九州旅行4日目の行程は、都城から始まった。朝の吉都線で吉松へ。ここは霧島高原を北上する美しいルート。そして粟野へひと駅戻ると、今度は山野線で水俣へ。川沿いに綺麗な山並みを眺めながら、ゆっくり下るローカル線は、私を心地良い春の居眠りに誘った。そのせいかどうかわからないが、ここの記憶がほとんどない。乗り換えの田舎の駅で、同じような鉄道ファンが一生懸命写真を撮っている風景を覚えている程度である。
吉都線は今でも走っているが、山野線は私が乗車したわずか3年後に廃止されている。ここには大川ループという部分があって、勾配を登り降りするためのぐるっとまわる線路があった。私も乗ったのだとは思うが、残念ながら記憶にない。今では廃線跡となっていると思われる。中には廃線跡を歩く趣味の人もいるようで、地図好きには楽しいのかも知れないが、何も線路跡を散策しなくても良いわけで、今ではほとんどなくなったローカル線趣味の補完的なもののような感じがして、好きになれない。
水俣からは特急で八代あたりまで出たのだと思う。次に乗ったのは、記録によれば肥薩線ということになっているからだ。この肥薩線は私の九州旅行のクライマックスのひとつと言ってもいい。有名な大畑ループとスイッチバック、その向こうに広がる高原の風景。ローカル線のひなびた駅に列車が停まり、対向列車がすれ違うのを駅に出て眺めていた。南国の春の涼しい風が頬を撫でた。私は受験勉強の期間に忘れていた自由な時間を楽しんでいた。
それにしても九州の地図を眺めても、ここの肥薩線がこのような区間を走るとは想像していなかった。それどころか、このルートは鹿児島本線が海沿いのルートを走るまでは、熊本から鹿児島へ抜ける唯一の幹線だった。つまりは鹿児島本線だったということだ。これは明治時代の話しである。当時作られた橋やトンネルが、今でも使われているのだろう。蒸気機関車でも登れるようなゆるい勾配にするためループやスイッチバックが設けられた。だがこれを通るには時間がかかる。のんびりした時代には、それでも鉄道で超えていけるというだけで近代の象徴でもあった。そこには今ではトンネルで一気に鹿児島から八代へ抜ける九州新幹線が走っている。
球磨川と人吉は、そういうわけで幹線ルートからさらに遠ざかる結果となった。現在「えびの高原鉄道」となっているのは観光PRに力を入れているからだろう。それは当然のことかもしれない。だがそうなればそうなったで、あの風情は失われてしまっただろうと思う。だから私は再度ここに行ってみたいとは今でも思っていない。
何度目かの西鹿児島に戻った私たちは、ここから出ている指宿枕崎線に乗ろうかと考えた。だがこれを往復するとそれだけで何時間もかかる。ここまで来たら是非行ってみたいとは思ったものの、夜行列車はまもなく博多へ向けて出発しようとしている。当時西鹿児島には東京行きの寝台特急「富士」なども走っていたので、私たちはその出発風景などを目に収め、4日目の夜行急行に乗り込んだ。もちろん座席車である。クロスシートの片側2席を占領し、缶ジュースの空き缶でシートを浮かせるようにして斜めのベッドを作り、頭を通路側の座席の手すりに置き、足を窓に沿って上へ突き上げる。このような姿勢を保ったまま眠りに入ると、それ以降に乗ってきた客に起こされる心配はなかった。だがその日は少し混雑していた。早朝の熊本駅で下り列車とすれ違った時には、私は起こされ、その長い停車時間を利用してジュースを買ったりスタンプを押したりした。3月の九州はまだ寒かった。だが春休みのシーズンに入り、観光客が関西方面からも来ていて、それまでの日とは違った華やいだ感じがするのだった。
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