていた小学校の音楽の先生は、音楽室に高額なオーディオ装置や楽器などを配備し、児童には楽器を触らせてばかりいる大変ユニークな方で、この先生がその年に招へいするオーケストラを決める時、「京響が一番真面目でいい」と言っていたのを覚えているのだ。まだ何もわからない小学生の授業の中で、そういうことを言った。それ以来、京響は私にとって、いつかは聞くべきオーケストラとなっていた。けれども当時、一番人気は大フィル。大阪から京都に出かけて行くのも不自由なら、京都に音響のいいホールもなかった。

東京に来てからは、関西のオーケストラを聞く機会もほぼなくなった。しかし2008年に京響の常任指揮者に広上が就いてから、京響の技量は飛躍的に上昇し「黄金時代をもたらした」(プログラム・ノートより)とのことだった。私は初めて聞く広上の指揮する演奏会に、京響を選んだ。そしてそのことが大正解だったことを、マーラーの奇跡的な大名演によって確信するに至る。オーケストラの巧さだけでなく、それを引き出した手品師のような広上の指揮が、これほどにまで聴衆を惹きつけるのかと思った。

マーラーの冒頭はトランペットの響きで始まる。モチーフはベートーヴェンのそれと同じ3連符とフェルマータ。しかし100年後のクラシック音楽は、非常に複雑だ。長いマーラーの演奏は、聞いてゆくと今どこにいるのかもわからないような世界に入ってゆく。交響曲第5番の、比較的構造の明確な曲であってもまたしかりである。第1楽章の重苦しく闘争的な音楽。悲劇的な第2楽章。こういった場面をたっぷりと、体を左右にゆすりながら、時に大きくジャンプしては向きを変え、丸でパントマイムのように軽やかに踊る。オーケストラはその表現に寄り添い、最大限の技量をもってついてゆく。この一糸乱れぬ関係は、長年に亘って築かれたものであることを感じさせ、さらにはかなりの量の練習が施されたのではないかと想像するに十分であった。

奇跡的に、まるで魂が乗り移ったようにオーケストラと指揮が一体化してきたと感じたのは、第3楽章からだった。この長いスケルツォを千変万化するリズムやフレーズの中に表現しきった彼らは、続く有名なアダジエット(第4楽章)で、さらに深化したアンサンブルを響かせた。指揮者の正面に配置されたハープと、100%の音量を鳴らす弦楽器の絡み合い。一音ごとに響きに重みを増すフレーズに合わせ、指揮はこれでもか、これでもかとオーケストラを引き立ててゆく。時に唸り声が響く。その楽章が終わったとき、会場が物音ひとつしない静寂に包まれた。消えてゆく音に合わせ、かすかに目を閉じた私は、終楽章でのホルンの響きに身を寄せ、流れては澱み、大胆に鳴らされては消え入るように染み込むマーラー・マジックに翻弄されることとなった。難しい音楽が次から次へと現れ、重なり、大きくなって会場を満たすときでさえ、広上の確信に満ちた指揮は、驚くべきほど雄弁なものだった。こうなればオーケストラも、乱れることなく心がひとつになって、実力以上の力量が示されることとなる。すべての楽器の、すべての奏者が体を揺らし、思いっきり力を込めて弾く。後方にいる弦楽器奏者までもが、まるで魔法にかかたかのように熱演を繰り広げる。その有様は、聴衆にも乗り移ったかのようだ。

全部で2時間20分以上に及んだコンサートが、さらに長い間、拍手の嵐に包まれた。何度も舞台に呼び出された指揮者は、オーケストラが去っても熱心な聞き手に応えた。「アンコールはありません」などと会場に向け挨拶をした広上は、「京響がとても個性的なオーケストラに成長した」というようなことを云った。私はこれまで、そのあまりに大袈裟でひょうきんな指揮姿に、いったいどういうコンサートをする指揮者なのかとこれまで思ってきたが、今日の演奏を見て明確に判った。両手だけでなく、顔の表情、時に両足までも駆使しながら、体のすべてを通して音楽を伝えようとする姿は、それゆえにオーケストラのあらゆる部分に明確な指示を出す。そのユニークな指揮と演奏が一体になった時、驚くような名演奏が誕生する。本日の演奏は、まさにそのことを実体験することとなったのだった。

このような個性的な指揮が、歳をとるとしづらくなってゆかないか心配である。けれども少なくともあと何回かは、京都でこの組合せの演奏会が予定されている。特に注目すべきは、文字通り最後の演奏会となる来年3月の定期である。この時取り上げられるのは、マーラーの交響曲第3番だそうである。私は帰省を兼ねて、京都まで聞きに行こうかとも思っている。

2021年11月6日土曜日

思い出のうた(1)「帰ってきたウルトラマン」主題歌(作詞:東京一、作曲:すぎやまこういち)

いまどき珍しいことに、私はゲームというのをほとんどしたことがない。昨今のスマホに代表されるネットゲームはおろか、家庭に初めて登場したコンピュータゲームがまだ「テレビゲーム」と呼ばれていた時代から、私はゲームを楽しめないでいる。理由はよくわからないが、人間が作り出した世界よりは、社会や自然の方がより複雑で面白いからだ、と答えることにしている。にもかかわらず私は情報科学、いわばコンピュータ科学を専攻する学生になった。

