正月三日のバンコクは、いつものように熱い一日だった。チャオプラヤ川を船で上り、王宮前の渡し船で対岸へ。私たち家族は今年の「初詣」に、バンコクを代表する寺院の一つ「ワット・アルン」を選んだ。ワット・アルンは、王宮前のワット・プラケオ、涅槃仏で有名なワット・ポーと並んで、バンコク滞在中に訪れるべき寺院のひとつである。その特徴は、そびえ立つ仏塔、そこに施された見事な彫刻である。
だが多くの寺院がそうであるように、仏塔は本堂ではない。そこで私たちはまず本堂へ向かい、ズラリと並んだ仏さんなどを拝んだ。ここは無料である。線香を買って火をつけ、お供えする。どこでも同じ光景である。私は自分を仏教徒だと思っているので、仏教寺院でのお祈りは何か気分を安心させる。日本の寺院とは違う部分もあるが、取り囲まれるように伽藍が配置されているのは、奈良時代のお寺のようで、関西生まれの私には馴染み深い。
仏塔は、その急峻な角度によって丸でトウモロコシが空に突き出たような格好である。掘られた彫刻も見事だが、階段がついていてここを昇ることができる。階段は3階層になっていたかと思う。高所恐怖症の妻は最初の階段で挫折したが、息子と私は最上位まで上った。お寺はチャオプラヤ川に面しており、周りに高い建物はないから、仏塔の上からはバンコク市内を見渡すことができる。その景色も美しいが、仏塔がそびえる光景もまたバンコクの象徴的な風景である。
20年前に来た時に比べると、バンコク市内のあちこちに高層ビルが林立している。だが、王宮とその周りの雰囲気は変わらない。そして客待ちのタクシーやトゥクトゥクとその悪どい手口も!
それで私たちは一度はぼられそうになりながらタクシーを拾い、東急百貨店が入るバンコク一のショッピングセンター、MBK(マーブンクロイン)にやってきた。その光景を見て驚いた。ショッピングセンターは昔のままだったが、その周りの風景が丸で違っているのである。かつては、その周りには何もなかった。ジム・トンプソンの家という観光スポットは今でもあったし、そのすぐ近くの中級ホテルも健在だったが、周りにはもっと多くの高層ホテル、超高級なショッピングセンター(これら空き地だった)、そして空中を走る交通システム。まるで宇宙都市に来たような錯覚を覚えるその下を、何車線もある道路が走っている。だがそこにかつて黒い排気ガスをまき散らしながら何重にも停車していた路線バスは見当たらない。
私はしばし感慨にふけっていたが、そのMBKの最上階にフードコートがあることを思い出して、出かけた。クーポン制のフードコートは、面積が随分縮小され、変わって高級なレストランと映画のコンプレックスが出来ていた。
かつてバンコクには地下鉄やBTSはなく、わかりにくくて混雑間違いなしのバスに乗って渋滞の中を行くか、それともうだるような暑さの中を歩いたものである。だが今では空調の効いたBTSが走る。ここシーロンから隣のチットロムにかけての光景は、全然別の都市に来たような感覚である。え、あのバンコクが?と私は何度も自問した。そのそばを、日本や中国から来た若者のグループや家族連れが、さっそうと歩いて行く。
BTSでサバーン・タクシーン駅に戻る間中、新たに出来た高級ホテルやブティック、それに公園の向こうに広がる高層ビル群を私は眺めた。そこにはかつて私の胸を踊らせたあのバンコクは、ほとんど失われていた。代わって、東京よりも活気があり、好調な景気に湧くアジアの国際都市が出現していた。噂には感じていたが、まさにその光景が、そこにはあった。そして私が好きだった物価の安いバンコクは、少し陰を潜めていた。だが考えてみれば、それは当然だった。バンコクは昔から、アジアだけでなくヨーロッパ、オーストラリア、中東の観光客が出会い、たむろし、歩きまわるところだったからだ。その雰囲気は、今でもかわらなかった。バンコクの魅力は、常に進化していたということだろう。
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