釜石といえば言わずと知れた鉄の町で、新日鉄釜石というラグビーチームは私が小学生の頃、毎年のように全国制覇を成し遂げたことで知られている。岩手県のこんなところになぜ製鉄所が作られたか。それは江戸時代にまで遡る我が国最古の製鉄業の歴史があるからだ。私が今回被災地を旅行先に選びながらも、どうしても行きたかった町は釜石であった。ここには花巻から遠野を経由して比較的整備された高速道も部分的に開通している。盛岡から宮古へ出るよりもはるかに便利だが、それでも2時間近くはかかる。
その釜石には釜石観音が大きな姿を太平洋に向けて立っており、深い入江と小高い丘に囲まれたとても風情のある町のように思えた。だが、中心地に向かっていくと実にこじんまりとした町であることに驚いた。事前に想像していたよりもはるかに小さな市には、最大で9万人いた人口も減り続け、今では半分以下の3万人台だという。
釜石には市立博物館があり、それは「鉄の博物館」と呼ばれている。小高い丘に結構な規模の建物が立っていて、私が訪れた時には他に家族連れがわずか一組という状況で、その展示物を私はほとんど一人で見て回った。
博物館からは紺碧の海に向って立つ釜石観音の後ろ姿がよく見えた。敷地内には軽便鉄道で使われたSLも展示されていたが、駐車場の上のスペースには仮設住宅が立ち並んでいる。夕方の4時をまわるとあたりはひっそりとして、よく晴れた穏やかの日でも淋しく寒い。私はかつて旅行した世界のどこに似ているか、などと考えてみたが、よくよく思いつくのは大西洋の孤島マデイラである。もっともその中心のフンシャルは、今では客船も停泊するリゾート地だが、そこから少し隔てた谷間の集落は、どこか三陸地方に似ている。
博物館に立ち寄ったあと、日が暮れるまでの短い間に市の中心部へ降りていった。2008年に完成したばかりの防波堤がいとも簡単に決壊し、釜石もまた壊滅的な被害を被った。かつて鉄を生産した溶鉱炉は今では動いていないが、もし動いていたとしてもかなりの被害を受けたのではないか。今は新日鉄住金となった近代的な工場を見ていると、ここが少し特殊な土地に思われてくる。それまでは漁業の町ばかりを通って来たからだろうか。
ここもまた造成中のニュータウンのようになった市街地を運転していると、いきなり被災当時のままの建物がそのまま残されていたりして驚く。だが、今では町にも自動車が溢れ、私の通った時刻は丁度帰宅のラッシュであった。カーナビの渋滞マークが初めて表示され、私はその釜石街道を遠野市方面へ走らせるうち日が暮れた。三陸は夕陽が山に沈むので、暗くなるのが早い。
釜石の町を抜け、高速道に入るまでは結構長い道のりで、その間、多くの商店などが立ち並んでいた。少し都市風の生活の雰囲気を感じた。途中、中学校の前を通った。クラブ活動でライトをつけ練習中の学生を見ながら、私は釜石の学校で震災と同時に全員が山に駆け上り、ほとんど被害が出なかったというニュースを思い出した。
私の三陸への短い旅は終わったが、被災地としてこの地域を見るのはもう十分だとも思った。今回行けなかった大槌、山田、田野畑、宮古、田老、そして久慈といったところへは、是非観光で訪れたい。三陸海岸のまだ三分の一しか見たことになっていない。今度はできれば夏がいい。コバルトブルーに染まる海へ落ち込む断崖の岬を、自由に巡ってみたいと思った。
遠野市に入ると、それまでなかったショッピングセンターやファーストフードの店が目に入ってきた。「遠野物語」のふるさとは僻村のイメージだが、三陸地方に比べると広く開けているな、と思った。だが、そこから北上市に向かうと、金曜日の夜まだ7時だというのに、何十分も前後に車が走らないような山間部を通る。一桁の気温も日没とともに下がり始め、内陸のせいか雨が降ってきた。私はレンタカーのヒーターを入れ、ライトをハイビームにして慎重に運転を続けた。
2013年12月5日木曜日
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