学生の頃、叔母に会いに行ったときゲーム「ドラゴンクエスト」の音楽が、耳から離れないと言われた。叔母も特にゲームに興じるような人ではない。それなのに、なぜか叔母は私にそう言った。私もなぜか「ドラゴンクエスト」の音楽のさわりを聞いて少し知っていたから、叔母に「この音楽はすぎやまこういちが作曲したのだ」と答えた。

それまでのコンピュータが発する音は、いわゆるビープ音の類、つまり必要があって何かを(だいたい不吉なことが多い)知らせるためのもので、音階で言えばAの音、しかも正弦波である。だがこの頃からコンピュータは、単なる事務機から娯楽の分野へと領域を広げ、アップル社のマッキントッシュなどは、起動時に鳴る和音で利用者をあっと楽しませるような「遊び心」がふんだんに搭載されていた。コンピュータゲームにも音楽が必要だとすぎやまは考えた。そこで耳に心地よい音楽の作曲を思い立ったのである。

叔母は団塊の世代である。彼女は「亜麻色の髪の乙女」や「学生街の喫茶店」のような歌謡曲が、すぎやまの作曲であることを知っており、なるほどそうなんだ、と大いに頷いたのを記憶している。確かにすぎやまの音楽は、いつまでも聞いていたくなるような音楽、たとえばイージー・リスニングなどと呼ばれた一種のポップス・オーケストラによるムード音楽(FM番組「ジェットストリーム」で聞ける音楽である)のようなものとよく似ているだろう。すぎやまが後に編曲し、自らが指揮して演奏した交響組曲などを聞いてみると、そのような感じがよくわかる。人類が音楽を様々な局面で使用するようになってから1世紀。映画やテレビ番組、それにデパートや広告などで使用される音楽の種類が、またひとつ増えた。それがゲーム音楽である。

だが私がここに書こうとしているのは、彼の代表作であるゲーム音楽の類のことではない。私が生まれて初めて聞いた音楽(少なくとも記憶する限りにおいて、自ら意識して聞いた音楽で、その曲名や旋律が明確なもの)は、当時大流行りしていたテレビ番組「ウルトラマン」シリーズの最新作「帰ってきたウルトラマン」の主題歌だった。当時幼稚園児だった私に、祖母が欲しいものを買ってやろうと言ってくれた。私は祖母と阪急北千里駅にあった小さなレコード屋に行き、一枚のドーナツ盤レコードを買って欲しいと言った。確か500円くらいだったと思う。バスの初乗りが30円の時代。1972年頃ではないかと思う。そのレコードに収録されていた「帰ってきたウルトラマン」の主題歌を作曲したのが「すぎやまこういち」だったことを覚えているのは、その名前がひらがなで書かれており、幼稚園児の私でも読めたからであろう。

そのすぎやまこういちが、先日亡くなった。もっとも私は彼の晩年の、特に国家主義的な政治活動に賛同できなかったし、ゲーム音楽に興味もなく、従って彼の作品を良く知っているわけでもない。だがこの「帰ってきたウルトラマン」の主題歌だけは、私の心に残る「最初の音楽」、つまりは音楽体験の原点なのである。そしてその主題歌は、今でも口ずさむことができるほど歌詞もメロディーも頭から離れたことがない。ウルトラマン・シリーズは円谷プロダクションが経営危機に陥った後も延々と続いているようだが、主題歌に関する限り「帰ってきたウルトラマン」を上回る作品はないのではないかと、勝手に思っている。

Wikipediaによると「帰ってきたウルトラマン」は1971年から1972年にかけて夜7時から放映されている。おそらく私は週1回、この放映を欠かさず見ていたであろう。またそれ以前のウルトラマン作品は、毎日夕方5時台に再放送されており、私は友人たちとそれを見るのが日課だった。このことからもわかるように、私は「ウルトラマン世代」の最後の部類に入ると思っている。それ以降のアニメや特撮ものは、私の世代から少し外れている。仮面ライダーしかり、マジンガーゼットしかり。そういうわけで、私の幼少期の音楽を代表するのは、すぎやまこういちの作曲した「帰ってきたウルトラマン」の主題歌なのである。

すぎやまこういちの訃報に接してから、急に数多くの追悼ビデオが流され、そのほとんどが「ドラゴンクエスト」である。関係の深かった都響は、10月の定期演奏会の冒頭で大野和士が「ドラゴンクエストⅡ」から「レクイエム」を演奏したようだが、「帰ってきたウルトラマン」の主題歌については、ほとんどどこにも掲載されていないようだ。かねてから私は、自分の幼少期からの音楽体験(つまりは好きな流行歌)のいくつかについてこのブログに書いてみたいと思っていたから、丁度いい機会が訪れたと思い、とうとうこの文章を書くことに決めた。

「帰ってきたウルトラマン」の主題歌は、東京一(あずま・きょういち)という名前の円谷プロダクションの社長が作詞し、主人公を演じた団次郎(だん・じろう)とみすず児童合唱団が歌っている。「ウルトラマン」全盛期を思わせ、高度成長まっしぐらの明るい音楽である。私の通っていたカトリック系幼稚園でも「ウルトラマンごっこ」が流行しており、男の子ならだれもが「スペシウム光線」などの技を知っており、3分経つとエネルギーが急速に失われるシーンを真似ることができた。

