2020年3月3日火曜日

モーツァルト:交響曲第41番ハ長調K551(カール・ベーム指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団)

日本にまだ4つしか民放FM局がなかった私の中学生時代(1980年前後)、民放でもクラシック音楽の番組が制作されていた。その日はどういうわけか、普段は聞かない土曜日の朝7時台の番組を聞いていた。夢うつつのままベッドにもぐりながら、手を伸ばしてラジオのスイッチを入れ、当時来日して評判だったカール・ベームの演奏を取り上げるのを聞いたのである。

来日ライブではなく、その日はレコードの再生だったと思う。曲はモーツァルトの交響曲第41番「ジュピター」で、これはベームの十八番と言える曲。ベルリン・フィルの演奏だったか、新しいウィーン・フィルのものだったかは定かではない。そしてその曲が流れることを知っていたのは、今では廃刊となったFM雑誌によってだった。ベームの「ジュピター」を聞けるのだから、さっそくエア・チェックとなったわけである。

だが中学生にとって朝はつらい。ラジオのスイッチを入れたものの、準備していたカセット・テープのスイッチONが放送開始に間に合わず、仕方なく私は惰眠を貪りながら、再び眠りに入った。ところが、である。あのゆったりとした第3楽章が、頭上に置いたスピーカーから聞こえてくると、私は電流が体に流れるような気持に襲われた。目がぱっちりと覚め、そのあと第4楽章のコーダまでの間中、硬直した体を横たえながら、ベームの「ジュピター」に聞き入った。エーゲ海の島に降り注ぐ満点の星空のように、その音楽は私を宇宙へと誘った。なるほど、これが「ジュピター」か、と私は感動し、学校へと急ぐ時間はおろか、その日一日中、この音楽が耳から離れることはなかった(「ジュピター」を聞いたのはこれが初めてではない)。

ベームの演奏の凄さは、このような音楽を「ただ」その音楽に語らせることである。一見武骨に見えるその中から、稀にとてつもない神がかり的なものが引き出されてゆく。それは聞き手と演奏者の魂のサイクルの偶然の一致からもたらされるのだろうか。ブルックナーの音楽のように、そういう瞬間が存在した。少なくともその日の私には、後にも先ににもただ一度だけの奇跡的な時間が存在した。

ベームの「ジュピター」は2種類あって、古いベルリン・フィルとの全集の中の一枚と、後年ウィーン・フィルを指揮してのものがある。指揮者の高齢化に伴って、より自然にゆったりとオーケストラに主導権を委ねているのが後者である。私の好みだけでなく、客観的に見ても断然素晴らしいのは前者、すなわちベルリン・フィル盤だ。1959年の録音だが、とても良い。ただひとつだけ残念なのは、今では当たり前の繰り返しが省略されていることだろう。

第40番では使われなかったティンパニやトランペットが使われている。ハ長調の特徴を生かして、冒頭から壮大で華麗な曲である。ここで音楽はしばしば休止を挟む。その呼吸感が、初めて聞いた時から印象的だ。止まって、そして一気に広がる音楽は、すべての楽章に亘り、命を吹きかけられて推進力を持って突き進む。「ジュピター」は木星。バーンスタインの指揮したニューヨーク・フィルのレコードのジャケットには木星の写真が付けられていたのを思い出した。

第2楽章の深々としたメロディーは全体の白眉だという人も多い。アンダンテ・カンタービレ。もっと歌ってもいいのだが、ベームは武骨にそっけなく進む。でもそれが、今の感覚に合っているようにも思う。つまりポルタメントなどの細工は少なく、それが現代的で好ましい。やはり休止して広がる弦楽器に、孤独で悲しいが毅然と自己を見つめる厳しさを感じる。

第3楽章はメヌエットとはなっているが、もはやこれは舞曲ではなく、聞かせるための三拍子だろう。ベームの演奏は遅いが、そのゆったりとしたなかにも宇宙が広がる感覚は、この演奏の中心的な部分だと思う。上記に書いたように、私はここで雷に打たれた。第3楽章の最後の音が、そのまま第4楽章の最初の音につながってゆく。

第4楽章の高度で複雑なフーガについては、もう何も語ることができない(リヒャルト・シュトラウスは「天国にいるかの思いがした」と書き残している)。どんな演奏で聞いても、ここの部分は白熱し、圧倒的な感覚に見舞われる。曲の力があまりに「凄い」ので、演奏の良し悪しや好き嫌いは意味をなさない。ただただあきれるほどに深く、そして大きい。まさに峻厳なる「ジュピター」である。

モーツァルトの「三大交響曲」は、モーツァルト音楽の集大成と言ってもいい。彼が獲得したすべての要素が詰め込まれている。この後に交響曲を作曲しなかったモーツァルトは、わずか3年ほどして帰らぬ人となった。あまりに早い天才の死だったが、すべての仕事をやり遂げたと言われても信じてしまう。そんな生涯だった。

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