2020年9月29日火曜日

ファリャ:バレエ音楽「三角帽子」(S: テレサ・ベルガンサ、エルネスト・アンセルメ指揮スイス・ロマンド管弦楽団)

エルネスト・アンセルメ指揮スイス・ロマンド管弦楽団によるファリャのバレエ音楽「三角帽子」の演奏は、今もって色褪せることなく聞き手に幸福感をもたらす名盤である。録音は1961年、今から60年も前のものである。「情熱の国」スペインの色彩感豊かな音楽の演奏に、何もそんな古いものを持ち出さなくても、もっと他にいい演奏があるだろうに、などと思うことなかれ。たとえ新しいデジタル録音された演奏があったとしても、この演奏の価値が下がることはないだろう。

このディスクを、私はまだCDが出始めた頃に買っている。このCDを買った当時のコレクションは、まだ10枚目にも達していない頃だった。自分のお金で買ったCDとしては随分な出費だった。それだけ思いが強かったと言える。だが今回この曲を取り上げるに際して、このいかにも古い(それは私が生まれるよりも前の録音である)アナログ録音をわざわざ取り上げるべきかと迷った。だがその思いは、冒頭の演奏を改めて聞いた瞬間に吹き飛んでしまった。

バレエ音楽「三角帽子」はファリャの代表作で、アンダルシア地方を舞台にした物語である。ここで踊られる音楽は、冒頭のティンパニとトランペット、そこに間髪を入れず加わるカスタネットによる強烈なリズムで始まる序奏に象徴されているように、終始スペイン色満載である。沸き立つようなリズムと情熱的なメロディー、それに2か所で歌われる粉屋の女房の歌声。スペインの踊りを含むバレエ作品は数多いが、この曲は全編がスペインの踊り。それを聞くだけでもワクワクするのだが、どういうわけかコンサートのプログラムにのぼることは滅多にない。私も実演で聞いたことはない。

「三角帽子」は役人の象徴で、粉屋の女房に横恋慕した悪代官は、村人たちによって徹底的に茶化される。いわばこれは風刺の効いた反権威的物語というわけである。そしてどどういう関係があるのかわからないが、この曲にはベートーヴェンの交響曲のパロディーが使われている。

民族性豊かな曲もさることながら、アンセルメの職人的な棒さばきこそ聞きものである。アンセルメはデッカによる鮮明で奥行きのあるアナログ録音にも支えられて、生き生きとした演奏に仕上げている。暖かくも時には鮮烈で、目を見張るようだ。ためを打ってリズムを変えるあたりは、今では聞くことのできなくなった名人芸で、驚異的なことにオーケストラは、まるで魔法が乗り移ったように即座に反応している。この演奏を聞くと、その弟子であるシャルル・デュトワの演奏など、生真面目で大人しくつまらない演奏に聞こえる。

その演奏の確からしさは、アンセルメこそがこの音楽の初演をしていることからも納得できる。序奏に続き、第1部での「ファンダンゴ」(粉屋の女房の踊り)、「ぶどう」、第2部の「セギディリア」(近所の人たちの踊り)、「ファルーカ」(粉屋の踊り)、「代官の踊り」と続き、「終幕の踊り」で大団円を迎える。「終幕の踊り」でのアンセルメの指揮ぶりは、いっそう色彩感に溢れ、千変万化するリズム処理は見事ということに尽きる。これだけの興奮と緻密さをもってこの曲が演奏されることはない。

このようなアナログ初期のデッカ・サウンドは、RCAにおけるLIVING STEREOの一連の録音などと同様、芸術的な域に達しているとさえ言えるだろう。それは現在の、より多くのビットと広い帯域をもったデジタル・サウンドとも異なるものだ。もしかするとコンサートホールでさえ聞くことのできない音がそこにある。これはステレオ録音技術が最初に目指した音楽表現のひとつの到達点である。

今発売されているこの演奏のディスクには他に、歌劇「はかなき人生」から間奏曲、それに今一つのバレエ音楽「恋は魔術師」が併録されている。だが私が昔買ったCDには、「恋は魔術師」はついていなかった。だからというわけではないが、「恋は魔術師」は別の演奏から選ぼうと思う。

