2018年8月14日火曜日

ブルッフ:ヴァイオリン協奏曲第1番ト短調作品26(Vn:五嶋みどり、マリス・ヤンソンス指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団)

チョン・キョンファの演奏でこの曲を初めて聞いたとき、アリラン、または演歌のようだと感じた。こぶしのきいたアクセント、粘り気のあるアーティキュレーション、歌謡性に満ちたメロディー、そのようなものが東アジアの流行歌を思わせる。だがブルッフは19世紀に活躍したドイツの作曲家である。

ヴァイオリンの特性を生かした親しみやすいメロディーは、しばしばメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲ホ短調とセットにされ、発売された。同じロマン派の中頃に作曲されたのだから、当然といえば当然なのだが、私が不思議だったのは、ブルッフという作曲家の他の曲を聞く機会が、ほぼまったくないことだった(「スコットランド幻想曲」くらいだろうか)。このヴァイオリン協奏曲も第1番となっているが、では第2番や第3番は一体どんな曲なのか、私はいまだに知らない。

よく考えてみると、ヴァイオリン協奏曲だけが有名なこの時期の作曲がいる。パガニーニは別格として、ヴュータンやシュポーア、あるいはヴィエニャフスキなどである。彼らは技巧的で親しみやすく、それゆえに単純というか飽きられやすいという性格を帯びるため、現代でもさほど有名ではない。ブルッフの曲もまた、同じように少し低く見られている。いや、メンデルスゾーンだってかつてはそうだった。

ブルッフは民族音楽に題材を取った作品を多く残し、そのうちのひとつが「コル・ニドライ」というユダヤ民謡に題材を取ったものである。そういうこともあって私は長年、ブルッフもユダヤ人だと思っていたが、そうではないらしい。でも音楽は非常にユダヤ的な感じがするのは私だけだろうか。ほの暗く哀愁に満ちた旋律は、聞くものの琴線に触れる。夏の記憶が蘇るような懐かしさがこみ上げる。

まず第1楽章。冒頭の深く静かな中から次第にヴァイオリンが立ち上がってくる。まずここが聞きどころ。オーケストラに乗ってヴァイオリンが歌いだす。ここが最初の演歌。軽く叩くティンパニの響きが印象的。日本人としては適度な粘り気がいいが、ヴァイオリニストによっては過度にロマン的だったり、あっさりしすぎていたり、好みの分かれるところだろうか。

第2楽章に移行していくムードはメンデルスゾーンを思い出させるが、ブルッフはもっと簡単である。だが第2楽章は最大の聴き所で、時に物思いに沈み、時に消え入るかのような緊張を持続させながら、情緒たっぷりに歌うのがいい。

第3楽章では再び演歌となり、今度はこぶしを満開に利かせて走る。ブラームスのヴァイオリン協奏曲と似ていなくもないが、ブラームスにアジア的な情緒は感じない。どういうわけかこの曲は、私にとって歌詞をつければそのまま歌えそうな曲に思えてくるのだ。

今の私のお気に入りは五嶋みどりによる演奏で、伴奏はマリス・ヤンソンス指揮ベルリン・フィルというゴージャスなもの。ここでの五嶋は、彼女の真面目で素直な面と丁寧さを持ちながらも、明るく情熱的である。その適度な感覚がいい。まあこれも好みの問題かもしれないが。

特に第2楽章は、速度を落としてぐっとため込んだかと思うと、途切れることのない音色を最大限に引き伸ばし、ため息の出るような美しさに聞きほれていく。緩急と強弱の丁度いい塩梅。その表現力に心が揺さぶられる。第3楽章ではそれが再び演歌となってほとばしり、最後まで突き進む。曲が終わるや沸き起こる歓声に、これが実はライヴ録音だったことに初めて気づく。

2018年8月13日月曜日

チャイコフスキー:歌劇「エフゲニー・オネーギン」(The MET Live in HD 2006-2007)

広く高い舞台空間に、紅葉して赤や黄に染まった落ち葉が全面に敷き詰められている。この情景で季節は収穫期を迎えた秋の夕暮れだとわかる。けれどもそれ以外に、この場面を説明するものはない。地域も時代も。やがてそこでリンゴの皮を向く中年の女性たちが、「娘たちが歌っているわ、過ぎ去った昔にも、私がそうしていたように」とロシア語で歌う。時代背景については、その内容から次第に明らかとなっていく。夏のMETライブのアンコール上演で接したロバート・カーセンの演出によるチャイコフスキーの歌劇「エフゲニー・オネーギン」は、10年以上も前の2007年の上演で、舞台上にほとんど何もない、というものだった。

やはりこの時期に制作されたウィリー・デッカーの「椿姫」を思い出すまでもなく、いわば流行の演出というものがあったのだろうと思う。登場人物の心理描写に焦点を当て、必要最小限の物体のみを象徴的に残したうえで、その他のものを大胆に排除するこのような演出は、最初の印象こそ刺激的ではあるものの、飽きが来やすい。そのためだろうか、METライヴで取り上げられた次回の「エフゲニー・オネーギン」は、新しい演出となり、舞台はわかりやすいロシアの田園風景に戻された。第2幕での決闘のシーンでこそ、登場する人物中心に焦点が当てられたが、第3幕では華麗な舞踏も披露され、一転華やかな舞台に高貴な女性へと変貌したタチヤーナの衣装が映えるものだった。

