2020年3月17日火曜日

ベートーヴェン:序曲集(デイヴィッド・ジンマン指揮チューリヒ・トーンハレ管弦楽団)

ベートーヴェン唯一の歌劇「フィデリオ」を聞くよりも先に、「レオノーレ」序曲第3番を聞く人は多いだろう。私もその一人だった。「レオノーレ」序曲第3番は、それだけで20分近くもある曲で、歌劇の序曲にしてはいささか長い。流れるような親しみやすいメロディー、遠くから聞こえるトランペットのファンファーレ、そして圧倒的なフーガとコーダ。どの部分をとってもベートーヴェンらしさが充満しているこの曲を、私は何度も何度も繰り返し聞いていた。

後に「フィデリオ」を聞いた時、ああここの音楽が使われていたのか、などと思ったが、「フィデリオ」には「フィデリオ」序曲が別にあって、しかもこの曲は「レオノーレ」とは全く異なる、丸で独立した序曲のような感じである。通常、オペラの序曲はそのオペラで使われるモチーフなどがダイジェストに使われることが多いから、これはとても不思議なことだった。

歌劇「フィデリオ」はそもそも歌劇「レオノーレ」として作曲されたものの、なかなか思うような結果が得られず、何度も改訂を試みる。序曲も全部で3回も書き直されている。ということは「レオノーレ」序曲には第1番も第2番も存在するということになる。第3番があるのだから。というわけで、「レオノーレ」を巡る4つの序曲を順に聞きたくなるというわけだ。

オットー・クレンペラーによるベートーヴェンの序曲集は、このような要望を満たす最初のレコードではなかっただろうか。ステレオ初期ながら非常に明確な録音で、広がりを持った響きは今もって健在。ベートーヴェン序曲集の代表的な録音である。ここにすべての「レオノーレ」系の序曲が収録されている。

かつてNHKが衛星放送を始めた頃、レナード・バーンスタインがウィーン・フィルとのベートーヴェン全集を放送した。ここでバーンスタインは、彼独特のピアノを前にした解説で、第5交響曲の冒頭について「最初はこんなに平凡な曲でした。けれども徐々に、このように変化し、最終的にはいまのようになった」などと実演付きで語るのを見たことがある。ベートーヴェンは最初から、あのような印象的なメロディーを思い付いたのではない、「推敲に推敲を重ね、大変な努力を経て、こうでなければならない、という必然的な音の連続にたどり着いたのです。そこがまさに天才なのです」というようなことを言っていたと思う。

ベートーヴェンが作曲に取り掛かる時、最初のメロディーは恐ろしくつまらないもので、それが徐々に書き換えられて次第に高度化し、やがて歴史に残るようなメロディーへと昇華する様は、「レオノーレ」の序曲を聞くとよくわかるような気がする。とはいえ、第1番は第2番よりもまとまった曲に聞こえる。ごく一部に、「フィデリオ」第1幕のメロディーが聞こえてくる。この曲は、私はコリン・デイヴィスの指揮するバイエルン放送交響楽団の演奏で聞いた。ちなみにこの演奏は、ベートーヴェンの序曲を集めたディスクの中では最右翼に位置し、クレンペラーと並ぶ武骨な出来栄えである。誰もがもっともイメージしやすいベートーヴェンの典型的な演奏が味わえる優れた録音である(ただし「レオノーレ」第2番を始め、いくつかの作品は収録されていない)。

クレンペラーの演奏ではじめて「レオノーレ」序曲第2番を聞いた時は、これは何か出来損ないの曲のように感じざるを得なかった。第3番を聞きすぎていたので、そう感じたのかも知れない。二つの曲の違いが面白くは思ったが、何とも中途半端である。バーンスタインが解説していた「平凡な着想」の状態、つまりまだ煮詰められていない状態の、生煮えの作品だと思った。ところが、今ではこの第2番が、やみつきになってしまい、耳からなかなか離れない。不思議なものである。そしてその演奏は、デイヴィッド・ジンマンによって決定的に楽しく、興味深いものになっている。

ジンマンはチューリヒのオーケストラの透明で硬く、それでいて生気溢れるオーケストラを見事にドライブして、超激安のベートーヴェン全集をリリースした。あまりに安いにも関わらず、演奏も録音も上出来であることから私も全集を買ってしまった。その演奏は非常に速く、置いて行かれるような気分になってしまう。何かマラソンの先頭集団を見ているような演奏である。では、その延長に位置する序曲集はどうか。

ここでもジンマンは交響曲と同様に、べーレンライター版のスコアを用い、ピリオド奏法を駆使して、駆け抜けるような演奏を披露している。序曲集ともなると、なかなかまとまって聞くことのないものが、このディスクは一気呵成に聞くことができる。その様はスポーティーで爽快であり、愉快この上ない。乾いたティンパニが連打され、金管が号砲を鳴らすジンマンのベートーヴェン演奏は、カラヤンやアバドのような従来の名演奏ですら大人しいと思わせるような過激さで、耳に飛び込んでくる。

この、急流の滑り台のような演奏によって、初めてその光が当たったような気がしたのは、「プロメテウスの創造物」「アテネの廃墟」「シュテファン王」「命名祝日」「献堂式」といった珍しい作品だ。例えば「アテネの廃墟」などはカラヤンで聞くオーボエの透き通った演奏も素敵だが、ジンマンの装飾だらけの演奏はもっとヴィヴィッドである。

一方、「コリオラン」はあの引きずるようなドイツ的重厚さに欠け、「エグモント」はもう少し表情をつけて遅くてもいいのでは、などと思ったりもする。これらの有名作品には、上述のカラヤン、アバドを含め多数の演奏が存在するから、そちらに譲ってもいいかも知れない。だがジンマンの演奏は、弾むようなリズムに乗って、それまでに表現されなかったベートーヴェンのまた一つの側面を浮き上がらせていることは大いに評価されて良いだろう。

序曲集としてほぼすべての作品を網羅したディスクは、振り返れば70年代の決定的なカラヤン、その20年後のアバドが双璧だと思う。後者はウィーン・フィルの美点と録音の新しさが光るが、演奏そのものはカラヤンの域を出ないのはいつもの通り。単独では「エグモント」はジョージ・セル盤、序曲「コリオラン」はクライバーのビデオ盤、「フィデリオ」と「レオノーレ」第3番はバーンスタイン盤が光彩を放つ。一方、有名曲のみの序曲集としては「エグモント」を欠くクレンペラー盤と、「レオノーレ」第2番を欠くコリン・デイヴィス盤が、それぞれ時をおいて聞きたくなる演奏であり、見落とすわけには行かない。


【収録曲(順序は入替え)】
1. 序曲「レオノーレ」第1番作品138
2. 序曲「レオノーレ」第2番作品72a
3. 序曲「レオノーレ」第3番作品72b
4. 歌劇「フィデリオ」序曲作品72c
5. バレエ音楽「プロメテウスの創造物」序曲作品43
6. 序曲「コリオラン」作品62
7. 劇付随音楽「エグモント」序曲作品84
8. 劇付随音楽「アテネの廃墟」序曲作品113
9. 序曲「命名祝日」作品115
10. 劇付随音楽「シュテファン王」作品117序曲
11. 「献堂式」序曲作品124

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