2020年9月25日金曜日

ファド名曲集(アマリア・ロドリゲス)

ポルトガルの首都リスボンは、函館に似ている。海に近くて料理が美味く、坂道を古い市電が走り、ひと時代前のノスタルジーに溢れている。かつて函館を舞台にしたモノクロ映画を見たことがあるが、そのタイトルは「とどかずの町で」というもので、音楽に使われている作品の中にポルトガルを題材にしたものが混じていたように記憶している。ただ北海道生まれの妻に言わせるとリスボンは、室蘭なのだそうだ。

リスボンは暗い事情のある男女が駆け落ちする街にピッタリの風情がある。リスボンを舞台にした映画「過去を持つ愛情」は、パリを逃れてやってきた男女が、南米行きの船を待つ間の恋を描いたフランス映画である。私はかつて衛星放送で放映されたのを覚えている。最後のシーンが印象に残った。この作品で歌われたのが「暗いはしけ」という歌である。アルファマ地区と呼ばれるリスボンの下町は、市電がやっと通れるような狭い路地を縫うように走り、庶民的な生活の匂いがただよってくるところでる。小高い丘からはテージョ川河口が見える。アズレージョと呼ばれる青いタイルが映える。そんな街の夜の居酒屋で、地元の女性歌手はあまりに情に満ちたファド「暗いはしけ」を歌う。この映画は彼女だけでなく、リスボンの街そのものを有名にしたと言って良い。

話は変わるが、大阪のキタにかつて「ワルツ堂」という、クラシック通には有名なレコード屋があった。当時大学生だった私はある日たまたまこの店に入り、CDやレコードを物色していると突然、独特の弦楽器を伴う哀愁を帯びた歌声が聞こえてきた。それは叫ぶような歌声で、時に音程を外しかけるようなサビを連発していた。このレコード屋には名物の店主がいて、そんな評判の演奏を聞かせては客と対話する。そしてある客がついに尋ねた。「これ、何の歌ですの?」。すると店長は一枚のCDを取り出し、「はい、これ。なかなかいいですやろ」。話はそれから数年前に遡る。

1987年に初めてヨーロッパを旅行した私が、どうしてまたリスボンくんだりにまで足を運ぶことにしたかは、もしかするとこのファドの魅力によるのかも知れない。といってもまだインターネットもない時代、遠いヨーロッパの歌謡曲など知る術もない。ファドという、とてもエキゾチックな音楽がある、ということしかわからない。そこで私がリスボンの街を友人と別れてひとり歩き、エデュアルド7世公園にほど近い、当時としては最新で唯一の高層ビルの中にレコード屋を見つけた。私はファドのディスクを買ってみようと思い、入ってみた。

ところが当時、CDはまだ発売され始めたばかりの頃で、ポルトガルではまだあまり出回っていなかった。「ファドを聞いてみたい」という私のリクエストに、店員は棚の中から2種類のカセットテープを取り出した。一枚は最新の男性歌手によるもので、もう一つはアマリア・ロドリゲスのライブ。男声のファドというのもめずらしいが、コインブラを中心に歌われている少し女々しい歌は、女声によるファドとはまた違う趣きがあった。私はそれらを買って日本に持ち帰り、「涙」「憂い」「懐かしのリスボン」といった名曲を聞いていった。もちろん「暗いはしけ」も。そしてヨーロッパ旅行から帰国して何年かたったある日、大阪の「ワルツ堂」で耳にしたのが、そのアマリア・ロドリゲスの、もっと明瞭に録音された、アナログ録音の香りが彷彿とするCDだったのである。

私はこのCDを衝動的に買った。そして調べて見ると、アマリア・ロドリゲスはまだ健在の現役歌手であり、たまに来日公演を行うことがあるそうだった。ポルトガル語がわからない私は歌詞カードを見ながら、まるで演歌のようなその台詞に胸が締め付けられるような思いがした。リスボンの抜けるような青空とは対照的に、何と心は哀しいのだろう。例えば「涙」の歌詞…

涙でいっぱいになって 涙でいっぱいになって
わたしは横たわる(中略)
もし わたしが死んだなら
あなたがわたしに 涙を流してくれるのだとわかったら
ひとしずくの涙 あなたのひとしずくの涙のために
どれほどうれしく 私は殺してもらおうとするだろう

