2013年7月31日水曜日

モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第4番ニ長調K218(Vn:パメラ・フランク、デイヴィッド・ジンマン指揮チューリヒ・トーンハレ管弦楽団)

有名な第3番と第5番に挟まれた第4番のヴァイオリン協奏曲は、派手さはなくさほど有名でもないが、聞くほどに味わいもある曲だ。

威勢よくはないが、しっかりとした足取りで開始される第1楽章は、第3番や第5番のような爛漫な雰囲気ではなく、もう少し影がある。だが、このようなモーツァルトもまたいいものだ。第2楽章などは特に、そう思う。第3楽章になると、途中でヴァイオリンが2つの音を同時に鳴らすような弾き方をする。その部分が面白い。

パメラ・フランクによるこの演奏は、2枚組で1000円程度で買ったように記憶している。しかし録音の素晴らしさと、それになんといっても伴奏のトーンハレ管弦楽団の透きとおった、それでいて品のある伴奏は、丸でミネラル・ウォーターのように心地よい。デイヴィッド・ジンマンが指揮をしているこのARTENOVAのシリーズは、ベートーヴェンやシュトラウスなどの快進撃のあと、マーラーを経てシューマンやシューベルトの交響曲をすべてリリースした。

この2枚組は全集だが、どの曲の演奏も素晴らしい。特にここで私は第4番の演奏として、少し古楽器の影響を受けた最近の演奏で聞いてみたいと思った。この曲はそういう演奏によって、見事に新しい息吹を吹き込まれた。それもさり気なく。

まだ20歳にもなっていなかったモーツァルトのヴァイオリン協奏曲の録音を、これ以上集めることはないだろう。 すなわち、古いが今でも高貴なグリュミオー、個人的に好きな90年代初頭のベル、そして新世紀に入る頃のフランク。このどれかで、私の場合はまあ十分である。


2013年7月29日月曜日

モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第5番イ長調K219(Vn:ジョシュア・ベル、ペーター・マーグ指揮イギリス室内管弦楽団)

16世紀から17世紀にかけて、ウィーンは何度もトルコ軍に包囲され、その脅威にさらされた。だがそれもモーツァルトの時代にはすでに終止符が打たれていて、その後にトルコ風の文化の影響が残った。ウィーン中にいまでも多く残るカフェもそのひとつだが、音楽の側面においてもこの時期の、すなわちウィーン古典派の作曲家たちの間にトルコ風メロディーが流行る。モーツァルトやベートーヴェン、それにシューベルトまでもが「トルコ行進曲」を書いているし、モーツァルトのオペラ「後宮からの逃走」などは、その軽快なマーチ風リズムをふんだんに織り込んでいる。

ザルツブルクに住んでいたモーツァルトも、そのヴァイオリン協奏曲第5番の終楽章で、トルコ風のリズムを取り入れたのは流行のせいだろう。太鼓やシンバルこそ使われないが、オーケストラのコル・レーニョ奏法のリズムに乗って、独奏ヴァイオリンが印象的なメロディーをかき鳴らす。この曲が「トルコ風」といわれる所以で、初めて聞いた時にもそれとわかる部分であった。

昔の演奏は、第1楽章の冒頭から元気よくしかもおおらかに、この若々しいモーツァルトの音楽を表現しているように思えた。だがそのような演奏家が去り、世代交代が進んで、80年代は名ヴァイオリニストが少ない時代だったように思う。ところが90年代に入り、若い世代が瑞々しい感性で、それまでにはなかった雰囲気の演奏を繰り広げ、その多くが技巧的には、かつての演奏家を凌駕するかの勢いでもあった。

そのような中にあって、1991年に登場した若干24歳のアメリカ人ヴァイオリニストは、当時でも80歳になろうかとしていた名匠ペーター・マーグの安定感のある伴奏によって、のびのびと2つのヴァイオリン協奏曲を録音した。この演奏は、もし昔のSP時代の演奏家のレコードから、ヒス・ノイズを取り除いてデジタル化したら、こういう録音になったのではないだろうかと私を思わせた。雰囲気が何ともレトロなのである。

明るく天真爛漫という風ではないし、かといって技巧を強調するわけでもない。むしろ大人しくモーツァルトの音楽をそのままストレートに弾いている。伴奏が遅いので、たっぷりと時間をかけているということもある。だから第2楽章などはいつまでも鳴っている感じである。取り立てて特徴的ではないところが、何とも素敵な一枚である。思えば80年代では、そのようなひたすら真面目で綺麗な演奏が多かった。演奏のスタイルとして、今では物足りない感じがするとしても、この時の若い感性が、ほぼ同世代の私にとってしっくりと来ている。そしてジョシュア・ベルは、今でもとても魅力的な演奏を続けている名ヴァイオリニストであり続けている。

