2013年12月2日月曜日

東日本大震災の記録:被災地への旅(2)

気仙沼は塩釜や石巻と並んで、三陸を主な漁場とする大規模な漁港があることで知られている。このあたりは宮城県で、リアス式海岸の壮大な眺めが続く土地というよりも、むしろ漁業が育んだ都市の雰囲気が濃い。大きな湾に大島があることによって、内海のように穏やかである。インフラが整備され、比較的高い山に阻まれていないから、高台もそれなりに存在する。私は一関から国道を下り、気仙沼に入ったが、町中の郵便局あたりに来ても、そこままだ古い町並みが残り、被災地という感じがしない。

気仙沼漁港に行ってみた。するとそこは一面ニュータウンの造成地のように綺麗に整地され、まるでこれから団地が立ちますよ、とでもいう感じである。だがそれこそが津波によって街ごと流された地域だった。当時を物語る壊れた建物はもう残っていない、と思った矢先、一階が吹き抜けのビルが目に留まった。2階から上はガラスが割れ、鉄骨がむき出しに成っている。どういうわけかそのような、取り壊される機会を失った建物が、時折存在する。漁港の建物は新築されたのか、とても綺麗だったが、その側面に津波の高さを示す標識がかがられていた(写真)。

昼食を取ろうとしていたら、港の入口に「復興商店街」というのがあった。大島へ渡るフェリー乗り場の前には駐車場が設けられ、専ら観光客用のスペースとなっていたが、その日は平日の金曜日で閑散としている。向こうの山の中腹に教会が見え、大島行きのフェリーものどかに止まっている。これだけを見れば、とても被災のことは忘れてしまいそうな、平和な風景である。だが記録によれば、ここは重油タンクがもとで大火災を引き起こしたところである。3月11日の夜、私は歩いて帰宅中の妻を待つ間中テレビのニュースを見ていたが、この為す術のない火事のニュースには胸が傷んだ。阪神大震災の時の長田の火事のことが思い出されたからだと思う。


復興商店街は各地に設けられていて、どこも仮設プレハブの商店が立ち並んでいる。土産物屋や飲食店が多く、そのうちの一つに入って「漁師の海鮮丼」なるものを注文した。鮪を始めとする遠洋漁業の中心地だけあって、値段の割にはボリュームもあり、大いに満足すべきものだった。その店の壁やテーブルには、数多くのメッセージがマジックで書かれていた。中には有名人のものもあるとお店の女性店主は語りかけてきた。

開店して丁度2年目になる明日は、お祭りをするそうである。「どこから来たのですか?」と話しかける彼女は、私に100円安く会計をしてくれた。私はそのお金をフィリピンの台風被害義捐金として寄付することにした。メッセージには、松江や稚内など全国各地の訪問客のものまであって、被災地にも多くの人が足を運んでいるのだと思った。快く観光客を迎え入れてくれた気仙沼を後にして、私は再び岩手県に入った。次の訪問地は陸前高田である。遠くに深い入江が見えた。快晴の空に雲がなびき、終わりかけの紅葉が山々を黄色や赤色に染めていた。

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