2024年9月30日月曜日

第2018回NHK交響楽団定期公演(2024年9月28日NHKホール、尾高忠明指揮)

この曲が演目に上れば演奏が誰であれ聞きに行こう、と思う曲がいくつかある。私にとってチャイコフスキーのバレエ音楽「白鳥の湖」はそのような曲のひとつである。このたび新シーズンの幕開きとなるNHK交響楽団のC定期公演に、この曲が掲載されていたのを発見したのは、つい先日のことだった。しかもプログラム前半には、同じチャイコフスキーの「ロココ風の主題による変奏曲」が演奏される。ここでソリストを務める首席チェロ奏者の辻本玲の、私はファンである。そういうことからこのコンサートに行くことに決めた。

今年の夏は例年にない猛暑で、しかもそれが9月に入っても続くという異例のものだった。クラシック音楽というのを、私は暑い日に聞こうとはあまり思わない。特にこれはヨーロッパの文化であって、その気候風土は地中海性のそれである。空気は乾燥し、冬は寒い。寒い日にゆっくりと耳を傾けることで、例えばブラームスの響きが堪能できる。少なくとも私はそう感じている。

だから今年の9月は、なかなか音楽会に行く気にはなれず、しかも体調を壊したこともあって咳がひどく、これでは公演の時間を静かに座っていることも困難な状況だった。唯一、前もって買っていた東京フィルの定期(ヴェルディの歌劇「マクベス」)も、東京に住む甥に譲る羽目になった。このまま猛暑が続けば体調は回復せず、音楽を聞く気もしないままではないか。そうするともう9月末だというのに、N響定期も危ないな、などと考え始めていた。

しかし何とか猛暑も落ち着いて体調も少しは良くなり、2日目の公演に間に合うこととなった。もっともこの日のチケットは相当数が売れ残っていたから、私は迷わず1階席を買い求めた。指揮は正指揮者の尾高忠明である。1階席とは言っても端っこの方だから、オーケストラを後から見る感じ。ただ前から3列目というのはとても迫力がある。頭上にはパイプオルガンがそびえている。

NHKホールの舞台は、いつからか前面に拡張されて広くなっているにもかかわらず、オーケストラは奥に配置されて舞台の前が大きく開いている。どうしてこういうことになっているのかよくわからない。しかも「ロココ」のような小規模な作品では、さらにオーケストラがこじんまりとしており、大きすぎるホールにやはりそぐわない。辻本玲はチェロを携えて指揮者とともに登場、ゆっくりと、そしてたっぷりとした演奏が始まる。

8つの変奏から成るこの曲は、チェロと管弦楽のために書かれた数少ない作品のひとつだが、演奏時間は20分足らずと短く、有名である割には実際に演奏される機会は多くない。主題が次々と変奏されてゆくのを真横から見るのは悪くないが、辻本のチェロは、その体格のように恰幅のいい演奏で、健康的で若々しく鳴りっぷりがいい。だからかもしれないが、とても充実した印象を残す。彼はいつもチェロ・セクションの最前列で大きく体を揺らしているが、これはテレビで見ても印象的で、その演奏を間近で楽しむことができた。アンコールはカタロニア民謡「鳥の歌」。この曲もチェロの代表的小作品だが、それをオーケストラの弦楽メンバとともに演奏した。定期公演とはいえ、ソリストが身内ということもあるのか、あるいは指揮者が長年に亘って関係を築いてきた日本人からか、どことなくリラックスした雰囲気を感じる。しみじみといい時間が流れた。久しぶりに聞く実演、そして音楽好きだけが会場にいるという安心した雰囲気に嬉しくなった。

N響は何年か前、ソヒエフの指揮により「白鳥の湖」を演奏している。私はこの時も勇んで出かけ、大いに感動したのだが、今回はその時とは異なり、演奏される曲はオリジナルの順である。ソヒエフは独自に曲順を変えて、それはそれで面白かったが、今回はむしろストーリー性を重視したということか。ただ主要な音楽、特に後半に続くダンスの数々は、この曲の最大の聞き所で、管弦楽曲を聞く魅力を伝えて止まない。尾高が指揮棒を持たずに演奏を始めると、舞台の並んだオーケストラからとてつもないボリュームの音楽が流れ出した。

尾高の指揮で聞くシベリウスやエルガーを、私はこれまでに何度か聞いているが、その醒めた、ややシニカルな演奏とは対照的である。最近大フィルで聞いたブルックナーなどもそうだったが、最近の尾高の音楽は、どこか吹っ切れたようにとても迫力に満ちている。そして今日のチャイコフスキーも、まさにそうだった。広いNHKホールの奥にまで音楽を届けようとすると、あのような音量になるのかも知れないが、その結果、ややバランスを欠いていたような気がする。少なくとも前から3列目の私には、ちょっと音圧が大きすぎた。ソヒエフなら、このあたりのバランスは天才的で絶妙である。

しかしそのようなことは、いわゆる「贅沢な苦言」であって、演奏そのものの素晴らしさは、ソリストとして時に会場の視線をくぎ付けにするコンサートマスターの郷古廉を始め、トランペット(彼はソロ部分で起立して演奏したので、私の位置からも良く見えた)、そして大活躍のハープと、絶好調のN響の音を堪能することができたのは言うまでもない。それにしても「白鳥の湖」は、チャイコフスキーが作曲した作品の中でもメロディーの素敵な曲のオンパレードである。チャイコフスキーには時に大変平凡な作品も多いのだが、チャイコフスキーにしか表現できないようなものが沢山ある。そして「白鳥の湖」の音楽は、充実した大音量のワルツや踊りの音楽が目白押しで、飽きることはない。次から次へと繰り出される音楽に興奮し、酔っていく。技量の高いプロのオーケストラが、バレエ音楽を真面目に演奏するという贅沢さ!管弦楽を聞く醍醐味を感じる。

