2024年3月8日金曜日

武満徹:映像音楽集(尾高忠明指揮NHK交響楽団)

尾高忠明指揮大阪フィルの東京定期で聞いた武満徹の「波の盆」という曲が忘れられず、この作品が収録されたディスクを探した。するとその尾高の指揮した演奏が2枚見つかった。このうち録音の古い方は札幌交響楽団とのもので、英Chandosレーベルからリリースされている。もう一枚は最近2022年の録音でNHK交響楽団。こちらは今どき珍しいセッション録音とのことである。札響とのCDには黒澤明監督の映画「乱」の音楽が収められている代わりに、N響とのCDにはドラマ「夢千代日記」のテーマ曲が収録されている。私は「夢千代日記」には大きな思い入れがあるので、録音も新しいN響盤とすることにした。

テレビドラマ「夢千代日記」は1981年にNHKで放送された「ドラマ人間模様」の作品である。1981年と言えば私は中学生だった。吉永小百合が演じる置屋の女将が神戸の病院へ行った帰り、急行列車がトンネルを出て餘部橋梁にさしかかるシーンに、武満徹が作曲した音楽が流れる。原作は早坂暁。暗く悲しい冬の日本海は、海がしけると海鳴りがする。私の実家は兵庫県にあるのだが、日本海側の風景は瀬戸内側とは全く違い、まるで別世界のようだ。

夢千代さんは広島に原爆が投下された時、まだ母親のお腹の中にいた。「胎内被爆」というシリアスな問題を扱っていることに加え、今では死語となった「裏日本」の情景がリアルに描かれているなど、昨今のドラマにはない趣である。戦後まだ30年余りしか経っていない頃の話で、バブルになる前の昭和の時代の、今から思えばまだ真っ当だった頃のドラマである。

好評だったのだろう、この作品は「続・夢千代日記」さらには「新・夢千代日記」と続編が制作され、1985年まで続いた。ドラマの始まりのシーンと音楽は、ずっと同じものが使われた。私はもう一度見たくなり、確か2002年頃BSで再放送された時に全部見た。丁度白血病の移植後の療養中のことで、夢千代さんも同じ病気なのか、と考えるととても他人ごとではない気持だった。ただ三朝温泉には大きな病院はない。だから彼女は、わざわざ県庁所在地の神戸まで通院する生活を送るのだった。

夢千代さんの余命はあと2年。この時現れた元ボクサーの松田優作は、夢千代さんに生きる勇気を与える存在だったが、皮肉なことに松田優作は1989年、40歳の若さで死亡。一方の吉永小百合は水泳で健康を維持する元気な役者として今でも大活躍している。

さてその「夢千代日記」の音楽は、短いながらも大変印象的である。これほどドラマの内容、山陰地方の風景、さらには主人公の心情を端的に現したものはないと言える。この音楽を聞くだけで、ドラマの世界が蘇る。武満のモダンにして日本的な音楽は、運命を背負った行き場のない悲しさを冷静に見つめ、そのことがかえってつらさを強調する。そしてもしかすると、その中にこそ希望が見える。

次の収録曲は映画「太平洋ひとりぼっち」の音楽である。この作品は1963年に制作されているから、私はまだ生まれていない。主演は石原裕次郎、監督は市川崑。映画こそ見ていないが、原作の本は中学生の頃に、図書館で借りて読んだ記憶がある。堀江謙一は西宮のヨットハーバーを出てサンフランシスコまで、無寄港単独の太平洋横断を成し遂げる。その後、世界一周も果たし、さらには高齢なってもなおヨットに乗り続けている。私は関西のテレビに彼が良く出演していたのを覚えている。

音楽は芥川也寸志との共作である。全編明るく、丸でポピュラー・オーケストラの曲のようであり親しみやすい。青年の明るい未来と航海をさわやかに表現している。

3番目の曲は「3つの映画音楽」で、「ホゼー・トレス」、「黒い雨」、「他人の顔」の3部から成り、それぞれ「訓練と休息の音楽」、「葬送の音楽」、「ワルツ」が副題として付けられている。このうち「ホゼー・トレス」は勅使河原宏監督の記録映画(1959年)で、武満29歳の時の作品。駆け出しのころだと思うが、すでに前衛作曲家として頭角を現してたようだ(Wikipediaより。以下同じ)。

「黒い雨」は言わずと知れた井伏鱒二の小説で、映画は1989年、今村昌平が監督を務めている。「黒い雨」とは原爆の投下直後に降った放射能を浴びた雨のことで、原爆症を発症すると髪の毛が抜け落ちる。衝撃的な内容で、私も小学生の頃に中国が核実験を行った時、雨に当たると髪の毛が抜けると言われて真剣に心配した記憶がある。この曲が最も暗く、そして陰鬱である。

「他人の顔」は安部公房原作の小説。勅使河原宏監督作品(1966)。私が生まれた年である。「ワルツ」はこのCDの中で一服の清涼剤のように軽やかで気持ちが安らぐ。

さて、最後に置かれたのが「波の盆」である。この美しい音楽は、一度聴いたら忘れられない。テレビドラマ「波の盆」は1983年に日本テレビ放送網で放映されたようだ。脚本は倉本聰、監督が実相寺昭雄、主演が笠智衆らである。錚々たる布陣のドラマの内容は、ハワイに移住した日系人が太平洋戦争によって引き裂かれる世代間の相克と和解を描いている。

ドラマは見たことはないが、音楽を聞いただけでも美しさで胸が熱くなるから不思議である。冒頭のメロディーはのちに回想され、3部構成であることは聞いているとわかる。途中、急に行進曲風の明るい部分があって驚くが、これは一瞬にして終わるのも面白い。尾高忠明はこの曲を良く取り上げているようだ。武満徹が作曲した映像音楽は数多いが、その中でも屈指の作品を収録したこのディスクは、やはり購入して手元に置いておきたくなる。

武満徹は1996年2月、61歳の若さで亡くなった。この時、親交の厚かった小澤征爾はニューヨークにいて、ウィーン・フィルとの北米ツアー中だった。私はこの時(2月29日)、カーネギーホールでマーラーの「復活」を聞いた。舞台に現れた小澤は盟友タケミツが亡くなったことを告げて黙祷を捧げ、さらにはバッハの「G線上のアリア」を演奏した。

