2013年6月27日木曜日

国鉄時代の鉄道旅行:第9回目(1985年3月)

今でもあるのかどうか知らないが、「近郊区間」というのがあって、その区間であれば経路に関わらず、行き先までの料金は最短距離で計算される。東京でも御茶ノ水まで行くのに、秋葉原経由とするか、神田から中央線経由でいくか、どちらを通っても料金は同じで、短い方の料金となる。これを拡大解釈すると、隣の駅にいくのに、わざわざ大きく遠回りすることもできる。ただし同じ区間を通っては(折り返しては)いけないことになっている。もちろん改札口を出てもいけない。

さて、関西地方の近郊区間は、大阪と京都、それに奈良を組み合わせれば、次のような経路が可能である。新大阪から隣の大阪駅までの区間の切符を購入し、東海道本線を京都まで上る。そこから奈良線で南下し、奈良からは桜井線に乗り換えて大和高田へ行き、関西本線で天王寺、さらに大阪環状線で大阪駅へ達する。この区間を普通列車で乗り継げば、数時間はかかるが、これを数百円で行くことができる。

このような、丸で暇でマニアックな旅行は、浪人生にふさわしかった。ある日、私はふと息抜きがしたくなり、このような列車旅行を思い立った。それで新大阪を出た。近郊電車の各駅停車で検札か来ることなど、まあ有り得ないことだった。ところがどういうわけか、列車が大山崎を出たあたりで車掌が検札にやってきた。乗り越しではない。そして上記の経路を行くことは、いわゆる不正乗車でもない。だが実際にこのようなことをする客はまずいない。しかしそのことをどう説明したらいいのか。

私はしかし、正直に、「近郊区間一周」の鉄道旅行をしているのだと告げた。車掌は表情を崩すことなく私の切符にはんこを押し、さらに裏面に検札にきた区間をボールペンで書くという律儀な行為に出た。私もだまっていたが、たかだか数百円のためにこのようなことをしているのは、国鉄だから許されるのだろうか、などと思った。思えばまだ当時、自動改札というのは国鉄にはほとんどなく(片町駅にはあった)、切符の裏面は白かった。

京都、奈良と行き慣れた駅を通ったが、奈良線や桜井線といった、「都会のローカル線」は初めてだった。だが、乗客数が多いことと、いわゆる「ロングシート」と呼ばれる長い座席車のせいで、車窓風景などはあまり楽しいものではなかった。近郊の農家や住宅街を走るだけの単調な路線で、そういえば大和三山などはその車窓から見えるはずだ、などと思っても興に乗らない。

結局、あまりストレスの解消しない半日の小旅行が終った。大阪駅に戻り、私は都会の空気がいいなと思った。みながそうかどうかはわからないが、勉強に疲れると癒されるのは田舎ではなく、都会だった。少なくとも私にとっては、そうだった。

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