iPodとiTunesに押されながらも細々と携帯音楽プレーヤーを作り続けたSONYは、ここへ来て一歩前に進んだ感じがする。高音質の音源配信サービスを始めたからだ。詳しく言えばフリーのロスレス圧縮フォーマットflac音源への対応である。実際にはmoraというサイトからダウンロードしたハイレゾ音源は、最新のWalkmanに搭載された高音質アンプで再生可能である。このWalkmanは久しぶりに欲しいと思った。
flacに対応する携帯音楽プレーヤーにはこれまでも韓国のメーカーなどから比較的安く発売されていた。またハイレゾ音源ダウンロードもe-onkyoや英国のLINNなどから可能であった。だが大手音楽レーベルを傘下に持つSONYの本格参入は少し次元が違う。しかもその記者発表には我が国の音楽会社が勢揃いしたというから驚きである。遅れていた日本で、世界でも最高の音楽市場が誕生すれば、音楽の聞き方が大きく変わるだろう。アップルは最近iPodに力を入れていないので、巻き返しに転じて欲しいと思う。
そこで私もmoraの会員となり、さっそくクラシックの音源(まだ非常に少ないが)から良さそうなものをダウンロードした。ただ私の持っているiPod Classicはflacを再生してくれないので、変換ソフトを用いてWAV形式に変換。しかも44.1kHz/16bitにするしかないからCDと同じ音質である。これではハイレゾ音源の意味が無い。しかしPCにはflac形式で保存してあるから、これをfoobar2000などで再生し、アンプにつないで聞くことはできる。嬉しいのは、トラック単位で購入ができること(これもアルバムにより、実際には数は少ない。多くは一括売りである!)。
さて今年リリースされたクラシックの新譜のうち、私が最も感動したものは、そのmoraよりflacでダウンロードしたラフマニノフのピアノ協奏曲第3番である。丁度ここのところラフマニノフの音楽を聞いてきているので、いいタイミングである。しかしこれまで何度も聞いて驚いてきたこの曲にあって、またひとつ突破口を開いた演奏に出会うということ自体が、感動である。その興奮は未だに覚めることがない。
ラフマニノフがロシアで作曲にとりかかり、やがては移住することになるアメリカで初演されたこの難曲を、そのわずか100年後には中国人のピアニストによって、南米ヴェネズエラで演奏されることになろうとは作曲者は想像だにしなかったに違いない。だがユジャ・ワンがピアノを弾き、グスタヴォ・ドゥダメルが指揮するシモン・ボリバル交響楽団の伴奏は、白熱のライヴを通り越し、もはや神がかり的な熱狂の渦を巻き起こしている。そのライヴを映像で見られるなら見てみたい。だが、音楽の録音だけでもその圧倒的な様子はひしひしと伝わってくる。
演奏はまるでジャズかラテンのロックのようである。第1楽章の冒頭から異様な雰囲気で始まる。この第1楽章の主題は、それだけだと何の変哲もないような単純なメロディーで、初めて聞いた時には肩透かしを食らったような気がしたものだ。けれどもそれが一通り終わると、あれよあれよとピアノがコロコロ転がり出す。上がったり下がったり、めまぐるしく動く様はあっけにとられるほどだ。
従来第1楽章ではそのメロディーも湿りがちで、まだエンジン全開というわけでもなく、なんとなく陰鬱な感じか、さもなくば気合が入りすぎて伴奏と咬み合わないことが多い。けれども今回の演奏はそのどちらでもなく、とてもうまい具合にコラボレーションを形成している。時折最初の主題が切り返されて、そうか、ラフ3を聞いていたのかと思いを新たにする。
けれども第2楽章になると、今度は圧倒的に素晴らしいラフマニノフのロマン性が満開となる。単に美しいだけのメロディーではなく、色彩的にも変化に富み、後半などは特に激情的である。この音楽を簡単に口ずさむことはできないが、何かの映画音楽にでも使いたいようなメロディーである。大恋愛映画の回想シーン、そのクライマックスで鳴っているような曲をイメージする。私はこの第2楽章が気に入っているが、そう何度も気軽に聞けるような気もしない。おそらくこの曲が、ピアノ協奏曲のひとつの到達地点を示しているのではないか、とさえ思えてくる。
第2楽章から続いて演奏される第3楽章は、迫力があって早く、技巧的にも最高レベルなので間違いなく興奮するのだが、それにしても長い。15分以上はあるその間中、ずっと圧倒的なピアノによる乱舞の連続である。ここの音楽をどう形容してよいかわからない。そしてワンの演奏ではオーケストラを含め、乗りに乗っている。クリアにとらえた録音が(特にハイレゾで聞くと)スピーカーを飛び出して迫ってくる。目に見えるかのような演奏である。あっという間の15分が終わると、割れんばかりの拍手と歓声が収録され、そのフィーバーぶりがよくわかる。
この曲はあまりに難易度が高く、余程自身のある演奏家でないといい演奏を残していない。おそらく世界最初の演奏家はウラディミール・ホロヴィッツだったし、その後にはヴァン・クライバーン、ウラディミール・アシュケナージ、マルタ・アルゲリッチ、エフゲニー・キーシンなど錚々たる技巧派の名前が挙がる。これらのピアニストがこの曲をライブ演奏する時には、レコード会社が録音機をセットし、何年かに一度センセーショナルな成功をおさめるとその録音がリリースされてきた。私もその演奏を、何らかの形でできるだけ聞いてきたし、その都度決定的な演奏が登場したと思ったものだった。だが、これらの演奏に並ぶ名演が登場したことで、この曲の演奏史に新たなページが加わった。
若い女性のピアニストによるラフマニノフとなると、どうしてもアルゲリッチの演奏を引き合いに出してしまう。リッカルド・シャイーが指揮するベルリン放送交響楽団による「白熱のライヴ」が、チェイコフスキーとカップリングされてリリースされている。この演奏はまた、この曲の決定的な演奏のひとつとして多くの愛好家により今でも高く賞賛されている。私もキーシンの演奏(小澤征爾指揮ボストン交響楽団)と共に長年親しんできた。ワンの演奏はこの演奏に勝るとも劣らない演奏と言える。しかもこの20年以上も前の演奏は(おそらく)放送録音なので、今回の方がはるかにいい録音である。それを高音質で聞くことができる。
私は同じflacファイルから変換したCD音質のWAVファイル(44.1kHz/16bit)と、ダウンロードしたままのflac(96kHz/24bit)とを、同じfoobar2000で再生して音質を比較してみた。するとその違いは歴然である。ハイレゾで聞くラフマニノフはもう元に戻れないくらいに迫力満点である。この演奏、ピアノだけが独走するわけでもなく、伴奏とそれなりに共同歩調をとりながら丁々発止の名演を繰り広げている。キーシンで聞くとこのような演奏もなるのかと思うくらいに大人しく端正なのに、派手なアルゲリッチ流に決めつつも、気まぐれなアルゲリッチにない協調性を感じることができる。
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