でもそこが面白いところで、ニックネームが付けられたことによってこの曲は有名になった。とにかくレコード録音では売れ行きの問題から、標題付きの作品が好まれた。私がこの曲を聞いたのも、比較的初期のことである。その時の印象は、どちらかと言えば薄いものであった。この曲はロンドン交響曲の中でも最も最初に作曲されたが(素晴らしいミンコフスキのロンドン・セットでは、この曲が最初に収録されている)、そういう嘘まがいのエピソードは、イギリス人が考えそうなユニークなマーケティング戦略だったのではないか、などと穿った考えも沸いてくる。

だがハイドンはプロの音楽家のために曲を書いたのではない。おそらくロンドンに詰めかけた聴衆の多くは、素人の音楽好きだった。わかる人にはわかるクラシック音楽は、わからない人にとってもそれなりに楽しめるものであるべきだ。
そういう観点で改めて聞いてみると、少なくとも第1楽章の素晴らしさは理解できるように思う。簡潔にして荘重な序奏は見事だが、ひとしきり第1主題が提示され、それが繰り返されて展開部に向かうとき、この音楽の構造の豊かさが感じられるのだ。それは展開部の後半で音程が一気に上がるあたりだ。そして休止があるかと思うと第1主題が現れる。これは本当の再現部ではなく「疑似再現」というらしい。もう一度休止。本来の再現部はここからである。そしてその再現部でもまた、高音域に達する部分があり、この2か所の効果でこの楽章の壮大さが見事に展開されている。
この曲はなぜかオーボエが多く活躍するように感じられる。序奏の最後、第2楽章の最後(カデンツァ)、そして第3楽章の中間部などである。実際には他の楽器もまんべんなく出てきて、第2楽章のコーダ部分などとても趣がある。その第2楽章は当時の編成を考えるととても重厚で、ベートーヴェン的にも感じられる。
クラウディオ・アバドの指揮するヨーロッパ室内管弦楽団は、合計8曲の交響曲録音を残しているが、この「奇蹟」もその一つである。もっともアバドのハイドンはこれだけであり、ロンドン交響曲の一部でしかない。それでもこの「奇蹟」は80年代のアバドの演奏を知るうえでとてもいい演奏である。モダン楽器ながら贅肉を配し、すっきりとした響きの中にもダイナミックでリズム感がある。いまではむしろ真面目すぎるくらいで、大人しい演奏に聞こえるが、まだ重厚な演奏が主流だった時代に新風の如くと登場した演奏である。
ヨーロッパ室内管弦楽団という若手中心のオーケストラが、そのような鋭敏なアバドの指揮に良く応え、技術的にも上質の新鮮な響きがすこぶる魅力的である。
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