その小澤は先日の2月6日、88歳で亡くなった。弟子の山田和樹が読響の定期演奏会で、武満の代表的作品「ノヴェンバー・ステップス」を含むコンサートの指揮中に訃報が伝わったらしい。しかし山田は追悼演奏を行わなかったとのことである(「小澤先生は音楽は楽しく演奏するべきだと語っていた」云々)。


【収録曲】
1. 夢千代日記
2. オーケストラのための組曲「太平洋ひとりぼっち」
3. 弦楽オーケストラのための「3つの映画音楽」( 「ホゼー・トレス」、「黒い雨」、「他人の顔」)
4. オーケストラのための「波の盆」

2024年3月3日日曜日

新日本フィルハーモニー交響楽団第654回定期演奏会(2024年3月2日すみだトリフォニーホール、秋山和慶指揮)

齢50歳をとうに過ぎた男が、甘く切ないラフマニノフの音楽に落涙するなどといった恥ずかしいことがあるだろうか?だがそういうコンサートだった。ラフマニノフの音楽がかくも美しく響いたのを聞いたことがない。それをそつなくこなす指揮も職人技だが、オーケストラ、特に木管楽器の素晴らしさといったら!新日本フィルがこれほど巧いと思ったことはないが、このオーケストラも世代交代が進み、実力を上げつつあるような気がする。それだからか、チケットの売れ行きもいいのではないか。昨年音楽監督に就任した佐渡裕の功績があるのかも知れない。

昨年の2023年はラフマニノフの生誕150周年にあたり、かの作曲家の作品が数多く演奏されたが、私はついに一度も聞く機会に恵まれなかった。特に交響曲第2番は、数ある作品の中で最も有名な曲であり、私は一度聞いてみたいと思っていた。この作品は一年中どこかのオーケストラによって演奏されるような人気のある曲で、これまで一度も聞いてこなかったのが不思議なことなのだが(というのは嘘で、記録によれば過去に2度聞いている。だが記憶にない)。

先週になって新日本フィルから一通の電子メールが届き、この交響曲第2番が演奏される3月2日と3日の定期演奏会に、当日券が発売されることを知った。よく見ると秋山和慶が指揮をする。これはちょっと驚きで、私は家族が旅行に出かけて留守番をしている時だから、行こうと思えば行ける。私は嬉しくなった。問題は体調だが、前日に同じ墨田区の両国国技館の近くで、友人とお酒を飲んだにもかかわらず比較的元気である。一般に同じプログラムのコンサートが複数の日程で行われる場合、どちらを選択すべきかは難しい問題である。今回も3月3日の方が、私の家に比較的近いサントリーホールでのコンサートなので、通常ならこちらを選択するところだが、直前まで迷った挙句今回は早く聞いてみたいと思い、錦糸町まででかけることにしたのだ。

会場は上岡敏之のブルックナーの時と違って落ち着いた雰囲気であり、相当数の席が売れ残っていた。全体に静かで、カフェでコーヒーなどを飲む人も少ない。日本人指揮者の地味なプログラムだからだだろうか。その前半は細川俊夫の「月光の蓮~モーツァルトへのオマージュ~」というピアノ協奏曲(ピアノ独奏:児玉桃)である。日本人の現代音楽の作品は、最近よく取り上げられるようになってきてはいるが、一般的にはなかなか敷居が高い。かくいう私も細川俊夫自体、初めて聞く。

細川はヨーロッパで活躍する日本人作曲家で、我が国よりもドイツでの知名度が高いのではないか。この「月光の蓮」も2006年、モーツァルトの生誕250年の年に、北ドイツ放送交響楽団の委譲により作曲された作品である。プログラムによればその時の条件として、モーツァルトのピアノ協奏曲から1曲を選び、それと同じ楽器編成で演奏できること、ということだったらしい。細川は第23番を選び(K488)、第2楽章からインスピレーションを得てこの作品を作曲した。どうして「蓮」なのか。そのあたりの説明は解説書に任せるとして、この初演時のピアニストが今回の独奏も務める児玉桃であ。私は彼女の演奏に過去一度だけ接している(プレヴィン指揮N響によるメシアンの「トゥーランガリラ交響曲」、2011年)。

児玉のピアノは、さすがのこの曲を初演しただけに完全に手中に収めている。同様に手慣れた曲であるかのようにしっかりと寄り添うオーケストラもまたプロフェッショナルなものを感じた。「蓮」は仏教の世界観に通じ、その東洋的な音色は時に特徴的なトーンを発するのが印象的だったが、20分あまりの曲の間中、月夜の明かりが照らされる幻想的な世界が全体を覆っていた。

美しいとか神秘的というよりもむしろ、静寂の中に潜む「静」の光景を見ている側の精神性を試されるようなところがある。これは日本人であれば、共通して感じるようなものがあるように思うが、西洋音楽として表現された場合に、ヨーロッパでどういう受け取り方がなされるのかはわからない。そんなことをぼんやりと考えていたら次第に眠くなってきて、気持ち良い心地であった。ところが曲が終わりかけた頃に、ピアノがあのモーツァルトのフレーズを演奏したものだから(K488の第2楽章の主題)、一気に目が醒めた。月夜が照らす蓮の小池の風景が、モーツァルトの旋律によってリアルに眼前に現れたのである。

20分の休憩を挟んでいよいよラフマニノフである。オーケストラも打楽器を含めて舞台に勢ぞろい。もう80歳を過ぎた秋山はしっかりとした足取りで舞台に登場。そういえば小澤征爾と同じ斎藤秀雄の門下生として「サイトウ・キネン・オーケストラ」の最初のコンサートを指揮したのは秋山和慶だった。小澤ほどの世界的な人気はないが、秋山の音楽はしっかりと堅実、これまでのコンサートはすべて記憶に残る名演奏だった。その秋山が、先月逝去した小澤が設立した新日本フィルの定期に登場するのは珍しいのかも知れない(秋山和慶といえば、何といっても東京交響楽団である)。

最近はX(旧Twitter)でコンサートの感想をいち早くつぶやいたり、関係者がプロモーションを行うことが多い。この日もコンサートマスターの崔文洙がリハーサルの様子を伝えていた。それによれば、このコンサートを聞き逃すと後悔する、といった内容で、私はこの文章に心を動かされたのは確かである。そして今日のラフマニノフは、そのことを全く裏付けるものだった。

