2016年9月8日木曜日

ドニゼッティ:歌劇「連隊の娘」(The MET Live in HD 2007-2008)

ペルー生まれのテノール歌手、ファン・ディエゴ・フローレスは、かつてパヴァロッティがそうであったように、ドニゼッティの歌劇「連隊の娘」のトニオ役で輝かしいハイCを轟かせ、一躍脚光を浴びた。各地のオペラ・ハウスから声がかかり、デッカから遂にDVDが発売された。2005年、ジェノヴァのカルロ・フェリーチェ劇場での収録である。私もどういうわけか、他にドニゼッティなどほとんど聞いてこなかったにも関わらずこのビデオを購入し、得体も知れぬオペラを見た。

ドニゼッティと言えば「ランメルモールのルチア」や「愛の妙薬」 などでよく知られているイタリアの作曲家だが、この「連隊の娘」は"La fille du regiment"すなわちフランス語のオペラである。ドニゼッティはイタリアで名声を博した後フランスに移住した。「連隊の娘」はフランスに対しての風刺をきかせながらも、オペラ・コミークとしての形式、すなわち台詞入りで書かれている。

初めてビデオを見て思ったことは、ベルカント時代の作品にありがちな実に荒唐無稽なストーリーだということである。孤児としてフランスの軍隊で育てられたマリーに対し恋心を抱くスイスの若者トニオ。彼はマリーと結婚するために、敵であるフランス軍の兵士となる決意をする。だが間もなくマリーを身内の子だと言うベルケンフィールド公爵夫人が現れ、マリーは貴族のお城へ、トニオは兵士として赴く羽目となる。

今回METライヴのアンコール上演で2008年の公演のリバイバル上映が行われた。私は十年も続くこの企画の作品を70タイトルも見てきたが、この「連隊の娘」は見逃しており、今回初めて見ることになった。しかもそれまでに見た経験では、上述のビデオだけだから、ほとんど初めてのようなものである。ベルカント時代のブッファとなれば楽しくないはずがなく、まさに捧腹絶倒のオペラであったが、ここでトニオを歌ったのは、やはりフローレスだった。

だが私が見た印象ではビデオに比べ随分落ち着いてこなれており、そして歌が実にしっかりと身についているということだ。何か所もの難所、すなわち超高音連発のオペラを、軽々と歌っているように見えるのだ。加えて相手役で標題役のナタリー・デセイの見事な役者ぶりが、それに輪をかけて素晴らしい。いや私はアップの画面で見る彼女の演技にこそ、見とれてしまったほどだ。ヘンデルのクレオパトラ(「ジュリオ・チェーザレ」)でも明らかなように、彼女の多様な動きを加えた演技力はちょっとしたミュージカルの役者レベルである。しかもその彼女が踊りに合わせて声を発すると、その声は見事なまでに大ホールにこだまする。高い音も難なく歌ってしまう。

つまりフローレスのトニオとデセイのマリーは、歌唱力の点でもかつてのパヴァロッティ、サザランド級、すなわち世界最高峰であることに加えて、ヴィジュアルな点でも現代屈指のカップルということになる。そして驚くべきことに、そのストーリーが無理なく進み、しかも少しの皮肉やユーモアを存分に味わわせるレベルの演出(ローレン・ペリー)、特に今回新たに書き改められた台詞が実に素晴らしいと思えた。

歌、演技、そして演出の3拍子がそろった屈指の「連隊の娘」は、マルコ・アルミリアートの引き締まった指揮も手伝って、歴史的な成功だったのではないか。だから10年近くも経つというのにリバイバル上映が行われ、しかもそこそこの入りである。私は台風が近づく鬱陶しい東京の昼下がりに、久しぶりにオペラの楽しさを味わった。

ベルゲンフィールド公爵夫人(フェリシティ・パルマー、彼女はまたなかなか味わいのある演技で観客を魅了した)の居間では、今日も退屈な貴族の生活が営まれている。マリーはそのような生活に嫌気がさし、軍曹のシェルピス(バスのアレッサンドロ・コルベリ)が訪ねてくると、軍隊生活が思い出されて仕方がない(ラタプランの歌)。そこに大尉となったトニオが現れ再び結婚を誓うのだが、公爵夫人はそれを許さない。ところがマリーは実は公爵夫人の子だった!最後には結婚を認めて幸福のうちに幕となる。

総合的な完成度において最高ランクの本公演は、セリフの面白さ(それはまるで松竹新喜劇のようだ)も手伝って客席を笑いの渦に巻き込む。そうでないときにはデセイが動きのある演技(アイロンをたたみながら歌う冒頭から、第2幕の歌のレッスンシーンなどそれは全開状態)、そしてハイCが連続するアリア(第1幕の「友よ今日は楽しい日」)と見どころが尽きない。

この公演の面白さのひとつは、それぞれの歌手が話す会話(フランス語)だと思う。デセイは母国語なので流暢であることを利用して、表現力に幅を加える。一方ベルゲンフィールド公爵夫人役のパルマーはイギリス人で、彼女はそのことを逆手にとって、むしろたどたどしく話すことで貴族の身分におかしみを加えることに成功している。時に発せられる決め台詞が英語だったりするあたりは、アメリカの聴衆を意識したサービスでもある。