それに比べると、このような上演に接するには想像力を養う必要がある。常に頭を働かせ、歌詞の内容や音楽から、ありったけの知識を総動員しながら、登場人物の動機や心理を考えなくてはならない。それはつまり、大変集中力が要ると同時に、見ている者の知識の水準が試される。各人が同じ印象を抱く確率は、どうしても少なくなる。初めてこの劇を見た時に知り得た情景でさえ、私は思い出す必要があった。思い出すことができない場合(いや、初めてこの作品に接する人がそうだろう)には、一体どういうことになるだろうか。要するにあまりに情報量が少ないのだ。CDを聞きながら歌詞を追う時に働かせる想像力とも少し違う。なぜなら私たちは、舞台上の歌手たちを目で見ている。その表情はカメラが確かに捉えているのだから。

けだし不思議な感覚である。デッカーの「椿姫」は、もう来シーズンには登場せず、新演出となることが決まっている。音楽はそのままに舞台のみ解釈を変えるという上演は、そもそも総合的な芸術であるオペラにおいて、演出家のウェイトのみが大きくなるという弊害を伴っている。そのことをまず踏まえたうえで、聴衆が作品に一般的に期待するイメージを、私は大切にしてほしいと思う。なぜなら普通の、多忙で金銭的にさほどゆとりのない私のような聞き手は、一生にそう何回も同じ作品の上演に接することなどできないからだ。

前置きが長くなったが、カーセンの「エフゲニー・オネーギン」は、そのように私を少しがっかりさせた。第2幕がそのまま第3幕につながれ、有名なポロネーズの音楽に乗って見せられるのは、なんとオネーギンの着替えのシーンである。この最大の娯楽的数分間に、数年間の時代の遷移を想像するという努力をしなくてはならない。これは私にとって大いなるフラストレーション以外の何物でもなかった。

ただ事実としては、チャイコフスキーはこの作品を、小さな芝居小屋で上演するような演劇として作曲し、初演している。この演出は、そういう意図に沿うことを意識したのかも知れない。室内楽的な緻密さと繊細さによって、抒情的なメロディーは一層深みを増し、心理的な要素を強調する結果となる。もちろんそのことを可能とするだけの、歌手の技量を伴っての話である。嬉しいことにこの点に関しては、この公演はほぼ満点の出来栄えであった。もしタチヤーナをルネ・フレミングが、レンスキーをラーモン・ヴァルガスが、オネーギンをディミトリ・ホヴォロストフスキーが歌わなかったら、こういう結果にはなっていないだろう。

なぜ今夏、このような古い方の舞台をアンコール上演したのかは、想像の域を出ないのだが、おそらくは去年55歳の若さで死亡したホヴォロストフスキーを偲んでのことと思われる。彼はこの上演の後に脳腫瘍を患い、闘病を続けていた。まるでオネーギンを歌うために生まれてきたとさえ言えるような貫禄は、この舞台からも彷彿とする。一方、ルネ・フレミングのタチヤーナは、先に見た次のプロダクションで歌ったアンナ・ネトレプコがほとんど完璧といえるような歌と演技だったため、見劣りがするのではと少し心配だった。けれどもそれは、まったくもって杞憂だった。長い「手紙の歌」は、舞台に机とベッドだけ。それでも長時間、聴衆を釘付けにし、圧倒的な歌唱を披露した。私はこれほど上手いフレミングを初めて見たような気がした。

レンスキーを歌ったヴァルガスはメキシコ人で「ロシア人に見えない」などとインタビューで笑っているが、イタリア・オペラ風でもあるその歌い方にも違和感はなく、むしろ艶のあるテノールの美声は、決闘を前にして歌う「レンスキーのアリア」を始めとして聞くものを圧倒した。

さらに脇を固める3人の歌手は、これもまた見事であった。オリガのエレーナ・ザレンパは、熟練の味わいで、素朴ながら力強い芯のあるロシアの女性そのもの。ロシア語ともフランス語ともつかない奇妙な歌を歌って当時の上流階級を皮肉ったひょうきんな家庭教師トリケは、当時の歌謡曲を模して作曲されたというシャンソンを歌ってコミカルな雰囲気を醸し出し、舞踏会のシーンに彩を添えた。さらには終幕で、タチヤーナの夫となったグレーミン侯爵を、バスの重鎮とも言えるセルゲイ・アレクサーシュキンが歌い、ロシアの歌はかくあるべし、といった感のある安定したバスの歌唱で満場の拍手をさらった。

オネーギンは厭世的で、鼻持ちならない自尊心を持つ若い貴族だが、放浪の旅から帰って来てタチヤーナに出会うや否や、本当の恋に目覚める。立場が逆転する男女は、実際には今でも思い合っているのだが、タチヤーナの決然とした理性から結ばれることはない。フランス・オペラのように殺人事件になったり、イタリア・オペラのように心中したりもしない。タチヤーナは、(かつて自身がそうされたように)オネーギンに率直に絶縁を告げる。そこに復讐の意図はない。だからこの作品は、素朴な味わいが損なわれることなく終わる。オネーギンは、失恋してもなお、これは恥辱であるとプライドを隠さない。そのことが本作品の、もっとも印象に残るところだ。