ため息が出るような、あるいはあまりのメロディーの美しさに涙さえ禁じ得ない瞬間を何度も経て、1時間余りにわたる演奏が終わった時、3割程度しか埋まっていない客席からは、大きなブラボーが飛び、さらにそれがオーケストラの退場後も続くこととなった。ソロ・カーテンコールに登場した指揮者とコンサートマスターは、舞台のそでで遠慮がちに挨拶をした。前日のコンサート(第1日目)にはテレビ収録があったはずである。おそらくもう少しバランスのいい音量で、この演奏が聴けるのではないかと今から待ち遠しい。

2024年9月8日日曜日

過去のコンサートの記録から:オッコ・カム指揮ヘルシンキ・フィルハーモニー管弦楽団(1982年2月8日、大阪フェスティバルホール)

コンサート・プログラム
記憶が正しければ、1981年末に朝比奈隆指揮大阪フィルの「第九」を聞いたその翌年、すなわち1982年は高校入試の年だった。大阪府の高校入試は私立・公立とも3月に行われていたから、2月とも言えばもう直前の追い込みの時期である。ところがどういうわけか私は、この頃に生まれて初めてとなる来日オーケストラの公演に出かけている。それも同じクラスの友人を誘って。

北欧からヘルシンキ・フィルが来日し、我が国でシベリウスの作品を取り上げる全国ツアーが開催されたのだった。これは第10回TDKオリジナル・コンサートという、実に1971年から続く来日オーケストラ公演シリーズの10周年で、当時は民放FM局に同名の番組があって、NHKとは一線を画したクラシック番組としてなかなか楽しい番組だった。この番組は、来日した演奏家や当時の日本人演奏家によるコンサートの収録が主な内容で、調べたところによると1987年に終了しているようだが、コンサートはその後も「TDKオーケストラコンサート」として続けられている。

来日公演のライブ録音盤
1882年にロベルト・カヤススにより設立された北欧で最も古いオーケストラは、この年創立100周年、そして数々の初演を行ったシベリウスの没後25周年という節目だったようだ。この時の来日では当時の首席指揮者オッコ・カムと、我が国のシベリウスの第一人者渡辺暁雄が担当した。プログラムによれば公演は東京厚生年金会館、大阪フェスティバルホール、それに福岡サンパレスの3か所で、3日間で交響曲全曲演奏となる(これはTDKの主催公演の話で、これ以外にも全国各地で公演を行っているようだ)。これらはすべてPCM収録され、番組で放送された。私がでかけた公演は、このうちの大阪のもの(2月4日)で、交響詩「フィンランディア」、交響曲第5番、それに交響曲第2番という、もっとも有名な曲の組み合わせだった。とはいえクラシック音楽を聞き始めた中学生にとってシベリウスの音楽は未知なもので、特に第5番などは一度も聞いたことがなかった。それよりも初めて聞く外国のオーケストラがどのような音を出すのか、興味津々だった記憶がある。

カム指揮BPOのCD
オッコ・カムは当時まだ30代の気鋭の指揮者で、しばしば日本も訪れていたようだが、何と言っても第1回カラヤン・コンクールの覇者として知られていた。このシベリウス・チクルスはいまでも語り草となり、この時の録音はCDにして発売されている。しかしまだコンサート2回目の私には、実演でオーケストラを聞くこと自体に興奮し、演奏自体はほとんど記憶が残っていない。私は受験を控えていたというのに、このコンサートで演奏される曲を何度か聞き通した。我が家にあったカラヤン指揮フィルハーモニア管による疑似ステレオ盤が、交響曲第2番を収録していた。この演奏は再生装置が貧弱だったせいか、ひらべったくてまったくつまらない印象でしかなかった。カムがベルリン・フィルを指揮したレコードも発売されていた。私はそれを聞くことはできなかったが、おそらく彼がベルリン・フィルにの残した録音はこれ1曲だけである。それは今では簡単に聞くことができる。若々しい演奏である。

TDK音楽テープの広告
当時のプログラムが今でも手元にある。曲目や指揮者の解説だけでなく、北欧の音楽、しかもフィンランドのそれについて小さい字で詳しく書かれ読みごたえがある。ピアニストの館野泉が文章を寄せ、10年間のこの番組の全放送記録も掲載されている(小澤征爾が日フィルを指揮していたり、若い内田光子がソリストとして登場していたりと興味は尽きない)。そして広告にはTDKの音楽用カセットテープのラインナップが出ているのは大変懐かしく、そういった広告も含めて過去のプログラムというのは味わい深いものだと思う(買う時は高く閉口するのだが)。

実際のコンサートでは、初めて聞く外国のオーケストラに興奮したが、その技術的な水準はそれほど高いとは思わなかった。ただご当地の音楽というだけあって、その表現は堂々としたものがあり、私を一定の感動に導いたのは確かであった。私は、このコンサートが放送された際に、もちろんエアチェックしてカセットテープに保存した。そして初めて聞いたシベリウスの音楽に親しみを持つことになったのだから、このコンサートの企画は成功したと言える。極東の若き学生に、初めて実演で母国シベリウスの音楽を届け、彼をその音楽好きにさせたのだから。

私にとっての第2回目のコンサートは、このようなものだった。ただ私はそれから40年以上が経過した今でも、フィンランドという国を知らない。シベリウス以外の音楽もほとんど知らない。カムという指揮者は、今でも存命で時に演奏会に登場しているようだが、私はあれ以来、一度も彼の指揮する音楽に接してはいない。フィンランドという国は、私にとっていまだに遠い存在である続けているということかも知れない。

2024年8月27日火曜日

過去のコンサートの記録から(プロローグ)