METライブの71公演目を見終わって、ドニゼッティに関する限り、主要作品を一度はすべて見たことになった。チューダー朝三部作(「アンナ・ボレーナ」「マリア・ストゥアルダ」「ロベルト・デヴェリュー」)、それに喜劇の3作品(「愛の妙薬」「ドン・パスクアーレ」「連隊の娘」)、さらに「ランメルモールのルチア」である。そのどれもが圧巻の素晴らしさだった。私のMETライブとの出会いは、ドニゼッティとの出会いでもあった。

2016年9月6日火曜日

マーラー:交響曲第5番嬰ハ短調(ダニエレ・ガッティ指揮ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団)

私は長年、マーラーの交響曲第5番が苦手であった。もっとも頻繁に演奏され人気も高い曲、と言われているだけに、どうしてこの曲が好きになれないのか自分も不思議だった。演奏会で聞いたときも、それは変わらなかった。この曲はズビン・メータの指揮するイスラエル・フィル、あるいはダニエル・ハーディングの指揮する新日本交響楽団などで聞いたことがある。

録音ではどうか。カラヤン、バルビローリ、ショルティ。DVDでバーンスタイン。でもどこか入り込めない。唯一あの映画で有名になった第4楽章「アダジエット」だけは、まるでそこだけ時間が止まったような、とても不思議な瞬間が来る。でもこの曲はこの部分が有名であることだけが恐ろしいほど突出していて、それ以外の部分となると、初めて聞いた時などは結構やかましい曲だな、などと思ったものだ。

それもそうである。この第5交響曲はマーラーの後年の作品群、すなわち第6番「悲劇的」、第7番「夜の歌」などと並ぶ作品への入り口なのだ。「巨人」や「復活」のような親しみやすさがないのは、もうマーラーの作品が年代とともに変容していくからである。ではその変容、あるいは深化とはどのようなものか?

これを語るのは多分に音楽的知識を有し、世紀末に象徴されるドイツの近現代史に通じている必要がある。マーラーの伝記のいくつかを読み込むことはもちろん、その妻となるアルマの伝記、そして女性の自由化の社会史にも詳しくなければならない。残念ながら私はそのすべてにおいて素人だから、このような作品を楽しむのは非常に骨の折れる作業である。もしかしたらマーラーの後半の交響曲は理解できないかも知れない。でもそれが真実なら、この曲がこんなに人気がある理由が説明できない。もしかしたら一発で感動できる演奏に出会うことはできないだろうか。

こういうとき、とにかくいろいろな演奏を聞いて自分にフィットする演奏を探し求めるしかない。そういうわけで、私はさらにハイティンク、シノーポリなどの演奏を聞けるものから聞いて行った。そうしてある日、私の感覚にフィットした演奏が出現したのだ!比較的最近の演奏、ダニエレ・ガッティによる演奏であった。

ダニエレ・ガッティといえば今を時めく指揮者のひとりだが、METライヴの上演で「パルジファル」を見るまでは知らなかった。この「パルジファル」は暗譜によって指揮され、その見事さは比類ないものとして語られているし、私も(まあ映像で見る場合、どうしても演出の素晴らしさに見とれたところもあるし、歌手の出来・不出来というのもあるから、純粋に指揮者だけを評価するのは難しいのだが)その安定的で聞きどころを押さえた指揮にとても心を打たれたのは確かである。

ガッティは今年(2016年)からコンセルトヘボウ管弦楽団の主席指揮者となるようだが、この演奏はロイヤル・フィルのシェフ時代の1996年頃で36歳の時の演奏というから、私と同年代の指揮者ということになる。

まず冒頭のトランペットがとても印象的である。ベートーヴェンの第5交響曲を意識したであろうこのパッセージを、ガッティはわずかな休止を入れながら進む。このことだけで、何かいつもと違う演奏に感じられる。そしてそう感じるのは表層的な仕掛けによるだけではないように思う。例えば第2楽章や第3楽章の後半の、凄まじいまでのエネルギーを放出しながらも、音楽の形式を壊すことのない演奏。白熱したライヴのような演奏だが、スタイリッシュで遅く十分な時間を取って進むところもある。緩急をつけながらも自然でこなれた感じ。こういう演奏がなかなかなかったのだ。もしかしたら、ただこれまで出会わなかっただけかも知れないが。

マーラーの第5交響曲は、ベートーヴェンの第5交響曲がそうであったように、苦悩から喜びへの進化をモチーフとしているように思える。だがベートーヴェンのように単純なものではなく、マーラーのそれはより複雑であり、聞く人にとってはちょっと不愉快なくらいに大袈裟であるばかりか、時に冷笑的でさえある。皮肉に込められたパロディーは、第7交響曲に至るまでの、もっともマーラーっぽい部分であろう。好きな人にはたまらないのかも知れないが、マーラーの嫌いな人にとってはとてつもなく苦痛である。この嬰ハ短調交響曲は、その中ではむしろまだましである。何せもっとも短い(70分)のだから!

