
2度目はCD時代になってからのことで、ゲオルク・ショルティによるものが発売されたときである。ショルティはとても速く、初めて耳にした時には、まるでやっつけ仕事のようにこの2曲を録音しているように感じられたものだが、今携帯プレイヤーにコピーして聞 きなおしてみると、溌剌として爽快である。ここでオーケストラはシカゴ響やウィーン・フィルではなくロンドン・フィルである。ロンドン・フィルのハイドンと言えば、あのオイゲン・ヨッフムの演奏が思い出される。デッカは20年以上が経過したロンドン・フィルのハイドン演奏に、ショルティを起用したということになる。
演奏会ではハイドンは自らフォルテピアノを弾きながら指揮をしたようだ。楽譜にはチェンバロのパートがあり、一連の録音では饒舌なチェンバロの音色を楽 しむことができる。第1楽章アレグロでの出だしからその響きは印象的だが、面白くて画期的なのは第4楽章のコーダで、一時チェンバロがまるでカデンツァのように登場して、主役を務める何小節かがあるのだ。このチェンバロが登場する前には、曲はいつになったら終わるのだろうかというくらい長いコーダが始まり、 ヴァイオリン奏者による独奏が混じったり、急にテンポが落ちてバロック音楽のような感じになったりと、楽しさが尽きない。
第4楽章のメロディーのすがすがしさと、いつまでも終わらない千変万化する長大な終結部の楽しさがこの曲の特徴であり、私の好きなところだ。けれども第2楽章の深々とした祈るようなメロディーもまた、この曲に独特のムードを与えている。このメロディーは、若くして死去したモーツァルトへの追悼の音楽であるという説がある。真偽はわからないが、そのように聞くと確かにそういう気がしてくるのも事実である。おそらくモーツァルトの緩徐楽章を思わせるようなパッセージだからではないかと思う。いずれにせよこの曲は、ハイドンが成功を得た後で自信を持って披露したユニークな交響曲であるとも思う。
これで1年余りに及んだ第1回のロンドン旅行は終わった。オックスフォード大学で名誉博士号を与えられたハイドンは、ウィーンへの帰路ボンに立ち寄り21歳のベートーヴェンに会う。ハイドンは彼をウィーンに呼び寄せて弟子とすることに決め、第2回目のロンドン旅行に同行させるつもりだったという。だがそれは実現しなかった。ベートーヴェンは意固地な反逆児であったから師匠の言うことを聞かなかったのだろうか。だがベートーヴェンが師匠の成功を利用するような生き方を選択していたら、彼は音楽史に埋もれた凡百の作曲家に成り下がっていたかもしれない。
最後にもう一度。この曲に関する限りショルティの演奏が最高に素晴らしい。春の嵐が吹き荒れた翌日の朝、私は江戸川の河川敷を歩きながらこの曲を聴いた。第4楽章のすがすがしさは、私をしばし幸せな気分にさせてくれた。
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