
舞台は4世紀のエジプト、身分の違う恋愛とくれば「アイーダ」を思い出す。また遊女が真実の愛に目覚めながら死んでいくフランス物、となれば「椿姫」を思い出す。だが「タイース」はこのどちらとも違うストーリーである。それどころか本作のテーマである「キリストへの愛」は、そのどちらの作品よりも深い。であるにもかかわらずオペラとしての人気はこれらの作品には及んでいない。その原因はもしかすると、音楽的な完成度の差にあるのだろうか・・・。
「タイースの瞑想曲」は第2幕の間奏曲である。コンサートマスターが立ち上がり、見事なソロを奏でると熱狂的なブラボーに包まれる。盛大な拍手。このようなシーンは非常に珍しい。その間に舞台裏は次の場面の準備中だ。カメラは両者を巧みに切り替え、音楽の緊張感を失わせずに舞台裏をのぞく。甘美なそのメロディーは、それだけでこの作品が後世に残る理由となっているが、実はここのシーンが全体の折り返し地点である。この「瞑想曲」を境にした二人の主人公の心理的変化(トランジション)こそ、本作品の見どころだと主役を演じたルネ・フレミングは案内役のプラシド・ドミンゴに話す(第2幕後の映像)。
標題役を歌うフレミングが、全編にわたって次から次へと歌うのが本オペラの醍醐味である。もちろん相手の修道士アタナエルを演じるトマス・ハンプソンを忘れてはいけない。だが、このバリトンとソプラノの組み合わせこそが、この作品に暗示された行方を物語る。つまりこの二人は別々のところ(修道院と娼館)から来てめぐり合い、心理的昇華のプロセスを経てそのまま別の方向へ進んでしまうのである。
あの甘美なメロディーはキリストへの愛と現世の欲望の間を揺れ動く心理がそのモチーフだと言われる。だが全体的な印象としては、人間性の複雑な矛盾がもたらす悲劇というものを描き切ってるというほどではない。またベルカントオペラのように歌唱の妙味に酔うわけでもない。
これはこのプロダクションの問題か、作品そのものの問題か、よくわからない。けれども、ときおり音楽の美しさにうっとりとするのはやはりオペラ醍醐味であろうし、指揮者のヘスス・ロペス・コボスがしっかりとした指揮を司っているからだろうと思う。
Met Live Viewingならではの舞台裏へのアプローチは、本作品ではとりわけ効果的である。これは場面展開が多いからだ。ドミンゴによる主役二人へのインタビュー(は舞台裏で行われる)に加え、瞑想曲のソロを演奏した中国系アメリカ人のコンサートマスター、それに衣装を担当した女性にも焦点があてられる。フレミングはこの役のために特にデザインされた6着もの衣装を次々着変えながら登場するのだ。
第2幕でのニシアス邸での踊りや歌のシーンも面白いが、第3幕の砂漠を放浪する二人と、修道女となって入って行く別れのシーンは胸を熱くする。修道士アタナエルの強い信仰心によって修道女になることを決意したタイースは、改心して苦行に励み体を壊す。死の淵にある彼女のもとへアタナエルは何とか現れ、もはや彼女に恋をしてしまったことを打ち明ける。だが彼女はすぐに死に絶え、二人が結ばれることはついにない。ややもすれば荒唐無稽なストーリー一歩手前だが、テーマになっていることは深い、と出演者が声をそろえている。
巧みなカメラワークとオペラ全体を表現した見事なビデオ演出によって、この作品は一定の見ごたえを持つに至った。最初フランス風の音楽が平板で中音域中心の歌にも飽きそうなところだったが、意外にもはじめて触れた作品に新たな発見をし続けた3時間半だった。
※本作品が収録されたのは2008年12月20日だそうである。私はこの時、入院中で大変な闘病のさなかにあった。そういう意味でも感慨深く観た。
※※ここのところ、本作品は数多く上演される傾向にある。かつての名演奏としてせいぜいマゼール盤が有名だったが、最近はノセダ盤(トリノ歌劇場)、それにヴィオッティ盤(フェニーチェ座)などがあるようだ。このメト盤も出ている。
(2011/08 東劇)
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