第1楽章は葬送行進曲。冒頭のフォルティッシモにマーラーの音楽が始まる感激が沸くが長くは続かない。つまりとてつもなく、暗い。

第2楽章「嵐のように荒々しく動きをもって。最大の激烈さを持って」。激情的で切羽詰まった曲である。弛緩した古い演奏よりも、引き締まった現代風の演奏がいい。もちろんそれは技術的な進歩に負うところが大きい。一時静かになって音楽が終わってしまったのか、と思うところもあるが、再びより強烈に悲壮な音楽となる。

第3楽章スケルツォ。三拍子のリズムでホッとする。室内楽的な落ち着きが聞くものを少し和ませはするが、かといって安定しているわけではない。この20分近くにも及ぶスケルツォが私は好きだ。とても長いが、どういうわけか飽きない。それどころか変化に富んで楽しいと思う。もっとも第1楽章から聞いてゆくと、いつまでも終わらないので、演奏によっては退屈であろう。

第4楽章は有名なアダジエット。カラヤンの死後にベストセラーとなったコンピレーションCD「アダージョ・カラヤン」はこの曲から始まる。だがこの曲は「アダージョ」ではない。それよりも少し速いということだ。この速さというのが、この曲の核心を現している。つまりどこか性急な感情が一時的には落ち着いているという要素があって、冷静に自分を見つめている。私は冬の日本海を列車に乗って通り過ぎるシーンを何故か思い浮かべる。そして車窓には自分の顔が映っている。

第5楽章は快活なフィナーレ。でも快活どころか狂気じみている。オーケストラの機能美が発揮される。いい演奏で聞くと次第に高潮してゆき、最後は一気に終わる。マーラーの交響曲はいつもその傾向があるが、この第5番では若々しいエネルギーを感じる。ガッティの演奏はまた唖然とするような上手い。

マーラーがウィーン・フィルの音楽監督を辞し、作曲に専念し始めるのはこの頃である。アルマとの結婚も彼に精神的な糧を与えたであろう。これは遅咲きのマーラーの、最後の十年間の最初を飾る、絶頂期の曲と言えるかも知れない。だがこの暗さ、そしてハチャメチャなまでの不安定さといったらない。時代背景、ユダヤ人としての生い立ちなど、その理由をいくつも求めることはできる。特にこの第5番は幾分散漫な印象を与えるため、なかなか馴染めなかった。今でも、何か集中力が続かない。でもそのような時に印象的な部分が突如として現れると、その瞬間からは少し引き込まれる。ガッティの演奏はそういった工夫がところどころに見られる演奏である。録音も広がりがあって良いし、オーケストラも上手い。

そういえば若い指揮者の一気果敢なマーラーと言えば、70年代のレヴァインである。私も持っていたはずだ。もう一度聞いてみよう。もしかしたらガッティの演奏に通じるものがあるかも知れない。そう思ったらやはりそうだった。いやこのレヴァインの演奏は、録音の古さをさておいてもトップクラスの演奏ではなかったか!だがレヴァインは第6番で取り上げることにしようと思う。第6番はレヴァインで実演を聞いているのだから。

2016年9月4日日曜日

「わが故郷の歌~ギリシャを歌う(Songs My Country Taught Me)」(Ms:アグネス・バルツァ、スタヴロス・ザルハコス指揮アテネ・エクスペリメンタル・オーケストラ)

真っ白に塗りこめられた小路の前で、近所のおばさんたちが井戸端会議に興じている。重いリュックを担いだ私がそばを通りがかると、「今日はどこに泊まるんだい?」「うちに寄っていかないか」と話しかけられた。ミコノス島にフェリーが着くと、街はにわかに活気づく。民宿を営むおばさんたちが、こぞって船着場に集結するのだ。

私が紹介されたその部屋は、中心部から少し離れたオルノスという街のはずれの小高い丘に建っていた。見渡す限り紺碧の空と海以外、何もない。さらに丘を越えて歩いて行くと、その向こうに広がるエーゲ海の、眩いばかりの光の中に、かつて栄華を誇ったデロス同盟の中心地、デロス島が浮かんでいた。吹き付ける風は激しくも暖かい。でも風の音以外に聞こえるものは何もない。青く深い海と真っ白な太陽。それはギリシャ国旗の色である。ここの島々こそ私がかつて訪れた中で最も美しく、そして天国に近いところだと思った。

夕暮れ時になるとミコノスの街は生き返ったように賑やかになる。宝石や土産物を売るお店、入り江のヨットが波で揺れるのをいつまでも眺めながらタヴェルナやレストランで食事をする観光客。放たれた犬や鳥までもが狭い路地を徘徊し、バーから漏れてくるロックの歌声が夜遅くまで途切れることはない。

夏のギリシャの夜はこうして更けてゆく。ある日アテネの狭い通りを歩いていると、どこからかマンドリンの響きに似た曲が聞こえてきた。音楽は次第にスピードを上げたかと思うと、情熱を鎮めるかのようにまたもとに戻る。民謡とも歌謡曲とも判別のつかない歌に、私はしばし心を打たれて足を止め、そしてそのような曲を集めたカセット・テープを買ってみた。帰国後聞いてみると、そこに収められていたのは哀愁的で情熱的なギリシャの流行歌の数々。かつての栄光を惜しむような淋しさを、あの光の中に溶け合わせる歌声は、古代遺跡が青空に映えるギリシャの光景そのものではないか。

私が初めてギリシャを旅したのは1988年、21歳の時だった。ちょうどこの頃、ギリシャ出身のメゾ・ソプラノ歌手アグネス・バルツァは、カラヤンの指揮する歌劇「カルメン」や「ドン・ジョヴァンニ」に登場し、その妖艶で情熱的な歌唱を轟かせていた。そしてなんとその合間に、生まれ故郷のギリシャを訪れ、十代の頃に親しんだフォークソングの代表的な作品を、指揮者で作曲家のスタヴロス・ザルハコスとともに録音したのだ。その演奏はCDとしてドイツ・グラモフォンから発売され、我が国でも評論家の黒田恭一氏の激賞もあって大変評判となった。