なお、このCDでは第3番、第5番ともに彼自身によるカデンツァが用いられている。

2013年7月25日木曜日

モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第3番ト長調K216(Vn:アルトゥール・グリュミオー、コリン・デイヴィス指揮ロンドン交響楽団)

モーツァルトの5つのヴァイオリン協奏曲は、集中的に作曲されている。第1番変ロ長調K207、第2番ニ長調K211は、しかしながらほとんど知られていない。これに対し、第3番ト長調K216と、第5番イ長調K219は有名である。比較的地味な第4番ニ長調K218が、これに続く。

私が初めてモーツァルトのヴァイオリン協奏曲を聞いたのは、確か中学生の時で、やはり第5番だったが、当時LPレコードの表と裏にこの組合せで収録されるのが通常だった。第5番は「トルコ風」というニックネームが付けられていて、特に有名な曲ということになっていた。CDの時代になってここにロンドハ長調K373やアダージョホ長調K216が加わった。

これらの一群のヴァイオリン協奏曲は、彼の19歳の年である1775年、ザルツブルクにおいて作曲された。故にこれらは「ザルツブルク協奏曲」と呼ばれているようだが、そのようなことはこれまで知らなかった。いずれもモーツァルトの若々しいリズムや、優雅なメロディーが溢れてくる名曲である。

私はイツァーク・パールマンの独奏、ジェームズ・レヴァイン指揮のウィーン・フィルによる演奏をテープに録音して楽しんでいたと記憶しているが、この第3番を初めて聞いたのは、 もう少し古いグリュミオーによる演奏によってだった。第5番しか知らなかった私は、第3番も大変素敵な曲で、その第1楽章の冒頭は忘れられないメロディーであることを発見し、大変嬉しくなった。それからしばらくは第3番ばかりを聞き、もしかしたら第5番よりもいい曲なのではないか、などと思ったりした。

後年になって、1960年代初期に収録されたこのコンビによるヴァイオリン協奏曲全集がCD2枚組の廉価版で再発され、私は躊躇なく購入したが、録音は大変素晴らしく、明るく歌うグリュミオーの屈託のないヴァイオリンと、それをサポートする若いコリン・デイヴィスの快速の伴奏が一体になって、聞く者を幸福にさせる。今でもこの演奏は、大変魅力的である。こんなに幸せな曲はないのではないか・・・あるとき若い私はそんなことを考えたことを思い出す。

快活な第1楽章に続く第2楽章の素晴らしさ。だが、今私はモーツァルトのオペラを毎日のように聞いている。「フィガロ」にせよ「魔笛」にせよ、いや「イドメネオ」だって、モーツァルトのオペラほど私を幸福にしてくれるものはない。このような音楽が果たしてあったのだろうか、などと今更ながら思う。オペラ作曲家としてのモーツァルトを知ってしまうと、それ以外のジャンルの曲が、「ついでに」作曲されたのではないか、とさえ思えてくるから不思議である。

だからといって、モーツァルトのヴァイオリン協奏曲もたまにはいいものだ。猛暑の夏に、一服の清涼剤のように、耳に心地よく響くメロディーを聞きながら、今日も電車で会社へと向かった。

2013年7月22日月曜日

管弦楽曲集Ⅰ・Ⅱ(ウォルフガング・サヴァリッシュ指揮バイエルン国立管弦楽団)

今年逝去したサヴァリッシュの録音が、追悼盤として発売されている。その中にもあり、また私がもっとも愛している隠れた名盤が、この管弦楽曲集である。2枚は別々に発売されたが、いずれもジャケットは指揮者の顔写真のアップである。このCDを企画した担当者の気持ちが現われているような選曲で、しかも素晴らしい演奏である。

第1集はロシア物が中心で、他にロシア人の指揮者によるコッテリした演奏がいくらでもあるのだが、ここはサヴァリッシュの演奏で楽しむべきものである。一方、第2集は喜歌劇を中心に、ポピュラー・コンサートである。だがサヴァリッシュの真面目な指揮はこれらの曲を、打ち解けた洒落っ気などほとんどない、実直な演奏として聞かせる。

