2013年2月24日日曜日

国鉄時代の鉄道旅行:第8回目(1985年3月)⑥

臼杵駅を出発した夜行列車はまもなく早朝の延岡に着いた。仮眠程度にしか眠っていなかったが、私はここで降り高千穂線の始発列車に乗った。高千穂線は今回の目的の一つで、有名な日本一高い鉄橋を渡ることで有名であった。この路線は何と言っても神話のふるさと高千穂峡への観光に最適な路線であり、計画通りなら熊本県境を越え、高森線(現在の南阿蘇鉄道)と接続される予定だった。だが、台風の被害が大きく廃止されてしまった。
 
その高千穂橋梁は、終点から2つ目の深角駅と次の天岩戸駅の間にかかっていた。高さが105メートルということだが、上から乗って見た印象ではまわりの山々がそれなりに高いので、それほど凄いというほどでもなかったと記憶している。それよりもこの橋に到達するまでの時間が長く感じられたことと、終点の高千穂駅には何もなかったことを覚えている。しかもこの日は雨だった。そのことによって私の高千穂線の旅は印象の薄いものになった。なお、鉄橋を渡る際には列車が徐行運転をして途中で停まり、解説の放送まで流れた。毎日乗っている人には余計なことだと思われた。

延岡へ引き返し、次に向かったのは鹿児島の指宿枕崎線である。この線は今でもあるが、全長は90キロ程度もあり、単線非電化なので片道二時間半もかかる。おまけに終点の枕崎からは、伊集院へと向かう鹿児島交通の鉄道路線がすでに廃止されていて、そこから先へは鉄道がない。このため同じ路線を戻ることになるので、全部で5時間以上を要することとなるのである。

指宿枕崎線は鉄道好きにとっては、最南端の駅である西大山駅を通ることや、その時の特徴的な薩摩富士(開聞岳)などの車窓風景もあって有名ではある。だが、観光地である知覧へは行かず、指宿温泉にでも泊まらない限りは、少々退屈である。加えて私が乗車した日は朝から大雨であった。噴煙を上げる桜島を見上げるjこともなく、指宿に着いてもますますその雨脚はひどくなり、日もくれて何もすることがない。湿気で車内は蒸し暑く、混雑している。

結局この日は悪天候のため、ただ「乗った」というだけの一日だった。何度目かの西鹿児島駅で夕食を取り、またもや夜行に乗り込んだ。目指すは北九州である。当時は夜行列車にもそれなりの客が乗っていた。私が高校生であることを知っていながら、向かいに座った老人は私に焼酎を勧めた。旅の友として社交辞令のつもりであったのだろう。九州ではお酒が重要なコミュニケーションの手段であると思っていたので、私は断ることができなかった。だが疲れがどっと出て、私はまもなく睡魔に襲われた。列車のアナウンスが東海道新幹線の積雪による遅れを報じていた。南九州の列車ダイヤが岐阜の大雪で狂うのも滑稽だったが、中央集権国家の象徴たる鉄道というのはそのようなものなのだろう。


ただ時刻表をなぞっていくだけの旅行にどれほどの創造性があるというのだろうか。ただ退屈しのぎに、持て余した暇とわずかな体力を浪費しているに過ぎないのではないか、などと思った。鉄道旅行などというものが、さして意味のあるものではないと思われて仕方がなかった。飽きて来たのだろうと思った。受験勉強の合間の息抜きという以上の意味は、見いだせそうになかった。だから私はもう帰ろうと思った。後一日のり歩いたら、大阪へ帰ろうと思った。その時はもちろん新幹線に乗ろうと思った。列車は単調なレール音を響かせながら、夜中の東シナ海沿岸を北上していた。

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