2012年1月31日火曜日

ビゼー:歌劇「カルメン」(The MET Live in HD 2009-2010)

マスネーの「タイース」、オッフェンバックの「ホフマン物語」に続いてビゼーの「カルメン」を見た。フランス語のオペラを3つ続けて見たことになるが、Met Live in HDにて比較的有名なオペラを見るのはこれが初めてである。私はできるだけ今まで見たことのない作品を見ることにしていて、既に実演等で見て知っている作品は、どちらかと言えば避けてきた。同じお金と時間を割くのなら、見たことのない作品を見たかったからだ。

だが今をときめくラトヴィア出身の歌手エリーナ・ガランチャがカルメンを歌うとあってはいてもたってもいられない。そういうわけで今日も東劇に足を運んだ。相手のテノール、ドン・ジョゼはロベルト・アラーニャでこれがまたいい。指揮はヤニック・ネゼ=セガンという若い指揮者、カナダ人だそうである。

「カルメン」を初めて見たときに比べると、今では落ち着いてストーリーを追うことができるようになった。思えばこれまでは、次々と繰り広げられる豪華な舞台と有名な歌の数々にすぐに興奮してしまい、気がついてみると終わっている、という感じだったと思う。クライバーのウィーン公演をテレビで見た時も、アグネス・バルツァの舞台も、マゼールによるオペラ映画でも、はたまたオッターの個性的な演技も、私はその都度音楽と歌に打ちのめされ、興奮が冷めやらぬうちにその詳細を忘れてしまうのだった。 オペラの面白さ、楽しさをそのころも熱く語ってはいたが、冷静に考えてみると私はただ圧倒されながら、本質的な部分まで理解していたかは疑わしい。

20代の頃までとは違って、いまではもう少し客観的にオペラを見ることができるようになった。するとカラヤンのCDもレヴァインのDVDも、今や「カルメン」と聞いただけではあまり興味をそそらなくなったし、それよりも他にまだ知らない、見るべき作品が山ほどあるではないかと思うようになった。

舞台でも「カルメン」は見ている。ニューヨーク・シティ・オペラと小澤征爾音楽塾である。だがいずれも綺麗にまとまってはいるものの、新たな発見は徐々に少なくなっていった。仕方がないことなのかも知れない。今回の「カルメン」もそういう点で大きな発見をするには至らなかった。ただ、カルメンのガランチャはこれまでの「カルメン」の中では最高だったと思う。

歌の点でも演技の点でもそれは断言できる。特に最終幕でのアラーニャとの演技は、まさに手に汗を握る迫真の演技だった。カルメンが押し倒されるシーンもカメラがアップで捉えるので、余計にそう感じたのかも知れない。この2人はその容姿も相まって、現在望みうる最高のカルメン&ホセのカップルだったのではないかと思う。

一方ミカエラ役のフラットリは、この役を歌うにはやや大柄で強力な感じのするところが賛否を分けるだろう。歌はいのだが、もう少しリリカルだといいのにとも思うのは私だけか。エスカミーリョはピンチヒッターで上演わずか3時間前にキャストとなったタフ・ローズという人だった。長身で恰好がいいが、何と32歳までニュージランドで公認会計士をしていたというから驚く。

レチタティーヴォでつなぐウィーン版による上演は、今では珍しい方かも知れない。音楽に連続感をもたらすものの、私は何となく劇が陳腐になってしまうような感じを抱いてしまう。演出のエアは第2幕の間奏曲にもバレエを挿入したり、岩山のシーンにまで子供を登場させるなど、ややかしましい演出で焦点がぼやけている。素人受けがするし、たしかに主役の2人に文句のつけようはないが、良く知っているだけにいろいろと考えてしまう公演だった。もしかしたら、収録上の問題として音楽と歌の音が分離しすぎていたのかも知れない。ネゼ=セガンの指揮は、活気に満ちグイグイとひっぱるタイプ。間延びするよりははるかにいいが、緊張感を維持し過ぎようとして大変疲れるような気もした。

(2011/09 東劇)