郷愁、憧憬、思慕、切なさといった、どこか日本の心を思わせるような意味を持つ「サウダーデ」という言葉は、ポルトガルを語る時、避けられないものである。そのポルトガルと我が国は、戦国時代から縁が深い。我が国に初めて西洋文明をもたらしたのは、大航海時代のポルトガルだった。ポルトガル旅行のあと、長崎や澳門、あるいはマラッカといったポルトガルゆかりの地を訪ねることが、私の旅の一つのテーマとなった。そしてあの美味しいワインともに鰯や干し鱈などを食するポルトガル料理もまた、我が家では時折チャレンジするものとなっている。

ファドはその後、ポルトガルが経済成長をして有名な観光国となり、東京にもポルトガル料理のレストランが誕生した現在では、気軽に聞くことができる。もちろん音楽はダウンロードやストリーミング配信によって、簡単に手に入る。「ワルツ堂」をはじめとする数多くの個性的なレコード屋が姿を消し、音楽との出会いがかつてのような偶然と感動に満ちたものではなくなった。手に入りにくいからこそ思いが募るという当たり前だった経験は、現代に入ってもはや消え去ってしまったのだろうか。

リスボンで買った2つのカセットテープは長らく私の宝物だったが、もはやデッキが壊れ聞くことができない。かわりに私はMP3形式でデジタル化し、ハードディスクに入れてある。それもあと何回聞くことになるかは、実のところわからない…。


【収録曲】
1. 私の憂い
2. 涙
3. 月の花
4. 暗いはしけ
5. ポルトガルの四月(コインブラ)
6. 懐かしのリスボン
7. 愛しきマリアの追憶(マリキーニャス)
8. かもめ
9. わが心のアランフェス
10. バラはあこがれ
11. 孤独
12. にがいアーモンド
13. マリア・リスボア
14. どんな声で
15. 洗濯
16. 私は海へ
17. 叫び
18. 川辺の人
19. アイ・モーラリア
20. このおかしな人生

2020年9月12日土曜日

スペインとポルトガルの管弦楽作品集(アルヴァロ・カッスート指揮アルガルベ管弦楽団)

我が国のクラシック音楽の分類は、どういうわけかまず交響曲があって、その次に管弦楽曲、協奏曲などと続く。交響曲や協奏曲も管弦楽曲ではないかか、などと思うし、そもそもこの分類に相応しくない曲も多い。さらには宗教曲とか声楽曲となると分類はもういい加減になってゆく。そしてさらに次の段階の分類には、何と作曲家のアルファベット順というのが一般的だ。ロシア語圏の作曲家でも英語表記に変える。いっそアイウエオ順にすればいいのに、と思っている。

この結果、クラシック音楽の名盤を紹介した書物などを買うと、まず交響曲の章があって、その中から作曲家のABC順に作品が並ぶ。バッハは「交響曲」を作曲していないから、最初の作曲家は通常ベートーヴェンからということになることが多い。すぐにブラームスやブルックナーなどが続くというわけである。

ところがかつて私の手元にあった「名曲名盤」の類の雑誌は、そのベートーヴェンの前に「アリアーガ」という作曲家の交響曲が掲載されていた。アリアーガ?誰?と思った。もちろん簡潔な紹介文があって「スペインのモーツァルト」などと紹介されている。でもそのような作曲家や作品なんて聞いたこともない。ディスクもほとんどない。そういうわけで謎の作曲家、アリアーガの作品に触れるにはそれから20年以上の歳月が流れた。2000年代になって私は30代になり、そしてまだ売り上げの盛んだった新譜のCDがNAXOSから発売された時、私はついにこの「スペインのモーツァルト」を聞くときが来たと思った。

そのCDは「スペインとポルトガルの管弦楽作品集」と題されており、ポルトガルの新しいオーケストラによって演奏されている。アルガルベ管弦楽団というのも聞いたことはないし、カッスートという指揮者も無名だった。もとより、アリアーガ以外の作曲家については全く知られていない。そしてこんなCDを買う人もいないだろうと思われたが、無名の作品というのも何となく魅力を感じるものである。私はそれを渋谷のタワーレコードで購入した。