第1楽章の冒頭から、その完成度の高さに驚いた。よくあるような尻上がりに調子を上げる、というものではなく、まさに最初からアンサンブルは素晴らしく、確固たる足取りである。私はこれまで「すみだトリフォニーホール」で名演奏に出会ったことはほとんどなかったのだが、今回は1階席の後方左端という条件にもかかわらず、オーケストラの音はバランスが良く、各楽器も埋もれずに聞こえる。これは指揮者の功績以外の何物でもないだろう。

第2楽章のスケルツォも大変充実した出来栄えで、たっぷりと堪能することができたが、続く第3楽章のメロディーに至っては聞いているうちに胸が熱くなった。この曲は最高のムード音楽だなどと思っていたが、それもかくも完璧に演奏されると圧巻である。クラリネットの独奏がことのほか綺麗で、フルートとオーボエも遜色がない。金管楽器もロシアの大地を思わせる。それらが破綻せず、絶妙のブレンドのまま高揚したかと思うと、また静かに感傷的なメロディーを受け継ぐ。

ラフマニノフの音楽は、ロマンチックで甘美なロシア音楽の情緒を継承しつつ、ドイツ=オーストリア系の構成論理も融合した作品を生み出した、とブックレットには書かれていた。音楽的にはそのように解釈すべきなのかも知れないが、素人的に言えば、最高のムード音楽もしっかりとした音楽として成立しているからこそ聞きごたえがあるのだろう。うっとりとする時間が十分に長く続き、さらには第4楽章で打楽器も交じる高揚感に包まれる。ゴージャスなクラシック音楽の醍醐味が、ここに尽くされている。それを余すことなく表現する指揮とオーケストラに、私は打ちのめされたと言って良い。

拍手は醒めてはいないものの、総じて熱狂的でもなかった。だが温かい拍手が続く間、指揮者とオーケストラは満足感に溢れていた。あまりに感動的だったので、再度明日のコンサートにも出かける人がいるかもしれない。だが私は、今日以上のコンサートになるとも思えない。そんな完成度の高い新日本フィルの今後の演奏会が注目される。帰宅して検索してみると、来週の井上道義指揮によるマーラーの交響曲第3番は、すでに完売していることがわかった。そしてその翌週、今度は上岡敏之が登場する。金曜日のマチネとなると空席だらけかと思いきや、残りわずかとのことである。私は慌てて、この日のコンサートのチケットを予約しておくことにした。シューベルトの「グレイト」交響曲など、いまから大いに楽しみである。

2024年3月1日金曜日

東京都交響楽団演奏会(都響スペシャル)(2024年2月23日東京芸術劇場、エリアフ・インバル指揮)

長男が生まれた時、大いなる喜びと同時に大変なことになったと思った。それまで経てきた人生の十数年を再び経験しなければならない。自分自身ここまで来れたのも奇跡のようなものなのに、それとまた同じだけの日数を、課題に都度直面しながら対処していかなくてはならない。とてつもなく長い時間が待ち受けているように感じた。あれから18年が経ち、いよいよ大学受験の年となった。大学受験ともなると、定期考査とは違い持久戦である。一夜漬けが意味をなさない代わりに、終わってもさあこれから自由だと簡単に気持ちが切り替わるわけではない。むしろ茫然自失腑抜けのように、暫くは何もしたくない心境に陥るものだ。

私は当事者ではなく、親の立場である。それでも、というよりはだからこそ、特にこの1年間は、かなりの心的配慮を重ねてきたつもりである。そうと悟られないよう最新の注意を払い、平静を装いつつも心は到底穏やかではなかった。これは入院生活と似ていると感じた。そしてそれが開けた日、 つまり試験が終わった日は、ちょうど退院の日に相当する。この先どうなるかわからないのは、合格発表までの期間と同じだ。まずは終わってホッとする。次第に喜びが湧いてくる時があるとすれば、それは数日経って気持ちに少しの余裕が生じてくる頃である。それまでは、とりとめのない日々を送る。そのようにして少しずつ元の気持ちを取り戻していく。

こんな時にはどんな音楽を聞きたくなるのだろうか。先行きの明るい状態であれば(私も初めての入院時はそうだった)、ウィンナーワルツでも聞いて踊り出したくなる気分だろう。 だが生死の間をさまよい、とりあえず退院の許しを得て帰宅したものの、この先どうなるかわからないような不安定さの中では、そんな単純な音楽など聞きたい気持ちになれなかった。どういう曲がしっくりくるか。私はクラシック音楽の中でいろいろ考えた挙句たどり着いたのが、マーラーの交響曲、それも後年のそれらであった。私は第7番のシンフォニーを聞き、初めて何かが分かったような気がした。喜びと絶望が入り乱れ、 半分気が狂ったのではと思うような曲が、私に安らぎを与えた。マーラーの交響曲との向き合い方について、その発展の変遷を頼りにたどっていく。すると、希望の見える若い頃の作品がやがて混乱、絶望、そして、祈りに変わり、最後は諦め、受容、悟り、そしてとうとう死後の世界への憧憬へと昇華していくことがわかった。

未完の交響曲第10番は、そんな マーラーが最後にたどり着かざるを得なかった場所ではなかったか。そうだ、 第10番を聞こう。息子の合格発表を待ちながら、私は持病が刻一刻と悪化の一途をたどり、この先どうなるかもわからないという絶え間ない恐怖の中で、家族には平静を装い自らの意識をもだましながら仕事と家庭生活を続けてきた。毎日が体調との戦いで、それでも少し元気な日があれば、外に出かけている。数年前に痛めた腰、歩くと痛い足、そして満足に物が食べられない日常の中で、今日は2ヶ月ぶりに特急列車に乗って房総半島を南下、館山市にある坂東三十三箇所巡りの最終目的地那古寺へと向かう。コロナ禍となってから本格的に始めたこの寺巡りは、積極的に自動車を使い、ほぼ毎回日帰りで東京から出かけてきたが、それでも何年もかかった。いよいよ最後は結願だから、こういう時に行くのがふさわしい。嬉しいことに、ここのところ候が悪かったが今日はよく晴れている。