2012年1月30日月曜日

オッフェンバック:歌劇「ホフマン物語」(The MET live in HD 2009-2010)

三つの失恋エピソードが順に語られるというのがこのオペラのあらすじで、大袈裟な音楽とは裏腹に至って簡単。たくさんの人物が登場し第5幕までもある長いオペラだが、文学的な深みには乏しいような気がする。主役級の女性が4人も登場するのだが、主人公は標題役の男性詩人ホフマン(テノール)である。

本上演ではそのホフマンを、マルタ出身の若手ジョセフ・カレーハが歌うことがまず注目される。この役は長年プラシド・ドミンゴのはまり役で、当然METでもドミンゴ以外の歌い手が歌ったことは近年ない。いやジョン・サザーランドと共演した昔のボニング盤でも、この役はパヴァロッティではなくドミンゴだったし、小沢盤やその他の公演でもドミンゴ、またドミンゴである。

それほどドミンゴの印象が強い作品にいきなり挑むというのは、大変だったと思う。だが無難にまとめるだけでなく、なかなかの好演だった。若いとは言え落ち着いた雰囲気で、詩人としての風貌もなかなかはまっている。当たり役だと思った。そしてその声は、トロヴァトーレのマンリーコを歌わせたいような感じだ。少し息継ぎが気になるところもあったが、手堅い演技は静かな熱を感じた。

もう一人、重要でしかも実力と体力が必要とされるのが、4人の悪役をひとりでこなすアラン・ヘルドである。長身で低い声は、重唱の要でもある。さらにもうひとり、女性が歌う男役のニクラウスが、この作品の成功の鍵を握っている。それはケイト・リンジーによって歌われたが、インタビューを含めなかなか好感のもてる歌手である。この3人の手堅い実力が、この公演を成功に導いたと思う。指揮は音楽監督のジェームズ・レヴァイン。病気でしばらく見なかったが、風貌も指揮姿もまあ健在のようだ。嵐のような拍手は、レヴァインに多く向けられた。私は何十年も前からメトの映像を見ているが、いまだにレヴァインが旺盛に指揮するというのは大したものだと思う。

さて。そのような素晴らしい3人・・・詩人ホフマン、ズボン役ニクラウス、悪役が常に舞台に登場し、その歌声がしっかりとしているのでそれだけでも見事なのだが、これに加えて(当然のことながら)ソプラノが3人登場する。もちろんこれが各エピソードでのホフマンの失恋相手である。

サザーランドのCDでは一人彼女が演じるのだが、今回の舞台は3人の歌手がそれぞれの持ち味を発揮して、これもまた見ごたえが十分。その3人とは、今回の登場順に機械人形オランピアを演じた韓国人キャスリーン・キム、病死する歌手アントニアを演じたアンナ・ネトレプコ、さらにベニスの娼婦ジュリエッタを演じたエカテリーナ・グバノヴァである。この豪華なメンバーが次々に登場してくるので、もはやそれがどうのこうのという次元を通り越して、凄いの一言である。

なおホフマン物語には決定稿がなく、演奏の内容もしばしば異なる。今回は上記の順に演奏されたのだが、私としては登場順に違和感はなく、むしろ順に話が盛り上がっていく感じがして面白い。それはホフマンの恋愛の軌跡としても自然であり、またあの有名な舟歌が後半に出てくるのもいい感じだ。

ソプラノの3人はそれぞれ違った歌の傾向を持っている。最初のオランピアは機械人形だが、彼女の超技巧的アリアは今回の最大の見どころのひとつであったことは疑いがない。小柄な彼女は丸で本物の人形であるかのような演技を続けながらほぼ完ぺきにこのシーンを歌い切り、その喝采はまたたくまに本上演を記憶に残るものにしたのだ。

次に登場したネトレプコについては、もはや何も言うことはないと思う。ロシア生まれの彼女は今や世界最高のソプラノであり、その声の貫録はさすがである。最後にステラとなって現れるのもネトレプコで、舞台での役もオペラ歌手である。