この作品に溢れる抒情的なメロディーは、聞くものの心をとらえる。歌劇「エフゲニー・オネーギン」の序奏の出だしから、私はまだ見たことのないロシアの広大な情景へと誘われる。オペラの伝統のなかった国で、イタリアにもフランスにも負けないくらい美しい作品が誕生した。メロディーはそのまま単純に演奏したら何の変哲もない音階である。だがそこにメランコリックな表情をつけると、見違えるほど豊かな抒情性を身に着ける。幕間に流されたメイキング・ビデオで指揮者のワレリー・ゲルギエフは、そのことを一瞬のうちに示して見せる。その瞬間にチャイコフスキーの音楽の神髄に触れたような気がした。

2018年8月10日金曜日

バーンスタイン:ウェスト・サイド・ストーリー(ケネス・シャーマーホーン指揮ナッシュヴィル交響楽団、ほか)

レナード・バーンスタインがウィーン・フィルを指揮して収録したベートーヴェンの交響曲全集には、指揮者本人による解説が付けられていて、これもまたバーンスタインの多才さを感じるビデオだが、その中の、確か第5番だったかで「ベートーヴェンは(突き詰めて考えた結果として)必然的な次の音を見出す天才だった」というような話があったように思う。非常にユニークな解説は大変興味深いものだったが、この表現を私はバーンスタイン自身の作品である「ウェスト・サイド物語」の音楽に使ってもいいと思う。

1957年というと昭和32年のことで、もちろん私はまだ生まれていないし、バーンスタインもニューヨーク・フィルの指揮者として快進撃を続けていた頃だった。 それはすなわち、もう半世紀以上も前のことで、「ウェスト・サイド物語」はブロードウェイのミュージカル史において一世を風靡した傑作として今でも上演されている。1961年には映画にもなり、私も何度かテレビで見た記憶があるが、その時にも感じたのは、この作品はとにかく音楽につきるということである。才気あふれるその音楽を、作曲者本人もその後録音しているのだが、どういうわけか未だにオリジナル・サウンド・トラック盤の世評が高いようである。もう録音はかなり古いというのに。

私はアメリカ人ではないから、この作品に抱く特別な感覚を理解できていないのかも知れない。オリジナル・キャストで聞く「マリア」や「サムウェア」をはじめとする抒情的な歌も、「アメリカ」や「マンボ」といったノリノリの歌も、いわゆりブロードウェイらしさ、ミュージカルらしさが全編に横溢しており、古き良きアメリカの文化を彷彿とさせる。何といってもこれにはニューヨークの香りが充満し、無機的で荒廃した地区に住む若者同士の抗争と、そこに横たわる移民問題やラブ・ロマンスが、一種独特の雰囲気を形作っている。

私はこの曲を、マリアにキリ・テ・カナワ、トニーにホセ・カレーラスを配して録音された作曲者自身の指揮による演奏で体験した世代だが、これはこれでミュージカルをオペラのレベルに仕立てようとしているチャレンジングな企画だった。ただ、カレーラスの英語が不完全であるうえにあのオペラのような歌い方がどうも耳に馴染まない。確かにトニーはプエルトリコ系だし歌詞に「Buenas taldes」などと聞こえる部分もあるのだが、この録音はむしろメイキング・ビデオでこそ楽しみたいと思う。これは録音風景を追ったドキュメンタリーだが、 出演者の人間模様が滲み出て秀逸な作品だと思う。もっとも私はハイライトのCDも持っている。

この曲をもうクラシックとして聞く外国人には、オリジナル・サウンドといっても心に響かないし、かといってオペラ風の歌い方にもちょっと違和感があるのでは、と思っていたところ、ケネス・シャーマーホーンという人が南部テネシー州のナッシュヴィルにあるオーケストラを指揮して録音したCDに出会った。76分にも及ぶ完全版で、2001年の録音である。レーベルはNAXOS。オリジナルと比較してどうのこうの、という人がいるかも知れないが、そういうことを考えない向きには、なかなか高品質な出来栄えであると思う。

歌手の歌は、正統的なミュージカル風の歌い方で、英語の歯切れはなかなか良いまかりか、歌唱力の点でも聞かせる。「マリア」や「I feel pretty」のような部分でも聞かせるし、「ジェット・ソング」から「マンボ」に至るジャジーで踊りたくなるリズムは、アメリカを感じるスイング感もあって、良く録音されていると思う。

「ウェストサイド」とはマンハッタンの西側、すなわち60丁目あたりから70丁目にかけてのエリアである。いまでこそそこにはリンカーンセンターがあり、ジュリアード音楽院などもある高級で文化的な中心地だが、メトロポリタン歌劇場がまだ引っ越してくるまでのこの地域は、非行少年やギャングが日夜跋扈し、時に警察沙汰となるのも珍しくなかったという。不法移民が住み着き、治安も悪かったのだろう。碁盤の目になっているマンハッタンの中を、唯一曲がりくねって南北に走る通りがブロードウェイで、この通りを南から歩いてゆくと、セントラルパークの南西端の入り口、コロンバス・サークルを過ぎたあたりからウェスト・サイドとなる。

街は荒れてはいるが、若い移民たちはどこか夢をみているような純粋なところがある。シェイクスピアの「ロメオとジュリエット」をニューヨークに移したような物語は、ある意味で珍しくない展開だし、音楽におけるメロディーや和声の進行は、それこそ長い年月をかけて進化してきたものを受け継いでいると思う。例えばフィナーレの音楽など、ワーグナーが「ワルキューレ」で用いたメロディーを思い起こさせるし、どういうムードはどういう音階で演奏されるのが効果的か、というようなことは良く踏まえられているのだろう。