京葉線の無機的な車窓風景を眺めながら、昨日聞いたエリアフ・インバル指揮でマーラーの交響曲第10番を聞いている。息子の将来への第一歩は、どういう結果となるにでよ、まもなく少し前進するだろう。私の今後は少し深刻だが、それも息子の進学で気持ちはかなり楽になる。特にこの1年間は、2つ以上の問題が私にのしかかり、押しつぶされそうな日々に耐えてきた。毎月のように、体調が良い時だけは行動に出て全国を歩き回り、そうでない時は音楽を聴いていた。その一区切りに相応しい絶好のタイミングで、今回のコンサートの存在を知った。それは1月のことだった。不安に耐えきれなくなるような日に、昨年夏に訪れた 能登半島を大地震が遅い、私が滞在した輪島の中心部も壊滅的な被害を被った。数百人が命を落とし、数万人が家を失った。元日の悲劇は、それまで静かに暮らしていた多くの人々を、一瞬のうちに不幸のどん底に突き落とした。

先の見えない 不安や予期せぬ不幸は、限られた人にだけ降りかかるものではない。だからマーラーの音楽には普遍性がある。この未完に終わった第10番は、長い間単一楽章、すなわち「アダージョ」として知られてきた。私がかつて一度だけ実演で聞いたこの曲の演奏も「アダージョ」だけだった。この時、「嘆きの歌」や歌曲を含む全ての管弦楽作品を聞き終えたのだった。ところが第10番の交響曲は、続く第2楽章以降にも多くのスケッチが残っており、マーラーはそれらを完成させようとしていたのは明白である。とすれば、それらを何とかして完成させ演奏するのが個人の意志でもある。デリック・クックはその意思を継ぎ、全曲を補筆完成させた。全5楽章あるこの補筆版は、今やこの曲の演奏のデファクトスタンダードとして 演奏会で取り上げられるようになってきている。今回東京芸術劇場(池袋)で聞いたインパルによる都響の定期演奏も このクック補筆版であった。

ここで このクック版が、どのように作られ、何がどうなのか といった細かいことはここには書かない。それよりもむしろ、私は毎日心の混乱状態を少しずつやりくりして、何とかコンサートに出かけるだけのほんのわずかな 体力と気力を持つように努めたこと、そして薬の副作用の眠気や腰痛の中にあってなお、2階席の片隅に腰を下ろし なんとか70分の間、このマーラーの演奏に耳を傾けたことについて書かなければならない。演奏を楽しんだのかと聞かれると、とてもそうではない。だが退屈だったわけでは決してないし、ビオラの冒頭のアンサンブルが聞こえてきた時から、すさまじいまでの美しさに唖然として目からウロコが落ち、フルートをはじめとする木管楽器の惚れ惚れとする独奏が加わると、体が硬直するようなほどの感動的体験だったと言わねばならない。これがいつも聞いている都響の音かと思った。

不思議な時間だった。 どこを切り取っても同じような曲が1時間以上続く。この曲はそれまでのマーラーの作品とはやや異なり、どこか散文的で浮世離れしている。だから私の心境によく合っていた。インバルの演奏が、オーケストラにいつもとは違う感覚を与えていた。何十年にも亘りマーラーの名演を繰り広げてきた関係性ゆえに実現できたものだと思う。実際、このコンビはこれまで、2回ものマーラーチクルスを完成させていて、録音もされ大変評価が高い。この10番も前回(2014年)が空前の名演だったことが至る所で語られている。私は2回目のチクルスの最後の方で聞いた「大地の歌」が、もうこれ以上ないほどの大変な名演奏だったことを昨日のことのように覚えている。

私を乗せた特急「わかしお1号」勝浦行きは、つのまにか千葉市内を通り抜け、外房地方を走っている。九十九里浜の向こうから昇る朝日が眩しい。それにしても都響はうまかった。インバルの解釈がどうなのかは正直よくわからないのだが、オーケストラの音色に終始驚きっぱなしだった。完全にマーラーの音だった。中低音の厚みに木管が絡み、金管が咆える。大太鼓が第4楽章で何度も打ち鳴らされる。コーダで静かに消えていく永いメロディーを、私はまぶたを閉じて聞き入った。目から情報を入れたくはなかったのだ。 前日の平日マチネーを含め2日間、ほぼ満席だった会場は物音一つしない。音楽が消え行って静寂の時が永遠に続くのではないかとさえ思われた。指揮者がゆっくりと腕を下ろし、やがて拍手とブラボーが乱れ飛んだ。88歳にもなるマエストロは幾度となく舞台に呼び戻され、オーケストラが去った後でさえもそれは2回に及んだ。

マーラーが想像し表現しようとした死後の世界を、私もやがては体験することになるのだろうか。でもそんなことはない。この1年間、このことを毎日のように考えてきたけれど、それはもっと後になってからで良いのだ。私はまだそんなに年老いてもいないと思っている。しかしマーラーはこの作品を完成させずに、1911年旅立ってしまう。50歳の時であった。

那古寺から館山市内を望む

2024年2月18日日曜日

ブルックナー:交響曲第6番イ長調(ヘルベルト・ブロムシュテット指揮サンフランシスコ交響楽団)

前にも書いた通り、交響曲第6番は私がブルックナーに開眼する契機となった曲である。なぜだかはわからない。当時20代だった私は、大阪から東京に出てきて最初の年に、いきなりN響の定期会員になった。といっても新入社員の月給は非常に安かったのでC席を選択した。3階席でも割と前の方で、しかも中央より。そして春に入社してまだ研修中だというのに、私は1992年4月から毎週のように、定時に会社を抜け出してはNHKホールに向かうことになった。

平日なので満席ということはなかったが、仕事を終えた安堵感と、簡単には解けない緊張感が交錯して音楽に集中するのが難しい。それでも東京での演奏会に出向いていることの嬉しさが勝っていた。慌ただしく席についてオーケストラの出番を待ちながらプログラムに目を通していると、間もなく演奏が始まる。知らない曲も多いので、開演前に飲んだワインの力もあって、睡魔に襲われるのに時間はかからなかった。その日は定期会員としての最初のコンサートで、東京で聞く初めてのコンサートだった。

当日のプログラムの前半は何とハイドンの交響曲第3番などで、後半はブルックナーの交響曲第6番。すべて初めて聞く曲だったし、ガブリエル・フムラとかいうポーランド人の指揮者も知らなかった(N響への客演も2回目、しかもこれが最後だった)。私は当然のように眠り、目を覚ましてからまた聞き続ければいいと開き直っていた。長いブルックナーの交響曲はそのような私にもうっけつけで、第2楽章はゆったりとしたメロディーが起伏を伴いながら進行する。私はブルックナーの音楽を散漫で退屈極まりないと思っていたから、その日は何も期待していなかった。ただN響の演奏会とはどのようなものであろうかと、初めて巨大なNHKホールに行ってみることが目的だった(あとでわかったことには、このコンサートはフェルディナント・ライトナーが指揮する予定だったが、病気で交代したらしい)。

