新型コロナウィルスによる感染拡大の影響で、重苦しいムードが続いている。宅勤務ともなれば朝から妻の愚痴を聞かねばならず、仕事の能率は低下の一途をたどる。日本の住宅事情では広い書斎を持つサラリーマンなどほぼ皆無だから、同様の状況は全国に広がっていると推測できる。ここに登校禁止となった息子が加わると、もはや最悪の状況である。ひとり逃避するわけにもいかない。
そんなとき、しばし仕事を中断してイヤホンで聞くモーツァルトの音楽がどれほどの癒しになることか。「走る哀しみ」と小林秀雄が表現したト短調交響曲は、そんな心情を一層鎮めてくれる。もはや誰も認めてくれる者もいなくなった天才は、激減する収入になすすべもなく、寒さにうち震えながら妻の愚痴や子守りにも耐え、どこで披露するかも定かでない珠玉の作品を作り続けたのだから。
私はウィーンのシュテファン大聖堂裏手Domgasse 5にあるモーツァルトの家( )を訪ねたことがある。200年以上も前に建てられたアパートは今もそこにあり、普通に人が暮らしている。その中の一室が、モーツァルトが実際に暮らしていた部屋で博物館になっているが、これはモーツァルトが暮らしたウィーン市内の約10か所のアパートのうち、現存する唯一のものだそうだ。ここに彼は1784年から1787年まで暮らした。コンスタンツェとの結婚の2年後から、「三大交響曲」が作曲されれる前あたりということになる。
この家を見た私の感想は、案外狭くて暗いというものだった。大都会ウィーンの中心部にあるので、それは仕方がないのだろう。日の当たらない部屋で、子供の泣く声も常に聞こえてきたかも知れない。そんな状況がモーツァルトの音楽にどのような影響をもたらしたかは、よくわからない。
交響曲第40番は彼のたった二つの短調で作曲された交響曲のうちのひとつで、いずれもト短調。その第1楽章はモーツァルトの中でも最も有名なメロディーである。これを聞いた人は、「これがモーツァルト」と頭に刻印が押されるくらいのインパクトを受ける。私もその例外ではなかった。
日本短波放送(現ラジオNIKKEI)の長寿番組「私の書いたポエム」のテーマ音楽がこの曲である。ある日、いつものように短波放送を聞いていたら、雑音の中からK550が聞こえてきた。このメロディーを、私はすでに知ってはいたが、どういうわけかその時に聞いた音楽が未だに忘れられない。誰の演奏かもわからない(勝手にワルターだと思っている)。中学生の頃だった。日曜日の夜に、アナウンサーの大橋照子と長岡一也がリスナーから届く詩を朗読する番組は、放送開始から45年もたつが今でも続いている(久しぶりに聞いてみたところ、ここでのK550はポップス調にアレンジされたものだった。これがかつてもそうだったかはわからない)。
ト短調交響曲をレコードで聞いてみようと思ったのは、そのあとくらいだった。第1楽章以外の部分を聞いてみたかったのだ。我が家にはただ1種類のレコードがあった。すでに擦り切れそうなほど再生されたせいか、プチプチと鳴る雑音に混じってスノーノイズまで入っているそのレコードは、ジョージ・セルの指揮したものだった。キビキビとした第1楽章は、それまで聞いたことのあるこの曲のどの演奏よりもすらすらと流れてゆく。ルバートを聞かせたロマンチックな演奏が多い中で、これは私に新鮮な感動をもたらした。
第二楽章も淡々としているが、その中にほのかに見え隠れする情緒は、いつもは退屈だと感じていた緩徐楽章も素敵な曲に聞こえた。そして第3楽章では、左右に分離した弦楽器が一方は高い音を、もう一方は低い音を奏でるアメリカ風ステレオ効果によって、構成力のきっちりとしたメヌエットが手に取るようにわかり、とても印象的だった。演奏はそのままフィナーレに突入し、セルの一点の曇りもない音色と、まるでメトロノームで測ったかのようなリズムで最後まで淡々と駆け抜ける。
セルのモーツァルトはこのように、一切の妥協を許さない完璧な音作りで、その中にこそ宿る音楽への真摯な態度が、曲の持つ本来の魅力を飾ることなく表現し、その中に秘められた情感をも炙り出す。いまでは少なくなった質実剛健の演奏だと思う。第4楽章の激情的な音楽も、淡々と演奏されるとかえって胸に突き刺さる。
以来、様々な演奏でこの曲を聞いたが、実際にはなかなかしっくりくる演奏がない。曲の評判とは逆に、いい演奏が現れないのはどうしてか。同様の感想を持つ聞き手も多いようだ。モーツァルトの曲でも交響曲第40番ともなれば、いつのまにかコレクションを紹介するブログの書き手も多い。いくつかを読んで、その推薦盤を調べて見たが、みなさんいろいろ書かれていて興味深い。まだ聞いたことのない数多くのディスクがあるが、私は今もってセル一択である。
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