グバノヴァは登場時間がやや短いが、この娼館のシーンは演出上の効果も良く見ごたえがあった。4つの幕が終わってエピローグになると、ニクラウスを演じていたリンジーが、清楚なドレス姿となってミューズ役で登場。説得力のある歌声で最終シーンを締めくくる。このニクラウスこそ本作品の隠れたテーマである。詩人ホフマンにとっての親友の彼こそ、少し議論してみたくなる意味ありげな存在である。だが、そのような難しいことを考える間もなく、3時間に及んだ劇は華々しく幕を閉じる。オペレッタを確立した作曲家が死の直前に残した唯一の歌劇が、このようなドタバタ劇一歩手前の作品であったことを私は恥ずかしながら初めて知った。

案内役はデヴォラ・ボイト。機知にとんだインタビューは今回も楽しい。こうなったら明日の「カルメン」も見て、フランス・オペラ三昧と決め込もうかと思う。

(2011/09 東劇)

2012年1月29日日曜日

ヴェルディ:歌劇「アイーダ」(The MET Live in HD 2009-2010)

「アイーダ」の見どころは後半の2つの幕であることは、初めてこの作品を見た時に思った。今から20年以上も前の1989年、ヴェローナの野外オペラが来日し、東京ドームで行った公演をテレビ(フジテレビだったか)で見たときだ。この公演は観客のマナーが悪く最悪だったようだが、初めてテレビで見るその舞台に目を見張っていた。

だが有名な凱旋のシーンが早くも第2幕で終わってしまうのである。ええ?まだ物語は続くのに、このあとは何を見ればいいの?などと大学生の私は素人丸出しの気持ちで続きを見続けていた。ところが第3幕、それに第4幕が聞かせるのである。

 翌年、私はロミオとジュリエットで有名なヴェローナの野外劇場の前にいた。8月となると猛暑となる北イタリアの小さな都市は、有名な「アイーダ」を見ようとする観光客であふれており、私も飛び込んだホテルに「privato(従業員用)」の部屋を特別にあてがってもらって、やっとのことでベッドを確保した。

古代ローマ時代に建てられた円形野外劇場はそれだけでも巨大で、ローマのコロッセオよりも大きいのではないかと思われた(実際にはコロッセオに次いで2番目の大きさだそうだ)。そこに詰めかけた何千もの観客が、幕が始まる前には手に蝋燭をともして開演を待つ。日が暮れからる夜の10時頃から始まるので、観客席が蛍の乱舞のように輝き、満点の星のようだ。舞台に指揮者のサンティが登場すると、早くもブラボーの嵐となった。

第2幕。その凱旋のシーンはこの劇場の半分を使った壮大なもので、大スペクタクル!登場する象や馬もその大規模な光景の中では大層小さく見える。階段上に何百もの兵士がピラミッド状に並び、決して座り心地の良くない席だったが、私は感激に酔いしれていた。

だが、この時も私は第3幕と第4幕の歌の美しさがとても印象に残った。その2ヶ月後、私はエジプト人の友人を訪ねてヨーロッパからカイロに渡り、本物のピラミッドやモスクを見て過ごしたのだが、彼の家にあったビデオテープが、実は彼が日本滞在中に保存したあの「アイーダ」で、私は再び本場で日本公演のアイーダを見るはめになったのである。 彼はクラシックなどはほとんど興味がなかったようだが、ことエジプトに関しては思い入れが強く、日本滞在中に買ったVHSビデオデッキに日本のコメディ番組などを大量に録画して帰国し、楽しくないエジプトのテレビを消して見ているようだった。

私のアイーダの体験は以上である。テレビでオンエアされたスカラ座公演(マゼール指揮)や、メトロポリタン歌劇場の評判の公演(レヴァイン指揮)は、録画して保管したが通して見たことはない。いやメトのものは第2幕までは見たが、野外劇場の思い出が強すぎて、劇場の中で行われる舞台の限界を好めなかったというのが本当のところであった。