「ウルトラマン」の時代、一家に一台だったテレビは家族全員で見るものだった。同じ勧善懲悪ものでも「ウルトラマン」の前と後では、その意味内容が完全に変わってしまったと主張するのは社会学者の宮台真司である。「ウルトラマン」のストーリーには簡単には理解しにくいテーマを含んでいる。例えば怪獣(悪者)にも一抹の善意があって、ウルトラマンもそれを認めようとする立場があったりするのである。それを大人がお茶の間で、子どもに解いて聞かせることを前提にしていたからだ、と彼は言う。しかしそれ以降の時代になると、テレビは家族全員で見るものではなくなってゆく。自然、ストーリーは単純化され、誰が見てもわかる価値観を提示しないといけなくなるのだ。善は善、悪は悪と。この転換期に始まる日本社会の衰退は、いわば高度成長の絶頂期を境とした「坂の上」からのなだらかな下り坂になって今日まで続いている。

2021年11月3日水曜日

東京都交響楽団第393回プロムナードコンサート(2021年10月30日サントリーホール、指揮:小泉和裕)

1982年に大阪のザ・シンフォニーホールが我が国初のクラシック音楽専用ホールとして開館した時、全国各地のオーケストラが招待され、連日オープニングコンサートが開催された。最初は朝比奈隆の大フィルで、トリがNHK交響楽団だった。このコンサートは後日朝日放送でオンエアされ、コンサートホールの違いが各オーケストラの響きをどう変えるのか、私も大いに注目して見た記憶がある。

その中に記憶が正しいか自信がないのだが、小泉和裕が指揮する京都市交響楽団というのがあった。曲目も忘れてしまったが、アンコールに演奏されたブラームスのハンガリー舞曲第1番だけは鮮明に覚えていて、世界各国のオーケストラと華々しく共演を続ける若干33歳の若手指揮者の才能を見たような気がした。

あれから私は小泉和裕のコンサートをいつか生で聞いてみたいと思いつつ、なんとこれまで一度も接したことがなかったのである。この間40年の歳月が流れている。中学生だった私は55歳になり、俊英の指揮者も70代に達した。小泉はこの間、いくつもの国内のオーケストラを指揮しているから、何度もチャンスはあったのである。だが私は何故か、小泉の演奏会に行くことはなかった。20代前半でカラヤンコンクールに優勝した指揮者は、その後の演奏を国内に限定してしまったにもかかわらず。

予期せぬ感染症が全世界を多い、すでに1年半が経過した。ここへきてようやく日常を取り戻しつつあるが、この世界的パンデミックはクラシック音楽界にも激震をもたらした。海外からの演奏家が来日できない状態が続いたのだった。しかし我が国には世界を股にかける演奏が大勢いる。今年のショパン・コンクールもその例にもれず、日本人の活躍が目立ったのは言うまでもない。

そんな中で目にした都響のプロムナードコンサートと題するわずか一夜だけのポピュラーコンサートに、私は目を惹かれた。ドヴォルジャークのチェロ協奏曲と交響曲第8番という取り合わせ。メールで送られてくる当日券情報にも、まだ席が数多く残っていることが記されていた。

通常、日本人指揮者を迎えて演奏される有名曲ばかりのコンサートに、あまり行く気がしない。オーケストラも小遣い稼ぎ程度としか思っていない可能性がある。エキストラを数多く配して、にわか作りの感が否めないようなものも多かった。しかし、今回は違った。

まずチェロ独奏は、目下最も期待される日本人演奏家である佐藤春真という若者である。ブックレットに記載されたプロフィールによると、2019年ミュンヘン国際音楽コンクールに優勝したとある。この時若干22歳。ということはまだ24歳ということになる。少し詳しく検索して見ると、名古屋生まれでベルリン在住。ドイツ・グラモフォンよりデビューアルバムも発売されている。私はさっそくSpotifyでアクセス。若々しいブラームスのソナタが聞けた。

実際に舞台左手横真から聞いた独奏チェロは、木管楽器ととても上手く響き合う。正面を向くチェリストを見ながら、オーケストラに指示を与えるのは指揮者である。指揮者を介した木管と独奏のアンサンブルの妙は、CDなんかではなかなか聞けない醍醐味であることを知る。こんな有名曲でも私のコンサート記録には、過去にたった一度しかない。舞台正面の席であれば、もう少しオーケストラの音が一体化されているのだろう。だがこの場合には逆に、管楽器が見えにくい。左横からは音を少し犠牲にしている反面、指揮者と独奏者、それにオーケストラのソリストの呼吸が大変良くわかる。

それにしてもドヴォルジャークのこの曲ほど、琴線に触れる曲はないと思う。おそらくカザルスやフルニエの歴史的名演、それに続く万感のロストロポーヴィチの名演などにCDで接してきた聴衆は、その時に聞いた音を重ね合わせているに違いない。そのしびれるようなカンタービレ。もう一体何度聞いたかわからないほど馴染んだ曲なのだが、それでもああここはこういう風にフルートが、オーボエが、クラリネットが重なっているのか、という発見の連続だった。

佐藤春真のチェロが技術的に巧いのは言うまでもないのだが、それが小泉の指揮にピッタリ寄り添って、オーケストラとの交差が見事である。完全にオーケストラに溶け込みつつも、ソロの巧さを表現している。オーケストラの中に入った独奏という感じ。これは相当練習し、かつ指揮が上手いからに違いない。