おそらく第3楽章のスケルツォあたりで目が醒め、そして当然の如くその後は頭が冴えわたった。第4楽章に入り、次第にコーダに向かっていくところで、私の脳に化学変化が起きた。どういうわけか、ブルックナーの音楽がアルプスを背景にそびえるゴシック風建築(教会)に思えてきたのである。一糸乱れぬN響が、まるでひとつの楽器になったように思えた。私は雷に打たれたように動けなくなった。それから終演までの数分間は、まったく奇跡のようにどこか遠くの世界へ行っているように感じた。フォルティシモになっても綺麗なアンサンブルとは、かくも美しいのかと思った。

会場にいたすべてのひとがそう感じたわけではない。温かいが醒めた聴衆からは、普段と変わらない不熱心な拍手が起こり、テレビ収録もある日の客席は7割程度の入りでしかない。だが私には、それが大名演に思えた。熱心に拍手をして指揮者のカーテンコールを楽しんだ。心が幸福感で満たされ、私はブルックナーの音楽がこれほどにまで浄化作用のある音楽だとは思わなかった。なぜ多くの人がブルックナーに心酔するのかが、少しわかるような気がした。

このような「ブルックナー現象」は、常に生じるわけではない。むしろ滅多にしか起きない。だがごくまれに、ほんの偶然のように、雲の合間から光が差してアルプスの高峰が、金色に輝く時がある。畏怖の念さえも感じさせるそのような瞬間は、まさにライブで演奏を聞く醍醐味と言える。

さて、交響曲第6番は、改訂だらけのブルックナーの音楽には珍しく、ほとんど稿の違いというのが存在しない。作曲者自ら完成度が高いと考えていたのだろう。比較的平凡な第4番を経て初めてブルックナーらしさが確立する曲が第5番と言われているが、第5番は少し暗くなかなかいい演奏に出会えない。これに対し、この第6番は比較的演奏によるむらがないと言える。続く第7番、そして最高の(と私は思う)第8番の4曲が、連なるアルプス連峰のようにそびえている。特に第2楽章アダージョの素晴らしさは、他の曲に引けをとらない。全体に楽天的で明るく、こういう音楽ならずっと聞いていたい、何も考えたくない、とさえ思わせる。

第1楽章は親しみやすいメロディーだが、何となく複雑でぎこちない展開に感じる時もある。私のイメージは朝の音楽である。第3楽章のスケルツォは、少し聞いただけでブルックナーとわかる曲である。ホルンの活躍するトリオ部分を挟んでたっぷりと楽しめる。第4楽章はちょっととりとめがない雰囲気が漂う。けれども第1楽章から聞いてくると、この楽章はそのまま勢いで聞ける。特にコーダは快速に飛ばし、一気にたたみかけるように終わる。

私がブルックナー好きになるきっかけとなったこの交響曲は、ディスクを揃える際に、特に綺麗な音で聞きたいと思った。いろいろ探し求めていた矢先、ヘルベルト・ブロムシュテットがサンフランシスコ交響楽団を指揮したデッカ盤がリリースされた。ブロムシュテットにはこのサンフランシスコ響盤を含めて3種類あるらしいが、これは2番目のもので、今となっては存在感が薄い。他の2種を聞いていないので何とも言えないが、私はこの演奏で満足である。とにかくしみじみと綺麗で明るく、健康的。交響曲の前にはワーグナーの「ジークフリート牧歌」が収録されており、こちらも静かで整った名演。とにかくサンフランシスコ響の美しいアンサンブルに聞き惚れるうちに曲が終わる。

2024年2月17日土曜日

ブルックナー:交響曲第1番ハ短調(マレク・ヤノフスキ指揮スイス・ロマンド管弦楽団[リンツ稿]、アンドリス・ネルソンス指揮ゲヴァントハウス管弦楽団[ウィーン稿])

ブルックナーが最初の交響曲である第1番(習作を除く)を作曲したとき、作曲家はすでに40代の半ばだった。そのあとに9曲の交響曲を作曲したわけだから、大変遅咲きの部類に入る。なので、最初の頃の作品だからと言って、若さが前面に出ているようなところはあまりない。むしろ晩年の作品にも通じるような充実度を見せていると言える。

交響曲第1番を、そのように私は思っている。だがこの作品には2つの稿が存在する。作曲された時のリンツ稿と、改訂されたウィーン稿である。晩年の改定は1年以上の期間に及び、それは交響曲第8番の作曲後だったということから、2つの稿の違いはブルックナーの作風の変化を大きく反映していると言わざるを得ない。詳細にどこがどうということを知らなくても、実際に聞いた印象が随分異なるように感じる。ただそれには、この曲に対する演奏者の解釈によるところも大きいと思う。初期の作品らしく、速く荒れ狂うように演奏するものが「リンツ稿」には多いのに対し、晩年の作品のような円熟味を感じる演奏が「ウィーン稿」には多いと思うからだ。

私が所有している本作品のCDは、マレク・ヤノフスキがスイス・ロマンド管弦楽団を指揮したSACD(Pentatone)である。ここで聞ける演奏(リンツ稿)は、録音効果もあって大変活気があり、一点の曇りもなくまい進する快演である。ブルックナーの音楽は、特に自然体でゆったりと気宇壮大に進む演奏スタイルが効果的であって、多くのブルックナー・ファンはどちらかというとそういうのを好む。私もどちらかと言えば、こういう円熟味を帯びたブルックナーが好きだと、これまでは言ってきたのだが、この演奏に接して前者、完璧な機能美を前面に出して直線的に進む演奏も、またいいものだと感じた。

この交響曲第1番については、これまで演奏の主流を占めてきたのは、初期のリンツ稿である。活気ああって、機能美の極致とも言うべき精度でオーケストラが鳴り、圧倒的な高揚感を味わうことができる。オイゲン・ヨッフムのような定常あるブルックナー指揮者も、この作品ではリンツ稿で演奏を繰り広げている。

一方、ウィーン稿におけるブルックナーの改訂は、こういう傾向を緩和する方向に向かっている。特に第3楽章の印象的な違いは大きく、この楽章の速度がリンツ稿では生々しく野性的でさえある。特にこのヤノフスキの演奏で聞くと、また違う側面が強調されていて面白い。スイス・ロマンド管の演奏が素晴らしく、それを的確にとらえたすこぶる優秀な録音が、このディスクの最大の特徴だと思う。

