2013年12月8日日曜日

ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番ハ短調作品18(P:レイフ・オーヴェ・アンスネス、アントニオ・パッパーノ指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団)

晩秋の奥州路をドライブしていたら、めまぐるしく天気が変わった。晴れていたかと思うとそのうち雨が降り出し、しばらくしたら止んで雲の切れ目から美しい虹が出た。遠くの山々も黒い雲の合間から差す日に染まって、幻想的な雰囲気である。こういう天候に合うのではないかと、ラフマニノフを鳴らしてみた。持っていたのはピアノ協奏曲第2番。すると、何ともピッタリなのだ。

この曲はチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番と並んで、ロシアの最も有名なピアノ協奏曲である。だが作曲年代はラフマニノフの方が少し後である。チャイコフスキーの、あのピアノ協奏曲のあとでラフマニノフは、やはり極めてロマンチックなピアノ協奏曲を書いた。この作品は多くの映画やドラマ、それにフィギュアスケートの伴奏に使われている。

第1楽章の冒頭でピアノが厳かに、次第に強く鐘の音を響かせると、何とも大げさな曲だなと思う。またこの曲を聞くのか、ちょっとやめておこうかな、などと思う。しかしすぐにオーケストラの弦楽器が、まるで冬の嵐の中を行く大型船のように、主題を奏でると金縛りにあったようにグイグイと引き込まれていく。ここは大いにうねらないといけない。速度はやや速めが好みである。重厚な弦楽器のオーケストラと良い録音で聞く必要があるのだが、さしあたりベルリン・フィルなどは相応しいオーケストラであると言える。

同じ主題は中盤で繰り返されるとき、ピアノがオーケストラに乗って、とてもダイナミックに迫りくる。このあたりまで来ると、もうこの曲は一気に最後まで聞き続けるしかない。だが、静かな部分においてのリリシズムはチャイコフスキーには及ばない。それを補うのがメロディーの忘れがたき美しさであることは言うまでもない。

その美しさ、もう少しうまく言えば、チャイコフスキーの叙情性に対する悲観的とも言うべきロマン性は、第2楽章で満開となる。特にピアノという楽器の持つ表現を、ラフマニノフはまた一歩進めた感がある。憂いを帯びてフルートやヴァイオリンがピアノと融け合う様は、単なる美しさではない。行き場を失った失意の淵にあるような、どうしようもない気持ちは、祖国へ帰ることのなかった亡命ロシア人の気持ちを現しているのだろうか。

つまり単にメロディーの綺麗なだけの作品ではないと思うのだ。だから有名な旋律部分がスケートで使われると何か苦笑したくなる。特に第2楽章の後半を聞くと、この作品の深みを感じる。とにかくこの曲は第2楽章の後半に尽きる。いい演奏で聞くと、むせび泣きたくなるくらいである。

私が北上川を北上しながら聞いていた演奏は、レイフ・オーヴェ・アンスネスがピアノを弾き、アントニオ・パッパーノがベルリン・フィルを振った2006年の録音であった。これはたまたまいくつか持っているうちから最も新しいものを持参したにすぎないのだが、考えてみればまだあまり真剣に聞いていなかったレコードであった。だが、この演奏ほど素晴らしい演奏はないのではないか、とさえ思うほどであった。

第3楽章になると、再びダイナミックにオーケストラとピアノが競演を繰り広げる。リズムがしっかりしていて、しかも歌うところは歌う。明るい響きはラフマニノフの持つ暗さと意外にマッチして、静かな興奮をも呼び起こしながら、コーダへと進む。私は毎日のようにこの曲を聞きながら、家路を急ぐ。聞き古した曲がまた好きになった。演奏が怒涛の如く終わると、はちきれんばかりの拍手が始まった。この演奏がライヴ収録であったことは、それまで気付かなかった。

もう一度、今度は朝早く起きて、雲の切れ目から差す朝日を浴びて輝く町を眺めながら、この曲を聞いてみた。少し大きめのボリュームで鳴らすと、冬の日の静かな室内が何ともノスタルジックな空間に満たされる。こんな美しいメロディーに溢れた曲だったのかと思いを新たにする。チャイコフスキーとは異なる、ラフマニノフにはラフマニノフにしか書けない音楽があったのではないか。

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