2016年2月29日月曜日

モーツァルト:ピアノ協奏曲第15番変ロ長調K450(P:アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリ、コード・ガーデン指揮北ドイツ放送交響楽団)

モーツァルトのピアノ協奏曲第15番は1784年の作品である。フランス革命の5年前にあたる。わが国では浅間山が大噴火を起こし、天明の大飢饉が起こった頃。36年しかないモーツァルトの人生で、28歳というともう晩年にさしかかると言ってもいいくらいだが、モーツァルトらしい名曲が数々生まれるのは、もう少しあとだと思う。ピアノ協奏曲でも第20番以降が圧倒的に素晴らしく、そしてそれだけが、数限りないくらいに演奏されている。

ピアノ協奏曲第15番と聞いても旋律が思い浮かぶ人は少ないし、実演で聞いたこともない。ディスクでも全集の中に入っているので持っている、という程度である。わざわざピアノ協奏曲第15番を聞くことも皆無に等しい。私の場合もこのブログを書くために聞いたようなものである。ブログを書くのは、音楽をまんべんなく、かつ注意深く聞くためでもある。私の場合、そのためにブログを利用している、と言っても良い。たとえつたない文章でも書いて公開することで、曲について少しは詳しくなることができる。

そのピアノ協奏曲第15番を、こだわって録音した人がいる。レナード・バーンスタインである。彼はウィーン・フィルを振って60年代にこの曲と「リンツ」交響曲をデッカに録音した。どうしてこの曲を選んだのかわからないが、この録音は大変世評が高かったため、私もかつて小遣いで買った記憶がる。ところがその時、私は「リンツ」を含めちっともいい演奏に聞こえなかった。そしてどこかに行方不明になってしまった。

もう一人、この曲を取り上げてライブ録音したのが、イタリア人のピアニスト、アルトゥーロ・ベネディッディ・ミケランジェリである。彼はグレン・グールドと並び、とても風変わりなピアニストで、完璧主義者のためかレパートリーが非常に少ない。このため実際に上演された演奏のライブ録音が発売されることが多い。例えばウィーンでのベートーヴェンのピアノ協奏曲などは有名だが、この演奏が録音された70年代にはすでに、彼は「伝説のピアニスト」となっていた。

私はミケランジェリが90年代の半ばで生きていたことを知らなかった。ここにもう一つのライブ収録されたCDがあって、それがなんとモーツァルトのピアノ協奏曲第13番と第15番をカップリングした一枚なのだが、これが実は1990年の演奏である。もちろんライヴ。伴奏はコード・ガーデン指揮北ドイツ放送交響楽団。同じ組み合わせで第20番と第25番を組み合わせたCDもある。

この演奏はローカル線の車窓風景に似ている。たとえ保線状況が悪く、よく揺れたとしてもそこに絶景が広がっていると独特の風情を感じる人もいるというものだ。演奏の前後に拍手も収められているが、そのうちの3分の1は戸惑いながらも温かい拍手を送っている。だがもう3分の1は若い頃のミケランジェリの演奏を記憶しており、その落差に失望したかもしれない。残る3分の1は、「伝説のピアニスト」が病気に耐えながらも独自のタッチを続けており、一生懸命にモーツァルトの音を紡ぎだすことに力を注いでいることに驚き、惜しみない拍手を送っている。オーケストラはそのピアノに好意的に寄り添い、新鮮で明るい。

ミケランジェリのピアノのタッチは独特である。そのこだわりのためにこのモーツァルトの演奏では、ルバートがかかる箇所が多くなっている。それが好きになるか嫌いになるかの分かれ目であると思う。私の場合、最初は辟易しながら聞いたが、その後次第に面白くなり、今ではこの曲の演奏のベストのひとつではないかと思い始めている。ライヴではなく繰り返し聞くことのできるCDの強みである。何度かきくうちに、時にバランスを崩しそうになる演奏が、体に馴染んでくるとでも言おうか。

このころのモーツァルトの曲は、幼児っぽくもなければ晩年のとてつもない宇宙を感じさせるわけでもない。そのような曲は、曲としては完璧なのだろうけれども真面目に演奏しすぎると面白くないのだ。例えばペライアやヤンドーの演奏を、こじんまりとした美しい演奏だとは思うが、ミケランジェリの、ちょっと突き抜けた演奏で聞くときの興奮は得られない。

もしかするとバーンスタインも、今聞けば考えが変わるのかもしれない。第一バーンスタインはこの曲が好きなのだろう、ニューヨーク時代にも録音している。バーンスタインを惹きつけた何かがこの曲にはあるのかもしれない。ピアノが常に前面に出て、早くなったり遅くなったり、常に演奏をリードする。これはピアノのための管弦楽曲であることを良く表している、そういう点でそれまでの曲より一歩進んでいる感がある。

第1楽章の、ピアノがそっと入るところは粋だが、そのピアノが次第に饒舌になり、気が付くとピアノだけが聞こえてくるような感じがする。第2楽章にいたっては、つぶやくように静かで落ち着いた中にモーツァルトのロマン性がにじみ出てくる。かといって晩年の寂寥感はまだあまり感じない。バレンボイムの演奏を何度か聞いてきたが、今では中途半端な演奏に思えてならない。第3楽章では、こけそうに遅いながらも春の山道を歩くような喜びがにじみ出る。これはミケランジェリがくれた個人的なプレゼントである。なおこの演奏でもモーツァルト自残したカデンツァが用いられている。

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