この作品の独自性は、しかるに何といってもリズムの多様さにあるのではないだろうか。シンコペーションがふんだんに使われ、目まぐるしく変化する興奮は、ストーリーを越えて魅力的である。これらの音楽は、ダイジェスト版とも言える「シンフォニック・ダンス」でも取り上げられているので、その躍動感あふれる新鮮さを味わうことはできるが、全編にわたって無駄がなく、印象的なメロディーが続くという作品なので、ハイライトはもったいないだろう。

個人的には以下の重唱を中心とした活発な音楽が好きで、よくかいつまんで聞いている。「ブルース」「マンボ」「アメリカ」 「トゥナイト(五重唱)」それに「クラプキ巡査どの(Gee, Officer Krupke )」の5つである。最後にこのCDに登場する歌手を書いておこうと思う。有名な曲だが、録音されたものはそう多くはない。でも、まあ1枚あればいいと思うし、今ではYouTubeなどで簡単に聞ける便利な時代である。

  マリア:ベツィ・モリソン
  トニー:マイク・エルドレッド
  アニータ:マリアンヌ・クーク
  リフ:ロバート・ディーン

指揮者のケネス・シャーマーホーンはニューヨーク・フィルにおいてバーンスタインの助手を務めた人物である。

2018年8月2日木曜日

メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲ホ短調作品64(Vn:ナージャ・サレルノ=ソネンバーグ、ジェラード・シュウォーツ指揮ニューヨーク室内交響楽団)

ベートーヴェン、ブラームス、メンデルスゾーンの3つのヴァイオリン協奏曲を「三大ヴァイオリン協奏曲」と呼ぶ習わしがある。ベートーヴェンとブラームスはわかるが、どうしてもう一つがチャイコフスキーではなくてメンデルスゾーンなのだろう、と思っていた。もしかしたらこれは、ドイツ人の仕業ではないかと思うが、それもあながち間違いではないだろう。けれどもメンデルスゾーンが評価されてきたのは戦後のことで、それまでのドイツでの評価は低いままだった。

メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲は、ヴァイオリンでないと表現できないような甘美なメロディーに溢れ、冒頭など一度聞いたら忘れられないようなインパクトがある。最近出版された百田直樹の「クラシック 天才たちの到達点」(PHP研究所)にもこの曲が取り上げられており、「まるで魅惑に満ちた女性のように、時に優しく、時に情熱的に、また時にはエロチックとも言えるほど情緒たっぷりに語りかける」(第1楽章)と書いている。

だが、それぞれ曲の演奏について語る段落で、この作品に関しては「名盤は山のようにある」とだけ語り、何人もの古今東西の著名なヴァイオリニストを列挙するにとどめられているのは物足りない。メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲ホ短調(と言って区別するのは、もう一曲ヴァイオリン協奏曲があるからだ)の演奏の差異について語ることは、実は結構難しいのかも知れない。あるいはまた、誰の演奏がどのように自分にとっていい演奏なのかを見つけ出すのは、この曲に関する限り、多くの人が困難だと考えているきらいがある。実は私も長年そうだった。

その理由は、メンデルスゾーンに対する評価が低い期間が長く続いたことで、演奏上の魅力発見が十分になされてこなかったからではないか、と私は考えている。まだ60年代の頃は、ヴァイオリニストと言えば男性の技巧派の巨匠が中心で、この曲をみな軽々と演奏して終わり。まあこんなものですよ、という雰囲気がする。決して悪いわけではないのだが、ハイフェッツにしても、オイストラフにしても、フランチェスカティにしても、スターンにしても、同様の傾向がある。

70年代以降は逆に、若手ヴァイオリニストのデビュー曲としてもてはやされ、女性であれ男性であれ、新鮮で爽快な明るさはあるが、どことなく真面目で表面的であっさりとしている。チョン・キョンファ、ムター(旧盤)、ケネディなど。しかしこの曲がそんな薄い曲なのだろうか。何せ「三大ヴァイオリン協奏曲」である。作曲に6年もの歳月を要した本作品は、モーツァルトのようにさらさらと書かれた作品ではない。急げと言うのはわかるけど、そう簡単なものではないのですよ、とメンデルスゾーンは作曲を約束したゲヴァントハウス管弦楽団のコンサートマスター、フェルディナント・ダーヴィットに宛てた手紙に書いている。

私は中学生の頃、教科書に載っていたこの曲を、音楽鑑賞の授業の中で聞かされた。協奏曲の説明をするのに、なぜピアノ協奏曲ではないのか、なぜモーツァルトではいけないのか、やはり不思議だったが、そういうこともあってメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲ホ短調を真剣に聞いた(試験に出るからだ)。

ある時、カセットテープでこの曲を聞いているうちにうとうと眠くなってしまい、気が付くと何か深々としたメロディーが流れている。その表現にこれがロマン派かと思った。そして終わったと思っていた第1楽章がまだ終わっていない。カデンツァ(もまたメンデルスゾーンが細かく作曲したものだ)が終わってもさらに第1主題が弾かれる時、ここのヴァイオリンがオーケストラと絡み合ってゆく様は、ゾクゾクさせる。やがて途切れることなく続いていく第2楽章の抒情的なこと!しかし、終結部のように音楽が一瞬終わるかに見える途切れの後に、ひと呼吸を置いて第3楽章の明るい曲につながっていく。ここの推移部の見事さは、ベートーヴェンを意識したものだろうか。