さて歳を重ねると、若い時の行動が青臭く、時に気恥しく感じられるのが普通である。ブルックナーも若い(と言っても40歳だが)頃の交響曲第1番に対し「生意気娘」と呼んで大幅な改訂を行った。と言ってもこの作品をよみがえらせる作業をわざわざ行ったのだから、それなりに気合の入ったものだっただろうし、そうする価値があると思ったに違いない。もともと良い作品だと思っていたということである。この感覚もわかるような気がする。

現在では「リンツ稿」による演奏が多くなっているようだが、「ウィーン稿」で演奏された最近のディスクで私のお気に入りは、アンドリス・ネルソンスがライプチヒ・ゲヴァントハウス管を指揮した演奏である。これは一連のブルックナー全集の完結編となるものだ(他に交響曲第5番、ワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」から「前奏曲と愛の死」が収録されている)。ネルソンス盤(ウィーン稿)とヤノフスキ盤(リンツ稿)では聞いた時の印象がまるで異なる。わかりやすい違いは演奏時間で、ネルソンス盤が約55分要しているのに対し、ヤノフスキ盤はたった約47分である。つまりネルソンス盤は約2割長い。

第1楽章アレグロは、威勢のいい行進曲風の主題に時折木管楽器が絡み、オルガンの音を彷彿とさせる金管のアンサンブルが交錯する。もうこの時点でブルックナーの特徴が満遍なく出ている。第2楽章アダージョも大変美しいが、ヤノフスキの速い演奏で聞くと、高速道路でスイスの湖近くを走っているような感覚を思い出す。

もっとも特徴的な第3楽章はスケルツォ。まるで刑事ドラマの展開部のようなメロディーである。これを実演で聞くと、両翼に並んだヴァイオリンとヴィオラの掛け合いが楽しく、そのあとをチェロが似た音型を次々に演奏してゆくシーンが面白い。繰り返しがきっちりとあるので、ブルックナーの第3楽章は平凡なトリオを挟んで何かと冗長な音楽に感じられることもあるが、いい演奏で聞くと楽しくていつまでも聞いていたい。

終楽章フィナーレは「快速に、火のように」と指定された荒々しい音楽である。いよいよドラマも大詰めという感じ。最近では原典版に立ち返る傾向が強いため、リンツ稿による演奏が主流となっているが、先日聞いた下野竜也指揮による都響の演奏会でも、そしてネルソンスの新盤もウィーン稿であるのは面白い。「若々しさが失われた」ことに抗ってリンツ稿の速い演奏を取るか、「最終稿でより円熟味のある」ウィーン稿を良しとするか、これは楽しい比較作業である。クラシック音楽を聞く楽しみのひとつが演奏による違いであるが、ブルックナーの場合、ここに稿による違いも加わる。特にこの交響曲第1番においてはその違いが顕著で、ブルックナーの音楽演奏の際立った2つの傾向を反映しているだけに、この面白さが際立つこととなる。

2024年2月15日木曜日

ショスタコーヴィチ:交響曲第5番ニ短調作品47(エフゲニー・ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団、レナード・バーンスタイン指揮ニューヨーク・フィルハーモニック)

私は大阪で育ったから、朝日放送で週末夜に放送されていたテレビドラマ「部長刑事」を何度も見ている。たった30分の刑事ものというのも珍しいが、このドラマは少し変わっていて派手なシーンはあまりなく、むしろ心理ドラマとしての面白さが前面に出たユニークなものだった(と記憶している)。全国にネットされているわけではなく、刑事も犯人もみな関西弁丸出しのセリフだから、私にとってはたいへん身近に感じることができた(通常のテレビドラマは標準語で会話がなされるため、関西人には親近感がわかない。特に学園もの)。

さてその「部長刑事」に登場するテーマ音楽が、ショスタコーヴィチの交響曲第5番第4楽章なのである。ところがこのドラマに使われる演奏は遅い。我が家にあったレナード・バーンスタインによる演奏は、これとは対照的にめっぽう速い。この違いは、この作品を語る上で避けて通れない「第4楽章のテンポ」問題なのである。遅い方を採用する指揮者は、私の知るところではヤンソンス、インバルなど。近年は原典主義の流行で、新しい録音ほど遅い演奏が多くなっている。

どちらが好きかという前に、この作品の初演者で今なお評価が高いムラヴィンスキーの演奏に耳を傾けてみる。するとそれはバーンスタイン同様に一目散に駆け抜ける演奏だ。というわけで、ここの演奏は速いのが標準だと思いたくなる。ところが、このムラヴィンスキーの演奏のもとになっているのが、出版された楽譜(遅い方)ではなく、手書きされた写譜だというのである(速い方)。ムラヴィンスキーの初演にはショスタコーヴィチ自身が立ち会っているから、わけがわからなくなる。テンポの問題は、実は第4楽章冒頭だけでなくコーダにもある(コーダではバーンスタイン盤がめっぽう速いのに対し、ムラヴィンスキー盤は重くて遅く、対照的である)。

どちらが正解かよくわからないのだが、まあ細かいことはさておき、この曲の魅力は何といってもその分かりやすさではないだろうか。ショスタコーヴィチは暗黒の時代を生きた作曲家だった。スターリンによる粛清はあらゆる分野に及び、人気作曲家でさえも例外ではなかった。因縁をつけられ、事実ではなくても批判されたり投獄されるのは日常茶飯事だったのではないかと思う。そういった批判をかわすため、ショスタコーヴィチはそれまでとは違った明快な音楽を作曲した。それが第5番の交響曲だった。一時「革命」とも題されたその音楽は、寒さと飢えに苦しむ農民が、やがて雪崩を打つように首都に侵入し革命を勝ち取るというストーリーである。これがベートーヴェン以来の「苦しみからの勝利へ」という第5交響曲の図式に、変にマッチする。