ここには今ではほとんど聞くことがなくなったエロールの「ザンパ」序曲なども含まれているが、面白いのはサヴァリッシュがもっとも得意としていたモーツァルトやワーグナー、あるいはR.シュトラウスなどの曲が含まれていないことだ。 ウィンナ・ワルツやウェーバーの曲なども、既に録音があるために見送られたのかも知れない。だがそのことがサヴァリッシュをして振らせてみたい曲のオン・パレードとなった。

私はスッペの喜歌劇「軽騎兵」の演奏が聞きたくてこのCD(第2集)を買った。カラヤンの名盤があるのだが、ここではサヴァリッシュが聞きたかったからである。それはこのCDが発売される少し前、NHK交響楽団の演奏会でサヴァリッシュがこの曲を振ったのをテレビで見たからである。サヴァリッシュ・ファンの私にとってこのコンサートは、とても嬉しいものだった。だが当時、家にはビデオがなかった。テレビも1台しかなく、そのチャンネル権は喧嘩の末、弟に奪われた。落胆していた私は、その時とよく似たプログラムのCDがリリースされるのを聞いて、迷わず買うことにした。

このCDは日本の会社で企画され、録音されたようだ。よって東芝EMIから発売はされたが、レーベル名がEASATWORLDとなっている。1枚3000円のCDだったので2枚で6000円だった。そういう経緯があるにもかかわらず、このCDの解説には簡単な曲目の紹介があるだけで、録音に至った経緯などといったものは書かれていないのが少し残念であった。

私はこのCDをテープにダビングして、カーステレオで何十回と聞いた。当時私は毎日のように家の周りをドライブする必要があったので、その時には常に持ち歩いていた。そうすると、それまで聞いていなかった曲までもがサヴァリッシュ風の演奏に馴染み、耳にタコが出来る頃にはすっかりサヴァリッシュの音楽に染まってしまったのだった。ちょっと鈍重な感じの「ルスランとリュドミラ」序曲も、茶目っ気のない「天国と地獄」序曲も、フランス風のエスプリとは無縁の「スペイン狂詩曲も、これで大好きな演奏になったのである。

今ではほとんど聞き返すこともないが、思い出のCDとしてラックに収めてある。追悼の時が来た今年、久しぶりに聞いてみた。そしてこの文章を書いておこうと思った。私はここに収められている中では、今ではリムスキー=コルサコフの「スペイン奇想曲」がもっとも気に入っている。ストレートな演奏が、熱く燃えていく様がよくわかる。以下に収録曲を書き写しながら、ひとつひとつの曲を思い起こしている。

【収録曲】
第1集
  1.グリンカ:歌劇「ルスランとリュドミラ」序曲
  2.ボロディン:中央アジアの草原にて
  3.ムソルグスキー:交響詩「禿山の一夜」
  4.カバレフスキー:組曲「道化師」
  5.プロコフィエフ:組曲「3つのオレンジへの恋」より行進曲、スケルツォ
  6.リムスキー=コルサコフ:スペイン奇想曲
第2集
  1.スッペ:喜歌劇「軽騎兵」序曲
  2.エロール:歌劇「ザンパ」序曲
  3.スメタナ:歌劇「売られた花嫁」序曲
  4.スッペ:喜歌劇「詩人と農夫」序曲
  5.オッフェンバック:喜歌劇「天国と地獄」
  6.ウォルフ=フェラーリ:歌劇「マドンナの宝石」より間奏曲
  7.ベルリオーズ:「ファウストの劫罰」よりハンガリー行進曲
  8.シャブリエ:スペイン狂詩曲
  

2013年7月20日土曜日

プッチーニ:歌劇「トスカ」(1987年8月11日、ローマ・カラカラ浴場跡)

朝フィレンツェを発ち、昼過ぎにローマに着いたので昼食をテルミニ駅のカフェテリアでとっていた。外は30度を超す暑さである。今日の宿はあまり歩かなくてもいいように、駅の近くにしようなどと同行の友人と話していると、向こうのほうで手を振っているイギリス人の老人がいた。

彼は私たち日本人の学生に英語で話しかけ、昨夜見たオペラ「アイーダ」がいかに素晴らしかったかを話した。英語で話ができる人が欲しかったのだろうと思った。彼は私たちにも是非カラカラ浴場跡で開催される夏の野外オペラを見ると良い、と言った。「チケットはそこのオフィスで買えるから」とも付け加えた。