難解なギリシャ語を解することは難しく、このCDのブックレットにも歌詞の大意しか掲載されていない。それでもこの歌曲集が心を打つのは、その音楽そのものが持つセンチメンタルな雰囲気によるものだろうと思う。だが私の場合、あのアテネの街角で聞いた歌そのものが、ここに収録されていたのだ(その歌は「オットーが国王だったとき」である)。

歌手は男性から女性に変わっているし、そもそも通俗的な歌をオペラ歌手が歌うことにも賛否がある。けれどもバルツァは、これらの歌を心の底から愛しており、歌うことを楽しんでいる…と想像することができる。祖国への思いは彼女のやや低い歌声によって重くこころを打ち付ける。それはギリシャが背負ってきた過酷な歴史を思い起こさせる。小アジア、特にトルコの影響が音楽の側面でも感じられる。そこで何百年もの間、隷属的な生活を強いられてきたギリシャ人にとって、そう簡単に忘れることのできないもの、いや生活にも文化にも染みついてしまった宿命ともいうべきもの、人生観が縮図となって歌詞にも反映されている。タイトルを追うだけで、その歌がどんな内容か想像できる。

「彼がたった17歳のとき、私の愛する郵便屋さんは亡くなってしまった。一体誰が私の手紙を運んでくれるの?」

「私の息子よ、お前は5月のある日に家を出て行ってしまった。あんなにも好きだった春に…私の灯も消えてしまったよ」

「カテリーニ行きの汽車は8時に発つのよ。11月はあなたの思い出にいつまでも残るでしょう。でももうあなたは、夜こっそりと来ることもないのね。・・・」

マンドリンのような楽器、ブーズキーについても触れておかなくてはならない。これらのギリシャ民謡の魅力の多くは、この哀愁的なリュート楽器の旋律によるものである。このCDではコスタス・パパドルーロスという奏者によって演奏されている。私は2度目のギリシャ旅行で、この楽器が安ければ買って帰ろうか、などと考えたこともあった。ギリシャのフォークを聞くことなど、当時は困難であった。ある時ソウルの街角で売られていたテレビドラマを集めたCDに、ギリシャのフォークを使った主題歌が収録されていた。それもこのような曲だった。そういう曲も今ではiTunesさえあれば、いとも簡単に聞くことが出来る。

だがバルツァがこの他にギリシャの流行歌を収録した話は聞かないし、他の歌手がこれらの歌を歌って国際的なリリースをした話も聞かない。音楽というものは、世界中どこにでもあって、どこで聞くことが出来たとしても、個々の経験は個人的であり、そしてローカルなものだ。でも、このCDが好きだと言う人が多くいて、2004年、アテネ・オリンピックの際には東京でもコンサートが開かれたようだ。

私はあの夏のギリシャが忘れられず、2000年、2001年と連続してギリシャを旅行した。この時には新しい国際空港が誕生したアテネの街も垢抜け、物価は高騰し、あのミコノスの街外れにまで高級リゾートが誕生していた。まだ経済危機がやってくる前のことである。私は毎日ビーチにでかけ、一日中そこで過ごした。ただ海を眺め、何もしていないのにこれほど満足感を味わったことはないくらいに幸せな日々だった。何もしない日が1週間続き、もう最後という日になるととても淋しくつらい気持ちになった。それ以降私にギリシャを思い出させてくれるのは、たまたまアテネで出会った曲を収録したこのCDだけである。真っ青なエーゲ海から絶え間なく風が吹き付ける。青い、というのがこういう色のことだったのか、と思う。その青は海の青、そして空の青。世界がどう変わっても、ここの風景だけはいつまでもそのままであると思う。ただそれを見ている人の心が変わるのだ。

「僕の塩辛い涙で時を薄めよう。僕たちにだっていい日が来るさ」

「風よ、帆を干しておくれ。僕の涙を拭っておくれ。僕に勇気を出させておくれ」


【収録曲】
1. 君の耳のうしろのカーネーション
2. 都会の子供たちの夢
3. 若い郵便屋さん
4. 五月のある日
5. 汽車は8時に発つ
6. わたしは飲めるバラ水をあげたのに
7. オットーが国王だったとき
8. ぼくたちにだって、いい日がくるさ
9. バルカローラ(舟歌)
10. 夜汽車は恋人を乗せて
11. わが心の女王


2016年8月29日月曜日

ヴィヴァルディ:多楽器のための協奏曲集(ファビオ・ビオンディ指揮エウローパ・ガランテ)

ウィーンに「音楽の都」が移るまで、ヴェネツィアこそが音楽の都であった。ルネサンスからバロックに至る流れの中で、ヴェネツィア楽派と呼ばれる作曲家たちがいた。ガブリエリやモンテヴェルディがそうである。協奏曲の形式はこの時代に発展した。そしてその集大成ともいうべき作曲家が、アントニオ・ヴィヴァルディである。ヴィヴァルディは、500曲を超える協奏曲や多数のオペラを作曲した。特に自身がヴァイオリニストであったことから、ヴァイオリンの活躍する協奏曲が多い。