私はこれまで、計392回のクラシック音楽演奏会に出かけている。これは、仕事や家庭を持つ一人の音楽ファンとしては多い方だと思うが、経済的、時間的なゆとりのある方や、音楽関係者と比べるとけた違いに少ないだろう。人生最初のコンサートが1981年のことだったから、42年間に年平均9.3回という計算になる。このブログを書き始めたのが2012年のことで、それ以降の演奏会については詳細な感想を記してきた。またオペラについては、それ以前に見た公演を思い出しながら記述をした。残る1981年から2012年の間の約30年間のコンサートについては、良く覚えているものもあれば、記憶にないものもある。しかし私は、それこそ最初から誰の演奏で何という曲を聞いたか、最小限の記録をしてきたので、ある程度振り返ることができる。いつかやろうと思っていたことを、ここで一気に記しておきたい。

だがその前に、自分のお金で出かけた最初のコンサート(1981年12月)までの音楽体験について、思い出しながら少し書いておこうと思う。

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特に音楽家の家系でもない私の家に、祖父母が所有いていたVictor製の古いステレオ装置があった。独立した2台のスピーカーとターンテーブル、アンプ、チューナーが一体型になった、割に大きなものだった。ここで聞けるのは、SP、EP、それにLPのアナログ・レコードだった。SPレコードには江利チエミの歌謡歌や軍歌、さらには柳屋小さんの落語などがあったように記憶している。78回転という高速で回るレコードは重く、しかもわずか数分で片面が終わり、盤面を裏返す必要があった。

音声は当然ノイズを伴ったモノラルで、当時の水準からしても古色蒼然としており、これをじっくり聞く気はしなかった。むしろ私はドーナツ盤のレコードを買ってもらって、「帰って来たウルトラマン」や「NHKみんなのうた」のような音楽を聞いていた。まだ幼稚園の頃だったと思う。小学生になって私の通う地元の小学校には各教室に、簡易なポータブル式のレコードプレーヤーがあった。休み時間になると奪い合うようにしてこれに群がり、当時流行していた「黒猫のタンゴ」などを聞いたのを覚えている。

これらはいずれもクラシック音楽ではない。最初のクラシックの経験は、その小学校1年生の時、猛暑の体育館で聞いた地元のオーケストラの演奏だった。初めて聞く生の音楽に、私はとても興奮した。この時聞いたモーツァルトの「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」が、記憶に残る最初の西洋音楽体験だった。

クラシックのLPレコードは、我が家にも数枚あった。けれども、それらを再生する装置がなかった。ある時それらのレコードを、満足いくステレオ装置で聞いてみたい、と父は考えた。確か私が9歳の頃、最新のVictor製コンポが我が家に届いたのだ。出入りしていた日立のショップにたのんで組んでもらったようだった。だが私は、それに勝手に触れることを禁じられた。盤が汚れたり、針が痛むことを恐れたのだろう。仕方がないので親に頼んで「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」のレコードをかけてもらった。するとそれまで聞いたことのない生々しい音楽が流れ出てくるではないか!これが最初の録音メディアによる音楽体験で、演奏はゲオルク・ショルティ指揮ウィーン・フィルのドーナツ盤だったということがわかっている。

剛直にしてしなやかな音楽は、私を一気にクラシック好きにした。そこでもう少し長い曲を聞いてみたいと思った。クラシック音楽は一般に長く、1時間にも及ぶ曲を物音立てず静かに聞くものだ、という観念があって、それでも飽きない音楽とはいったいどういうものだろう、と思った。私は一枚のLPをリクエストした。それはベートーヴェンの「英雄交響曲」で、ジャケットには田舎を散歩するベートーヴェンの険しい表情が描かれていたように思う。演奏はブルーノ・ワルター指揮コロンビア管弦楽団。そしてこれを最後まで聞き通したのだった。小学校3年生の時だった。この演奏(というか曲)は私を一気にクラシック好きにした。今でもCDで買いなおすなどして手元に持っている。ただ録音のせいか、再生装置のせいか、平べったい印象の演奏で、何か感動したというよりは50分にも及ぶ曲(しかも「エロイカ」)を最後まで聞いたという優越感に浸っていたように思う。

私が音楽を聞いて喜ぶのを見て、母は私を初めての演奏会に連れて行ってくれた。それは彼女もかつて歌ったことのあるアマチュア・コーラスが合唱を務めるベートーヴェンの「第九」で、外山雄三が指揮する大阪フィル。この時初めてコンサート・ホールというところに行って、長時間静かに座っているという経験をしたことになる。何やらわからないまま終わったが、最後に大きな拍手に包まれた演奏だったことを覚えている。年末と言えば「第九」、「第九」といえば年末で、大阪でも数多くの「第九」演奏会が催されていた。中之島にあるフェスティバルホールからの帰り、北新地から曽根崎まで歩き、美味しい中華料理を食べた。たしか小学校5年生くらいだった。

この頃になると自由にステレオ装置を触ることができたから、私は家にあった数十枚のレコードから、モーツァルトやベートーヴェンの交響曲を中心に、様々な曲を聞いていった。モーツァルトはジョージ・セル指揮クリーヴランド管弦楽団による質実剛健そのものの演奏、ベートーヴェンは第3番(ラファエル・クーベリック指揮ベルリン・フィル)、第4番(オットー・クレンペラー指揮フィルハーモニア管)、第5番(アルトゥーロ・トスカニーニ指揮NBC響)、それに第9番(ウィルヘルム・フルトヴェングラー指揮バイロイト祝祭管)、ベルリオーズの「幻想交響曲」(シャルル・ミュンシュ指揮ボストン響)といったものである。

中学生の私はラジオを聞くことを趣味にしていたから、クラシック音楽の多くはFM放送で楽しむことが多かった。今とは違い、それこそ一日中クラシック音楽の番組を放送しており、民放にもクラシック音楽の番組があった。カール・ベームの「ジュピター交響曲」を土曜の朝の民放FMで聞いて興奮してしまい、学校に行っても音楽が耳から離れることはなかった。

