だが、ハイドンの音楽が好きで、もともとは鉄道ファンでもあった私は、この両方の趣味を一度にまとめたこの本を迷わず買い、そして読んだ。ハイドンの渡英だけでなく、生い立ちから亡くなるまでの人生の中で、主なゆかりの地を辿っていることで、興味深かった。ハイドンにちなむ紀行文なんて他に目にしたことがないのだから、まあこれはアマチュア的ではあるけれども貴重だと言わねばならない。
その本によると、ハイドンがどのような経路をたどってロンドンへ旅したかは、詳細にはわかっていない。ウィーンに戻ったハイドンは、1年余りのインターバルを置いたのち、1994年から95年にかけて再度イギリスを訪れ、何回もの演奏会を成功させている。第1回目の成功があまりに良かったからだ。その時に書かれたのが第2期ザロモン・セット、すなわち交響曲第99番から第104番までの6曲である。
ハイドンの107曲もの交響曲の中で、とりわけ有名でしかも良く演奏される作品が、ほぼすべてこの中に含まれる。すなわち第101番「時計」、第104番「ロンドン」などである。けれどもその中に名前を持たない曲が2曲存在する。第99番と第102番である。私の場合も「ロンドン交響曲」のうち、コレクションに加えた最後の2曲がこの2つである。丁度この2曲がカップリングされたネヴィル・マリナーCDが発売されたのだった。
そして聞き始めてすぐに、私はこの2曲を好きになった。特に第102番がいい曲だと思ったのだが、そのことはあとで書くとして、まずは第99番である。この作品はまだウィーンを経つ前に書かれている。当時まだ本格的にオーケストラに取り入れられていなかったクラリネットが登場する(第4楽章などに聞こえる)。地味でありながら序奏から最終楽章まで、いろいろと飽きることのない名曲だろうと思う。
後期のロンドン・セット(第2期ザロモン・セット)はどの作品も、ハイドンの交響曲の集大成ともいうべき完成度で、そのままベートーヴェンの交響曲に至るように大規模、充実したものだ。すべての音楽に無駄はないばかりか、当時としての技巧を凝らしているらしい。その詳細を書くことはたやすいことではない。たとえ書いたとしても、素人にはよくわからないものになってしまう。例えば序奏における斬新な転調の見事さは、文章にするとこういう感じである。
まあそんな分析よりもこの序奏は素晴らしいし、第1楽章全体も素晴らしい。9小節目の最後の音は変ロ音のユニゾンだが、これが10小節目で半音上がって変ハ音になると、変ハ音はハ音の半分下がった音だから、ロ音と同じと見ることが出来る。そうするとロ音は、ホ短調の属7の根音だからホ短調に転調する。そこで今度はロ音をハ短調の属7の第3音と見てハ短調に転調する。さらにハ短調の下属和音を経てゆけば、ハ短調の属和音に入るというわけである。(「ハイドン106の交響曲を聴く」(井上太郎、春秋社)
第2楽章は珍しくソナタ形式だそうだが、そういうこともまあ知らなくてもいいわけで、むしろ木管楽器が変幻自在に絡み合う様子がとても印象的。私個人の感想としては、これはモーツァルトの「ジュピター」の第2楽章に似ているように思う。音楽の素人だから、こういうことが自由に言えたりする。
第3楽章はスケルツォの走りのような音楽だそうだがメヌエット。この楽章を絶賛する人もいるようだが、私には少し単調に聞こえる。それに比べると第4楽章はまた木管楽器も活躍し、とても素晴らしい。交響曲第82番に「めんどり」というのがあるが、これも何か鳥が鳴くようなかわいらしい部分が多いので「おんどり」とでもすれば良かったのか、などというバカげたことも考える。
第99番の演奏を今回立て続けにいろいろな演奏で聞いてみた。そしてどういうわけかやはりこのマリナー盤に行き着くのだ。モダン楽器による演奏だがきっちりとまとまっており、室内オーケストラの特徴を生かしてさっぱりと仕上がっている。マリナーはあまり日本では人気がないが、90歳を超えても現役で、なんと今年春、この組み合わせで来日する予定である。
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