ホアン・クリストモ・アリアーガは1806年に生まれたバスク人の作曲家である。この時もうすでにモーツァルトはいない。そしてわずか20年の人生を終える。夭逝した神童作曲家がモーツァルトに似ているというただそれだけに理由のような気がする。なぜならその作風は、やはり初期のロマン派だからである。例えばこのCDの最初の作品、序曲「幸福な奴隷たち」はロッシーニの若い頃の作品を思い起こさせる。そうと知らずに聞いたらわからないだろう。そして交響曲ニ長調もまたシューベルトの初期の作品のようである。

長い間私にとってヴェールに包まれていたアリアーガの交響曲は、決して悪い作品ではないが、取り立てて目立つ存在でもない。印象が薄いと思う。それでもこの作品は、スペインにも古典派様式を学び、そこから独自の作風を求めた若き作曲家がいたことを示してくれる。長いアダージョの序奏に続き、ほのかに暗い主題がほとばしり出る第1楽章はソナタ形式である。第2楽章はアンダンテ、第3楽章はメヌエット、そして終楽章は再びアレグロとなる。

さて、私はポルトガルという国に深い思いを持っている。初めてのヨーロッパ旅行では、北欧からポルトガルまでを旅行した。暑かったが物価は安く、食べ物は美味しかった。そしてあの抜けるような青空のリスボンで、ひとり坂道を歩いたときの爽快感は忘れられない。それから10年近く経って再びここを新婚旅行で訪れた。この時はクリスマス前の冬だったが、あの暖かいぬくもりと素朴さの国はそのままだった。私はコインブラへもドライブし、大西洋のマデイラ島にまで足を延ばした。

そのポルトガルは、どういうわけかクラシック音楽の世界では忘れられた存在である。有名な作曲家は思い当たらず、世界的なオーケストラや指揮者も思い浮かばない。ピアニストのピレシュくらいだろうか、パッと思い浮かぶのは。そういう国だから、私も長年、ポルトガルの作曲家というのを知らなかった。ファドなら何曲も聞いていたのだが。

このCD「スペインとポルトガルの管弦楽作品集」に収められているアリアーガ以外の作品は、いずれもポルトガルの作曲家によるものだ。だがこれらの作品に、あの情熱の国スペインをさらにローカルにしたような、素朴で激情的なメロディーを期待することはできない。なぜならここに登場する作品は、いずれもバロック後期から古典派の時期に作曲されたものばかりだからである。

最初のセイシャスによる「シンフォニア」は通奏低音も入る作品で、まるでヴィヴァルディ。18世紀前半の作品である。一方、カルヴァーリョは、続くモレイラとポルトガルの2人の師匠でもあったようだ。この3人の作品に共通しているのは、イタリア風の明るさを持っている点である。だから平凡ではあっても幸福なメロディーを聞くことはできる。ただそこにイベリア半島の風情を期待するには時代が早すぎる。ポルトガルの作品になってようやくほのかな暗さを感じるのは、ドイツにおけるウェーバーがそうであるように、これはロマン派の入り口に入ったからであろう。

というわけで、「スペインのモーツァルト」に始まる当CDについては、珍しい作品を並べたという意味で興味深くはあるのだが、それを今後何度も聞くだけの気持ちは沸かないだろうと思う。ただそう思えば、少し淋しい気持ちではある。そういえば、ポルトガルを新婚旅行で訪れたときは、まだあと何回も来るチャンスがあるだろうと思っていた。アズレージョと呼ばれるタイルや刺繍のテーブルクロスを買い、ポルトガル料理とワインの本を買って帰ったのは1996年のことだった。ポウサーダと呼ばれる国営のホテルが全国各地にあって、行きにくいところにあるだが、それは大変に素晴らしい。もちろん私は南部のアルガルベ地方にも、次回はゆっくりと旅行するつもりだった。だが、その機会はいまだに来ていない。

 
【収録曲】
1. アリアーガ:序曲「幸福な奴隷たち」
2. アリアーガ:交響曲ニ長調
3. セイシャス:シンフォニア変ロ長調
4. カルヴァーリョ:序曲「勤勉な愛」
5. モレイラ:シンフォニア
6. ポルトガル:歌曲「アルバ公爵」序曲