佐藤春真のことをTwitterなどで見るていと、その辺りを歩いている普通のいまどきの学生と変わらない表情で、私の会社にもいる感じである。ごく普通の感覚でありながら、聞かせどころにうまく歩調を合わせ、親しみやすいドヴォルジャークの旋律をフレッシュに聞かせてくれた。

後半のプログラムは交響曲第8番だった。舞台に上がったマエストロが指揮棒を自然に振り下ろすと、オーケストラが一斉に鳴り響いた。前半の独奏者に遠慮した硬い感じからは解放され、オーケストラの醍醐味が満喫できた。特に中低音が活躍するドヴォルジャークのメロディーは、チェロとコントラバスの人数が多い今日の編成では特に重要である。そしてチェロ協奏曲を含め、オーケストラが音を外すことなどなく、すべての楽器が素晴らしかった。第1楽章のフルートや、第2楽章でのオーボエとヴァイオリンのソロ、第4楽章冒頭のトランペットに至るまで、それは完璧だった。

第3楽章のスラブ舞曲風メロディーや、第4楽章のハンガリー風ダンスも興に乗った演奏で会場の聴衆は大いに沸き立った、と書きたいところだが、コロナ禍で「ブラボー」は禁止され、この日のコンサートには空席が目立ったことは残念である。ところが、驚くべきことにオーケストラがすべて退散した後にも拍手が鳴りやまないという、珍しいことが起きたのである。来日した老齢のマエストロならわかるのだが、通常の都響のコンサートでこの光景は特筆に値するだろう。熱心な観客は、この演奏の素晴らしさを長い拍手で表現したのである。

思えば小泉はカラヤンの弟子の一人で、アシスタントも務めていたのだろう。その指揮はやはりカラヤンのようにスタイリッシュで、流れるような旋律も颯爽と乱すことはなく、そして多くの楽器で旋律を始める時に、もたつかず自然に、しかもすっと入るあたりの職人的な感覚は、見ていて惚れ載れする。こういうところは目立たないが、なかなかのものである。一緒にコンサートを聞いた妻も、一気に小泉の演奏に引き込まれたようだ。私も毎年何度か開催される彼の名曲コンサートに通ってみたいと思う。

土曜日の昼下がり。ようやく秋めいてきた快晴の赤坂を歩く。今宵は神谷町のイタリアン・レストランで妻の転職・昇進祝いをする予定である。まだ少し時間があるので、新しくなったホテル・オークラのカフェにて1時間余りの時間を過ごす。贅沢な秋の一日は、素敵なトスカーナのワインと、北イタリアの郷土料理に舌鼓を打って帰宅。彼女は明日から北海道の実家に出かけ、妹と母親、それに私の母も参加して沖縄旅行をする予定である。その準備に取りかかりなら、久しぶりに聞いたドヴォルジャークの旋律が心地よい週末の夜だった。

※ご本人のTwitterに当日のコンサートの写真が掲載されていたので、転載させていただきました。

2021年10月17日日曜日

NHK交響楽団第1939回定期公演(2022年10月16日東京芸術劇場、指揮:ヘルベルト・ブロムシュテット)

10月に入っているというのに気温の高い日々が続いている。例年だとすっかり秋めいて行くこの時期、今年はまだ半袖のシャツが欠かせない。オリンピックで日程が後に倒れた今年のプロ野球ペナントレースも、いまだに両リーグの優勝チームが決まらない。我が愛する阪神タイガースは辛うじて優勝の可能性を残してはいるものの、いくら連勝してもそれを上回るヤクルト・スワローズの快進撃にあっては焼け石に水である。むしろ25年も優勝から遠ざかっているオリックス・バファローズを私は応援している。万年最下位のこの弱小チームは、多くの選手を怪我などで欠きながらも奇跡的に首位を独走しているが、ここへきて2位のロッテ・マリーンズに優勝マジックが点灯してしまった。これもまた今年の異常と言える。

異常と言えば、あれほど感染者があふれた新型コロナウィルスの猛威が9月に入り原因不明の収束を見せつつあることは喜ばしいことだ。そしてその機会をとらえ、自民党・岸田政権は衆議院を一気に解散し、史上最速で総選挙に突入しようとしている。株価が連日乱高下し、台湾海峡では緊張が高まっている。サプライチェーンの乱れに端を発した世界的なインフレや円安にもはや打つ手がないというのに、日本中がつかの間の安堵を感じている。

そんな毎日のある日、私はNHK交響楽団の定期公演に関するメールを受け取った。昨年は中止になった定期公演が今年から復活、9月にはパーヴォ・ヤルヴィが来日し、予定通りのプログラムをこなしたようである。そして10月には何と、94歳にもある世界最高齢の現役指揮者、ヘルベルト・ブロムシュテットが3つの公演に登場するというのである!さらに地方公演も含めると1か月近くを日本に滞在することになる。もっともそのようなことは、ファンの間では知れ渡っていて、チケットは早々に売り切れ。改装工事で使えないNHKホールよりも収容人数の少ないホールとあっては、もはや手にする術はないとあきらめていたのだが、緊急事態宣言の終結を受けて追加販売されたようで、何と初日土曜日のコンサートのA席が、横並びで余っていることを当日の朝に発見した。妻に聞くと行くとう。私はさっそくこれをを購入し、夕方6時開演のコンサートに東京芸術劇場まで出かけた。

