2020年3月5日木曜日

モーツァルト:セレナーデ第13番ト長調K525「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」(ブルーノ・ワルター指揮コロンビア交響楽団)

モーツァルトが1787年、父レオポルトの死の直後に作曲したセレナーデ「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」は、知らない人もいない程有名な曲である。モーツァルトという名を知らない人がもしいたとしても、この曲はおそらく耳にしているだろう。例えば私は数か月に一度、友人と東武東上線の大山駅前商店街へ食事に行くが、この電車の池袋駅における発車音楽が、「アイネ・クライネ」の第3楽章のメロディーである。

私が記憶する限り最初に聞いたクラシック音楽もまた、「アイネ・クライネ」だった。おそらくは小学1年生くらいの頃。我が家にあった貧弱なステレオ装置でドーナツ盤のレコードをかけた。45回転。そこで流れてきたのは、ゲオルク・ショルティ指揮のイスラエル・フィルが演奏する「アイネ・クライネ」だったことが判明している(録音は1958年)。

その後、中学生になって初めて自分のお金で買ったレコードが、また「アイネ・クライネ」を含むモーツァルトの管弦楽曲集だった。指揮はブルーノ・ワルター、演奏はコロンビア交響楽団。ちょっと厚ぼったい古い録音だったが、近所の小さなレコード屋にもそれは置かれていて、しかも廉価版だった。友人と放課後に待ち合わせて買いに行き、家のステレオ装置で順に聞いていった。このレコードには、「アイネ・クライネ」のほかにいくつかの歌劇の序曲等が収録されていた。

慎重に針を下ろして順に聞いていくたびに、深い感動が押し寄せてきた。序曲の中では初めて聞く「劇場支配人」序曲や「コシ・ファン・トゥッテ」序曲の溌剌としたメロディーに、逐一この曲もいいなあ、などと友人と話しながら、一曲ずつ聞いていった時の新鮮な気持ちは今でもよく覚えている。録音の良し悪しなどは関係なく、むしろモーツァルトとはこういうものかといった感動は、初めて自腹を切って買い求めた興奮と混ざって忘れ難いものだった。

その最初にセレナーデ「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」は収録されていた。ワルターの演奏は、冒頭の部分で、一瞬溜を打つようなところがある。このわずかな「間」が忘れられない。ワルターという指揮者は、なるほどモーツァルトをこういう風に演奏するのか、これがまさしく本物の味わいなのだろう、などと友人たちと話した。

第2楽章の深くしっとりとしたアンダンテも、ゆったりと時にテンポを変えて色を付ける。音楽というのはこういう風に演奏するものか、などと奇妙に納得した。第3楽章のトリオに至っては、何かさわやかな風が吹いてくるように覚えた。第4楽章のアレグロ、そこでもまた一糸乱れないアンサンブルは私たちを惹きつけた。あまり何度も聞くとすり減るからと、半透明のシートがおれしわくちゃにならないように丁寧に入れて、さらに盤が曲がらないように注意しながら棚に仕舞った。思えばCDにはそのような愛着が沸かない。CDでも盤面を汚さないようにという思いはあるが、あの溝を見ただけで曲のどの部分かがわかるようなLPレコードの味わいはない。例え録音され再生可能となった音楽でも、限りあるはかないものであることを思わずにはいられないからだ。

モーツァルトがどのような動機でこの曲を書いたのかは、実はわかってない。私が驚くのは、こんな簡素な曲が晩年に作曲されていることだ。童心に帰ったように、こんな小品をモーツァルトは書いた。だがこれは私の勝手な気持ちだが、子供のような無邪気さで聞くけるかと言えば、そうではない。なぜかこの曲は楽しくない。第1楽章の有名すぎるメロディーも、今となってはほとんど聞くこともない。世界中の音楽家が演奏しているが、あまり元気よく演奏されるのも好きではない。だからこの晩年のワルターの演奏が、今もってしっくりくる。

なお、このワルターのディスクの最後には「フリーメイソンの葬送音楽K477」が収録されている。この曲だけは深く悲しい音楽だが、初めて聞いた時にも「こういう音楽もあるのか」と思ったものだ。この演奏はワルターでなければ味わえないものを持っているが、なかなか他の演奏に出会うこともないし、演奏会で取り上げられることもない。だから長らく忘れていた。それが最近になって、ある演奏がきっかけでこの曲の新たな魅力を発見した。そのことについては、次回に書くことにしようと思う。

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