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月に「ナブッコ」の実演を堪能し、その1か月後に「ファルスタッフ」を(映画上演で)見た。「ナブッコ」がヴェルディの最初の名作で、最後が「ファルス
タッフ」である。この間55年。地下2階地上26階建てのビルに例えれば、「ナブッコ」は地上階、「ファルスタッフ」は最上階という感じである。そうそ
う、「リゴレット」も6月に映画で見たが、これはちょうど真ん中の15階くらいだろうか。
その「ファルスタッフ」に
初めて接したのは、カラヤンの新録音がリリースされた時だった。たしか1982年、ながら受験勉強派だった高校生の私にとって日曜日の午後は「オペラ・ア
ワー」の時間だった。NHK-FMも当時は満足すべき時間をクラシックに割いていた。その日はカラヤンの「ファルスタッフ」で、もちろん初めて聞く曲だっ
た。だが聞いているうちに何か楽しそうな曲だな、と思ったのを覚えている。
それ以来、ヴェルディのビルを上ったり下
りたりして、随分他の作品にも親しんだが、26階の最上階だけは、
エレベータホールを少し見ただけで以後、一度も足を踏み入れたことがない。実際、ワーグナーにおける「パルジファル」と同様、何か近づきがたいものを感じ
ていた。有名なアリアなどというものはなく、印象的ななメロディーもない。ドラマと音楽が一体となった作風は前作「オテロ」にも似ているが、ヴェルディに
つきものの葛藤と嫉妬に燃える悲劇性は皆無である。
このオペラ・ブッファは、ヴェルディの中では異色の作品である。
この達観した高齢の芸術家が到達した最終地点である、などとよく解説には書かれているが、実際これはヴェルディ流の喜劇、つまりヴェルディの手にかかると
シェークスピアの喜劇がこのように料理されるのか、という発見に満ちている。これは一にも二にもヴェルディの音楽を聞くオペラだと思う。
サー・
ジョン・ファルスタッフは、あまりに肥満で年老いているにも関わらず、ちょっとした下心から同じ文面のラブレターを、こともあろうに親友関係にある二人の
夫人、アリーチェ(フォード夫人)とメグに送る。二人が顔を見合わせ、その行いがバレると、その悪行を懲らしめてやろうと、娘のナンネッタ、その恋人フェ
ントン、フォード氏、おせっかいなキンクリー夫人らが加わって仕返しの芝居となる。
ファルスタッフは自分が騙されて
いるとも知らず、フォード氏の留守中を狙ってガーター亭に出向くが、何とそこに妻の逢引の現場を押さえようとフォード氏が帰宅する。ついたてのうしろ、そ
のあとには洗濯籠の中に隠れるファルスタッフ。その洗濯籠はファルスタッフを入れたままテームズ川へ投げ込まれ、彼はは溺れそうになりながら帰宅する。九
重唱といった場面が何度か登場し、それぞれが別の歌を歌うなど、映像で見るとなかなか見応えがある。
パリのオペラ座
公演をライブ中継するにあたって、キンクリー夫人を歌ったカナダ人、マリー=ニコル・レミューや、登場人物中唯一のフランス人歌手、ガエール・アルケスに
インタビューしている。この二人はとても良かったが、主題役のアンブロジオ・マエストリの当たり役とも言える素晴らしい演技を抜きにして、また円熟の指揮
ぶりを発揮したダニエル・オーレンを無視して、この公演の素晴らしさを語ることは出来ないだろうと思う。マエストリは、その巨漢と容姿がまさにファルス
タッフにうってつけであった。
溺れたファルスタッフは懲りずにウィンザーの森へ出向き、さらなる仕打ちを受ける。第
三幕のシーンはガーター亭が見事に巨木に変身するあたりの演出上の効果も素晴らしかったが、映像がそれを伝えきれていないように感じられたのは残念であ
る。女性陣に徹底的に打ちのめされたのは、ファルスタッフだけはなく、フォード氏もであった。だが最後のシーンで、ファルスタッフはすべてを悟りきったよ
うに「この世はすべて冗談」と歌う。このフーガはヴェルディが最後に書いたもっとも素晴らしい歌だろうと思う。
「ファ
ルスタッフ」はヴェルディのオペラの集大成のような側面があり、そのように思いながら聞くからこそ味わい深い。その歌が華麗でもなく、ドラマチックでもな
くとも、私たちはこの半世紀にわたって圧倒的な作品を書き続けてきた巨匠にしか成し得なかった作風が横溢しているのを目の当たりにして、なんとも幸せな気
持ちになる。上演回数はさほど多くはないが、音楽家にとっては魅力的なのだろう。トスカニーニの歴史的名演を筆頭に、あのバーンスタインやジュリーニ、そ
れにカラヤンらが名演奏を残している。最近ではアバドがベルリンで録音した演奏が評判だ。
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