浪人生活が決まった高校卒業後の春休み、残っていた1日分の「青春18きっぷ」を使って近畿地方の周遊旅行にひとり出かけた。「青春18きっぷ」というのは別に18歳限定の商品ではないのだが、18歳を意識して企画されたものだと思う。時間はあるけどお金がない。大学受験の浪人生活が始まるまでのわずかなひとときを、鈍行列車で過ごすなどということが許されるような優雅な時代であった。
4月になると、春休みも終わっている。学生は10日くらいまでは休みだが、それでも新生活の準備に忙しい。私が通うことになっていた予備校は15日くらいからしか始まらないから、有効期間ぎりぎりの4月10日頃は、もうのんびりと旅行している人などいない。
世の中は春爛漫で、桜の花が満開であった。けれども桜の名所が人出でひしめくのは週末くらいで、平日の田舎は普段の生活である。湖西線に乗って琵琶湖を眺めながら、近江今津で途中下車した私は、列車の乗り継ぎ時間に駅のまわりをしばらく歩いたが、することがない。駅のまわりも新しく整備されているが殺風景である。ここから敦賀までの区間は、運転本数が急激に少なくなる。この区間は電化区間の中でも特殊な区間で、交直流の電気機関車に引かれない普通列車はディーゼルしかない。乗客も非常に少ない。
敦賀で小浜線に乗り換え、春の昼下がりを舞鶴へ向かう。ここの区間は大変のんびりしていて、まだ田植えを待つ田んぼを眺めながら夢うつつの気分であった。西舞鶴から福知山へ出て、小一時間の散策の間に、福知山城と書かれた場所まで行ってみた。京都府の地方都市福知山は、その後何度か訪れたが、駅前の商店街もまだ当時は活気があった。
福知山と言えば大阪から出ている福知山線の終点で、もうかなり遠くというのが子供の頃のイメージだった。ドアのしまらないような客車列車に乗って、福知山まで往復しようとしたことが小学生の頃あった。だがそれは親に反対され、断念した。大阪を出発した普通列車は、各駅で数分から数十分ずつ停車して、何時間もかけて福知山へ着いたものだ。
この時も福知山から大阪へ向かう列車は、どこか遠いところから来た列車であった。もしかすると出雲市や鳥取といったあたりから来たかも知れない。そういえば日本一長い区間をはしる鈍行列車は、門司発福知山行きであった。山陰本線は、ローカル列車の宝庫だった。
谷川駅で加古川線に乗り換えるために下車した私は、ひなびた山間の駅のまわりを歩いた。人ひとり見かけないようなローカル駅で、春の陽射しが眩いばかりに降り注いでいた。なんとも美しく、平和な風景だった。河原に思いっきり石を投げても、思いっきり叫んでも誰ひとり気づく人はいない。よく晴れたその風景を私は独り占めした。そして世の中はこんなにも変わっていないのに、自分の生活だけはずいぶんと変わったなと思った。だが、もしかすると自分自身は何も変わっていないのかも知れないと思った。そうしている間に、何か自分だけが取り残されていくような感じがした。静かな小川のほとりに桜の花が綺麗に咲き誇っていた。青春時代のまさに真ん中で、私の心はその光景とは対照的に、焦燥感にあふれていた。
このようなことをしていてはいけないとも思った。加古川線を加古川まで出て山陽本線を兵庫まで戻った。山陽本線の支線、和田岬線という座席のない列車に乗車すると、終点で労働者がどっと乗り込んできた。神戸の片隅にこのようなところがあるのかと思った。神戸から三宮、さらに新神戸へ、夜の神戸を徘徊し、高校時代最後の春風に吹かれた。町工場の通りを歩き、桜の咲く夜の道を遅くまで歩いた。「青春18きっぷ」の旅はこれが最後であった。
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