今度バンコクに来ることがあるのなら、絶対にチャオプラヤ側沿いのホテルにしようと決めていた。10年以上に亘る闘病生活の間は、もう一生バンコクに来ることなどないと思っていた。それが実現するというのだ。だから迷わず、川沿いのホテルを探した。
クルンテープ、そうタイの人は呼ぶバンコクを、私は学生の時から何度か訪れている。最近は・・・といっても20年前のことだが・・・北部タイへの旅行の途中に立ち寄った。その前は学生時代で、インドからの帰り。さらには初めてヨーロッパ旅行をした1986年の夏にも、1泊をしている。
この最初のバンコク滞在は、思わぬことから実現した。香港からパリへと乗り継ぐはずのタイ国際航空機がトラブルにより遅れ、私たち乗客は急遽航空会社の手配するホテルへ収容されたのだった。
まだ古いターミナルのドンムアン空港は薄暗く、タバコの煙が充満した待合室は、乗客でごった返していた。よくわからない英語で私たちは出発が翌朝になることを告げられ、イタリア人の団体客一行と同じリムジンバスに乗せられてバンコク市内へと向かった。夜の10時頃だった。
巨大な看板と、人を乗せて走るトラックを見ながら私たちはチャオプラヤ川沿いのハイアット・ホテルに到着した。初めて見る夜のバンコクは何もわからなかったが、翌朝部屋のカーテンを開けてみると、そこにはどんより曇った朝もやの中に、熱帯の川の風景が目に飛び込んできた。朝の4時に起こされて朝食をとり、今度はタイ航空のタクシーに乗って空港へと向かった。バンコクの早朝の風景は、かつて「特派員報告」といった海外取材番組で見たままの光景と同じだった。柿色の袈裟を来た僧侶が、どの通りにも何人もいて托鉢に回っているのだ。痩せて長身の彼らはみな丸坊主頭で、手には壺を持っている。
その光景を私は、チャオプラヤ川の風景とともによく覚えている。いわばバンコクの最初の思い出であった。その後、何度かこの街を訪れたが、あのような幻想的な光景はついにこれが最初で最後だった。
バンコクの猥雑さと、一向に改善しない交通渋滞、それにあのまとわりつくような暑さと屋台の匂い。バンコクの悪口はいくらでも思いつくのに、バンコクが今でも限りなく魅力的な街であり続けているのは何故だろうか。私はそれがあのチャオプラヤ川をゆっくりと行き来する船や、その周りに暮らす陽気で穏やかの人々のおかげだと思っている。そういえばインドからの帰り、知り合ったニュージーランド人の夫婦とともに、舟を借りきって水上マーケットのツアーに出かけた。狭い運河に入るとそこには当時、まだ多くに人々が実際に生活をしていて、野菜や果物を売り買いしていた。
そのそばを私たちが通過すると、あまり綺麗とは言えない運河に、子どもたちは飛び込んだ。カメラを向けるとにこりと笑う彼らの屈託のない表情が忘れられない。寺院のそばをいくつも通り、私たちは買い込んだ果物を食べながら、王宮前へと戻った。高層ビルが立ち並び、水上生活者がいなくなっても、依然バンコクは水の街であり、運河に触れずしてその街の歴史を語ることはできない。
私たちはホアヒンからタクシーでバンコクへ戻り、サバーン・タクシーンという新しいBTSの乗り場近くにあるChatrium Hotel Riversideという高層ホテルに到着した。部屋からは予想通り、川が眼前に開けている。ただ。今回訪れた1月は、空気が澄んでいて、まるで別の街のように綺麗だ。変わりゆく風景に触れながら、変わらない表情を求めるわずか3泊のバンコク滞在が、このようにしてスタートした。
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