バンコクからホアヒンまで来るまで行くには、国道4号線を南下するルートとなる。これはバンコク湾に沿っているが、信号一つない国道から海は見えない。ペッチャブリ県に入り、すこし山などが見ててくると、ペッチャブリ市内となる。ここから海沿いのビーチ・リゾート、チャアムは近い。チャアムからホアヒンの間は、コンドミニアムやホテルの散在するリゾートである。ホアヒンが王室ゆかりのハイソなリゾートに比べると、チャアムはタイ人向けの庶民的なリゾート地である。特に見るものはないが、ホアヒンの喧騒を離れたい外国人もチャアムに滞在することができる。
海は・・・ホアヒンほど岩だらけではないが、さほど綺麗でもない(クラゲもいる)。だがここにはタイ人の若者が週末になるとこぞってやってくるため、海沿いの通りは大いに活気づく。その海沿いの通りは南北何キロにもわたって延々と、「海の家」が立ち並ぶ。1日借りても100バーツ程度のデッキチェアに腰を下ろすと、どこからでも物売りがやってきて、シーフードや揚げ物、ライスや飲み物など、何でも手に入れることができる。
ピクニックに来るタイ人の家族や若者のグループには、大きな炊飯器を持参して来る人もいる。マイカーで来る人で海岸沿いの道は渋滞し、駐車場は満車である。沖合にはバナナボートなどが行き交い、浮き輪やサンダルなどを売る店もあるし、それが夕方になるとどこからともなくやってくる屋台でさらに活気づく。
年も押し迫ったある日、私たちはチャアムを訪れ、傘で空が見えないくらいにびっしりと覆われたデッキ・チェアの一区画を専有して昼寝をした。道を隔てた町側には、ほぼ100メートルおきにコンビニやトイレ、シャワーなどがある。ホアヒンにも似たような雰囲気はあるが、こちらはずっと庶民的で、従って英語も通じにくい。タクシーも常駐しておらず、バスがあるのかないのかもよくわからない。
ホテルへ帰る方法もなく、屋台でいろいろな人に話しかけ、彼らの携帯電話でタクシーを捜したが、見つからなかった。途方に暮れて暑い道を歩いていると、開店したばかりのパン屋を見つけ、併設されたカフェでコーヒーとケーキを食べた。まるで日本にいるようなセンスの良い店で、クーラーも効いていた。翌日朝のためにクロワッサンを買って再び海岸に戻ると、さっきはなかったタクシー屋の屋台に人がいた。料金交渉が成立し、私たちはサムローに乗ってホテルへ戻った。
大晦日の夜になると、ホアヒンやチャアムの海岸からは大量の花火が上がり、灯籠も空に舞い上がった。海に面してホテルのバルコニーから眺める新年の様子は、日本の厳粛な年越しとは異なり、大変華やかで活気に満ちていた。爆竹が夜遅くまで鳴り響き、テレビではカウントダウンの中継をしている。その中に、お坊さんが数百人も一斉にお経を唱える番組があった。年越しの行事の生中継である。昨年は香港で迎えた新年を、今年はチャアムで迎えた。熱帯の夜風は涼しく、季節感のない新年である。だが日本から来た私には、とてもリラックスした新鮮な気分であった。
2013年6月21日金曜日
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