「四季」という、ほとんどこの作曲家の代表とも言うべき作品は、4つのヴァイオリン協奏曲を並べたちょっと異色の作品である。けれどもこの他にも多数の名作があるはずで、それらを少しずつ紹介してくれるのが、ファビオ・ビオンディによる一連の録音であった。ヴァージン・クラシックスからリリースされるたびに、私もレコード屋の店頭で試聴し、そのうちの何枚かを買った。この「多楽器のための協奏曲集」もそのひとつである。中でも先頭と最後に収録されたマンドリンの協奏曲に惹かれた。

ヴェネツィアはおそらく世界一美しい街だと思う。私がこのCDを含むヴィヴァルディの作品を聞くとき思い浮かべるのは、これまで2度、日数にしてわずか3日ほど旅行したこの美しい「水の都」の、快晴の風景である(1989年夏、1994年冬)。サンマルコ広場に至るまでの順路のすべてが絵になるように印象的であるばかりか、その街角を少し離れて裏通りに入っると、静かさの中に生活の香りも感じられる。もちろん迷路のように水路が入り組んでいるので、その上の橋を渡ったり、客を乗せて進んでいくゴンドラを眺めながらあてもなく歩いて行くと、モーツァルトがかつて泊まったアパートが忽然と姿を現し、その向こうの教会では今日もコンサート・・・もちろんここで聞くのはヴィヴァルディの合唱曲であったりするのは当然のことで、観光客の喧騒を少し離れるだけで静かに音楽が漂ってきそうな感じがする。中世から続く街並みの中に身を浸していると、昔にタイムスリップしたように感じられ、時間が止まったような錯覚にとらわれるのだった。

快速のアレグロ楽章も楽しいが、第二楽章の静かなヴァイオリンの響きは、けだるい夏の午後にぴったりである。それは私の場合、真夏の死ぬように暑い午後の時間にイメージが重なるからである。そして古楽奏法によって蘇った弦楽器のビブラートを抑えた奏法によって聞こえてくるのは、ポリフォニーの響きである。

そういうわけで毎年夏になると聞いているのがこの協奏曲集である。どういう楽器が使われるのかは曲によってそれぞれ異なるし、そのうちのいくつかはその後の時代の協奏曲では使われなくなる 音の小さな楽器、すなわちリコーダーやマンドリンなどである。これらの楽器が、あるときは快活に重なって駆け巡り、あるときは止まりそうになりながらピアニッシモの寂しい表情に変化する。真夏の最高のBGMのひとつは、ヴィヴァルディの協奏曲である。そして厚ぼったい演奏よりは、古楽器の爽快な風が耳に心地よい。

それにしてもヴァネツィアの美しさといったら例えようがない。89年に初めてヴェネツィアを旅行した時の写真があったので、それを張り付けておこうと思う。「ヴェニスに死す」は私には合わない。ここは綺麗で美しく、そして明るい日差しがさんさんと降り注ぐ街である。あまりに日差しがきつくて、その影とのコントラストがどこか寂しげであるのものもまた、私の北イタリアの印象でもある。ちょうどヴィヴァルディの音楽がそうであるように。



 【収録曲】
1.2つのマンドリンのための協奏曲ト長調RV532
2.協奏曲ハ長調RV558
3.協奏曲ト短調「ザクセン公のために」RV576
4.協奏曲ニ長調RV564(2つのヴァイオリン、2つのチェロのための)
5.ヴァイオリン協奏曲「ピゼンデル氏のために」RV319(ドレスデン版)
6.マンドリン協奏曲ハ長調RV425
7.協奏曲ハ長調RV555

2016年7月30日土曜日

ハイドン:オラトリオ「四季」(2016年7月16日、川口リリアホール)

8年前に大病を患って入院する際、もしものことがあったら後悔するだろうな、と思ったことがハイドンのオラトリオ「四季」をちゃんと聞いたことがない、というものだった。死ぬ前に聞いておきたい曲、それが「四季」だったというわけだ。106曲の交響曲をすべて聞いてきて、さらにその先にある金字塔。ハイドンが晩年の精力を注入した大曲「天地創造」と「四季」は、この古典派の膨大な作品の中でも最高峰の作品であるとの評価が高い。だが私はまだ聞いたことがなかったのである。

もちろんCDがあれば、現代では簡単に作品に触れることが出来る。なので入院前のわずかな時間を割いて、私は当時売られていたカラヤンの「四季」(1972年録音、クンドラ・ヤノヴィッツ他、ベルリン・フィル)を購入しiPodにコピーした。入院中の初期に私はこの曲を何度か聞くことができたし、何かとても心のこもった演奏に思えた。この演奏はカラヤンの美学がハイドンに融合し、不思議な魅力のある演奏として今も名高い。

けれども病状が悪化するにつてれ増してゆく不安にさいなまれると、私は自然と音楽から遠ざかっていった。 健康な体を鞭打って、数多くの作曲家や演奏家は音楽を続けた・・・と伝記などではよく紹介されるけど、マーラーだってベートーヴェンだって、本当に体調が悪い時には作曲をしていない。これは考えてみれば当然のことで、中にはモーツァルトのような例外もいるが、それは生活費を稼ぐためであって、芸術がそういう状況で生まれると思っていたわけではない。

私がイヤホンで聞いた「四季」には対訳が表示されるわけもなく、ドイツ語の歌は皆目理解不能、かつその聴取は看護師の検診や同室患者の話し声などによってしばしば中断されるという最悪のコンディションの中でのことであった。私はいくつかの印象的なメロディーを除き、到底楽しめるという状況ではない中での「四季」のリスニングを、残念に、そして仕方なく思った。