私たちと、そこに居合わせた他の日本人2人の計4人は、その忠告にしたがって当夜の出し物である「トスカ」のチケットを買った。記録によればチケット代は一人15000リラで、後方ではあるが中央寄りの席であることを考えるとこれは大変に安い。バスに1回乗って1200リラ、Tシャツが5000リラであったのだから。

「何でも見てやろう」の精神で、私たちは夜8時の開幕に、路線バスで駆けつけようとした。ローマ時代の遺跡を利用した野外オペラは、その後90年代に入って、遺跡の痛みが激しく中止されてしまった。だが2000年代に入って復活したようだ。この舞台では、あの「三大テノール」の最初の公演がされたことも知られているが、それはその3年後のことである。

ローマ市内を走るバスはわかりにくいので、私たちは路線図を片手に来たバスに乗り込むや、「カラカラ?」などと運転手に聞いてみた。ところがこれが通じない。運転手は乗客に向って、この日本人のいうことがわかるか?などと聞いている。この間バスは、満員の乗客を乗せたまま停車中である。やがてそばにいた夫人と紳士が「カラカーラ?」を聞いてきた。そうか、「カラカーラ」か。すると運転手はわかったようで、OKのサインをした。乗客たちに笑いが広がり、その夫人と紳士は私たちに発音指導をすることになった。「カラカーラ」「カラカーラ」「言ってみよ!」わかった、何やら恥ずかしかったが、言うしかない。私は大声で「カラカーラ!」と叫び、運転手は紳士と顔を見合わせ、「それでよし」という風にうなずいた。そしてゆっくりとバスは発車した。勿論その紳士は、降りる際、私たちに再度「カラカーラ」と言って念を押した。

イタリアの旅行がなぜ楽しいかは、この体験で実証された。思えばまだ旅行ブームが沸き起こる少し前であった。歌劇場へ着くと、私たちはうだるような暑さの中、うちわをもらい、一目散に席を目掛けてダッシュした。なぜならみながそうしていたからだ。もしかすると自由席だったのかも知れない。だが、そこには十分な席があり、着席するとやがて第1幕が始まった。

さて、ここで私は誰がトスカを歌い、誰がスカルピアを演じたか、指揮者は誰であったかを記録していない。日時は正確なので、いずれはわかるかと思うが、大変残念なことに初めてのオペラ体験はこのような記憶しかない。「トスカ」は甘いメロディーもあるが、「ボエーム」とは違ってもっと劇的で、しかも残酷なオペラである。プッチーニのほとんど唯一イタリアを舞台とした作品であって、その本場ローマで「トスカ」を見ることができるとは、何とも嬉しい限りであった。

字幕もないので、音楽を知らなかった私は、テ・デウムのシーンなどが素敵だったということと、有名なアリア「歌に生き、恋に生き」、「星も光りぬ」というシーンでは、他の観客と一緒に体を揺らして聞き入ったことくらいしか覚えていない。それから、開幕後第2幕までは、木々に蝉が多くいて、ライトに照らされてワンワンと泣いていたのが、第3幕となるとそのライトが消えて会場がとても静かになったことを印象深く覚えている。

夜半をすぎる頃にようやく終わり、臨時に運行されるバスを見分けて乗り込んだ。テルミニ駅近くの宿に戻ったのはもう、1時ころを過ぎていただろう。だが宿の若者は私たちを迎え入れ、陽気に歌いながら部屋の鍵を渡してくれた。賑やかなイタリアの夏は、アルプス以北とは全く異なった雰囲気であった。イタリアを訪れた多くの作曲家も、このようなイタリア滞在を楽しんだのだろうか、などと思いながら、心地よい眠りについた。

2013年7月17日水曜日

モーツァルト:セレナーデ第9番ニ長調「ポストホルン」K320(ネヴィル・マリナー指揮アカデミー・オブ・セント・マーチン・イン・ザ・フィールズ)

今年は例年になく早く梅雨が開け、暑い夏が到来した。このような暑い時期に、何か聞きたくなるような曲はないかと考えたら、どういうわけかモーツァルトの「ポストホルン」セレナーデが思い浮かんだ。若いころは良く聞いていた曲で、懐かしい。最初に聞いたのはカール・ベーム指揮による演奏だった。ここでオーケストラはベルリン・フィルだったと思う。かっちりとした、風格のある演奏だった。

モーツァルトが23歳の頃に作曲したこの曲は、彼のザルツブルク時代の最後の頃の作品である。セレナーデにはいくつかの有名曲があるが、この曲はその中でも最も大きな規模の作品で、全部で7楽章もある。それぞれの楽章が大変美しく、どの部分をとっても捨てがたいので、交響曲に編集して演奏するというのは勿体無い話だと思う。