そういうわけで、もっと深々としたロマンチックな演奏ができないものかと常々考えていた。しかし上記のように、この曲の演奏はみな表情の変化に乏しく、まるで古典派の曲のようである。実際にはもっと多様な表現が可能な魅力を秘めているはずなのに。

そう思っていたところ、昨年NHK交響楽団の定期公演で聞いたニコライ・ズナイダーの演奏に大きな感銘を受けた。私が聞きたかったのは、こういう演奏だったと思った。けれども広いホールの3階席では、この演奏の魅力が伝わりにくい。ズナイダーはメータやシャイーとこの曲を録音(録画)しているようだが、残念ながら私はまだ聞いていない。とてもきれいな音色のヴァイオリニストである。表現の多彩さを極めたような演奏はないものかと、80年代以降に録音された演奏をあれこれ聞くうち出会ったのが、ナージャ・サレルノ=ソネンバーグによる1987年のデビューCDであった。

サレルノ=ソネンバーグは、実は過去に2回実演を聞いている。いずれも1995年のニューヨーク滞在中でのことで、一度目はショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲第1番(アンドリュー・デイヴィス指揮BBC交響楽団)、2度目はそのわずか2か月後に、ショーソンやラヴェルの短い曲(ジョルジュ・プレートル指揮フィラデルフィア管弦楽団)の演奏である。その時の印象はあまり強いものではなかったし、また若い女性のヴァイオリニストが登場したな、といった程度だったのだが、彼女ほど奔放な演奏家もないのでは、と思うほどにこの演奏はユニークである。いやむしろ、メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲をこれほど情緒たっぷりに演奏した演奏は他にないのではと思う。

いろいろ調べて行くと、彼女はその後指の怪我を負い、演奏家としての危機を迎える。私が聞いた95年頃は、まさにその復活途上にあった頃のようであった。その後彼女は見事に復帰し、我が国にも登場しているようだが、私は詳しいことは知らない。この曲を始めとして、数々の演奏はどれも個性的なようで、私も聞いてみたい気がするが、まずはこのCD、「余白」に収録されたサン=サーンスの「ハバネラ」と「序奏とロンド・カプリチオーソ」、それにマスネの「タイースの瞑想曲」を含め、極めて魅力的である。色彩感あふれる演奏は、伴奏のジェラード・シュウォーツ指揮ニューヨーク室内交響楽団(こんな団体は知らなかった)の協力的な伴奏と見事にマッチしている。知に情が勝るような演奏のふりをした、デフォルメされた部分は、9分半に及ぶ第2楽章を中心に全体に及んでいるが、決してもたれることのないメリハリのある面を持っており、フレッシュで現代的である。もしかしたらその後の演奏にも影響を与えているようにさえ思えてくる名演奏である。

2018年7月26日木曜日

ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品61(Vn:イザベル・ファウスト、クラウディオ・アバド指揮モーツァルト管弦楽団)

ベートーヴェン中期の傑作のひとつがヴァイオリン協奏曲である。ベートーヴェンが書いた唯一のヴァイオリン協奏曲は、数あるヴァイオリン協奏曲の中でも最高の美しさを誇るのではないかと思っている。しかし私が初めてこの曲を聞いた時(それは中学生の頃だったと思うが)、ベートーヴェンにしてはなんて大人しい曲だろうと思ったし、モーツァルトの明るく朗らかなヴァイオリン協奏曲にくらべると、憂鬱だなとさえ思った。もちろん、メンデルスゾーンやチャイコフスキーのように、技巧的でもない。

それが聞き進むにつれて、これほどヴァイオリンの特性を生かしながらその魅力を引き出し、聞くものをほのぼのとした嬉しさに包み込む曲はないのではないか、と思うようになった。当時私の実家にあったLPは、クリスティアン・フェラスによるもので、バックはカラヤン指揮ベルリン・フィル、それからあの有名なモノラル録音のクライスラー盤(ブレッヒ指揮ベルリン・フィル)だった。後者は聞くに堪えないほど古い音質で、まるで蓄音機で聞いているようなおもちゃの音がしていたので、専らフェラス盤を聞いていた。

ムターが10代でデビューしてこの曲を録音し、その後の日本ツアーでも演奏したときには、その美しく艶のある演奏をテレビで見たような記憶がある。また私は自分の小遣いで買った録音が、評判の高いシェリングによるもの(ハイティンクとの新録音)だった。どの演奏で聞いても素晴らしいのは、曲がいいからで、特に秋が来て寒い雨が降る頃になると、私はなぜかこの曲が聞きたくなった。

カンタービレの美しさは、パールマンがデジタル録音した際にリリースされた録音を買った時に思い知ったような気がした。ジュリーニが指揮するフィルハーモニア管弦楽団との演奏は、この曲の持つ今一つの側面にスポットライトを当てた。イタリア的な演奏だと思った。

だが今から思うと、70年代から80年代の演奏は生真面目で面白みに欠ける。総じて音楽は遅く、それがこの曲の標準なのかと思っていたりもしたが、そういった既定概念を覆すような演奏は、クレーメルがアーノンクールと共に録音したCDによってもたらされた。大阪・心斎橋のタワーレコードでこの曲を試聴したときの衝撃は忘れられない。冒頭のティンパニの音からして全く違う。第1楽章のカデンツァではピアノまでが登場し、第2楽章の微音などまるで蜃気楼のようにゆらゆらと立ちのぼるように繊細で、それでいて芯のあるヴァイオリンの表現力に驚いた。私のこの曲に対する印象は、このようにして新たな段階に入った。

