2016年2月10日水曜日

ハイドン:交響曲第93番ニ長調(コリン・デイヴィス指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団)

このブログのハイドン交響曲シリーズは、長い間中断していたが、いよいよ最後の段階に入る。第93番から最後の第104番までを「ロンドン交響曲」という。これらの交響曲にはハイドンの残した交響曲のもっとも素晴らしいものが凝縮されており、充実した味わいと完成度の高さで、それ以前の交響曲よりもずっと人気が高い。したがって録音も多い。

ハイドンがロンドンに招かれたのは幸運だった。それまでエステルハージ公に長く仕えてきたハイドンにとって、ようやく田舎から脱出し自らの才能を公に披露する機会となったからだ。1790年、58歳の時である。この話を持ち掛けたのは、ヨハン・ペーター・ザロモンという人で、彼は2度ハイドンを招いている。よってこの期間につくられた「ロンドン交響曲」を「ザロモン・セット」とも呼ぶ。

ハイドンは1791年から翌92年にかけてと、94年から95年にかけての2度ロンドンを訪れた。交響曲第93番から第98番までの6曲が第1期、第100番から第104番までの6曲が第2期の作品である。私は1792年のロンドンからの帰途、ボンに立ち寄った際にまだ若かったベートーヴェンに出会い、ウィーンでの師弟関係を築く最初のきっかけとなったことに興味を覚える。この出会いがなければベートーヴェンがその後の音楽の突破口を開くことはなかったと思うからだ。

ハイドンは持病を患いながらも1809年まで生きる。ハイドンが没したとき、ベートーヴェンはすでに39歳であり、 もちろんモーツァルトはすでに亡く、シューベルトは12歳であった。古典派からロマン派に移る激動の時代をハイドンは生きたことになる。しかしハイドンは古典派の父であり、その作風はこの晩年の交響曲群でもその域を出ることはなかった。

交響曲第93番は、そのようなハイドン晩年の入り口にふさわしい風格を備えている。そう思ったのは私が、コリン・デイヴィスの演奏を聞いた時だった。第94番「驚愕」や第101番「時計」などの表題付き交響曲とは違い、どちらかというと地味な存在である。そのためどのような音楽かわからなかった。ところが聞き始めてすぐに、この音楽の虜になってしまったのだ。おそらく演奏が素晴らしかったからだろう。デイヴィスの厳格ともいえる指揮に一糸乱れぬアンサンブルで聞かせるコンセルトヘボウ管弦楽団は、黄金のコンビと言ってよいほど完璧なリズムとアクセントに加え、「いぶし銀」の音色と気品を持っていた。フィリップスの芸術的な録音によって、この音楽の魅力が余すことなく収められている。

第1楽章の序奏からその魅力はよく伝わってくる。だが3拍子の主題が勢いよく流れだすと、じっとしてはいられないような気持になるのだ。第2楽章のゆったりとしたメロディーも中間部に至ってはダイナミックで飽きさせず、第3楽章のメヌエットがまた襟を正したくなるような楷書風の演奏である。飾り気なくグイグイと進む。第4楽章の高速感とその間に見え隠れする楽器の重なりは、今日親しんでいる交響曲像に近い。

第2楽章の終わりでファゴットが大きな音を出す。おならではないかと一瞬思う。それはつまり、「驚愕」などにも込められているハイドンのユーモアなのだろうと思う。

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