2020年3月8日日曜日

ワーグナー:楽劇「神々の黄昏」(2020年3月7, 8日びわ湖ホール、オンライン配信)

新型コロナウィルスの流行がいよいよ世界的なパンデミックの様相を呈しつつある中で、数多くのイベントが中止や延期を余儀なくされている。クラシック音楽の公演も例外ではなく、3月に予定されていたびわ湖ホールにおける楽劇「神々の黄昏」も影響を受けることになった。4年前から順に「ニーベルングの指環」を上演してきた同ホールでは、いよいよその最終公演となる今回のチケットも早々に完売、世界から集まった歌手や地元の合唱団も加わって練習に余念はなかったことだろう。

ところがこの騒動である。 政府の場当たり的な中止要請のあおりをくらい、ホールの公演は中止される方向となった。しかし総工費1億6000万円をかけた本公演は、すでにリハーサルも終えており、中止するにはあまりに忍びない。毎日新聞によれば、館長は滋賀県庁にもかけあったそうだ。その結果実現したのは、無観客で上演するというもの。そして舞台の模様はビデオに録画して編集し、字幕付きDVDで発売することになった。ここまでなら、わかる話だろう。だが、それに加えて本公演は何とYouTubeでライブ配信することにしたというのである。

私は大阪の生まれだから、関西で行われるオペラ公演、しかも空前の規模を誇る「指環」となると東京からでかけてでも見たいという思いはあった。一時期住んでいた三鷹出身の沼尻竜典が指揮をする。彼は私と同い年でもあるので、日ごろから活躍を期待している。数年前、横浜で上演された彼の「ワルキューレ」を見たことがある。がなかなか良かった。しかし2万円以上する席を購入し、かつ期日を合わせて大津にまででかける予定を立てることは、あまりに敷居が高かったのも事実である。それが無料で同時に見られるというのだから、見逃す手はない。

連日の「自宅隔離」状態である上に、この週末は天気が悪く寒い。こんな時は自宅でワーグナーに浸るにはもってこいである。さっそくChromecastでPCを自宅のテレビに接続し、さらに音声のみアンプで増幅してスピーカーに接続、13時の開始を待った。すると何とすでに3000人以上が待機しているではないか。びわ湖ホールの客席数は1800だから、すでにそれを上回る人数が配信を待ち構えている。その数は次第に増え、幕が上がる頃には1万人を突破、これは「ジークフリーのラインへの旅」を過ぎても減らず、とうとう6時間にも及ぶ巻き切れまで続いた。

私はクラシック音楽を愛する一人の人間として、このような試みは大歓迎だし、不運にも中止となりかけた本公演のストリーミング配信の様子を書き記すことによって、ほんのわずかでもその試みへの賛意を示すことができればと考え、ここに感想文を残すことにした次第である。

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公演は2日連続行われ、1日目と2日目ですべてのキャストが入れ替わる。指揮は沼尻竜典指揮京都市交響楽団。演出はミヒャエル・ハンペ。キャストを書き記す代わりに、公演のチラシをコピーして貼らせていただいた。なお、今回のビデオは発売される予定のDVDとは別のテイクとされ、字幕もない。カメラは舞台を固定して映すだけで、歌手の細かい表情を見ることはできなかった。だが、ワーグナーの楽劇にそれ以上の演出は不要だろう。なぜなら最上級の音楽がそこに存在するからだ。歌と音楽、それに舞台全体を見渡す視点さえあれば、ワーグナーの舞台は十分楽しめる。

13時になると映像配信が始まった。えんじ色の幕が全体に映し出され、舞台下に指揮者が登場。こちらに向いて会釈する。やがてタクトが振り下ろされると、オーケストラの第1音がなった。変ホ長調の和音。舞台には満点の星空が映し出される。幕が上がるとそこは炎に燃える岩山。3人のノルンが登場して一気に「指環」の世界に入ってゆく。この時の感慨は、前3作を見てこなかった時でも深いものがある。いまからワーグナーを聞くのだという期待は、3重唱によって30分かけて次第に高まり、やがて感動的なジークフリートとブリュンヒルデの出会い。そして別れ。愛の二重唱はもはやこれが最後。そしてジークフリートは、指環をブリュンヒルデに託しライン川へと旅立ってゆく。

最初の舞台転回のシーン。ライン川が現れ、そこに船で漕ぎ出す映像が舞台いっぱいに広がる。やがてギービヒの館が現れる。窓の外はライン川と山々。この風景が次第に暮れ、夜となる。アルベリヒを父とするハーゲンの、指環略奪の策略が話し合われるシーンは、不吉にして重い。再び舞台は転回。タイムリーに登場したジークフリートは忘れ薬を飲まされてしまう。ブリュンヒルデの愛を忘れたジークフリートは、グートルーネに一目惚れ。グンターのためにブリュンヒルデを誘拐する謀略に乗せられる。このようにして指環を奪おうとするのだ。