ところが今回見たアイーダの公演は2009年のものだったが、どこかで見たことのある舞台だと思った。それもそのはずで、メトではもう20年以上も同じプロダクションだったのである!さすがに象は登場しないが馬は登場する。そして何百もの兵士や奴隷たち!この作品はアメリカ人に人気があるのだろう。だが本当はそのような舞台の壮麗さと同時に、見事な歌唱のオペラなのである。その本当のところを、今回改めて思い知った。

3人の主役級歌手は、みな実力派で体格も見事である。それだけでも迫力がある。すなわちアイーダのウルマーナ、アムネリスのザジック、そしてラダメスのポータである。ザジックは先日見た「イル・トロヴァローレ」でアズチェーナを歌った圧巻のメゾ・ソプラノで、何とこの役を250回も歌っているという。その円熟した安定感は、アイーダと張り合う闘志むき出しの表情である。

ラダメスは前のビデオではドミンゴだったが、私はドミンゴという歌手は特に晩年、何を歌っても同じような役に聞こえてならない。その点、ボーダのラダメスはいかにも葛藤の滲むエジプトの将軍でなかなかいい。ウルマーナは清楚なアイーダという感じではないが、まあ、エチオピアの王の娘ということでそれもありか。歌はさすが。第4幕の最後ではピラミッドの墓の中と外で二重の舞台が形成され、死後の世界は孤高の愛の姿へと昇華していく。

私はこの舞台を見て、ヴェルディの作品を一貫して貫くテーマに気付いた。それは「心の葛藤」である。初期のベルカント風作品も、「リゴレット」や「椿姫」に代表される傑作の多い中期も、そして「オテロ」に至る後期の作品も、それはほとんどすべての主役級登場人物に現れる共通した要素なのだ。どんな地位でも場所でも、葛藤に悩む人間の姿は悩ましく、不完全で、そして罪深い。矛盾した境地に陥った人間が悩む二律、あるいは三律背反に複雑な社会を生きる現代人が共感しないわけがない。ヴェルディの音楽は、それゆえに今日も愛され続け、そして上演されているのだ。

(2011/09 東劇)

2012年1月28日土曜日

ベッリーニ:歌劇「夢遊病の女」(The MET Live in HD 2008-2009)

歌劇「夢遊病の女」はスイスの村が舞台である。結婚式の前夜、夢遊病の新婦がふと滞在する伯爵の部屋で寝てしまったことから騒動が沸き起こるが、これは夢遊病のせいであることを皆が知って一件落着となる、といういつもながらの荒唐無稽なドラマ。だが、美しい歌が次から次へと歌われるベルカント・オペラの珠玉の名作として知られるだけに、見ごたえは十分である。

数年前のディスクで決定版と称されたナタリー・デセイがアミーナを歌い、指揮はその時と同じピドである。これに今は飛ぶ鳥を落とす勢いの最高テノールで、歌劇「連隊の娘」で一世を風靡したフアン・ディエゴ・フローレスが加わる。やはりメトならではの望みうる最高キャストである。

演出はジマーマンという人だが、ボイトの案内でも明らかなように、舞台は何とマンハッタン、ユニオンスクエアに近い劇の稽古場に変わっている。そこで練習中のストーリーがスイスの村、という劇中劇の形を取るのだ。

この作品は極めて有名である割には、ディスクが少ない。おそらく、マリア・カラスのモノラル録音を筆頭に、定番のジョーン・サザランド盤を除けば、後はこのデセイ盤くらいで、昨年リリースされたバルトリ盤が続く。よって、4種類を聞けばだいたいどういう作品かがわかるのである。

私はiPodに入れたデセイ盤とバルトリ盤を時々聞くが、やはりフィナーレのアリアは圧巻である。ところがそのシーンを初めて映像で見たのだが、やはりここで胸に迫るものがあった。オペラをこのような形で見ることのできる喜びが、夢遊病から覚めて意匠を着換え、村人に混じって踊るアミーナの表情に重なって、恍惚とするシーンだった。

夢遊病のシーンでは、第1幕で何と客席に登場したアミーナは、第2幕で舞台の一部がオーケストラの上部に突き出してきて、指揮者の前で歌うという立体的シーンも、よく調整されたカメラが効果的に映し出し、観客のブラボーも最高潮に達した。