すべての演奏を聞いているわけではないし、ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲となるとベラボーな数の録音があるので、それらを比較することは不可能だ。だからおよそ10年おきくらいにたまたま聞く新録音が、私の愛聴盤になる。しかし2000年代に入ってムターの新録音(マズア指揮ニューヨーク・フィル)の新しい境地に惹かれながらも、この録音を聞くまでは、決定的に好きな演奏が存在しなかった。今の私の精神状況にもっともフィットする演奏は、イザベル・ファウストが独奏を担い、クラウディオ・アバド指揮モーツァルト管弦楽団との競演による2012年のCDにとどめを刺すと感じている。

ただし、この演奏はクレーメルの録音があってこそ実現したと思う。演奏の傾向が良く似ている。第1楽章のカデンツァは、クレーメル盤と同様にベートーヴェンがピアノ協奏曲用に編曲したメロディーが使われおり、そこにピアノこそ登場しないがティンパニが聞こえている。ファウストはクレーメルの演奏をさらに前へ押し進め、より自由で自信に満ちた即興的な瞬間を楽しんでいる。これを聞くとクレーメルの演奏が神経質なものにさえ思えてくる。

アバドの伴奏がこの傾向を完璧にサポートしているからだろうと思う。そして特筆すべきは第2楽章の最終部で再び奏でられるカデンツァである。この部分はベートーヴェン自身が書き残しているため、大半の演奏は短くさらっと第3楽章につながる。だがファウストの演奏では、クレーメルの演奏と同様に、長いカデンツァが用いられ、そのメロディーはクレーメルのものとも異なる。

ため息の出るような美しい独奏が、そうでなくてはならないように自然に引き継がれ、とうとう第3楽章の主題が聞こえてくると、明るくはじけそうな面持ちでロンドを駆け抜けていく。その爽快感はかつて聞いたどの演奏とも異なって奔放であり、開放的である。だがもしかすると昔はこのような演奏も多かったのではないかと思う。一度ハイフェッツの演奏など聞きなおしてみたい。けれどもファウストの演奏は、昔のそれとはやはり異なっている。指揮者とオーケストラを含む全員が、ひとつの音楽に共感している様が、今日的で新鮮だからである。

新しいベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲の演奏は、フレッシュで輝かしい魅力に溢れている。これだけさらに表現上の新境地を示すことができるのは、曲の持つ奥深さを表していると思う。このCDには、ベートーヴェンの前にベルクのヴァイオリン協奏曲「ある天使の思い出に」も収録されていて、こちらも大変すばらしい演奏である。

2018年7月25日水曜日

映画「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ★アディオス」(2017年、イギリス)

都内にある私のマンションの玄関には一枚の白黒写真が飾ってある。花束を持った一組の歌手が盛大な拍手に応えてアンコールを歌っているシーン。この歌手の名はオマーラ・ポルトゥオンドとイブラヒム・フェレール。当時もう70代の老人である。だが彼らこそ90年代になって、キューバの貧しい下町から「発見」され、鮮烈なデビューを果たしたバンド、ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブのメンバーだ。

確か2000年頃だった。私は妻とともに渋谷の狭い映画館の最前列で、彼らのツアーを追った映画「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」を見た。直前に飲んだ大量のワインの影響で、私は映画の間中、心地よい睡魔に襲われ、ほとんど夢見心地でソンと呼ばれるキューバの「伝統的」ポピュラー音楽と、その知られざるハバナの風景を楽しんだ。荒波が波しぶきを上げて旧市街の道路を洗い、そのそばを大型の古い自動車が走る。子供たちが戯れ、老人たちが葉巻をくゆらせる。夕焼けが空を赤く染めている。心地よい音楽が、丸でカリブ海から吹き付ける風のように、私の体を覆っていた。

あまり良く覚えていないその映像は、後日発売されたDVDで何度も見た。全体を通して流れる黄金時代のキューバ音楽は、サルサやメレンゲとして知られる軽快な今のカリブ音楽の、いわば原型のようなものである。私は彼らがワールドツアーで来日した時も、有楽町の東京国際フォーラムで行われたライヴに出かけたのは言うまでもない。その時に行われた抽選会で、何と一等を得たのである。その時の景品が、いま私の家にあるサイン入りの白黒写真なのである。

「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」のメンバーは、みなキューバ革命以前から活躍していた名歌手たちである。その彼らが激動の時代を生き抜き、ギターリスト、ライ・クーダによって知られるところとなる。ドイツ生まれの映画監督ヴィム・ヴェンダースは彼らのアムステルダムでの公演を皮切りに、ニューヨーク・カーネギーホールでのコンサートまでの模様を、キューバの風景を交えながら追いかける。だが彼らに残された時間は少なく、その後の10年間に多くのメンバーが世を去った。もちろん高齢だからである。

その続編とも言える本映画は、ヒット後の彼らの活動を追うとともに、革命前後のキューバにも焦点を当ててドキュメンタリー風に構成していく。 最初の映画ほどの完成度には及ばないが、この映画に魅せられてコンサートまで足を運んだ者としては見逃すわけにはいかない。先週末の日経新聞に紹介され、東京での公開が今週中にも終わると聞いて慌てて出かけた次第である。