舞台はまたもや転回し、草木も眠る丑三つ時。満月があたりを照らす中、再び岩山へ。ここに登場するのはブリュンヒルデと妹のヴァルトライデである。丁々発止のやり取りにも耳を貸さないブリュンヒルデ。指環は渡されない。そこにグンターに扮したジークフリート。指環は彼によって、ブリュンヒルデから奪われる。

休憩は30分。静かにカメラは休憩時間の表示を映すだけで、簡素にして無音。この感じがとてもいい。ワーグナーの劇に、他の要素はまったく必要がないことを制作者はわかっている。

再び幕が開き、第2幕が始まった。ギービヒの館の前で、舞台はオペラティックに展開する。「指環」の中では少し浮いているが、これはちょっとしたアクセントになっているといつも思う。長大な2つの幕に挟まれて、物語は一気に進行する。男声合唱も混じりホイホー、ホイホー、ホホー。二組の結婚式。ジークフリートの急所は背中だとわかると、今や復讐を誓うブリュンヒルデも加わって、ジークフリート暗殺が計画される。壮絶な三重唱からドラマチックな緊張をはらんだ音楽は、一気に終わる。

ここで興奮の坩堝と化した観客は、ブラボーの嵐となるところだが、無観客のびわ湖ホールは静かなままだ。だが私は、バイロイトで収録されたブーレーズの「指環」を見たときと同じ感覚を抱いた。無観客だと音楽も集中力を増す。京響もなかなか好演しているし、沼尻の指揮も緊張感を失わない。個々の歌手にいついては、もはやこのような公演にコメントをしなくてもよいだろう。どの歌手も迫力があって、欠点を感じないのは驚異的なことだ。私はまったく不満はなかった。にわか作りと思われたストリーミング配信の音声も、うまく歌手とオーケストラが混ざっていて、これはなかなかいける、というのが正直な感想。日本人歌手が多いので、顔がアップで映るとやや興醒めだが、常に固定されたカメラからは細かい表情を窺うことはできない。そのことがかえって見る者を落ち着かせ、物語に集中させる。

カメラが切り替わることもなく、字幕もない上演は好感が持てる。ただこのようなストリーミング配信のひとつの欠点は、家庭のリビングルームを長時間占拠してしまうことだ。30分以上たっても配置が変わらない舞台を熱心に見続ける私に、ワーグナー嫌いの妻はあきれ顔だし、息子は紙芝居かモノクロの時代劇を見ているようだと漏らす。この状態が夕食の時間にまで続く。しかも2日間も!でも2日目の舞台は、1日目に比較して、より良い感じがする。カメラも若干近め。キャストはすべて異なるにもかかわらず、舞台はさらに緊張を増し、オーケストラも次第に巧くなっていったように感じた。

さて第3幕である。雨模様の窓の外は暮れてゆく。電灯もつけず暗い中でテレビだけを観ている。舞台に映し出されたのは森の中を行く映像。やがてライン川の畔になったところで幕が開き、3人のラインの乙女の重唱が始まる。とうとう第3幕まで来たという感慨がわいてくる瞬間である。

ハーゲンの計略にひっかかり、弱点の背中を刺され、不慮の死を遂げるジークフリート。ここのシーンは「指環」の中での最大の見どころである。音楽に加えて演出も見せどころだ。ハンペの演出は全体的に典型的でわかりやすい。葬送行進曲に乗って葬儀の列が続くというもの。やがてブリュンヒルデは自己犠牲を歌い、ヴァルハラ城に火を放つとすべてが崩れ落ちる。炎が舞台に燃え広がり、やがてそれはラインの川底へ。壮大な物語は、滔々と流れる音楽の中に消えてゆく。このシーンについては、もはや何も語ることを必要としないだろう。

上演が終わると、無観客の中でカーテンコールが始まった。ちょっと寂しいが、ビデオの向こうにいる1万人以上の視聴者に対し、何度もお辞儀をする出演陣。その顔には充実した表情が感じられた。

これで本公演は幻の「指環」にならずに済んだ。いやそれどころか、無料で全世界にライブ配信を敢行した功績は讃えられるべきだろう。力演の出演陣には最大限の拍手を送りたいし、こういう試みは今後、新しい形でのオペラ公演の先駆けとなるかも知れない。ライブ配信すれば、それなりの数の聴衆がいる可能性があるということだ。会場で見る客のチケットに加え、少ない金額を払えばライブ配信を観たいと思う人も多いだろう。やる価値はある。難解なワーグナーの地方公演の緊急予告でも評判だったのだから、事前予告すれば、もっと多くの人が見るかも知れない。

感染症の蔓延という異常事態の中で上演された「指環」。世界の終焉を描いた舞台は、尋常ではない緊張感をもたらし、我が国の音楽史上に名を残す試みとなったことは疑いがない。それが成功だったとすれば、一筋の光明ではないかと思う。このような時にこそ、芸術が価値を持つということも。丁度ヴァルハラ城が沈んだラインの川底に、あの救済の動機が流れるように。

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