2年ぶりの池袋は、物凄い人々でごった返している。いつ行っても好きになれない街だが、コンサートとあっては仕方がない。長いエスカレータに乗ると、いつもは目にする老人や杖をついたような人をあまり見かけない。渋谷には行き慣れた人々も、池袋までとなると諦めざるを得ないのだろうか。久しぶりの満員のコンサートは、やっと取り戻された「日常」の光景である。客席がマスクをして開演を待っていると、同じようにマスクをした二人の人間が舞台に登場した。オーケストラは管楽器を除いてまだ舞台には登場していないから、係の人が何かを告げに来たのではないかと思っていたが、会場は大きな拍手に包まれた。何とその2人こそ、ヴァイオリニストのレオニダス・カヴァコスと指揮者のヘルベルト・ブロムシュテットだったのである。

驚いたことにブロムシュテットは杖もつかず、歩いて指揮台に向かった。そしてその後を追うようにオーケストラの残りのメンバーが舞台に現れた。何とも粋な演出は、9月のヤルヴィの時にもそうだったらしい。やがてチューニング。今日のコンサートはFMで生中継、テレビ録画もされる。プログラムの最初はブラームスのヴァイオリン協奏曲である。ギリシャ生まれの世界的ヴィルトゥオーゾ、カヴァコスは、1967年生まれというから私とほとんど年齢が変わらない。若いと思っていたら、もう50代なのである。ブックレットによれば、すでに過去3回もN響と共演しているようだ。

一言で言えば、ブラームスのヴァイオリン協奏曲をこんなに軽々しく演奏したのを見たのは初めてだ。CDで数多くの演奏に接している名曲だが、どの演奏もずっしりと重く、相当真剣になって弾く曲という印象が強い。録音ならなめらかで美しく聞かせるか、ライブなら必死の形相で難曲を弾き切るか。ところがカヴァコスは、どんなに速いところでも圧倒的なテクニックで難しいフレーズを乗り切って見せる。これは言ってみれば、パガニーニ風のブラームス。そして驚くのは、その速さに指揮がきっちりとついて行っている、というと失礼で、完全に独奏者の求める伴奏をこなしていることだろう。

これまで私たちは、老齢の指揮者がしばしば椅子に腰かけながら演奏する弛緩した音楽を、「枯淡の境地」などと形容しながら受け入れてきた。ブルーノ・ワルターやオットー・クレンペラーの生気を失った音楽は、辛うじて間に合ったステレオ録音によって忘却を免れ、故障続きのヘルベルト・フォン・カラヤンや晩年のレナード・バーンスタインの常軌を逸した演奏も、理解ある聴衆と商売気の塊であるレコード会社、それに献身的オーケストラによって、評論家をも巻き込んだ賛美の嵐が演出されてきた。それでも何十年かが経つと評価は歴史の波にさらされる。結局、80歳を過ぎても矍鑠として、一切の妥協を許さない指揮をしたのは、ギュンター・ヴァント、ピエール・ブーレーズ、それにニクラウス・アーノンクールくらいしか思いつかない。しかしかれらは80代で突然この世を去ってしまった。

94歳のブロムシュテットは、まだ20年は若かろうと思うような生気に満ちた音楽で私たちを瞠目させた。コロナ禍でなかったら、ブラボーの嵐が絶えなかったであろう。ブラームスでのオーケストラは、それでもやや練習不足か、少し硬いところが目立った。第2楽章の導入部分などがそうである。だがカデンツァの深く味わいに富んだ表現や、そこからそっと入って溶け合うフレーズの、なんとも洗練された品格は、まるでそれが当然のことのように示されるとあっというまに通り過ぎてしまう。だがそこは、高い技量があってこそであることは、この曲を知っている人なら納得するだろう。軽々しくヴァイオリンを操るカヴァコスは、終始ブラームスを楽しんでいるようだったし、ブロムシュテットの指揮も若々しく、それこそが奇蹟だった。そう、ブラームスは枯れてはいけないと思った。この音楽、どのフレーズも生々しい野心に満ちている。それを表現できない演奏は、本物のブラームスではないような気がしている。

しかし、本日の圧巻はブラームスよりもむしろ、後半のニールセンにあったことは確かだ。一音を聞いただけでオーケストラの響きが違った。この日のN響は、確かな練習量を想像させた。特にクラリネット独奏の見事さと言ったら!ブロムシュテットの十八番であるニールセンの音楽を、初めて聞く曲でありながらかくも新鮮な感覚で聞かせる演奏に出会えたのは、一生の思い出になるだろう。ブロムシュテットは愛する北欧が醸し出す独特の風景を、圧倒的な自信を持って聴衆に明示した。そのエネルギーは強力にオーケストラに乗り移り、乾いてやや冷たい色彩感と打楽器に象徴される独特の緊張感を、30分以上に亘って維持するというものだった。

記憶する限りニールセンの交響曲を、ブロムシュテットは過去に2回録音している。1回目はEMIへの録音(70年代)でデンマーク放送響によるもの、2回目デッカへのデジタル録音で、オーケストラはサンフランシスコ響である。このことからもわかるように、彼はこの作曲家の第1人者と言える。その確固たる解釈でニールセンを聞いていると、確かにこの作曲家にしかないようなものを感じる。それはシベリウスとも異なるものだ。