私はとりわけ第1楽章を好むが、心が洗われるような第2楽章のメヌエット、一度聞いたら忘れられない第3楽章のコンチェルタンテ、それに第4楽章ロンドもいい。第5楽章になって静かな部分になるが、このアクセントのおかげで続く2つの楽章が印象的である。

その第6楽章に郵便局のホルンが使われている。ヨーロッパを旅行すると、郵便局のマークはこのポストホルンの記号である。ベートーヴェンも交響曲第8番第3楽章のトリオで、ポストホルンにヒントを得た素晴らしい曲を作っている。モーツァルトのこのポストホルンは、わずかな部分である。この曲のニックネームだけを聞いてこの曲を聴き始めると、なかなかここに到達しない。だがそれまでの曲も素晴らしいので、まあポストホルンは付け足しといった感じではある。第7楽章では再び堂々としたフィナーレとなって終わる。

私はこの曲のCDを何枚か持っているが、ここでは最初に買ったネヴィル・マリナー指揮アカデミー・オブ・セント・マーチン・イン・ザ・フィールズによる録音で聞いた。この演奏を初めて聞いた時、このような完璧な演奏は他にあるのだろうか、とさえ思った。それくらい録音と演奏が素晴らしい。だがそのように聞き惚れていた演奏も、今では少し大人しく、真面目すぎるなどと感じるのは、演奏スタイルの流行のせいであろう。

私は夏のスイスが大好きで、学生時代には2ヶ月を彼の地で過ごした。ポストホルンの響きに夏のスイスが印象づけられているのはそのためであるかも知れない。とにかく、このような素敵な曲を、完璧な演奏で聞いていると、何か少し涼しい気分がしてくるのは不思議なものである。

2013年7月14日日曜日

ヴィヴァルディ:ヴァイオリン協奏曲ト短調「夏」RV315(Vn:アンネ=ゾフィー・ムター、トロンヘイム・ソロイスツ)

太陽が焼けつくように厳しいこの季節、
人も家畜も活力を失い、
松の木も燃え上がりそうだ。
かっこうが鳴き始め、
山鳩とひわも歌う。

そよ風が心地良く吹く。
しかし北風が不意に襲いかかる。
羊飼いは嵐を恐れ、
自分の不運を嘆いて涙を流す。
 
激しい稲妻と雷鳴、
そして群れなす無数のハエに、
羊飼いの疲れた身体は休まることがない。
 
ああ、恐れていたとおりだった。
空は雷鳴をとどろかせ、稲妻が走り、
あられさえ降らせて、
熟した穀物の穂を痛めつける。

夏に聞きたくなる数少ないクラシック音楽のうち、ヴィヴァルディの「夏」は標題音楽としてこれほど印象的な曲はない。ここ数日の東京の天気そっくりなほど、その詩(ソネット)の情景はヴィヴィッドだ。今日の午後は、数ある録音の中から、ムターの新しい方の演奏で聞いてみた。

ムターはデビュー当初、カラヤンとこの曲を録音し、映像とCDで出ているが、この1998年の録音は自らが中心となって、より奔放に演奏を楽しんでいる。中でも「夏」はもっとも充実した出来栄えと思っている。

ここでの「夏」は当然、イタリアの夏である。ヴィヴァルディはヴェネツィアで活躍した作曲家なので、北イタリアだろうか。だが北であっても夏は驚くほど暑い。私も2度ほど夏のイタリアを旅行しているのでそれはよくわかる。しかも日本にようにどこにでもエアコンやジュースの販売機があるわけではない。

ここで表現されている嵐は、上空に寒気がやってきて不安定な天候によるものである。我が国では梅雨の末期、暑い日こそサウナに入ると涼しく感じられるように、このような暑い曲を聞くのもいいのかも知れない。だがこの演奏団体のあるトロンヘイムは、ノルウェーの中部にある小さな港町だ。透明で透き通るような、丸で買ってきた氷のような涼しさを感じさせる音色だ、などと勝手に思ったりして暑さをしのいでいる。


映画:「シラート」(2025年、スペイン・フランス)

「大統領のケーキ」を見た翌日、またもや救いようのない映画を見てしまった。作品のタイトルは「シラート」。アラビア語で「審判の日に天国と地獄の上に架けられる細い橋」を意味するらしい。つまり、死んだ人が集う場所から、それぞれが天国に行くか地獄に行くか、いったいどうやって決まるのか。それ...