2020年8月24日月曜日

Sound of Silence(G: ミロシュ・カラダグリッチ、他)

大学を卒業するまで、私の部屋にはエアコンがなかった。高校三年生の夏は、猛暑の中で受験勉強を強いられた。その頃も大阪の夏は暑く、毎日36度を超える日が続いた。当然のことながら勉強は手に着かない。ひたすらベッド上で大量の汗をかきながら、扇風機を回して昼寝をする。ようやく涼しくなってくる夜間に備えるためだ。8月も終わりになる頃には、いつのまにか鈴虫が鳴いている。

午後10時になってNHKラジオが一日のニュースを放送する。勉強をしながらこれを聞くのが日課だった。11時になるとFMに切り替える。すると、今でも時々再放送される名番組「クロスオーバーイレブン」が始まる。「今日一日のエピローグ」というナレーションとともに、分野のミックスした軽音楽が静かに流れてくると、私の勉強は佳境に入ってゆく。12時になると、民放で始まるのが城達也の「ジェットストリーム」である。さらには「ABCヤングリクエスト」が午前3時まで…。

「クロスオーバー・イレブン」の話をするのは、異なるジャンルの音楽がミックスされた新しい領域が、この頃よくもてはやされたからだ。フュージョンやロックなど、私が普段聞かない音楽も、心地よいナレーションをミックスした構成によって、頭の中にスーッと入って来る。まだラジオが全盛の時代だった。

クラシック音楽も、分野の異なるロックやジャズなどに編曲されたり、逆にポップスのナンバーをクラシック風にアレンジしたりして、いわゆるクロスオーバーというジャンルに分類される録音がたまに出回る。専らアレンジの妙と、器楽のテクニックに酔うことになる。少し大人のセンスで、静かな語り口ということが多い。クロスオーバーはいわゆる「アダルト・コンテンポラリー」や「ソフト・ロック」の延長にあるとも言えるかも知れないが、我が国ではいつのまにか洋楽が底流となり、どこの放送局を聞いても最近のJ-POPばかりという状況である。クラシック専門局はおろか、洋楽専門の放送局も(かつてはあったが)今はない。

モンテネグロ生まれのギターリスト、ミロシュがドイツ・グラモフォンにデビューしたのはもう10年近く前になるのだが、その後手を痛めて休養し、最近活動を再開したようだ。私が今回聞いた最新アルバム「Sound of Silence」は、その名の通りサイモンとガーファンクルの名曲がタイトルとなっている(ただしサイモンの歌は「The Sound of Silence」と定冠詞が付いている。アルバムの方にはない)。ここでは、いわゆる「クラシック」の名曲も取り上げられているが、すべて必要最低限の編成にアレンジされていて、最高のヒーリング・ミュージックとなっている。

どの曲がどうの、ということはなく、最後の武満徹編曲による「虹のかなたに」に至るまで、選曲と編曲のセンスが素晴らしい。 それは静寂がまた音楽の一要素であることを思い出させ、空中に漂う音波のゆらぎに心を奪われるひとときである。強いてどの曲が好きかと問われれば、「Moving Mountains」ということになろうか。パーカッションと弦楽アンサンブルが寄り添い、流れるメロディーが美しい。他には、ギター単独の曲も散りばめられている。どの曲もつぶやくようで、ひとりで静かに聞き入るのがいい。

どんな猛暑になったところで夏が好きだ、という人がいる。こういう人は9月頃になって人が途絶えた海岸に佇み、行く夏を惜しむのだそうだ。北国生まれの私の妻などは想像できないらしいが、関西育ちの私にはよくわかる。8月もお盆を過ぎると、蝉の鳴き声が遠く鳴って聞こえるような気がする。

熱海に向かう快速列車が小田原を過ぎた頃、このアルバムが鳴っていた。どこまでも広い太平洋と快晴の真空を眺めながら、静かなギターに耳を傾けた。もうすぐ秋がやってくるのだと思うと、少しセンチメンタルな気分になった。私にとってはギターは、晩夏に聞くのが好きな楽器である。