だがその解釈を真っ当に受けてよいのだろうか。この「勝利」は偽りの勝利であり、第2楽章のワルツは強制され、第4楽章の歓喜は銃口を向けられた中で繰り広げられる狂気であると解釈することもできる。共産主義に迎合したのか、それとも表面的には社会主義を讃えつつも、虐げられた芸術家の魂の叫びこそが隠されたテーマなのか、それはわからない。だが、ムラヴィンスキーの初演にショスタコーヴィチは立ち合い、その初演は大成功に終わることでショスタコーヴィチの名誉は回復、以降2人の親交は続き、ムラヴィンスキーはショスタコーヴィチの作品の多くを演奏した。交響曲第5番は結果的に、正反対の2つの解釈が可能なものとして在り続けている。

第1楽章は長く、フルートのソロや行進曲風のメロディーなど様々なテーマが現れ、ピアノやチェレスタといった楽器も登場する。これだけでも十分に楽しいが、第2楽章のスケルツォになるとロシア風のダンスで、重低音と管楽器の組み合わせが面白い。一方、第3楽章はこの曲の神髄とも言うべき部分で、弦楽器主体のラルゴである。寒さと飢えに苦しむ悲痛な響きで涙も出てこない。突如、ティンパニがクレッシェンドし、軍隊の行進のようなメロディーが威勢よく鳴り響く。金管楽器の旋律は一度聴いたら忘れられない。静かな部分も経て、再度主題が現れると小太鼓やシンバルなども登場し、祝祭的な音楽となってコーダに突き進む。オーケストラを聞く醍醐味が味わえる。

エフゲニー・ムラヴィンスキーは、ロシア革命前の1903年サンクト・ペテルブルグの生まれである。3年年下のショスタコーヴィチはまだ生まれていない。程なくしてロシア革命が起こり、以降、ソビエトが崩壊する直前の1988年に没するまでレニングラードのオーケストラを指揮し続けた。ムラヴィンスキーとレニングラード・フィルのコンビは、世界でもっとも高水準の演奏を繰り広げるものとして有名だった。しかし鉄のカーテンの向こう側の演奏の実態が知れ渡ることは、実際にはほとんどなかった。

我が国には1973年に初来日、以降2年おきに来日を果たすが、私が本格的にクラシック音楽を聞き始めた1980年以降は、予定されながら実現することはとうとうなかった。新聞の広告に何度か来日公演のチケット販売予告を見たが、その数か月後には「公演中止」の広告に変わった。録音嫌いでもあったムラヴィンスキーのショスタコーヴィチは、数多くのディスクが発売されているが、そのほとんどがソビエトで録音され音質が悪い。しかし第5番に関しては1973年来日時のNHK録音を始めとして、いくつかが知られている。今回私が聞いているのは、最晩年の1984年4月にソビエトでライブ録音されたものだ。Eratoから発売され、現在はDENONレーベルで音楽配信されている。音はいい。

このムラヴィンスキーの演奏と双璧をなすのが、西側の若手選手、レナード・バーンスタインの演奏だろう。もっともバーンスタインはロシア系の移民の子孫だったことから、ロシアへの愛着もあったのだろう。冷戦の雪解けが進んだ1959年、バーンスタインはニューヨーク・フィルハーモニックとともにモスクワの舞台に立つ。この時のショスタコーヴィチの交響曲第5番の演奏は、華々しく楽天的でさえある。この快活な演奏をショスタコーヴィチ自身が聞いていて、舞台に駆け寄った逸話は有名だ。バーンスタインは演奏旅行の後、ボストンでこの曲を録音した。現在聞くことのできるディスクは、この時の伝説的録音として今なお名高い。私が初めてこの曲を聞いたのも、我が家にあったこの演奏のLPレコードだった。

バーンスタインとムラヴィンスキーによる2つの演奏は、今もってこの曲の東西の横綱である。

2024年2月10日土曜日

プロコフィエフ:バレエ音楽「ロメオとジュリエット」作品64(小澤征爾指揮ボストン交響楽団)

セカイのオザワが亡くなった。小澤征爾の指揮するボストン響は、何十年にも亘ってその磨きかかった響きを維持し、精彩を欠くことはなかった。小澤征爾のディスクは名盤が数多く残されているが、その中でも屈指の出来栄えのひとつを取り上げようと思う。

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シェイクスピアの戯曲「ロメオとジュリエット」には、数多くの作曲家が音楽を付け、様々な作品に仕上げている。もっとも有名なのは、グノーのオペラだろうか。これはそのものズバリの名作。一方ベッリーニは「カプレートとモンテッキ」を書いているが、これはキャピュレット家とモンターギュ家という意味。アバドが取り上げたが、さほど有名な作品ではない。一方、英国の作曲家ディーリアスは「村のロメオとジュリエット」。バーンスタインは同じストーリーをハーレムに移し、ミュージカル「ウェストサイドストーリー」を作曲。古い両家の争いが、罪のない男女の仲を妨げるという純愛物語は、ゼッフィレッリの映画でこれ以上ないほどの美しさに仕上がっている(よくテレビで放映されていた)。私は高校時代、英語学習の副読本として簡単なものを読んた記憶がある。

ベルリオーズの劇的交響曲「ロメオとジュリエット」は、長いがなかなかの名曲である。ロシアに目を転じるとチャイコフスキーが幻想序曲「ロメオとジュリエット」を20分程度の作品に仕上げている。両家の戦いのシーンがまるでチャンバラのようだが、初期の傑作とされている。そして極めつけはプロコフィエフである。バレエ音楽として全4幕(9場52曲)から成る作品は、通して演奏すると2時間半もかかる大曲だが、様々な振り付けで上演され続けており、有名なメロディーは3つのバレエ組曲としてプロコフィエフ自身により編成され、演奏会でもしばしば取り上げられている。プロコフィエフはさらに、10の小品から成るピアノ曲にも編曲している。

バレエ音楽は長いから、その中の管弦楽曲だけを選別した組曲で親しむことも多い。けれども私は全体を通して聞くのが好きだ。チャイコフスキーの「白鳥の湖」も、ドリーブの「コッペリア」も、そのようにして聞くと有名なメロディーが繰り返し、繰り返し現れ、次第に耳に馴染んでくる。中には退屈な部分も多いが、ストーリーの時間の経過とともに音楽が自然に流れるので、唐突な感じがなく、聞き流していくといいBGMになる。車をドライブしながら、というのもいいかも知れない。しばしば冒頭に置かれ、数分で終わってしまう最も有名な「騎士たちの踊り」(組曲では第2組曲の第1曲「キャピュレット家とモンターギュ家」の中間部に登場する)の音楽も、全曲版では何度も登場する。繰り返しと言っても、そのままではなく少しずつアレンジがされていくから、聞いている楽しみが増す。