中学2年生になったとき、1年間の米国滞在を終えて帰国した父親のスーツケースの中から、当時発売されたばかりのレナード・バーンスタイン指揮ウィーン・フィルによるベートーヴェン全集の10枚組LPがどかんと入っていた。すべてライブ録音されたこの全集こそ、私を決定的にクラシック好きにした。当時、友人が毎日のように我が家へ遊びに来ていたから、彼らにも片っ端から聞かせてはカセットにダビングして手渡した。演奏による音楽表現の違いを味わうようになったのも、このころからである。そして当時の友人を誘い、小遣いをはたいてとうとう実際の演奏会に足を運ぶことにした。と言ってもそれほど選択肢があるわけでもなく、郊外に住む私の家から会場まで一時間以上かかるから、演奏会が終わるとまっすぐに帰って来る必要があった。

私はどういう演奏会がいいか考え、そして無難な選択をした。当時我が家に来ていた新聞広告を見て、年末恒例の「第九」の演奏会の学生券を購入することにしたのである。演奏は朝比奈隆指揮大阪フィル。地元のショッピングセンター地下に新しくできたプレイガイドで、そのチケットの一番安い席を買い求めた。たしか3000円だった。当時の大阪フェスティバルホールの2階席最後列は、ティンパニーの音が視覚よりずれて聞こえるような遠い席であるのもかかわらず大勢の人がおしかけ、私の隣に陣取っていた数人の学生と思しき太った男が、コーダが終わると一斉に「ブラボー」と叫んだ。これは少し不自然な感じがした。演奏会はワーグナーの楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」から第1幕への前奏曲に始まり、アンコールには残った合唱のみで「蛍の光」が歌われた。高校入試を間近に控え、暮も押し迫った12月30日のことだった(注)。

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(注)この演奏会、1981年だと思っている。しかし、Webで検索しても当時の演奏会に関する情報は今のところ得られていない。私にできる唯一の方法は、大阪フィルへメールを出して、当時の第九の演奏会情報を検索してもらうことである。だが、もはやそれはどうでもいい気がしている。私は1980年代の前半の中学生時代に、朝比奈の指揮する年末の第九の演奏家に行ったことは確かであり、それは私が初めて自前でチェット購入した演奏会だった。

2024年7月18日木曜日

「映像の世紀」コンサート(2024年7月15日大阪フェスティバルホール)

NHKの人気ドキュメンタリー番組「映像の世紀」が放映されたのは、いまからもう30年程前の1995年ことだそうだ。私はこの年アメリカに住んでいたから見ることはなかった。しかし、この番組は好評を得て何度か再放送されているだけでなく、続編も制作され、現在は「バタフライエフェクト」と名付けられた新シリーズが毎週月曜日の夜、放送されている。私は「酒場放浪記」を見た後、この番組を見るのが月曜日の日課となっている。

「映像の世紀」の音楽を担当したのが、私と同郷の作曲家、加古隆である。この番組のテーマ音楽「パリは燃えているか」で大変有名になり、その他に映画やテレビ・ドラマの音楽も数多く手掛けている。東京芸術大学を卒業し、パリ国立高等音楽院で学んだという経歴は、作曲家として申し分のないことだが、その彼が私と同じ高校の出身であることを知ったのは、実は最近のことだった。先輩にそんな卒業生がいるというなら一度は聞いてみたいと思っていたところ、何とその名のコンサートのチラシが、いつも音楽会の前に配られる大量のそれらに混じっていたのである。東京公演の指揮は秋山和慶で、舞台には大型スクリーン配置され、映像も上演される。

私はこのコンサートのチケットを買おうと「ぴあ」にアクセスしたものの、何と売り切れだった。クラシック音楽のコンサートで発売と同時に売り切れになることは稀で、そんなに人気があるのかと思っていたら、同じコンサートが大阪でも開催されることが判明、しかもそちらのチケットに当選してしまった(購入する権利を得た、というだけのことである)。大阪公演の指揮は沼尻竜典、管弦楽は大阪フィルハーモニー交響楽団である。どちらの公演も指揮者、オーケストラとも贅沢な布陣である。もちろん作曲の加古は、ピアニストとして演奏する。さらには元NHKアナウンサーの山根基世がナレーションを務める、とある。テレビのドキュメンタリーと同じである。

大阪に帰省するなら家族や友人も誘おうと声をかけ、改装されたフェスティバルホールに出向いたのは公演2時間前の13時頃だった。久々に会う友人と遅い昼食をすませ、懐かしいホールへと向かう。私が初めて聞いたコンサートが、このフェスティバルホールだった。まだザ・シンフォニーホールが完成する前の大阪で、数々の語り草となる大阪国際フェスティバルを開催する場所として、このホールがあった。もっともクラシック専用ではない多目的ホールではある。だが響きは悪くない、というのが印象だ。ここでバーンスタイン指揮イスラエル・フィルとか、マゼール指揮フィルハーモニア管といった来日オーケストラを聞いている。

「映像の世紀」で流れた数多くの作品が映像とともに演奏された。この番組のダイジェストとも言えるような編成は、世界最初の映像であるフランスのリュミエール兄弟らによる映像でスタート。帝国の崩壊、二つの大戦へと続く歴史が白黒フィルムで蘇る。音楽は映像に合わせて変化し、時々様々なバージョンによる「パリは燃えているか」が挿入される。いつものように帽子をかぶる加古は、なかなかのピアノを聞かせるが、単なるムード音楽ではなく、かといって純粋なクラシック音楽でもない。ジャズの影響もあり独特の雰囲気を醸し出している。

この映像を見ていると20世紀というのは、熱狂と殺戮の歴史であったことがよくわかる。テレビ番組同様、ナレーションの内容がやや安っぽいが、それよりも当番組の主役は何と言っても映像そのものである。テレビ番組同様、映像から音声が流れることはない。淡々と進む音楽と映像に見とれていたら、「第3部ヒトラーの野望」が終わったところで早くもインターミッションとなった。オーケストラの音量はPAによるもの、すなわち拡声器によって増幅されているが、これが好き嫌いの分かれるところだろう。演奏中、舞台は譜面台の上を除いて消灯、指揮者とピアニスト、それに舞台右袖にいるナレーターのみにスポットライトが当たっている。スクリーンを見やすくするためだが、雰囲気は出ていて通常のコンサートとは一味違う。