【収録曲】
1. サイモン: サウンド・オブ・サイレンス
2. サワー・タイムズ
3. タレガ: 哀歌
4. ムーヴィング・マウンテン
5. ファリャ: ナナ
6. ストリート・スピリット
7. マグネティック・フィールド: ブック・オブ・ラヴ
8. メルリン: エヴォカシオン
9. コーエン: フェイマス・ブルー・レインコート
10. タレガ: 祈り
11. カランドレリ: ソリテュード
12. ブローウェル: キューバの子守歌
13. ムーディー・ブルース: サテンの夜
14. プホール: ミロンガ
15. アームストロング:  ライフ・フォー・レント
16. アーレン: 虹のかなたへ

2020年8月16日日曜日

「サンチャゴへの巡礼(中世スペインの音楽)」(S: キャサリン・ボット他、フィリップ・ピケット指揮ニュー・ロンドン・コンソート)

バロック以前の音楽、いわゆる「古楽」あるいは「アーリー・ミュージック」と呼ばれるジャンルの音楽ディスクを初めて買ったのは、このところのような猛烈な暑さの続いた1993年夏のことだった。当時発売された「サンチャゴへの巡礼(The Pilgrimage to Santiago)」という新譜のタイトルが目に留まった。デッカの古楽レーベル、オワゾリールの2枚組。「中世スペインの音楽」という副題が付けれれ、もちろん知っている曲など皆無。だか詳しい解説書が欲しくて6000円もする邦盤を買うことにした。

サンチャゴとは聖ヤコブを祀るサンチャゴ・デ・コンポステーラのことで、スペイン北西部に位置する巡礼の最終地点である。中世の頃から巡礼地として栄え、フランスからピレネー山脈を越えて続く1000キロ以上にも及ぶ街道は、いまもって人が絶えることがない。いやそれどころか、高度に文明の発達した現代に至って、むしろこのような古風な習慣がブームとなり、世界中からの巡礼者が訪れているという。我が国でも四国霊場を訪ねる人が後を絶たないのと同じである。

この巡礼について、私はかねてから関心があった。今のようにブームとまではいかないものの、古くからこの道を歩く巡礼者は多かった。巡礼の道には彼らが寝泊まりをする修道院や宿舎も用意され、そこには宿坊であることを示すホタテ貝のマークがつけられた。ホタテ貝のことを、フランス語で「聖ヤコブ」という。ホタテ貝のマークは、シェル石油のガス・ステーションにも使われている。

巡礼の宿場町で歌われた音楽は、これまでにもいくつか録音されてきたが、その中でも最も多くの作品、すなわち知られてるほぼすべての作品を網羅したのがこの2枚組というふれこみだった。巡礼は少なくとも13世紀には整備され、これらの音楽は街道沿いの巡礼者用宿泊施設などで奏でられていただろう。当時の音楽と言えば、単旋律歌曲、あるいはモテットなどど呼ばれる多声音楽が中心で、トルバドゥールと呼ばれる吟遊詩人によって継承された。この中世の世俗音楽には、興味深いことにイスラムの影響が見られ、そのことが特に異国的に響く。私たちが普段接しているバロック以降の「クラシック音楽」とは、一味も二味も違い、まるで別の音楽である。

ヨーロッパの文化的背景を持たない私たちが、これらの古い写本をもとにした歌曲に接する積極的な理由は、音楽や歴史の研究者を除けば、それが単に珍しく新鮮で、そして癒しにも通じるリラクセーションを与えてくれるからだろう。実際、私の場合はこの音楽を、真夏の夜に聞くことが習慣になっていた。遠くから聞こえてくるような信心深い音楽が、教会で歌われる正式な典礼歌ではなく、むしろストリート・ミュージックであることも手伝って親しみやすい。ただそのことを知ったのは、このCDを聞いてからのことだった。

このCDでは巡礼の街道に従って、「ナバーロ」「カスティーリャ」「レオン」「ガリシア」という4つの地域に区分けされ、順に紹介されている。独唱や合唱の他に、名前もわからない楽器が登場し、それらが独特の(イスラムの影響を受けた中世の)リズムによって一種独特な世界を形作っている。いまでこそサヴァールなどの活躍によって、これらの古い音楽が見事に蘇っている様に接する機会は多いが、それはこれらの音楽が、学究的に貴重な試みであることよりもむしろ、中世の巡礼とまさに同様に、いわば現代人をも感化するだけのスピリチュアルな魅力を有しているからだろうと思う。