全曲版で親しめればそれでいいのだが、ややこしいことに全曲版から抜粋して構成された組曲が3つ存在する。この3つの組曲はそれぞれ独立していて、重複はないものの選曲や順序は全曲版と相当異なっている。3つの組曲も全部を演奏することはほとんどないから、さらに抜粋されることとなる。このとき、抜粋の曲やその並べ方は指揮者によって異なることが多い。そういう風にして、もともとの作品の構成からはかけ離れた抜粋版が数多く存在しているのが実情である。この結果、ある曲に続く曲が、以前に聞いた曲ではない、ということが起こる。しかもいくつかの曲は、オリジナルの曲をアレンジしている例も多い(「キャピュレット家とモンターギュ家」、「タイボルトの死」など)。以下に全曲版の順序を記載しておくが、多くの曲が組曲のどこかに組み込まれている(わかる範囲で★を付けた)。一方、第18曲のガボットはどこかで聞いたことがあると思ったら、実は古典交響曲の第3楽章を改作して転用したものだ。好きな順で聞けばいい、と言えばその通りなのだが、音楽だけ聴いても意味がわからなくなってしまうので、原作のストーリーに照らして理解するのが結果的に効率的であるように思う。全曲版で聞いておけば、長いが一番自然でわかりやすいと考える所以である。

第1幕
第1曲 前奏曲
第1場
第2曲 ロメオ
第3曲 街の目覚め★
第4曲 朝の踊り★
第5曲 喧嘩
第6曲 決闘★
第7曲 大公の宣言
第8曲 間奏曲
第2場
第9曲 舞踏会の準備
第10曲 少女ジュリエット★
第11曲 客人たちの登場(メヌエット)★
第12曲 仮面★
第13曲 騎士たちの踊り★
第14曲 ジュリエットのヴァリアシオン
第15曲 マキューシオ
第16曲 マドリガル★
第17曲 ティボルトはロメオを見つける
第18曲 ガヴォット(客人たちの退場)
第19曲 バルコニーの情景
第20曲 ロメオのヴァリアシオン
第21曲 愛の踊り
第2幕
第3場
第22曲 民衆の踊り★
第23曲 ロメオとマキューシオ
第24曲 五組の踊り★
第25曲 マンドリンを手にした踊り
26曲 乳母
第27曲 乳母はロメオにジュリエットの手紙を渡す
第4場
第28曲 ローレンス僧庵でのロメオ
第29曲 ローレンス僧庵でのジュリエット
第5場
第30曲 民衆のお祭り騒ぎ
第31曲 一段と民衆の気分は盛り上がる
第32曲 ティボルトとマキューシオの出会い
第33曲 ティボルトとマキューシオの決闘
第34曲 マキューシオの死★
第35曲 ロメオはマキューシオの死の報復を誓う
第36曲 第2幕の終曲
第3幕
第37曲 前奏曲
第6場
第38曲 ロメオとジュリエット★
第39曲 ロメオとジュリエットの別れ★
第40曲 乳母
第41曲 ジュリエットはパリスとの結婚を拒絶する
第42曲 ジュリエットひとり
第43曲 間奏曲
第7場
第44曲 ローレンス僧庵★
第45曲 間奏曲
第8場
第46曲 ジュリエットの寝室
第47曲 ジュリエットひとり
第48曲 朝の歌
第49曲 百合の花を手にした娘たちの踊り
第50曲 ジュリエットのベッドのそば
第4幕
第9場
第51曲 ジュリエットの葬式
第52曲 ジュリエットの死★

この作品は一時アメリカに移住していたプロコフィエフがソ連に帰国し、その最初に手掛けた作品である(1937年)。だからかどうかわからないが、音楽がわかりやすくて親しみやすい。20世紀の曲らしく新古典主義的な明晰さを備えたモダンなリズムがあるかと思えば、抒情的な部分もあって飽きることがない。

長年この作品の極めつけとして名高い評価を勝ち取り、それが今でも続いている演奏がある。ロリン・マゼールがクリーヴランド管弦楽団を指揮した演奏である。こういう曲に相応しい完璧な演奏である。デッカの録音も良い。ところが、この演奏を超えるほど感動的なのが小澤征爾指揮ボストン交響楽団による演奏だと私は思う(違う意見もある)。プロコフィエフを得意としている小澤の面目躍如たる名演で、すべての音楽が生き生きと蘇り、特に金管楽器の安定した巧さが光る。集中力を維持しつつも適切なテンポとリズムを堂々と採用し、乱れるところがない。あらゆるシーンが目に浮かぶようである。

実は私は、小澤がボストン響を引き連れてニューヨークを訪れた際、カーネギーホールで聞いた演奏会でこの曲を聞いたことがある。名演だったとは思うが、そのころはまだプロコフィエフの音楽に目覚めてはおらず、従ってさほど感動しなかった。だが聞けば聞くほど味わいが増すことから、プロコフィエフの中でも屈指の名曲である。前任セルの時代の名残を残すマゼールの演奏も捨て難いが、小澤の演奏をライブで聞いたことに因んで、ここでは小澤盤を採用した。

一方、組曲のディスクでは元の組曲の順に演奏しているものは少なく、その中からさらにいくつかを選び出して並び替えることが多い。私がこれまで聞いたもののなかでは、ムーティがシカゴ交響楽団を指揮した演奏が録音も良く気に入った。ただライブ録音のため全体で45分程度しかなく、ちょっと淋しい。全曲版がいいというのは、このような欠点を感じないからでもある。

「ロメオとジュリエット」の舞台になったのはイタリアの古都ヴェローナである。ここにはローマ時代の大きな野外劇場があることでも知られ、夏になると音楽祭が盛大に開かれる。私は学生の頃にここを旅行し「アイーダ」などを見た思い出がある。そのヴェローナには「ジュリエットの家」なる観光名所があるのだが、どうやらこれは偽物で、それらしい雰囲気のバルコニーが古いアパートの一角に設えてあるという代物である。

映画:「シラート」(2025年、スペイン・フランス)

「大統領のケーキ」を見た翌日、またもや救いようのない映画を見てしまった。作品のタイトルは「シラート」。アラビア語で「審判の日に天国と地獄の上に架けられる細い橋」を意味するらしい。つまり、死んだ人が集う場所から、それぞれが天国に行くか地獄に行くか、いったいどうやって決まるのか。それ...