作曲された1920年代という時代は、第1次世界大戦が終結し、つかの間の平穏を取り戻しつつあった頃である。時折鳴り響く小太鼓が、いつのまにか世界を巻き込む戦争を想起させるが、そのこととこの度の世界的なパンデミックとを重ね合わせて考えることができる。もう元に戻らないのではないかとさえ思わされた災いが次第に遠ざかり、少しずつ日常を取り戻していくことができるのだろうか。そんなことを考えながら聞いたコンサートだった。何度も舞台に呼び出されては満員の聴衆から総立ちの拍手を受けるマエストロ。その光景を2年ぶりのN響定期で味わうことができた。今回こそもうこれが最後かと思った前回のブロムシュテットの演奏会から、もう2年以上の歳月が流れた。コロナ禍が世界を覆っても、忘れてはならない日常が存在する。日常と異常の交錯。そのことを音楽で示したのは、ニールセンを指揮するマエストロの飽くなき情熱だったような気がする。

2021年10月3日日曜日

エネスク:「2つのルーマニア狂詩曲」作品10(アンタル・ドラティ指揮ロンドン交響楽団)

中学生の頃、ルーマニアに行ってみたいと思っていた。何故かはわからない。もしかすると「ラジオの製作」という今は無くなってしまった雑誌の表紙か何かに、東欧のどこかの国の広場の風景が載っていて、その石畳の広場では民族衣装をまとったグループがダンスを踊っている。そんな風景に憧れたのだろうと思う。なぜラジオに興味を持つ中高生向け技術雑誌の表紙に、そんな写真が掲載されていたのかはよくわからない。だが当時、短波放送を聞くといった趣味が流行していて、私もその影響を受けたのだが、異国の放送を聞くことはその国の文化に触れることにもなるわけで、ここに技術的な追及が諸外国への関心とが結びつく。

ある日の早朝だったか。ルーマニア国営放送の海外向け放送を聞いたのはそんな頃で、当時はチャウシェスクによる独裁国家だったのだが、なかなか受信が困難なその放送を聞いた時の喜びは計り知れないものだった。雑音にまみれた不明な言語で放送されていたその放送が、確かにルーマニアの放送であることを確信したのは、その放送開始の音楽にエネスクの「ルーマニア狂詩曲第1番」のフレーズが使われていたからである。このルーマニアを代表する作曲家の作品の中で、ひときわ有名な曲だったが、今のようにオンライン配信サイトで気軽に聞くことなどできなかった時代、これがどんな音楽かを知るには多くの困難が伴った。けれどもこの音楽は、確かに「ルーマニア狂詩曲」であることを確信した。

もっとも「ルーマニア狂詩曲」の全曲を聞いたのは最近になってからのことである。「ルーマニア狂詩曲」は第1番と第2番の2曲からなる作品だが、第2番は地味であまり演奏されないことに比べ第1番の録音は多い。それは曲の親しみやすさにあると思う。兎に角全曲舞曲風のリズムが弾け、聞いていて楽しいことこの上ないのである。しかし弦楽器のメロディーが印象的な第2番も味わい深い作品であるように思う。この2つの曲は対照的で、エネスクは2つで1つの作品としていることからも、ルーマニアの2つの側面を様々に表現したからだろうか。想像するに民族舞踊に代表される文化的側面と伸びやかで美しい自然、といった感じだろうか。あくまで勝手な想像に過ぎないのだが。

「ドナウ河紀行」(加藤雅彦著、岩波新書)は、ドナウ川が起源を発する南ドイツから黒海に至るまでの東欧各国について、その歴史や文化を美しい文章で綴った名著である。この本を読みながら、ウィーン以外は行ったことのないドナウ川の河流に思いを馳せた。この中に当然、ルーマニアの章もある。それによれば、ルーマニアはローマが支配した間にラテン化されたダキア人の国だったとのことである。だが、ルーマニアを巡る諸民族の興亡は、この国に多彩なものをもたらす。例えば、ドナウ川に面していないトランシルヴァニア地方は、ハプスブルク家の領土だったこともあり、ドイツ風の街並みが見られるとのことだ。そしてその役割を果たしたのがハンガリー帝国だったと聞くに及び、この地域の入り乱れた文化的背景は、隣国のユーゴスラヴィアなどどともにまさに民族のモザイクとも言うべき歴史を持っている。

私が有名な第1番を聞いた時の演奏は、ハンガリー人アンタル・ドラティ指揮ロンドン交響楽団だった。Mercuryの古いにも関わらずヴィヴィッドな録音は、音符の隅々にまで各楽器がきっちりと音色を響かせるさまと沸き立つようなリズムを明確に捉えており、今聞いても興奮する。けでどもこのディスクは、どういうわけか第1番と第2番が別々に収録され発売されている。第1番の方はリストの「ハンガリー狂詩曲」などと一緒に収録されていた。一方、第2番の方はブラームスの「ハンガリー舞曲」。この「ハンガリー狂詩曲」と「ハンガリー舞曲」の演奏は大変有名で素晴らしく、今もってこの曲の代表的な録音なのだが、エネスクの方は何か付け足し、レコードの余白を埋めるための小ピースという扱いを受けていた。