第2次世界大戦の終わるところにさしかかったところで、オーケストラは不協和音を奏で、なにやら不安な音楽が続いた。この時映像は流れず、いわば間奏曲のような部分で聴衆の想像を掻き立てる演出(オペラでもよくある)なのかと思っていたが、あとでマイクを持った加古が、ここで映像にトラブルがあったと話し、そのシーンのみを急遽やり直すというハプニングがあった。映像なしと映像付きと、2回この音楽を聞いたのだが、映像に付けられた音楽はより説得力を増していることが分かった。このシーン、広島の原爆が炸裂する最も重要なシーンだったのだ。

映像が次第にカラーとなり、冷戦やベトナム戦争の悲惨なものがさらに生々しくなってゆく。大戦が終わっても平和は訪れず、人類はただ同じことを繰り返している。戦争の映像に死体もそのまま映し出されるのは、テレビ番組と同じポリシーであり、そのことをとやかく言わない。音楽はやや情緒的であるが、これは陰惨なテレビ映像を中和するのに役立っていると好意的に解釈している。そして21世紀になってもなお、人類は戦争をやめていない。ウクライナやガザでの惨劇は現在進行形のものだ。映像は綺麗なHD仕様になっているが、映し出される人間の怯えた顔、泣きわめく女性や子供の顔は、100年前に撮影されたモノクロ時代のものと何ら変わっていない。

音楽を楽しむコンサートというよりは、映像で見る20世紀の戦争と動乱の歴史に焦点を当てざるを得ない。いやそのことがむしろこの演奏会の趣旨でもあるのだろう。余計なものを挟まず、淡々と100年余りの映像がダイジェストで流れた。アンコールに演奏されたのは最新のシリーズ「バタフライエフェクト」からのもの。蝶の羽根のような微弱な羽ばたきでも、それが重なり、大きくなれば世界を動かす力になる。そういうメッセージが込められていた。

2024年7月16日火曜日

日本フィルハーモニー交響楽団第762回定期演奏会(2024年7月12日サントリーホール、広上淳一指揮)

日フィルの定期会員になって最後のコンサートに出かけた。7月12日のプログラムは、前半にリゲティのヴァイオリン協奏曲、後半にシューベルトの「グレート・シンフォニー」、ヴァイオリン独奏に米元響子、指揮が広上淳一である。

リゲティのヴァイオリン協奏曲は見るからに難曲だが、この曲を実演で聞くのは昨年の3月に続いて2回目である。この時の独奏はモルドバの奇才パトリツィア・コパチンスカヤで、その演奏は聞くものをどこか違う世界に導くような演奏(というか演技)だった(https://diaryofjerry.blogspot.com/2023/03/)。昨年はそのリゲティの生誕100周年だったこともあってこの曲がしばしば上演されることとなったようだ。今回の米元響子による演奏もまた、以前から計画されていたとのことである。しかしコロナ感染症の影響で中止されてしまった、と開演前のプレトークで広上は語った。

米元響子は数々のコンクールに入賞した桐朋学園出身のヴァイオリニストで、現在はヨーロッパで生活しているようだ。その彼女が今回の演奏を希望したのは、すでにこの曲を熱心に練習し、初演したヴァイオリニスト、サシュコ・ガヴリロフにまで教えを乞うため、わざわざ出向いて行ったということのようである。そういう事情を知った広上は、この曲の演奏がすこぶる難しい曲であるにもかかわらず、再度プログラムに載せることにしたと話した。そしてあの自由奔放な第5楽章のカデンツァは、この初演時のガヴリロフのものを弾くとの触れ込みだった。

舞台に多数の打楽器と、まるで室内楽のような必要最低限の弦楽器の椅子が配置されていた。そこへ係員がとても分厚く、しかも譜面台を大きくはみ出すほど大きな楽譜を持って現れ指揮台に置いた。やがて木管楽器奏者が出てくると、彼女はわざわざ3つの楽器(2種類のクラリネットとリコーダー)を見えるように最前列を回って着席。特徴的な楽器として、このほかに3つのオカリナやホイッスルまで登場する。

米元のヴァイオリンが、まるでチューニングのように始まった時に、その音色の豊かさに驚いた。さらには広上の指揮が、この曲を知り尽くしているかのように自然にこなれているのを見て、昨年聞いた時の印象と随分違うことに気が付いた。まるで別の曲を聞いているようだった。いやむしろ昨年のコパチンスカヤは、その派手な衣装や振舞いに目を奪われて、音楽そのものへの集中力を欠いていたのかも知れない。音楽の表現は、このように多彩であり正解がない。

ミニマル音楽のような第1楽章、暗い第2楽章、奇妙な感覚にとらわれる第3楽章と進む間、私はしばしば襲われる睡魔に出会うことはなかった。それどころか、この1990年に作曲された現代作品が、すでに聞き古された音楽のように思えてきたのだった。ユダヤ人として家族の多くを収容所で失ったリゲティの音楽は、決して楽しいものではない。かといって陰鬱、あるいは厭世的といった常套的形容詞で語られるような単純なものではなく、どこか無機的に響きながらも時に鮮烈である(第4楽章のエンディング)。このような不思議な感覚は、変則的な調弦や分散和音といった音楽技法を駆使した結果で、独特の浮遊感や無常観を表現することに成功している。

30分ほどの曲の最大の見せ所は第5楽章のカデンツァだが、ここでの米元は実に鮮やかだった。いや彼女の独奏は全体に亘ってとても落ち着いたもので、広上のサポートに支えられて見事な完成度だったと思う。まるで弾きこなした曲のように軽々と演奏し、聞きならされたように聞こえ、古典作品のようでさえあった。会場は5割ほどしか埋まっていなかったように思われたが、盛大な拍手に応えて彼女は、クライスラーの「レチタティーヴォとスケルツォ」を演奏した。聞いた席が良かったからかも知れないが、音楽がとても豊穣に聞こえた。米元のヴァイオリンは、とても聞きごたえがあると思った。