 カーテンコールは幕の内部を映し出し、出演者が抱き合うシーンも見せるが、余韻に浸ったまま終わるので、気分良く映画館を後にすることができた。2時間のオペラも休憩やプレビューを挟んで約3時間、猛暑の日中を涼しい館内でくつろぐことを考えれば、3000円でもまあいいか、という感じである。同じ映像はBSハイビジョンで放送されたのでブルーレイ・ディスクに録画してあるが、とうとうこちらの方は、見る機会を逸したままとなっている。

(2010/08 東劇)

2012年1月27日金曜日

マスネー:歌劇「タイース」(The MET Live in HD 2008-2009)

2011年も夏になってMet Live Viewingのアンコール上映が続いている。その中から2008-2009シーズンに上演された演目の一つ、マスネー作曲の歌劇「タイース」を見た。「カルメン」を除けば、実のところ私の初のフランス・オペラ体験であったし、あらすじはおろか一曲のアリアも知らない。いや「タイースの瞑想曲」だけはどこかで演奏されるのだろうとは思っていたが、それがこういう風に使われていたとは・・・。

舞台は4世紀のエジプト、身分の違う恋愛とくれば「アイーダ」を思い出す。また遊女が真実の愛に目覚めながら死んでいくフランス物、となれば「椿姫」を思い出す。だが「タイース」はこのどちらとも違うストーリーである。それどころか本作のテーマである「キリストへの愛」は、そのどちらの作品よりも深い。であるにもかかわらずオペラとしての人気はこれらの作品には及んでいない。その原因はもしかすると、音楽的な完成度の差にあるのだろうか・・・。

「タイースの瞑想曲」は第2幕の間奏曲である。コンサートマスターが立ち上がり、見事なソロを奏でると熱狂的なブラボーに包まれる。盛大な拍手。このようなシーンは非常に珍しい。その間に舞台裏は次の場面の準備中だ。カメラは両者を巧みに切り替え、音楽の緊張感を失わせずに舞台裏をのぞく。甘美なそのメロディーは、それだけでこの作品が後世に残る理由となっているが、実はここのシーンが全体の折り返し地点である。この「瞑想曲」を境にした二人の主人公の心理的変化(トランジション)こそ、本作品の見どころだと主役を演じたルネ・フレミングは案内役のプラシド・ドミンゴに話す(第2幕後の映像)。

標題役を歌うフレミングが、全編にわたって次から次へと歌うのが本オペラの醍醐味である。もちろん相手の修道士アタナエルを演じるトマス・ハンプソンを忘れてはいけない。だが、このバリトンとソプラノの組み合わせこそが、この作品に暗示された行方を物語る。つまりこの二人は別々のところ(修道院と娼館)から来てめぐり合い、心理的昇華のプロセスを経てそのまま別の方向へ進んでしまうのである。

あの甘美なメロディーはキリストへの愛と現世の欲望の間を揺れ動く心理がそのモチーフだと言われる。だが全体的な印象としては、人間性の複雑な矛盾がもたらす悲劇というものを描き切ってるというほどではない。またベルカントオペラのように歌唱の妙味に酔うわけでもない。

これはこのプロダクションの問題か、作品そのものの問題か、よくわからない。けれども、ときおり音楽の美しさにうっとりとするのはやはりオペラ醍醐味であろうし、指揮者のヘスス・ロペス・コボスがしっかりとした指揮を司っているからだろうと思う。

Met Live Viewingならではの舞台裏へのアプローチは、本作品ではとりわけ効果的である。これは場面展開が多いからだ。ドミンゴによる主役二人へのインタビュー(は舞台裏で行われる)に加え、瞑想曲のソロを演奏した中国系アメリカ人のコンサートマスター、それに衣装を担当した女性にも焦点があてられる。フレミングはこの役のために特にデザインされた6着もの衣装を次々着変えながら登場するのだ。

