陸前高田からはまっすぐに大船渡を目指した。ここからはいよいよリアス式海岸の地形が顕著になり、国道からそれて半島に行く誘惑にかられる。だが私は日が暮れないうちに釜石に着かなければならず、今日その後は遠野を通って北上まで行かなければならない。11月も下旬となると4時には日は傾き始め、5時には真っ暗となる。北国ではなおのことだ。だが、今日の三陸海岸は快晴で気温も高く、風景はまったく素晴らしい。もし交通網や生活インフラが整備され、高台に住むことができるならそう悪いところではないな、と正直思った。これは実際旅行してみないとわからない感覚である。
大船渡は、特に深く「のこぎり」の刃が切れ込んだ大船渡湾に面した町である。海から押し寄せた津波は、このような狭い地形に力が集中して、波もより高くなっただろう。そういうことが容易に想像できる。だからといって何百年もそこに住まない、ということなどそう簡単にできることではない。
大船渡の中心も漁港で、周り一面がやはり更地になっていた。JR大船渡線の走る線路は道路となって舗装され、バスとして運行されているようだ。鉄道の復旧の見通しはほぼないように感じられた。気仙沼と同様に、被害を免れた高台の地域と更地となった被災地域が比較的近く、そういう意味で街全体が消失した陸前高田とは雰囲気が異なっている。
私はラジオで地元のFM放送を聞きながら、大船渡の町を通り抜けた。次の目的地、釜石までは、区間的に開通している高速道路を通ることができる。そうでもしなければ山また山の曲がりくねった道を行かなくてはならない。つい最近まではそのような道しかなかったことを思うと、ここから北は相当不便なところだと想像がつく。だが、トンネルを真っ直ぐにくり抜いた高速道路によって、風景の印象もずいぶん異なってくる。この区間は内陸部を走るので、海からは少し離れる。
次に海が見えた時、私は何の計画もなく海沿いの小さな集落を目指してみることにした。被災したのは大きな街だけではないだろう。知られていないところも多くが消失したのではないかと思われたからだ。ところがそこには三陸鉄道南リアス線の駅があって、何人もの観光客がたむろしていた。駅舎に列車は来ても、そこから先はバス(BRT)が運行されており、丁度その接続の時刻だったからだ。ここが開通区間と未開通区間の境目の駅だったのだ。
その駅は「吉浜」といい、駅舎の中に役所の出張所が設けられている他に、待合室を利用した展示も行われていた。もちろん地震と津波に関するものであった。その展示では、もとの集落の風景と震災後の様子、それに復興に向けた取り組みなどが紹介されていた。その中で私が驚いたのは、この吉浜では、たった一人の死者も出さなかったという事実である。もちろん集落は壊滅した。しかし先人の知恵が働いた。このようなところもあるのだと、私は何か少しは救われたような気持ちになった。来年には三陸鉄道は全線が開通するそうで、その時にはここの線路を鉄道が走るのだろうと思って写真を撮ったりした。
その「奇跡の集落」吉浜について。私は帰宅後、吉村昭の「三陸海岸大津波」を再び斜め読みしたのだが、そこには明治三陸大津波によって、吉浜村は全滅状態になったと書いてあるのを発見して息を飲んだ。その死者数は「人口1075名中、982名」となっている。生き残った人は100名にも満たなかったことになる。このような犠牲を教訓に活かしたということになる。だが、ここは近くに登れる高台もあり、そして集落もそう大きくはない。これが陸前高田だと、そうはいかない。
三陸海岸は、もともと人口の少ない地域であった。被災人口の最も大きかったのは、石巻や仙台を始めとする宮城県で、ここだけで阪神大震災の規模を上回ったことになる。そして津波は福島県も襲った。福島県の津波は、そのあとに続く原発の被害が重なって、訪れることさえできない。今回の津波の被害の不幸のひとつはまた、原発の問題によってそのことが置き去りにされてしまったことだろう。「みちのく」がさらに遠く感じられるようになってしまった。
2013年12月4日水曜日
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