休憩時間を挟んで演奏されたのは、シューベルトの大ハ長調、いわゆる「グレイト」と呼ばれる交響曲である。この作品は「天国的に長い」と言われる。どういう意味だろうか。私はまだ天国というところに行ったことがないのでわからないが、まるで天国にいるように幸せな時間が長々と続くという意味だと考えている。今一つの解釈は、天国というところが退屈なところだとするものだが、私はこの曲を退屈だと思ったことがない。いや演奏によるというのが正しいが、いい演奏で聞くと「いつまでも聞いていたい」という錯覚に捕らわれる。どちらにも成り得る要素を秘めた曲だから「天国的」と言ったのだろう。さすがシューマンである。

さて私は、これまでサヴァリッシュ指揮N響の名演でこの曲に開眼し、ミンコフスキのリズミカルな演奏で「グレイト・シンフォニー」の大ファンになった。以来、機会があるたびに演奏会に足を運んでいるが、ベートーヴェンの「田園」のように、誰がどう演奏しても素晴らしい曲として、この「グレイト」を挙げることができる。そしてこのたびの広上淳一による演奏は、このかつての名演奏に勝るとも劣らない感動を私にもたらした。第1楽章の冒頭から丁寧で確信に満ち、決して細部をおろそかにしない真面目な指揮は、一見ひょうきんな姿に見えることも多いが、今日の演奏からはそう感じることは少なく、むしろどの一音をとってもこうでなければならないという音へのこだわりが、逐次追及され、実現されてゆくまさにその有様が目の前に展開されていくのだった。

第1楽章のコーダでテンポをぐっと落とし、大見得を切ったかのような作戦に出たことが良かった。オーボエとクラリネットを代表とする管楽器の安定感も絶賛したい。ホルンのふくよかさや弦楽器の豊かな響きは言うに及ばない。それが第2楽章の中間部で鳴り響き、突如訪れる休止。私がブルックナーのさきげけを感じるのはこの瞬間である。

もっとも嬉しかったのは第3楽章のトリオ。ここを丁寧に、できれば少し速度を落としてロマンチックに演奏して欲しいと私はかねがね思っている。クラウディオ・アバドの演奏が、意外にも丁度いい感じで気に入っている。いや本当はもっとゆったりと演奏してもと思うのだが、あまりにやりすぎると大時代的過ぎてしまうのだろう。そういうわけで、感情過多になる一歩手前であることが望ましいのだが、今回の演奏はまさにそのような感じで、この曲がいつまでも鳴っていて欲しい、とまさにそう思ったのである。

おそらく繰り返しを省略していたが、それでも1時間にも及ぶ演奏が終わった時、もうくたくただよ、言わんばかりに少しふらつきながら退場する指揮者に、惜しみない拍手と歓声が送られた。たっぷり2時間のコンサートが終わった。これで今シーズンの演奏会がすべて終わった。梅雨末期の大雨が降るアークヒルズを抜けて家路を急ぐ。公私にわたって忙しかった週末のひととき、ひさしぶりのコンサートが私の心を癒してくれた。

2024年6月27日木曜日

R・シュトラウス:交響詩「ツァラトゥストラかく語りき」作品30(ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団[72年])

クラシック音楽作品には文語体での表現が多い。ヴェルディの歌劇「椿姫」もタイトルからして古風だが(最近では「トラヴィアータ」と原語の名称で表しているのを見かける)、その中のヴィオレッタのアリア「ああ、そはかの人か」というのには私は驚いた。これはあまりにわかりにくいので「あら、あなたなのね?」という表現に変わりつつある。でも、古くから慣れ親しんだ言い方は、そう簡単に変えられるものではない。「タンホイザー」の「夕星のうた」やモーツァルトのモテット「踊れ、喜べ、汝幸いなる魂よ」なども有名だが、もともと聖書と同様、宗教的作品、たとえばバッハのカンタータなどはその宝庫と言える。

でもさすがに20世紀の作曲家シュトラウスともなると、もうこういった古風な表現は似合わないと思うのだが、何と交響詩「ツァラトゥストラかく語りき」は、いまだにこの表現のままである(ひと頃、「ツァラトゥストラはこう語った」という表現に改まった時期もあったが、最近では再び文語調に戻っている)。ニーチェの原作がそのままだからだろうか、それとも文語調で表現した方が格調高く、より厳粛な感じになるからだろうか。明治維新以来、西洋音楽を崇高なものとして輸入したわが国では、このような表現の方が愛好家の自尊心をくすぐるものとして、もてはやされる傾向にあるのが真意かも知れない(ついでながら通はこの曲を「ツァラ」と略して呼ぶ。同様に「ティル」というのもあるが、「ドン・キホーテ」を「ドンキ」とは言わない)。

というわけで交響詩「ツァラトゥストラかく語りき」は、難解なムードと大袈裟なオーケストレーションによってさらに神がかり的になり(もっともニーチェは「神は死んだ」と言ったのだが)、聞いてみると明るい感じがする曲である。実際にはこの作品は、シュトラウスの若い頃、20代の後半に作曲された。当時まだブラームスは健在だったことを考えると、その表現の豊かさ、大胆さには驚かされる。

「ツァラトゥストラかく語りき」はオルガンの低音が静かに鳴り響く中、ファンファーレが勇壮に飛び出し、ティンパニの強打がそれに続く。これを何度か繰り返したあと、爆発的に開始されるのが「導入部」である。この曲はSF映画「2001年宇宙の旅」で使われて大変有名になったため、クラシック音楽に縁のない人でも知らない人はほとんどいない。ところが驚くべきことに、その後の音楽になると有名どころか、まずほとんど知られていないのである。同じシュトラウスの管弦楽曲では、「ドンファン」や「英雄の生涯」のほうが有名であるくらいである。