退院した2009年は、丁度ハイドン没後200年の記念イヤーで、私はとうとう秋に「天地創造」をライブで聞くことができ、その感激はひとしおだったのだが、その後「四季」についてはなかなか実演に巡り合うことができないでいた。注意深くチェックしていれば、年に1回くらいは東京のどこかで演奏されているのかも知れないが、スケジュールが合わなかったりして巡り合うことが出来ないまま何年もの歳月が過ぎて行った。

今年の7月16日、たまたま家族が留守という土曜日の午後の数時間だけ、自分の時間が生まれた。久しぶりに中古CD屋巡りでもしようかと思っていた矢先、音楽情報サイト「ぶらあぼ」で検索してみたところ、14時から「四季」の演奏があることがわかった。場所は川口。私の家からなら京浜東北線で直行できる。今から行けばぎりぎり間に合うではないか。演奏はバッハ協会とかいうところのもので、そんな団体は今までは知らなかったし有名でもない。でも当日券はありそうだし、それに「四季」の実演に触れることなど一生にそう何度もあるわけではない。そう思った私は、とにかく行ってみることにしたのだ。

ホールはJR川口駅から徒歩わずか、ということだったが入り口がわからない。開演前だというのに人影も少なく、みんなどこにいるのだろうかと案内で聞くと、入り口が4階だと言われた。エレベータで上がると当日券を売っているおばちゃんが机でチケットを裁いており、そこで6000円也を払って開演前にホールへ駆け込んだ。こんなところにパイプオルガンまで備えた立派なホールがあることにまずは驚いたが、そこの登場したバッハ・アカデミーなる合唱団は、結構高齢の方も多く、それにどういうわけか女性が圧倒的に多い(だが3名しかいない男声合唱パートの素晴らしさも書き添えておきたい)。

オーケストラは最低人数。チェロやコントラバスはわずかにひとり。歌唱はドイツ語だが、丁寧に字幕までつけられる。アマチュア的なコンサートかもしれないけれど、一生懸命練習に励んでこられたのだろうということは想像できるし、知り合いばかりの聴衆も6割程度の入りとちょっとさびしいが、ヨーロッパではこんな演奏会は、それこそ小さな町や村の教会では頻繁に行われている。だからたまにはこんなコンサートもいいのでは、と思い直し席についた。

前置きが長くなったが、この演奏会ではある種の奇跡のようなものを感じた。ハイドンの没後200年以上がたって、こんな埼玉の端っこで、「四季」の原語上演がなされるという事実! しかもそこにはヨーロッパ顔負けのホールまであるのだ。大曲とはいえハイドンのオラトリオを、梅雨空の昼下がりに聞きに行くのも奇特だが、それをたまたま知った私が、何の予備知識もなくそこに居合わせるというのもまた、とても不思議な巡りあわせだ。こんなところに、真面目にハイドンを歌おうとする人々がいて、そしてそれをたまたま知って駆け付けるちょっと風変わりなハイドン・ファン、すなわち私のようなリスナーがいることも知ってほしい。

最初の曲が鳴り響いて、少しよろめきながらも、これは紛れもなくハイドンの音楽だと知ったときには、私はとても幸せな気分であった。音楽は上手い、下手といった直線的な概念で測ることはできず、演奏する側と聞く側の相互作用、それも一期一会の瞬間の連続としてのそれ以上でも以下でもない。だから面白いのだが、事実、この力不足に思えた演奏も調子を上げると力のこもったものとなり、最後の「冬」の終盤に至ってはなかなか感動的でさえあった。ソリスト、オーケストラ、それに合唱団が一体となって、四季の美しさ、それぞれの季節を迎える喜びを讃えたのだ。クライマックスのひとつでもある「秋」の終盤では、ここだけに登場するタンバリンとトライアングルを独唱者が鳴らしたのには驚いた。一体どこから聞こえるのかと思ったら、バリトンとソプラノ歌手が鳴らしているのだ。

この演奏会で大変うれしかったのは、指揮者である山田康弘氏自らの翻訳による字幕が舞台上部に付けられたことだ。そのことによって、各場面でどういうことが歌われているのかを手に取るように知ることが出来た。それはこの作品が、単に自然への賛歌、つまりは神の賛美といった型どおりの歌詞にとどまらないことを知ることが出来る格好の機会であったと言える。たとえばそれぞれのパート(春、夏、秋、冬)の中間部で、ソリストが歌う独唱の合間、合間に、歌詞と呼応するような具体的なモチーフが現れるからだ。ハイドンの音楽は古典派そのものなので、鳥の声だといっても基本的な和音の枠組みをはみ出すことはない。あくまで音楽の型を維持しながらも、そこには鳥が鳴き、虫が飛び跳ね、あるいは嵐が来ては過ぎ去るといったような、まるで標題音楽を思わせるような部分が数多く登場する。それは歌詞を追いながら聞いて行かないと、気付くことはできても楽しむことはできない。CDで「四季」を聞くときの限界は、このようなところにある。だからこの演奏会は、こだわってでも字幕をつけたのだろう。そのことが嬉しい。

私はとうとう「四季」とはどういう作品かを知ることができ、そしてこの作品、他にわが国で演奏される機会があったら、ぜひまた出かけてみたいと思った。そしてやはり音楽はライブに限るとも思った。それぞれの季節に30分近くを要する大曲を、途中休憩をはさんで2時間余り。私はあきるどころかとても幸せな気分に浸りながら過ごすことが出来た。演奏が終わって、独唱者がまだ1度しか呼ばれていないのに早々と解散するオーケストラに、もう少し拍手をして余韻に浸っていたかったのは私だけではないだろう。