Spotifyの時代になって、うまく検索すればこの2つの曲を別々に聞くことができる。さらにはストコフスキーやロジェストヴェンスキーといった指揮者による名演奏にも触れることができる。Enescuと検索すれば、もっと珍しい他の作品や、彼自身が指揮した古い録音などもあって興味が尽きない。

長く続いた緊急事態宣言が解除され、大雨をもたらした台風一過の晴天が本格的な秋の訪れを感じさせる朝になった。私はひさしぶりに音楽が聞きたくなり、「ルーマニア狂詩曲」を聞いてみたくなった。第1番の冒頭は、クラリネットとオーボエなどが掛け合ってメロディーの一節を歌う。これらが噛み合ってやがてひとつの流れになると舞踊風の曲が弦楽器で流れてくる。スメタナの「モルダウ」などを思い出させるが、こちらはもっと明るい。そういえばルーマニアはローマの流れを組むラテン人の国だと思いだす。音楽は常に早く、ジプシー風の舞踊曲が次から次へと流れて行くので聞いている方はウキウキする。このような曲を集めたポピュラー・コンサートもかつては結構開かれていたように思うが、最近ではほとんど見かけなくなった。一度実演で聞いてみたいと思う。

第2番は打って変わって、弦楽器のアンサンブルが懐かしいメロディーを奏でる序奏部にまず憑かれる。ただ底流を流れる明るさは第1番と共通した傾向だ。オーボエのソロが終始印象的で、これは夜のシーンで多用されるような感じだが、やがて大きく、明るくなると、どこか大自然を感じるような気分になるのは私だけだろうか。終結部でもまた、妖精が出てくるような静かなシーンが心地よい余韻を残す。

このブログでは最初、有名な第1番のみを取り上げようと思っていた。第2番は聞いたことがなかったからだ。だが検索の仕業により第2番を間違って聞いたことから、この曲との出会いが始まった。そしてこの第2番は第1番とは異なったムードでありながら、やはり明るく高らかにルーマニアの魅力を伝えているように思われた。目立たないが、それなりに演奏されているエネスクの代表作は、また音楽以外の面でもあまり知る事のできないかの国への関心を掻き立ててくれる。丁度中学生の私がラジオ雑誌の表紙でイメージを膨らませたように。

あれから40年以上が経過したが、今ではEUの一員にもなったルーマニアにも、やはり一度は出かけてみたいと思っている。

2021年9月4日土曜日

ハイドン:弦楽四重奏曲作品20(第31番変ホ長調、第32番ハ長調、第33番ト短調、第34番ニ長調、第35番へ短調、第36番イ長調)(モザイク四重奏団)

子育ても一段落した中年以降の妻子ある男性とって、家庭内の居場所が徐々に失われて行くことは世界共通の極めて深刻な悩みである。家の大きさや経済状況もその傾向に影響を及ぼす要素ではあるが、本質的な部分は変わらない。無観客となった東京オリンピックのメイン会場に、放送局が特設スタジオを設置しているが、その画面から見える会場周辺をうろつくうろつく人々にも、そのような中年男性の姿が映っている。たいていは一人で写真などを撮っていたりしている。

盛夏となった今年の東京も、青空に雲が沸き、なかなかいい陽気である。五輪選手の中には東京の暑さを訴える人がいるようだが、大阪生まれの私にとっては今年の東京の夏は、理想的な夏である。晴れて風が吹き、日陰に入るとさわやか。これが凪を伴う瀬戸内地方へ行くと、こうはいかない。だから日曜の朝、、家族はまだクーラーなどを書けて朝寝坊をしているが、ひとり家を飛び出して近くのベンチで音楽などを聴いている。もちろんあちこちに同類の友がいる。

自分も腰を痛めて満足に歩けないため、家に籠っていたが、それも限界である。かといってコロナ禍では家族に外出を勧めるわけにもいかない。実家などへ長期に帰省することも憚れる。学校や休みとなる夏だが、観光に出向くこともできず、お酒も飲めない飲食店でゆっくりと過ごすわけにもいかない。コンサートも中止、スポーツ観戦も無観客、展覧会は過密状態が気になり、乗り物への乗車も怖い。もうこういう状態が1年以上続いている。同じ境遇なのか妻は機嫌が終始悪く、子供は引きこもってしまった。私も引きこもってしまいたいが、その場所がない。そして昨年来の腰痛で、外出もできない。いや、そもそも不要不急の外出は、腰の状態にかかわらずすべきでないのだ。持病のある私にとって、感染は命取りになるからだ。ワクチン接種は無事終えたが、重症化を防いでくれるだけで、デルタ株などあまり感染抑止に効果がないらしい。

そんな蒸し暑い休日の朝、人気の少ない家の近くの公園で、ひとり静かに音楽を聞くことができるのは、せめてもの慰めである。そして私の愛するハイドンの弦楽四重奏曲を、今日も聞いている。ボートの講習会に集まった小学生たちが、親と一緒に運河に船を運んでいる。今日聞いているのは、ハイドンがいわゆる「疾風怒涛(シュトゥルム・ウント・ドランク)」と呼ばれた時期に作曲した「太陽弦楽四重奏曲(作品20の6曲)である。「太陽」というあだ名がついたのは、出版された楽譜の表紙に太陽が印刷されていたからだそうだが、なるほどこの夏の暑い日の朝に聞くのに相応しい名前だということだろうか。