この映画を見て思うことのひとつは、革命、すなわち社会主義がこのラテンの国にもたらしたものとは何だったのだろうということだ。 長く資本主義社会から隔絶され、ミュージシャンと言えども生きる意欲を失い、靴磨きや葉巻工場の労働者として辛うじて生計を立てていた、というのはいわば負の側面である。だが革命前のキューバはアメリカ帝国主義により搾取され、それ以前から根強く続く黒人差別と奴隷の歴史から逃れることはできなかった。

ミュージシャンの口から語られる、そういった革命前後のキューバの実情は、見る者の心をより複雑にさせる。だが社会がどう変わろうと、音楽は常にキューバにあり、その精神は絶えず生き続けてきたということは事実だろう。音楽がキューバを救った、などと楽天的なことを言うのではない。オモーラ・ポルトゥオンドによって、失った愛の哀しみが歌われる時、そこには万感の思いが伝わってくる。その歌を彼女は、2003年に亡くなったイブラヒム・フェレールに捧げるのだ(最後のシーン)。

最初の映画から20年近くが経過し、私の住む家も三鷹の賃貸から都心のマンションに変わった。その間、私はずっと白黒写真を見続け、生死を彷徨う闘病の長い日々を過ごした。長い時間がもたらしたもの、その前の時代への憧憬。私の過ごしたこの20年は、人生を変えた20年でもある。その長さを思いながら、この映画を見た。

私はまだキューバに行ったことがない。今後、行けるかどうかはわからいし、行けたとしてももうあの、まるで半世紀以上もタイムスリップしたようなハバナの街に出会えるかどうかはわからない。でも可能なら、1時間でいいからハバナの旧市街を歩いてみたい。そこここから聞こえてくる人々の話し声や車の喧騒に混じって、あの哀愁に満ちたソンのメロディーが、きっと聞こえてくるはずだから。

2018年7月23日月曜日

ウェーバー:歌劇「魔弾の射手」(2018年7月22日、東京文化会館・二期会公演)

長い間、ぜひ実演で見てみたいと思いつつ、なかなか果たせないでいたウェーバーの歌劇「魔弾の射手」は、ドイツ国民的オペラとして重要な位置にある。民謡のように親しみやすい音楽は誰もが口ずさみたくなるほどであり、それゆえにか、おいそれとは上演されない演目でさえある。ドイツ人かよほどドイツに縁のある指揮者でなければ、この曲をレパートリーに加えることはないし、逆にドイツ人であれば、そう簡単に演奏してはならない代物だからである。

モーツァルトが確立したドイツ語圏におけるオペラは、やがてワーグナーによって大成されるが、その間の隔たりは大きい。この中継ぎともいうべき時代に、ウェーバーが位置している。いわゆるジングシュピールとしての歌芝居的要素を持つ点は「魔笛」などから引き継がれ、少しオカルト的で深い森の中に彷徨いこむドラマ的性格は、そのままワーグナーに受け継がれた、と一応音楽史的には説明されている。その間に社会は、自由を得た市民が音楽を楽しむ時代が到来し、これがすなわち大衆化した娯楽としてのオペラの最初(特にドイツ語圏での)という点も添えておく必要があるだろう。

そのような「魔弾の射手」を我が国で見ることは、実はなかなか困難であった。モーツァルトやワーグナーの作品なら、毎年どこかで必ず上演されているのに、「魔弾の射手」となると難しい。録音や録画された媒体としても、ドイツ系の大指揮者でないと、この作品を録音することはない。カイルベルト、クーベリック、それにクライバーくらいしか長年聞くことはできなかったし、ベームやカラヤンさえ正規録音は残っていない。最近ならアーノンクール、ティーレマンといったあたり。そのような中で、私はコリン・デイヴィスのCDを愛聴してきた。骨格のしっかりした、ドイツ人以上にドイツ的な演奏である(2種類あるが、古いドレスデン盤が良い)。

ところが今年、東京と兵庫で同時期に、まるで申し合わせたようにこの作品が上演されると知った時は、ちょっと困惑した。兵庫県に実家のある私は、隣の市である西宮で上演される佐渡裕指揮による上演も見てみたい。一方、東京在住者としては、二期会による4つの公演のどこかに行ければ、まずは「魔弾の射手」の聞き初めとなる。結局私は、実に公演の数日前に、東京文化会館で行われる二期会のプロダクション(演出:ペーター・コンヴィチュニー)を見ることに決めた。何週間も続く猛烈な暑さの中を、上野へと向かう。一連の最終公演のマチネである。

さて、長年数多くのCDで演奏を楽しんできた「魔弾の射手」を、実演で見るのは初めてである。それで、どこまでこの公演について書き記すだけのものを持ち合わせているか、相当あやしいことを覚悟のうえで、いくつかの感想を記しておきたい。私も読み取れなかった演出上の詳細な解釈(読み替え)については、他の人のブログが参考になるだろう。

まず、私が購入した一階席(向かって最も左手)は、今回の上演を見るうえで大きなハンディであったことを指摘しなければならない。これでS席は納得がいかない。なぜなら演出上重要な道具であるエレベータが左袖に配置され、おそらく会場の左側に座った約3割程度の客席からは見えなかったことだ。エレベータは7階まであり、これが魔法の弾丸の数を表す重要な意味を持っていた。さらに、いくつかの出演者のやり取りが、この舞台袖で行われたようで、隠者が終幕で名刺を交換し、ザミエルともども再度姿を現す、などといったこともよくわからなかった。

