そう遠くない昔でさえ、ブルックナーとマーラーは単に長い交響曲ばかりを書いた作曲家として一緒に考えられてることがあった。我が国で、いや世界的にも人気が出始めたのは、60年代以降のことで、特にCDの普及が長時間再生を可能としたことが大きかったようにも思う。だがこの二人は、その作風が全く異なる。
詳しいことは音楽の専門家が書いているが、ブルックナーはマーラーよりも年上で、その世界はドイツ・ロマン派の流れの中に位置付けられる。一方のマーラーは、そこから逸脱し、非ヨーロッパ的世界にも通じる作風を打ち立てた。交響曲や既存の音楽の枠組みを進めて、それを壊すきっかけになったという点で、ブルックナーとはまったく異なる世界と考えるべきである。だがこの二人は関係しあっている。マーラーはウィーン音楽院でブルックナー先生の授業に触れた可能性もある。
ブルックナーが活躍していた頃のウィーンを語るには、さらに二人の大作曲家に触れないわけには行かない。ブラームスとワーグナーである。生まれた年代順に考えると、ワーグナー(1813年)、ブルックナー(1824年)、ブラームス(1833年)ということになる。そしてマーラー(1860年)がボヘミアの田舎から出てきた音楽学生だったころ、ウィーンにはこういった大作曲家が活躍し、後の音楽家に影響を与えた。彼らはマーラーよりは一世代上ということになるだろうか。
マーラーの世代は、ワーグナー、ブルックナー、ブラームスらの発展させたドイツ音楽の最先端に触れ、その次の世界をどう構築するかについて悩み抜いただろう。マーラーが最初に交響詩というジャンルとして「巨人」を作曲し、ブダペストで初演をする時には、すでにマーラーらしい作風になっていて、初めて聞くものを驚かせるのだが、そのマーラーとてひとっ飛びに自分の世界を確立したわけではない。若きマーラーに影響を与えた先輩格の作曲家のひとりが、今日聞いたハンス・ロットであり、その代表作が交響曲ロ長調であるらしい。ロットはマーラーより2歳年上で、マーラーがその音楽を大いに評価し、楽譜を借りてまで勉強したようだ。
ロットは20歳の時に交響曲ロ長調を作曲したが、その音楽は尊敬するブラームスに認められず、そればかりか作曲を断念するような忠告をもらったという。これに落胆したロットは、列車の中で発狂し、精神病を患ったあげく自殺未遂をおかす。わずか26歳で夭折した天才作曲家の音楽は、しかしながらマーラーに受け継がれた。その音楽を聞くには、現在出ている数枚のCDに頼ることになる。1989年に世界ではじめて録音されたというから、これは古くて新しい曲だ。最近の録音では、パーヴォ・ヤルヴィがフランクフルト放送交響楽団を指揮した録音が評判だ。
私が聞いたのは1992年の録音になるフィンランドの指揮者セーゲルスタムによるBISへの録音。第1楽章は師匠であったブルックナー風の音楽で、ロマン派のメロディーもゆったりと流れ、少し若々しいが美しい曲である。第2楽章もブルックナー風だが、曲が進むにつてて円熟味が増していくように感じられる。そしてとうとう第3楽章になって、マーラー風の音楽が姿をあらわす。
マーラーがこの楽章から影響を受けたのは、特に明らかである。そのメロディーがマーラーの交響曲第2番「復活」の第3楽章(スケルツォ)の後半部分と明らかに似ている。また同じ楽章の最終部分は、やはり「復活」の最終楽章、舞台裏から聞こえる金管のコラールに酷似している。この他にも、どこの部分がどこに似ているかという発見は、スコアが読めれば限りなくあるのだろうと思われる。それにしてもこの第3楽章は15分足らずの曲ながら、その管弦楽の素晴らしさに圧倒的に興奮させられる。
しずかに始まる第4楽章は、再びブルックナー風と言えるかも知れないが、その最終部分に至っては、ワーグナーの影響が見て取れるようだ。全体で60分を超える大作だが、何かと聞きどころが多いという点でつとに飽きることがないほどに面白く、また不遇の作曲を思うとまたいろいろと考えさせられる曲でもある。特に後半の2つの楽章は、それだけで恐ろしく充実しているというべきだろう。
ワーグナー、ブルックナー、それにブラームスの世界をマーラーに引き継いだ作曲家だったロットは、精神病のためにほとんどの自らの作品を破り捨てたらしい。わずかに残った交響曲が、彼を知る手がかりとなったが、この曲が我が国で初演されたのは、その死から120年が経った2004年のことであった。
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