だがコンサートでまさか「導入部」だけ演奏して終わり、というわけにもいかないので、通常は通して演奏される。30分強の長さの作品は切れ目がなく、「導入部」を含め9つの部分から成っている。オーケストラの編成は大規模で、オルガンのほかにハープや数多くの打楽器、管楽器が使われる。シュトラウスの管弦楽作品の醍醐味が味わえるので人気もあり、録音も多い。

ツァラトゥストラとは「ゾロアスター」のドイツ語読みである。ゾロアスターとは「ゾロアスター教」すなわち古代ペルシャにおける拝火教の始祖である。ゾロアスター教の教義がどういうものであるかは、それだけで大掛かりな読み物になるレベルだが、哲学者のニーチェはこの中に「神の死、超人、そして永劫回帰の思想」を発見し、この書物を書いた。この作品を読んだシュトラウスは、その内容にいたく感動しインスピレーションを得たようだ。おおよそ音楽で表現できないものはない、と豪語していたシュトラウスは、山にこもって知覚したその教えを説くツァラトゥストラの教義のいくつかを選び、それを音楽にした。以上が、もっとも簡潔なこの作品の解説である。

さて。音楽はこの人間主義の賛歌、神からの開放といった近代思想の核とも言うべきものが、音楽で表現されてゆく。様々な要素(調性や楽器、あるいは音型など)が何を意味し、それがどのように展開されてゆくかがこの音楽を解く鍵だが、それには音楽的知識が不可欠である。これは難解であるため、私のような素人はそのレベルに達していない。以下は私の解釈メモであり、間違いや欠陥が存在するかも知れないことをお断りしておく。

1.導入部(Einleitung)または、日の出(Sonnenaufgang)
2.世界の背後を説く者について(Von den Hinterweltlern)
3.大いなる憧憬について(Von der großen Sehnsucht)
4.喜びと苦しみという情熱について(Von den Freuden und Leidenschaften)
5.墓場の歌(Das Grablied)
6.学問について(Von der Wissenschaft)
7.病より癒え行く者(Der Genesende)
8.舞踏の歌(Das Tanzlied)
9.夜のさすらい人の歌(Nachtwandlerlied) 

導入部(日の出)は「自然」、その摂理である宇宙の営みが端的に示されている。これがいかに輝かしいものであるかは、以降の音楽がかすんでしまうほどに圧巻であることから明らかである。すべてに超越したような音楽を冒頭に置いているのは、この作品がバランスを欠いているからではなく、おそらく意図的であると思っている。短い導入部が終わって、オルガンが通奏低音として残る。

続く「世界の背後を説く者について」は意外にも明るい曲で、私は結婚式に似合いそうだと思っていたくらいだが、弦楽器が次第に増してゆくコラールのメロディーである。これはすなわち、キリスト教を意味している。「世界の背後」すなわち「自然の摂理」を支配するのは、キリスト教の神であると皆が信じた。しかし神はは所詮人間が考え出したものだ。自然を支配するのは神ではなく、人間であるという近代の思想が暗示されている。

輝かしい太陽(ハープ示される)に「大いなる憧憬」を抱くのは人間である。この作品では、様々な感情や概念が音楽上の動機(モチーフ)として表現されるというとても野心的な試みがなされている。人間は自然を前に慟哭の情さえ禁じ得ない。「喜び」すなわち「苦しみの情熱」を抱き、それを悪としてきた神に対し、人間の徳がこれに代わると説くのである。

「墓」とはこういう神を創造した旧い人間たちの墓場のことだろう。この墓へ赴き、死んだ人間を蘇らせよう。自然に対する憧れ、恐怖が昇華し最良の形で知性化されたのが「学問」である。学問は人間に勇気を与えた。この学問が病い、すなわち神の思想に支配された人々を目覚めさせる。

学問によって神からの呪縛から逃れようとする近代の人間、すなわち「病より癒え行く者」がたどり着いた泉のほとりで少女たちが踊る。シュトラウス音楽の聴かせ所である。踊りは動きのあるテンポに乗ってやがてワルツとなる。これは「生」の喜びを象徴している。それまでに登場したモチーフが次々に登場し、音楽はクライマックスを築く。様々な楽器が飛び交い、ヴァイオリンやチェロのソロが印象的である。

しかし終曲「夜のさすらい人の歌」は、やや悲観的なムードの曲である。結局、超越的な思想は世間に受け入れられることは難しい。諦めの境地を彷徨いつつ、静かに曲を閉じる。おそらくこの部分こそが、シュトラウスがニーチェに抱いた着想の本質なのだろう(永劫回帰)。

古今東西の様々な演奏がひしめくなかで、ヘルベルト・フォン・カラヤンが指揮した3つの録音が極めてこの作品に合っていると思う。この曲はカラヤンのためにあるのではと思うくらいである。3種類のどれがいいかは難しいが、もっとも古いウィーン・フィル盤が映画に使われたものだそうだ。それに対し、最新のデジタル盤は音質に関する限り最高であるには違いないが、カラヤン晩年の演奏でやや統率力を欠いているという向きが多い。結局のところ70年代の絶世期の演奏は、もっともバランスよくこの曲の魅力を最大限に表現している。

2024年6月14日金曜日

日本フィルハーモニー交響楽団第761回定期演奏会(2024年6月7日サントリーホール、大植英次指揮)

日フィルの定期会員になった今年のプログラムは、いくつか「目玉の」コンサートがあった。この761回目の定期演奏会もそのひとつで、指揮は秋山和慶となっていた。ところが事前に到着したメールを見てびっくり。指揮が大植英次となってるではないか!私の間違いだったかも知れない、といろいろ検索すると、秋山は骨折して療養を余儀なくさせられ、代わって大植が指揮することになったのだという記載にたどりついた。そのうち一枚のはがきが送られてきて、正式にその経緯がわかった次第。

私は大植の最近の演奏をきいておらず、久しぶりに聞いてみたいと思っていた。5月の神奈川フィルの定期を考えたが、こちらは別の演奏会とかぶってしまい断念。またそのうちに、と思っていたらその日が急に訪れた。これはこれで嬉しい。というわけで、梅雨入りが遅れている暑い東京の人混みをかわしながらサントリーホールへと急ぐ。