第2幕でのニシアス邸での踊りや歌のシーンも面白いが、第3幕の砂漠を放浪する二人と、修道女となって入って行く別れのシーンは胸を熱くする。修道士アタナエルの強い信仰心によって修道女になることを決意したタイースは、改心して苦行に励み体を壊す。死の淵にある彼女のもとへアタナエルは何とか現れ、もはや彼女に恋をしてしまったことを打ち明ける。だが彼女はすぐに死に絶え、二人が結ばれることはついにない。ややもすれば荒唐無稽なストーリー一歩手前だが、テーマになっていることは深い、と出演者が声をそろえている。

巧みなカメラワークとオペラ全体を表現した見事なビデオ演出によって、この作品は一定の見ごたえを持つに至った。最初フランス風の音楽が平板で中音域中心の歌にも飽きそうなところだったが、意外にもはじめて触れた作品に新たな発見をし続けた3時間半だった。

※本作品が収録されたのは2008年12月20日だそうである。私はこの時、入院中で大変な闘病のさなかにあった。そういう意味でも感慨深く観た。

※※ここのところ、本作品は数多く上演される傾向にある。かつての名演奏としてせいぜいマゼール盤が有名だったが、最近はノセダ盤(トリノ歌劇場)、それにヴィオッティ盤(フェニーチェ座)などがあるようだ。このメト盤も出ている。

(2011/08 東劇)

2012年1月26日木曜日

プッチーニ:歌劇「ボエーム」(The MET Live in HD 2007-2008)

先日ネトレプコとアラーニャによる最新のオペラ映画「ラ・ボエーム」を見て以来、私も大好きなこのオペラのCDをいくつか聴いてきている。すると丁度今日WOWOWという放送局で、2008年に行われたThe  MET Live in HDシリーズの収録映像が流れることが判明した。Met Liveはこの9月にアンコール上映された12の作品を映画館で見たばかりだが、これは含まれていなかった。こんな好機は逃すまいと、私はテレビの前にスタンバイ。

ミミはルーマニア人のアンジェラ・ゲオルギュー、ロドルフォはメキシコ人のラモン・ヴァルガス、ムゼッタはアインホア・アルテタ、マルチェッロに リュドヴィク・テジエである。指揮はニコラ・ルイゾッティで、先日みたプッチーニの「西部の娘」の公演でも記憶に新しい。

この公演の見どころは、一にも二にもフランコ・ゼッフィレッリの演出である。私が1981年のスカラ座来日公演で初めて見たオペラが、クライバーの「ボエーム」だったことは前に述べたが、私はこの時を最後にゼッフィレッリの伝説的演出には接していない。カラヤンの映画でも、レヴァインのビデオでも登場する演出だが、どういうわけか私は見ていない。これは遺憾なことで、第2幕の豪華な2階建てカフェのシーンなど、見た人はみな「すごい」などと言うのだから、見ていないとこのようなブログを書く際にも何か抜け落ちている感じがして仕方ないのである。

さてその舞台だが、確かに豪華で見ごたえがある。だがテレビで見ていると、いくら大画面とはいえ実演や映画館で見る様子とはかなり異なることが、今回よくわかった。オペラ自体をテレビで見られるようになった時は、それは感動的で、放送されるたびに片っ端からテープに録画したものだし、LDやDVDで登場した際も、その画質に惚れ込んで、いくつかの作品は発売日を狙って購入したものである。でも、いずれの方法をとってもオペラの魅力の何割かしか伝えられていないということだ。

まあそれでも実演に接することは、日本にいると結構難しいので、テレビ放送は有難い。無料放送というわけだから文句を言うのが筋違いではある。テノールのヴァルガスはなかなか好演しているし、ゲオルギューもいい。しかし、今回の公演で良かったのはムゼッタかも知れない。第2幕のワルツのシーンは、大変わかりやすい。非常に多くの人が2階建てのカフェに集い、動物や軍隊行進、さらには少年合唱も印象的。逆に他の演出をよく知らないし、これだけ豪華な歌手を揃えているのだから、通ぶった批評はしたくない。私はまたもやボエームに見とれ、聞き惚れて泣き、多くの新たな発見もした。

