モーツァルトのピアノ協奏曲第12番は、第11番より前に作曲された。このためバレンボイムなどのCDでは、12番が先に収録されている。まあけれども、そんなことはどうでもよい。第11番から第13番まではモーツァルトのウィーン・デビューを飾る作品でもある。予約演奏会を開催し、自ら演奏して曲を披露し、そして楽譜を出版する。資本主義社会では当たり前の音楽の商品化は、おそらくこのころから始まった。モーツァルトは(間違いがなければ)世界最初のフリーランスの作曲家であった。
自信があったのだろうと思う。ザルツブルクの司教と決裂しなければ、私たちは今でも天才の作品をこれほど多く楽しむことはできない。フリーとして組織を飛び出すことは、勇気のいることだ。だが彼はそれをやってのけた。
モーツァルトはこの作品群について 「むずかしすぎずやさしすぎず、音楽通はもちろん、そうでない人もなぜだか満足」できるような作品にしたと手紙に書いている。この頃の彼のマーケティング戦略は、完全に聴衆を意識したものだった。管楽器抜きの弦楽四重奏編成でも演奏できるように作曲されていもいるらしい。当然のことだろうと思う。都会に出てきたばかりの若者なのだから。
第1楽章は自然でのびやかな作品で、ピアノはそうっと入っていく。さわやかな風が吹き抜けていくようだ。これに対して第2楽章は何かとても繊細で、静かな曲だと思った。資料によるとここの主題は、作曲時に亡くなったJ.C.バッハの作品からとられているという。モーツァルトはJ.Sバッハの息子でバロックから古典派への橋渡し的存在となったJ.C.バッハを尊敬していたという。だとすればこの曲は、モーツァルトによるJ.Cバッハへの追悼音楽だったのではないだろうか。
この作品を第21番K467とカップリングしているのが、「1000人にひとりのリリシスト」と言われたラドゥ・ルプーである。1974年の録音だから、まだデビューして間もない頃である。ルプーの演奏で聞くこの曲の演奏は、とても新鮮であるということだ。
なおこのCDで指揮者を務めるのは、イスラエルの指揮者ウリ・セガルである。私は大阪出身だから彼が大阪センチュリー交響楽団の指揮者であることをよく知っていたが、実演を含め一度も演奏を聞いたことがなかった。こんなCDの伴奏をしていたのだと、今更知って驚いている。
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