プログラムは当初と同じだった。前半にまず、ベルクの「管弦楽のための3つの小品」で、これをリーアという人が室内オーケストラ用に編曲した版。これが日本初演だという。大植はこの曲を、楽譜を見ながら非常に丁寧に演奏したと思う。舞台のプレイヤーの人数は、もともとのこの曲の大編成から大幅に減らされているが、それでもそこそこの規模である。20世紀の音楽によくあるように、数多くの種類の打楽器が並んでいる。

どうも私はベルクが苦手である。新ウィーン学派の中ではシェーンベルクが最もとっつきやすく、次がウェーベルン。ベルクは「ヴオツェック」「ルル」といった歌劇作品もあって、この3人の中では音楽のジャンルに幅もあり、もしかすると取り上げられる機会は最も多いのではないだろうか。だが私はこれまで、楽しんで聞いた記憶がない。その前衛性(といっても1世紀も前の話だが)をいまだに理解できていないのだろう。

この日のコンサートのもっとも注目に値する曲は、次のリヒャルト・シュトラウスによるホルン協奏曲第2番だったと思う。ホルン協奏曲と言えば、モーツァルトによる素敵な4つの作品だけがとりわけ有名だが、それから100年以上が経って誕生したシュトラウスのものこそ、その最高峰と言っていいだろう。だがこの曲が演奏される機会は非常に少ない。それはおそらく、この曲が極めて難しいことから、ソリストとして弾ききるだけの(しかもライブで)実力を兼ね備えた人があまりいないからではないだろうかと思っている。このたびソリストとして登場したのは、日フィルの首席ホルン奏者の信末碩才という方。このお名前、「のぶすえさきとし」と読むらしい。プロフィールによれば栃木県小山市の出身で、まだ若いが今や我が国を代表するホルン奏者とのことである。

さてホルンの響きの素晴らしさは当然のこととして、まず私が聞き惚れたのはバックを務める大植指揮のオーケストラであった。このシュトラウスの音楽が、何ともビロードのような響きであったのだ。各楽器が絶妙に重なり合い、調和的な残響を残しながら、あのシュトラウスの豊穣な音楽に艶のある一体感を与えている。中欧の響き、というのはこういう音楽なんだろうか、などと考えた。大植は大フィルの音楽監督を務めていた頃に、あのバイロイト音楽祭で「トリスタンとイゾルデ」を指揮して、この音楽祭に登場した最初の日本人となったが、もしかするとワーグナーの響きを体現する指揮ということで注目されたのではないかとさえ思った次第。大植のバイロイトへの出演はこの時限りとなったが、この響きはその表情を創出する術があるように思えてならない。

ホルン協奏曲はまた、シュトラウスの磨きのかかったメロディーがアルプスの自然を思わせる美しいもので、演奏上のミスがなかったわけではないが、それでも良くこのような曲を人前で弾くなと感心させるに十分なものであった。オーケストラの曲、たとえばワーグナーの楽劇などでホルンの超重要なソロが出てくるときは、聴衆としても大いに緊張するのだが、それはごく短いものである。しかしこの曲では、そのようなシーンが延々と続く。20分足らずの間に、3つの楽章があり、オーケストラの中にも2台のホルンがいて掛け合う。必死に弾く、というわけにはいかず、あくまで難なく演奏しているように流麗に、かつ自然に演奏しなければならないのは超絶的であるとさえ言えるだろう。曲が終わって大拍手に見舞われ、幾度となく舞台に呼び戻されたソリストにとって、この日は忘れられない節目となったに違いなく、だからこそ日フィルの好意的な定期会員は、みな拍手を惜しまなかった。

休憩の後、後半のプログラムであるドヴォルジャークの交響曲第7番が始まった。大植の指揮は、このような中欧の音楽に相応しく、丸で今回のプログラムは彼のために編まれたのではないか、とさえ思った。昨今、ドヴォルジャークであれブルックナーであれ、音型のはっきりとした、鮮明で明瞭な演奏が主流になっている。これはイタリア人指揮者がドイツの名門オーケストラに着任して、その傾向を変えたとも言える。アバドやシャイーといった指揮者の演奏するこれらドイツ伝統音楽に、新しい息吹を吹きかけ、新鮮な側面を打ち立てた功績は大きい。ここにいわゆる古楽器奏法が登場し、ビブラートを抑えたすっきり系の演奏が持てはやされるようになった。

だが大植の目指す音楽は、その対極にあるような気がする。強いて言えば、どこか懐かしい響きなのである。かといってドイツ的なずっしりしたものでもなく、ちょっと軽めのアンサンブルを感じる。今回の演奏では、その様子がよくわかった。ドイツのオーケストラにフランス人の指揮者登場したときの演奏のように、ちょっと艶があり、残響が重なる。残響などは聞いているホールに依存するパラメータであると思っていたが、必ずしもそうではないのかも知れない。

今では独特の演奏とも思えるような大植の音楽は、これはこれで大いに楽しく、そして聞きごたえがあったと思う。もともとブラームスの影響が強かったドヴォルジャークの交響曲である。秋山だっからもう少しメリハリがあって、若々しい演奏になっていたかも知れない。これはおそらく指向する音楽が違うのではないかと思った。大植の指揮で、私はかつて一度だけ、ブルックナーを聞いているのだが、ブルックナーだけでなくブラームスやマーラーの曲も聞いてみたい。そんなことを考えた。

映画:「シラート」(2025年、スペイン・フランス)

「大統領のケーキ」を見た翌日、またもや救いようのない映画を見てしまった。作品のタイトルは「シラート」。アラビア語で「審判の日に天国と地獄の上に架けられる細い橋」を意味するらしい。つまり、死んだ人が集う場所から、それぞれが天国に行くか地獄に行くか、いったいどうやって決まるのか。それ...