ブルックナーは大変嬉しく思ったのだろう。後年、改訂版の自筆譜をマーラーに贈呈したという。その楽譜をマーラーは家宝のように大切にし、一家の財産ともなったようだ。だが、この曲は実際には、ワーグナーに献呈されている。ブルックナーはわざわざバイロイトまで出かけ、ワーグナーに楽譜を見せたらしい。そしてワーグナーはこの曲を気に入ったようだ。それ故に、この曲は「ワーグナー」という副題が付けられることもある。
さてその曲は1時間を超える作品である。どの楽章も同じような感じで、まあブルックナーの音楽はどれもまた同じような雰囲気だから、この曲をめぐる複雑な版の問題を持ちださなくても、まあそういう曲か、という感じで聞き流してしまうということに、私もなっていた。実は私が最初に買ったブルックナーのCDはこの第3番だった。ただし演奏はハイティンクのウィーン・フィルだった(その前にハイティンク指揮のコンセルトヘボウによる交響曲第4番の録音は持っていた。だがそれはカセットテープだった!)。
印象に残っていたのは第3楽章で、何でもハイティンクの演奏では珍しい1877年版というもので、そのコーダ部分がそれまでの多くの演奏と異なっているそうである。だが私はそんなことは知らなかった。この他の楽章は、その当時、ほとんど覚えていないというのが正直なところである。
だが、私はマーラーよりも先にブルックナーに親しんだリスナーである。実演で第3番に接したことはないものの、第4番「ロマンティック」以降の交響曲はすべて聞いているし、そのうちいくつかは個人的に忘れられない名演だった。そういう経験を経たあとでも、この第3番を聞くには、また長い時間を要した。
思い立って夜の町に散歩に出かけ、寒くて人のいない港の倉庫街の中を歩いた。iPodに入れた曲を聞こうと思ってplaylistを探したら、クーベリックのこの曲を入れていたことに気づいた。丁度1時間程度歩く予定だったので、「そうだ、ブルックナー、聞こう」というわけである。このCD(SACD)も何年か前に買ったものの、一度も聞かずにしまいこんでいたもので、こういう機会がないとなかなか聞かないのだが、それにしても忙しい都会生活の中で、ブルックナーをCDで聞くのは私にとってほとんど絶望的な事柄である。
1962年、ミュンヘン・ヘラクレスザールでのライヴという演奏は2005年のリリースで、こんなものがあったのか、というほどに生々しく、熱気に溢れている。若きクーベリックも晩年のゆるい演奏とは異なり、しかもオーケストラが素晴らしく、さらには雑音もほとんど気にならないので、これは放送録音だと思うが、大変良い。ハイティンクのCDから25年が経って、ようやく私は再びこの曲を通して聞くことが叶い、そして散歩がてらとはいえ、誰にも邪魔されることのない時間を過ごした。最初は荒んでいた気持ちも、気がついてみれば静かな興奮に変わり、自宅に戻った時にはいつまでもブルックナー・サウンドが頭に鳴り響いていた。
特に第2楽章の素晴らしさは、今日はじめて知った。これを読んだブルックナー・ファンはお怒りのこととは思うが、これが事実なのだから仕方がない。それだけクラシック音楽というのは、道楽家でなければ時間がかかる趣味だと思う。なお、演奏は1877年版を改定したエーザー版となっている。第3楽章のトリオなどは、ここが一番のきかせどころとばかりに弦を刻む。そういった発見があるにはあるが、それも含めていつ果てるとも無く耳元でなる音楽を、ただ聞いているだけでいい、という究極のBGMと思っている。これこそが、私のブルックナーの音楽との付き合い方である、と今のところは言っておこう。
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私が所有するもう一枚のディスクは、上記でも述べたベルナルト・ハイティンク指揮ウィーン・フィルによる演奏である。この演奏は1988年にスタジオ録音されている。ライブ盤のクーベリックの演奏に比べると、録音が新しい分奥行きがあり、ライブ特有の高揚感も控えめである。しかしブルックナーの場合、落ち着いた演奏で聞きたくなることも多く(特に第2楽章)甲乙はつけがたい。またこのハイティンク盤は、ノヴァーク版第2稿による世界最初の録音である。際立った特徴は第3楽章のコーダ部分が長大で、これはなかなか聞きごたえがあると言える。
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