これでまたハイドン体験が一歩進んだような気がしている。1年にそう何度もでかけることができない演奏会で、私はまたうまくスケジュールが合えば、再度「四季」を、そして「天地創造」を聞いてみたい。だがそれもそう簡単にはかなうことがないので、しばらくはCDを聞きなおしながら過ごそうと思う。幸いなことにこの2作品には録音がひしめいており、名演奏の類も数多い。私もいつのまにか「天地創造」を2組、それに「四季」は3組のCDを所有している。曲に関する詳細は、それらを聞いた後で書こうと思う。いつのことになるのかわからないのだが・・・。

2016年7月9日土曜日

モーツァルト:ピアノ協奏曲第19番ヘ長調K459(P:マレイ・ペライア、イギリス室内管弦楽団)

最近は良くないニュースばかり耳にする。地域紛争に多くの難民。テロや不正、貧困を苦にした自殺など、まさに世界は混迷の時代へと向かう中、それに先んじるかのように英国がEU離脱を決め、アメリカでも国民的な分裂が大統領選挙を歴史的な混乱に引き込んでいる。暗い毎日に嫌気がさし、テレビのニュースどころか新聞も読みたくない日が続く。だがわが国では、憲法改正を影の争点にしながら、経済問題は空前の先送りで誤魔化し、原子力問題はおろか、有権者からすべての関心をそらし、問題点を何ら鮮明に示さないような選挙が行われようとしている。

大きな不安を前にしながら、落ち込むこともできないような閉塞感にも慣れっこになりつつある日々の中で、たまたま耳にしたモーツァルトの、何と美しく可憐なことか。そのような表現はもう陳腐どころか、吐き気を催すと言われても、事実だから仕方がない。ある日、私はいつものような何か月かに一度、栃木県へと向かう東北本線の列車内で、今日もWalkmanから流れる音楽(それは私が意図して持ち出したものではあるのだが)を聞いている。

ピアノ協奏曲第19番は第14番から続く6曲の作品群の最後の作品であり、それぞれ味わいのある作品だが、第20番以降の、音楽史に燦然と輝くスーパーな曲に比較されると、どうしても地味な存在であると言わねばならない。とうてい他の作曲に見ることはできない、モーツァルトの孤独な心の淵をこれでもか、これでもかと表現するような晩年の作品群の中でも、特にピアノ協奏曲の分野はその真骨頂とも言えるだろう。

この第19番に関しては、第3楽章は主題が示された後いきなり始まるフーガに、その特徴を見出すことができる。一通りオーケストラによる音楽が続いた後、今度はピアノが登場して音楽に絡んでいく。相当複雑な音楽なのだろうが、そう感じさせないところがモーツァルトの凄いところだ。第1、2楽章はとても心が落ち着く音楽である。私はこの第2楽章がとても好きだ。この音楽はその後に続く20番以降のピアノ協奏曲の第2楽章に見られるような、何か底抜けのするような寂寥感に襲われることはない。20番以降では唯一そういう音楽である第26番に近い。そうしているからというわけではないのだが、メロディーがきれいなので、車窓風景を眺めながら聞く音楽に相応しい。

ところで第26番を引き合いに出した理由はもうひとつある。この第19番は「小戴冠式」と呼ばれることがあるからだ。第19番と第26番は1970年のレオポルト2世の戴冠式のために、モーツァルト自身によって演奏された。

マレイ・ペライアはアシュケナージやバレンボイムと同時期に、丸で競うようにモーツァルトのピアノ協奏曲全集を録音した。丁度アナログ録音からデジタル録音に移行する70年代から80年代の初め頃だったと思う。これらの演奏に共通するのは、弾き振りであるということだ。そしてペライア盤はその中でももっとも完成度が高く、曲による出来不出来のムラも少ないと思っていた。私はだから、この全集がボックス・セットで安売りされたとき、迷わずこれを購入した。信じられないくらい安かった。

だが今ではもう、録音から30年以上が経過した。演奏の方はまったく色あせることはなく、今でも「戴冠式」などはベストな演奏の一つだと思うが、このCDの最大の欠点はその録音にある。少し大人しく、そして硬いのである。CDが発売され始めた頃に言われた最大の欠点が、この硬さではないかと思う。もしかするとリマスターすることによって、その欠点が補われる可能性がある。だが今のところ、SONYから発売されたボックス・セット以降、再発売されたという話は聞かない。

2016年6月11日土曜日

R・シュトラウス:楽劇「エレクトラ」(The MET Live in HD 2015-2016)

ホフマンスタールが台本を務めた最初のリヒャルト・シュトラウスのオペラ「エレクトラ」は、古代ギリシャを舞台にしたソフォクレスの悲劇に基づいている。音楽は最大級の編成でありながら1幕しかなく、登場人物は多いが、ほとんど出ずっぱりの主題役エレクトラが、陰惨で壮絶な歌唱を一貫して繰り広げる。音楽はこれ以上にないほどにまで凝縮され、集中力を必要とするので、聞く方の覚悟も必要となる。いや眠気など吹っ飛んで舞台に釘付けになる、というべきか。もっそもそれは歌手とオーケストラがそろっているという条件の下でだが。