作品20の6曲の特長はいくつかあるが、短調で書かれた作品があること(第3番ト短調、第5番へ短調)、そして終楽章にフーガが多用されていることである(第2番ハ長調、第5番へ短調、第6番イ長調)。この作品は、ハイドンが交響曲とともに探求してきた弦楽四重奏曲の、いわば転換点となる作品とされている。ここで様式が確立されたのだそうだ。だから外せない、と私はいつか、モザイク四重奏団の演奏する2枚組のCDを購入していた。購入したのはいいのだが、少し聞いただけで棚に戻してしまい、以後、まとめて聞いた記憶がないのである。ハイドンの弦楽四重奏曲の最後の方の作品を聞いた後で、どうしてまたこのような古い作品を、と思わないでもないのだが、こういった理由で取り上げることにした。もちろん私の朝の散歩の慰めに聞いたことも理由ではあるのだが。

さてCDではまず第1番(第31番)変ホ長調から始まる。疾風怒濤の時期の作品ながら、上品で落ち着いた開始の音楽でほっとするのだが、この第1楽章が滅法長い。10分近くあるのだが、後期の作品を聞いて来たので冗長であるような気がしてならない。第2楽章は少し短いが、ここはメヌエット。そして第3楽章はどうも冴えない曲がだらだらと続く。どうも自分の心理状態を反映しているようで、あまり気分が良くない。

続く収録作品は第5番(第32番)へ短調である。短調であることも珍しいが、へ短調というのも聞いたことがあまりない。そしてそのほの暗い陰鬱なメロディーは、私を再び悲しい気分にさせるのに時間はかからなかった。むしろ今の気分に合っているような気がする。だからなのか、10分も続くが聞いていられるのが不思議である。第2楽章メヌエットを経て始まる第3楽章アダージョは、親しみやすい慰めの音楽にほっとさせられる。そして終楽章の短いフーガは、再び気持ちが現実のものとなってしずかに押し寄せる。それでも重くなり過ぎないこの曲は、なかなか特徴的でいい曲だと思った。

2枚組の1枚目最後は、第6番(第36番)イ長調である。この曲はその調性からか、とても明るく快活である。そして第2楽章アダージョ、カンタービレは、何とも心に淡々と染み込んでいく素敵な曲である。メヌエットを経てフーガ静かに始まる。全体的にまとまりがいい曲である。

2枚目のCDは第2番(第32番)ハ長調で始まる。ここでは第1楽章冒頭のチェロが印象的である。夏の風に揺れる青々した木々を眺めている。静かで落ち着く時間である。そして淡々と続いて行くフーガは落ち着いた風情を見せ、明るさの中身も一定の重みが感じられる。ところが第2楽章は悲痛なモチーフで始まる。続く劇的な音域の激しい上下は、心を突き刺すような激しさで聞く者を驚かせる。ところが中間部に入ると、まるで楽章が変わったように一点、落ち着いた優しいメロディーが聞こえてくる。痛みにもがいていた重症患者が、心地よい眠りに入った時のようなこの落差は、まるでロマン派の音楽のようだ。気が付くと第3楽章の三拍子となっており、第4楽章では再び劇的な音楽が展開されて終わる。この曲は若きハイドンの野心的な試みの曲だと思った。

第4番(第34番)ニ長調もまたハイドンの表現の幅を追求した作品のように思える。第2楽章のどこか懐古的なメロディーは、モザイク四重奏団のモダンで明るい音色によって中和されているとはいえ、懐かしさを覚える。第3楽章は楽し気で、第4楽章は速くて明るく陽気である。第3番(第33番)ト短調は、短調の曲に相応しく、聞いていたあまり楽しくない。第2楽章に陰鬱なメヌエットが置かれており、長い第3楽章の静かなメロディーは、時々途切れるのが新鮮だ。これは第4楽章でも同様である。

ハイドンの音楽の魅力は、古典派の様式を映し出す理性の枠組みは維持しつつも、それを意図的に逸脱して崩す仕組みを随所に散りばめながら、決してその一線を越えない情緒が垣間見えるところであろうか。この交響曲でもさんざんつき合わされた試みが、四重奏曲の分野でも同様に行われている。ひとつひとつの曲は、交響曲のほうが聞いていて楽しいが、かといって浅番の作品をわざわざ取り上げて聞くこともないのが実情である。それにくらべると弦楽四重奏曲の方が、BGM代わりにずっと聞いていられる。仕事の邪魔をしないし、旅行に持って行って車窓風景を眺めながら聞くのにも有用である。この際の欠点は、今どの曲のどこを聞いているのかもよくわからない状態になってしまうことなのだが、まあこれは仕方のないことだろう。

バルトーク:管弦楽のための協奏曲(小澤征爾指揮シカゴ交響楽団)

有名曲でもどうにも馴染めない曲というのがある。私にとってバルトークの代表作「管弦楽のための協奏曲」は、まさにその一つだった。他にはストラヴィンスキーの「火の鳥」、R・シュトラウスの「ドン・キホーテ」、あるいはベートーヴェンの「荘厳ミサ」も加えていいかもしれない。馴染めない要因は定...