開き直って言えば、私の席からはコンヴィチュニー流の読み替えの「毒」がわかりづらく、そのことによってかえって、音楽をストレートに味わうことができたとさえ思う。私の席からは、読売日本交響楽団が演奏する、本当に素晴らしい音楽が、安定して聞こえて来たし、アルゼンチン生まれの若い優秀な指揮者アレホ・ペレスの表情もよく見て取れた。いわゆる古典的な舞台ではなく、むしろ簡素にして照明効果の美しい舞台は、ありきたりのドイツの風景を感じさせるような古めかしさがなく、そういう点で私は気に入った。満月の月、空高く飛ぶ鷹、火が燃えたり、灯が会場をも照らしたり、それに客席にいた隠者が時折みせる仕草などは、1階席で見るアドバンテージであった。

ただもっと詳しくわかってしまうと、今回の読み替えは賛否両論が渦巻く側面に直面することになっただろうし、もしかすると実演初心者の私などは、ちょっと抵抗感を持ったかもしれない。そのあたりの解釈の「不完全さ」によって、私は救われた。皮肉なことに、音楽主体でこの演奏を聞くことができた。

私はすべてを日本人が演じるオペラを見たのは初めてである。いつも出掛ける新国立劇場では、たいてい主役はみな外国人だし、かつて見た藤原歌劇団の「椿姫」もヴィオレッタとアルフレードのみがイタリア人だった。だから、今回のように、セリフのみが日本語で、歌はドイツ語(英語、日本語の字幕付き)というスタイルに、多少戸惑った。演技されて発せられる日本語は、わかりやすさのためであるとはいえ、やや大時代がかった演劇スタイルで、どうにも私は好きになれない。歌唱の時は字幕を追うが、会話になると字幕が出ない。急に舞台から聞こえる日本語が、学芸会のように聞こえ、しかもときどき聞き取りにくいのである。このことが上演のスムーズな進行にちょっとブレーキをかけていたのではあるまいか。

今回の二期会の公演は2組のキャストによって演じられ、私が見たのはそのうちの後半の組であった。まず良かったのはアガーテの北村さおり(ソプラノ)とカスパルの加藤宏隆(バス・バリトン)。北村の声は清楚で美しく、結婚式を前に希望と不安の入り混じる女性の役にぴったり。対照的に明るくて屈託のないエンヒェンを歌った熊田アルベルト彩乃(ソプラノ)も、そういう役作りを意識していたようで、なかなか好演だったと思う。

一方、主役のマックスを歌った小貫岩男(テノール)は大変綺麗な声の持ち主だが、ちょっとパワーが足りないところが惜しい。これで声に張りがあれば、ヘルデン・テノールとして及第点だったと思う。舞台最前列に座って花嫁に花束を投げた隠者の小鉄和広(バス)は、カスパルが打たれて幕が閉じかかったところで舞台にあがり、この劇がハッピー・エンドに終わらないといけないという素振りを見せる。台本役が登場し、再び幕が開くという仕掛けに会場は大笑いかと思ったが、静まり返っている。小貫の大変充実した声は、存在感があり上手かったが、興行主としての成金ビジネスマン風のいで立ちで登場する今回の演出では、そういう歌唱の側面の評価をそぎ落としてしまう。やはり演出というのは、大きな要素である。

演出という観点で言えば、今回の目玉は何といっても、元宝塚女優大和悠河をザミエルに起用したことだろう。決して歌わないが、何度も舞台に登場し、男とも女ともつかない美人の悪魔を、タカラヅカ風にやらせようとしたのも、ブックレットによれば演出家の仕業だったようだ。だがこの点に関して言えば、私は今回の演出にフィットしていて面白かったと思う。会場にいつになく大勢の女性ファンが詰めかけ、花束が数多く並んでいる。十着以上も衣装を交換しながら、様々な局面で彼女は登場した(らしい)。私は中でも「狩人の合唱」の前に幕前で歌詞を朗読したとき、その演技に釘付けられた。

阪急沿線で育った私は、小学校1年生のときに見た人生最初で最後のタカラヅカ以来、どういう女優がどういうミュージカルを歌っているのかまったく興味もなかったが、彼女はマリア・カラスが好きでオペラ通になり、本も出版しているらしい。それで白羽の矢が立った彼女は今回の出演を大変嬉しく思い、そしてその期待通りに、存在感がありながら流れに見事にマッチした演技を披露したと思う。その振る舞いは節度と品があった。なお、もう一人の悪魔が舞台に登場し、ヴィオラを奏でながら踊る。その役はハンブルク歌劇場首席ヴィオラ奏者で日系のナオミ・ザイラーという人で、彼女の演技も面白い。

他の役についても記しておこう。オットカル公爵は薮内俊弥(バリトン)、クーノーは伊藤純(バス)、キリアンに杉浦隆大(バリトン)。合唱は二期会合唱団。

CDで聞く「魔弾の射手」は、次から次へと楽しい歌が登場し、それだけで随分この曲を知っていると思っていた。ところが何年か前、映画仕立ての作品を見たときには、狼谷のシーンなどホラー映画のように怖くて、この曲をCDでのみ聞いているだけではわからない面白さがあった。今回、斬新な読み替え演出で観る「魔弾の射手」は、そのどちらとも異なる側面を私に見せてくれたことは確かである。そういう新しさがないと、この作品の上演は評判になるようなものにはならないだろうと思う。だが、そういう冷静な判断ができたのは、一定水準の歌唱と演技、それに十分に貫禄のあるオーケストラの引き締まった演奏があったからだろう、と思う。

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