今年の夏は盆踊りも高校野球も中止となり、季節感がないまま過ぎて行く。気が付けば暦の上ではもう秋である。このCDを、私は猛暑とコロナで自宅に軟禁状態になっていたある日、久しぶりに聞いてみた。透き通るような歌声や、遠くから響いてくるエキゾチックなメロディーに、しばし時の経つのも忘れて聞き入った。日課の散歩コースは、夜になっても人が絶えない。ベンチに腰掛け、灯が運河に反射してゆらめく様を眺めている。熱帯夜とは言え湿気の多い生暖かい風が吹いてくると、日中とは違って少しは心地よい。

この音楽を聞きながら、息子が成人したら妻と再びヨーロッパ旅行がしたいと思った。いや、その時はいっそ仕事をやめ、1年かけて世界一周でもいい。その頃にはコロナも終息しているだろう。そう心に誓い、さあ、明日も何とか乗り切ろうと思いを新たにした。



【収録曲】

CD1 ナヴァラとカスティーリャ
1.カンティガ「聖母様によく仕える者は」(カンティガ第103番)
2.モテトゥス「ベリアルは狡猾なるもの」(ラス・ウエルガスの写本より)
3.モテトゥス「主は墓よりよみがえりたまいぬ」(ラス・ウエルガスの写本より)
4.カンティガ「たいしたことではない」(カンティガ第26番)
5.モテトゥス「輝かしき家系より生まれたる」(ラス・ウエルガスの写本より)
6.コンドゥクトゥス・モテトゥス「アルファに,牛に」(ラス・ウエルガスの写本より)
7.4つのプランクトゥス(ラス・ウエルガスの写本より)
8.セクエンツァ「心地よく良き言葉を」(ラス・ウエルガスの写本より)
9.トロープス「神の小羊/良き生活の規範」(ラス・ウエルガスの写本より)
10.モテトゥス「ファ・ファ・ミ・ファ」/「ウト・レ・ミ・ウト」(ラス・ウエルガスの写本より)
11.一族の父(カリストゥスの写本より)

CD2 レオンとガリシア
12.カンティガ「聖母マリアは喜んで」(カンティガ第253番)
13.コンドゥクトゥス「毎年なされる祝典が」(カリストゥスの写本より)
14.カンティガ「星が船乗りを導くように」(カンティガ第49番)
15.コンドゥクトゥス「不滅なる栄光の王に」(カリストゥスの写本より)
16.カンティガ「聖母マリアは責められない」(カンティガ第159番)/「聖母マリアに焦がれて」(同第175番)
17.コンドゥクトゥス「われら喜ばしき一団は」(カリストゥスの写本より)
18.カンティガ「神のみ母」(カンティガ184番)
19.コンドゥクトゥス「全キリスト教徒はともに喜ばんことを」(カリストゥスの写本より)
20.7つのカンティガス・デ・アミーゴ(コダス)
21.巡礼歌「一族の父」(カリストゥスの写本より)

2020年8月15日土曜日

ロドリーゴ:アランフェス協奏曲(G: ナルシソ・イエペス、アタウルフォ・アルヘンタ指揮スペイン国立管弦楽団)

高校生の頃だった。文化祭で記録映画を作るという友人に協力して、私は猛暑の大阪市内を連日取材。手を付けていない宿題が日に日に意識される中、友人宅での編集作業も大詰めを迎えていた。まだバブルが発生する前の、ごく平凡な夏休み。もう40年近く前だったが、大阪の夏は今と変わらず暑かった。

大阪環状線を映したシーンで、そこの背後に流れる音楽をどうしようかという話になった。友人も私も、少しクラシック音楽を聞いていたから、もちろん候補は友人宅にあった十数枚のLP。手当たり次第に針を落としてゆく。そしてその中から選んだのは、ホアキン・ロドリーゴが作曲したギターの名曲「アランフェス協奏曲」だった。演奏はギターにスペインの巨匠ナルシソ・イエペスで、伴奏はアタウルフォ・アルヘンタ指揮スペイン国立管弦楽団だった。録音はフランコ独裁の真っただ中にあった1958年とされていて、この時期はまだモノラル録音が主流。しかしステレオ録音されており、奇跡的と言うべきか音質は悪くない。

