2013年2月27日水曜日

マルク・ミンコフスキ指揮ルーブル宮音楽隊演奏会(2013年2月25日、東京文化会館)

春を待つ上野公園の桜の木々は、それでもひところに比べれば随分明るくなった真っ青な空に、むき出しの枝を突き上げている。夕暮れともなると肌寒い北風が容赦なく吹いてきて、私はもう一度コートの襟を立て直した。6時前でも結構明るいというのに、ここ数日の東京はすっぽりと寒気に覆われていて、季節の歩みがストップしてしまっている。

公園内に昨年オープンしたスターバックス・コーヒーのチェアに腰掛けて、トールサイズの温かいココアを飲みながら、開演前の時間をつぶした。これから聞くミンコフスキの指揮するルーブル宮音楽隊(Les musisiens du Louvre, Grenoble)によるシューベルトの演奏会を前に、古楽奏法がすっかり定着したあとのシューベルトの音楽がどんなに新鮮なものかを想像していた。シューベルトのコンサートに出かけるのは久しぶりである。曲目はかつて第8番と呼ばれた「未完成」(第7番)と、やはりかつては第7番とも第9番とも、あるいは第10番とも呼ばれた「グレイト」(第8番)。前者はロ短調、後者はハ長調である。

思えばシューベルトの管弦楽曲は、別の曲のコンサートの穴埋めに演奏されるのが常だった。それもほとんどが「未完成」である。「運命」と同じくらいに有名なこの曲を、私はこれまで一度も実演で聞いていないことに気づいた。「グレイト」は一度だけ、サヴァリッシュ指揮のN響で聞いている。これは長い曲なので、プログラムの後半に置かれるが、一般的には比較的インパクトが少ないのでコンサートでは人気が出ない。全体にシューベルトはコンサート向きではないと考えられているのではなだろうか。

だが、オール・シューベルトのプログラム、それも月曜日の上野とあってはさぞ閑散とした人出ではないかと思っていた。ミンコフスキなどという古典派以前の曲しか演奏しないような団体のたった2度目の来日公演である。ところが予想に反して客席はほぼ満員であった。私は平均すると月1回程度はコンサートに通っているが、今回のコンサートではなぜか非常に緊張し、そして前々から夢にまで見るほど興奮していた。その理由はわからない。席が前から2列目の端っこでいつもの3階席とは視界が随分違う。

開演前のチャイムが鳴ってオーケストラが姿をあらわすまでに5分以上の間隔があった。ルーブル宮音楽隊は、グルノーブルのオーケストラなので、基本的にフランス人である。そしてミンコフスキは1962年生まれというから、私とは4歳しか違わない。背はむしろ低く、少し太っているので老けて見える。その姿を向って右斜めより見上げる形である。近くには対向に配置された第2バイオリンと金管楽器、それにティンパニが見える。その他の弦楽器と木管楽器は視界にない。

「未完成」は静かな出だしだが、何かとても緊張する曲だ。いつもはCDで聞いている「あの」甘く切ないメロディーが、本当に聞こえてくるのだろうか、と楽器の弾けない私などは思ってしまう。だからすすり泣くような音が聞こえてくるだけで感動し、胸がキュンとしてしまう。基本的にこの曲は3拍子が続く。決して静かな部分ばかりではないし、第1楽章はアレグロ・モデラートなので、遅いというわけでもない。古い楽器を使った演奏で、強弱をしっかりとつける最近の傾向の演奏かとおもいきや、それが適当なものに聞こえるのは当方の耳が馴れているからか。

それにしても第2楽章を聞いていると、なぜか若いころのことを思い出すから不思議である。それも中学生や高校生の頃。 学校に残って物思いに沈んでいると、校舎の影が延びてきて空が赤く染まる、などといった風景だ。秋の風がすっと吹いてきて、落ち葉がひらひら。なにかとても懐かしい気分になるだけでなく、それが喩えようもなく切ない。このような時間を持つことが最近はどれほどあっただろうか。音楽を聞く楽しみには様々なものがあるが、実際のコンサートであるにもかかわらず、目を閉じて耳を澄まし、次々に流れてははかなくも消えてゆくメロディーに、少しでも長く浸っていたい、と思う。シューベルトのマジックだろう。

ハ長調の交響曲は「未完成」とはまた違った味わいのある曲で、このような曲がベートーヴェンやマーラーにある魅力とはまた確かに違う。その響きは、敢えて言うとブルックナーの先駆けと言うべきか。まずその長さで「天国的に長い」といったのはシューマン、初演したメンデルスゾーンも楽譜を短縮したという。ゆっくりと演奏すればだれてくるし、速いだけでは美しくない。不思議な曲だが、メロディーは何とも素晴らしい。第2楽章の中間部で音が複雑に重なってクライマックスになったところでパッととまる。ブルックナーのような休止のあと、静かに流れだす弦楽器のメロディーなどは何と例えたらいいのだろう。

私の大好きな第3楽章のトリオは、木管楽器の見せ場でもあるが、ここのメロディーがどれほど印象的かいつも注目する。ミンコフスキはしゃがんだように背を低く屈めたかと思うと、突然パッと背伸びをして体を大きく広げ、さらには両手を左右に振る。あるときは指揮棒を口に咥えたり、譜面をパラパラとめくったり、このフランス人はかっこうをつけるのが好きなようだ。そこで思い出したのが、ベートーヴェンの指揮姿だ。伝記によれば、その身振りはとても大げさで、熱情的だったというが、それに似たような指揮ぶりとでも言おうか。

第4楽章のリズムに乗った演奏は、管楽器の一部にほころびも生じたが、全体的には大変に充実したもので、バイオリンの女性が嬉しそうにリズムを刻んでいたのが印象的だ。乗ってくると長大な曲も長く感じない。もう終わってしまうのが惜しいというほどだ。だが、いつまでも聞いているわけにはいかない。まあこれくらいで満足したかと思う頃に曲は終わる。満場の席からは大きなブラボーも聞こえ、もっと長く拍手をしていたかったが、オーケストラは割に早々と引き上げてしまった。 寒風吹きすさぶ2月の上野の坂を下りながら、いつまでも果てることなく続くメロディーが頭の中で鳴り響いていた。

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