METライブシリーズも10年が経ち、その最新の演目である「エレクトラ」は、故パトリス・シェローの演出、エサ=ペッカ・サロネンの指揮により上演された。主題役エレクトラはワーグナーを歌うニーナ・ステンメ(ソプラノ)、エレクトラの母クリソテミスに何と往年の名歌手ヴァルトラウト・マイヤー(メゾ・ソプラノ)、エレクトラの妹クリソテミスにエイドリアン・ピエチョンカ(ソプラノ)、エレクトラの弟オレストにエリック・オーウェンズ(バス・バリトン)などの配役である。

トロイア戦争から帰国した王アガメムノンは、妻であるクリソテミスに殺されてしまう。入浴中に斧で頭をかち割られたというのだ。その光景を目にしていた長女エレクトラは、母親を憎んでいる。いやそれどころか彼女は母親から虐待を受けながら育つ。エレクトラは復讐に燃え、母親を殺そうと計画しているのだ。そのために弟のオレストを遠くに逃がし、彼をして母を暗殺しようというのである。

エレクトラの妹クリソテミスはそんな姉に同情しつつも、女性としての幸福を追求したい。ここでの姉妹の生き方に対する対比は興味深い。だが私は復讐に燃える姉に同情的でもある。

そんなある日、弟のオレストが死んだとの知らせが入る。音楽が大きくうねり、動揺するエレクトラを表現するあたりから話は一直線である。シュトラウスの音楽は、どんな作品でもそうだが、すべての動作や物事を饒舌に表現する。天才的で魔法のような音楽である。この作品は前作「サロメ」をさらに一歩進め、後年の「ばらの騎士」などとも異なる前衛的な作品だが、シュトラウスにしか表現できないであろう世界が全面に展開し、緊張と興奮が途切れることはない。

オレストの訃報に戸惑ったエレクトラは、いよいよ妹と共謀して母を殺そうと、父の殺人で使われた斧を探し出すが(何と恐ろしいことか!)、妹は同意しない。とうとう彼女は自ら計画を実行することを決意する。そこへオレストが現れ、彼は生きていたことが判明する。実はオレストの死は、オレスト自身が仕組んだものだったのだ。姉の決意を確証したオレストはいよいよ暗殺計画を実行し、まず母のクリソテミスを殺す。舞台裏から叫び声が聞こえ、歓喜するエレクトラ。そこへ情夫のエギストも現れ、彼もまたオレストに刺殺される。感極まるエレクトラが踊り狂いながら、1時間余りの壮絶な舞台は幕となる。

短時間ながら無駄のない音楽には、ものすごい集中力を必要とするのだろう。それは見ている側も同じである。だからこのような作品を見るには覚悟がいる。舞台はまず、ひたすら階段を掃き掃除する下女たちのシーンから始まる。階段を下段まで掃き終るまで音楽はなかなか始まらない。客席はその間に、一気に噴き出す音楽への集中力を高めていくという趣向である。

ニーナ・ステンメの気迫に満ちた舞台は、見るものを終始舞台に釘付けにしたが、それにしても高音と低音を行ったり来たりしながら大声を張り上げる歌と演技は相当なもので、彼女は秋にイゾルデを歌うそうだが、声をつぶさないかと心配になる。舞台が終わるまでの迫真の演技に、会場からどっと沸きあがるブラボーの嵐は、この公演の水準の歴史的とも言える高さを示している。METでもなかなかこれほどの熱狂的な拍手は見たことがない。そしてそれを支える歌手たちとの息の合った見事な呼吸も素晴らしいの一言につきる。

妹のクリソテミスを歌ったピエチョンカは、また一つのソプラノの大役だが、心理的な対比を表現する歌唱力は見事だと思ったし、それに暗殺を実行するオレスト役のオーウェンも、長年METで歌い続けている貫禄を感じさせながら、このピッタリな役を嬉しそうにこなしていたように思える。個人的にはまた、母クリソテミスを歌ったマイヤーがまだ、これだけの大声を張り上げるだけの力量を持ち続けていることに驚いたが、彼女はまた実に気品があって、この悪役を歌うには少々上品すぎるという贅沢な悩みもまた感じたのは事実である。

この公演の成功の理由は、サロネンの指揮するオーケストラにも求めなければならない。彼がMETの舞台にどれほど登場しているのかは知らないが、第1級のオーケストラ指揮者がピットに登場するというのは、それだけで期待が高まるし、それにこの作品を指揮するだけの体力と瞬発力のようなものを求めるには、サロネンのような指揮者こそ相応しいと感じたからだ。その期待を彼は裏切らなかったばかりか、オペラ指揮の世界でもまた彼はまた存在感を示す結果となったのではないだろうか。すべての歌手とオーケストラは圧倒的で、興奮に満ち満ちた1時間40分はあっというまに終わった。

虐待された娘による母親の暗殺は、最近のニュースでも耳にした。このような話は古代ギリシャ、すなわち人類が小説を書き残し始めた頃から存在したのである。

映画:「シラート」(2025年、スペイン・フランス)

「大統領のケーキ」を見た翌日、またもや救いようのない映画を見てしまった。作品のタイトルは「シラート」。アラビア語で「審判の日に天国と地獄の上に架けられる細い橋」を意味するらしい。つまり、死んだ人が集う場所から、それぞれが天国に行くか地獄に行くか、いったいどうやって決まるのか。それ...