第4幕は第1幕と同じ舞台で、一軒家風の一室だが屋根裏部屋のみをホームドラマ風に切り取って強調している。ベッドで横たわるミミを見ているときに、昔見たシーンを思い出した。メトの広い舞台でも、その中にに作られた家の中という、わざわざ狭い場所で演じられる舞台は、第2幕や第3幕の広くて豪華なシーンと対照的である。映画の一シーンであるかのような強調によって、客席も集中力を維持し易いように感じた。古典的なカーテンコールによって登場した主役の歌手たちには、惜しみないブラボーと拍手が送られて、やはり歌劇はいいね、と思うのであった。

(2011/10 WOWOW)

2012年1月25日水曜日

The MET Live in HD Series-プロローグ

ニューヨークのリンカーン・センターにあるメトロポリタン歌劇場(通称The MET)の公演をほぼ同時に世界中の映画館で上映する企画The MET Live in HDシリーズは、2006-2007シーズンに6公演で始まり、今年で6年目に入った。この好企画は高いお金を払って歌劇場へ通うことができないオペラ好きには堪らない。私も2010年に再上映されたベッリーニの「夢遊病の女」からこの企画に目覚め、以来これまでに過去の再上映を含め、19作品を見てきた。

ブログでは都度、その感想などを書いてきたが、ここで再整理をしておきたい。別のブログで書いた文章もそのまま載せることとしたい。

2007-2008
プッチーニ「ボエーム」

2008-2009
マスネー「タイース」
ベッリーニ「夢遊病の女」

2009-2010
ヴェルディ「アイーダ」
オッフェンバック「ホフマン物語」
ビゼー「カルメン」

2010-2011
ワーグナー「ラインの黄金」、
ドニゼッティ「ドン・パスクワーレ」
ヴェルディ「ドン・カルロ」
プッチーニ「西部の娘」
ドニゼッティ「ランメルモールのルチア」
ロッシーニ「オリー伯爵」
ヴェルディ「イル・トロヴァトーレ」
ワーグナー「ワルキューレ」

2011-2012
ドニゼッティ「アンナ・ボレーナ」
モーツァルト「ドン・ジョヴァンニ」
ワーグナー「ジークフリート」
ヘンデル「ロデリンダ」
グノー「ファウスト」
(続く)

これらの上映は映画館をほぼ真っ暗にして行なわれるため、集中して聞くことになる。しかも字幕が付き、音質もサラウンド・ステレオなので申し分ない。私はこのおかげで、これまでのクラシック音楽の幅がぐっと広がった。CDやDVDでしか経験していなかった作品に、容易に触れることができたことで、管弦楽中心だった鑑賞の対象が、イタリアやフランスのオペラ作曲家にも及ぶこととなったのである。

たとえばドニゼッティという作曲家がいかに重要な位置を占め、かつ有能な作曲家であったかを認識した。それからロッシーニの「オリー伯爵」がこれほど素晴らしい作品だとは知らなかった。ワーグナーの「ニーベルングの指環」はこれを集中して聴く人生で2度目のプロジェクトが進行中である。ネトレプコを始めとする歌手陣のインタビューを聞いていると、彼らがいかに作品を理解し、演じているかが手に取るようにわかって面白い。もしかすると、劇場で聴くことでは味わえない別の魅力があると思うのである。

そういうわけでこれからも、可能な限り映画館へと足を運びたいと考えている。いつもそうなのだが、それほど人気があるわけでもないようで、比較的空いている。ただ「指環」の時は大盛況である。映画館もくだらない作品を上映するのなら、是非The MET live in HDシリーズを上映してもらいたいものだ。

映画:「シラート」(2025年、スペイン・フランス)

「大統領のケーキ」を見た翌日、またもや救いようのない映画を見てしまった。作品のタイトルは「シラート」。アラビア語で「審判の日に天国と地獄の上に架けられる細い橋」を意味するらしい。つまり、死んだ人が集う場所から、それぞれが天国に行くか地獄に行くか、いったいどうやって決まるのか。それ...