アランフェス協奏曲はイエペスによって有名になったと言っても過言ではない。特に有名なのは第2楽章で、深い哀愁を讃えたメロディーはどこか懐古調でもあり、私などはまだ見ぬスペインへの想像力を膨らましながら、アランフェスってどんなところだろう、一度行ってみたいものだ、などと考えてはこのロマンチックなメロディーの虜になっていた。ポピュラー音楽にも転用され、知らない人はいないのではないかとさえ思われるほどに、この第2楽章は有名である。

だが友人と私が記録映画のBGMに選んだのは、このアダージョではなく第1楽章だった。冒頭からギターのソロで始まる軽快な音楽は、これから行楽に向かおうとワクワクするような出発のシーンに相応しいと思った。これは今でも正解だったと思っている。この第1楽章は、あまりに有名な第2楽章と比較してほとんど知られておらず、そのことがかえって私たちを刺激した。

何かと言うと対立し、ことあるごとに口論に発展した編集作業も終わり、9月の文化祭でこの映画は何とか上映にこぎつけた。8ミリフィルムの時代だった。この曲を聞くと、迫り来る受験への不安と、友人との喧嘩を繰り返した高3の夏を思い出す。そして大学生になり、やがてそのアランフェスに行く機会があった。その時同行していたのが、この時の友人だった。初めてのヨーロッパへの海外旅行。私たちはマドリッドから郊外に向かう電車の中から、Aranjuezと書かれた駅名表示板を発見した。 

ロドリーゴは2歳の頃から盲目だったことで知られている。だからアランフェスにしろどこにしろ、実際に目で見ているわけではないだろう。おそらくあらんかぎりの想像力を働かせて、作曲したのではないかと思う。そもそも目が見えないことの苦労は想像を絶するだろうし、それが作曲という作業においてどのように克服されているのかは、もう凡人の理解を超越している。

私たちはアランフェスという街を通り過ぎたが、決して訪問はしていない。世界遺産にも登録されている宮殿が有名な小都市で、美しい写真がスペイン政府観光局のサイトに掲載されている。だが忙しい私たちの日帰り旅行の目的地は、タホ川に面し、かつての西ゴート王国だったトレドだった。旧市街がすべて博物館のような城郭都市は、陽射しを遮るものなど何もなく、従って猛烈に暑い。砂漠の中にある要塞都市だが、スペイン内戦の舞台になったことでも知られる。私たちが訪れた80年代と言えば、独裁と内戦の爪痕が残るころだった。


スペインが辿った悲劇的な歴史は、その後ECに加盟してヨーロッパの仲間入りを果たし、バルセロナ・オリンピックを契機に経済が目覚ましい発展を遂げる90年代までは、この国を旅行者から遠ざけていた。物価が安いにもかかわらず、旅行はしにくい方だった。荒涼とした自然の中に中世の姿を残し、イスラム教とキリスト教の混在する文化遺産を目にするのは、ヨーロッパの旅行の中でも特別な魅力であり、スペインこそ最後に行きたい国だなどと旅行好きの人は話したものだった。

アランフェス協奏曲の魅力は、古典的な造形の中にギターの愛すべき旋律が散りばめられていることだと思う。ギターという楽器の特徴から、ごく小規模なオーケストラが小さい音で伴奏する必要があり、コンサートでは取り上げられることよりはむしろ、録音で知られることの多い曲である。全体を通してとても親しみやすいので、どのギタリストが演奏しても楽しめる曲である。イエペスにも何種類かの録音が存在する。このうち最も有名なナバーロ指揮フィルハーモニア管弦楽団によるドイツ・グラモフォン盤は、テンポも遅く精緻だが、私はアルヘンタによる盤を好む。これは上記の自作映画に使ったという個人的な思い出の他に、テンポよく駆け抜けて行くような演奏がまさに風光明媚な旅行への誘いを喚起するからかもしれない。つまり、この曲に関する限り、演奏へのこだわりは個人的な思い出と結びつき、そこから逃れることができないし、それで良いと思っている。

この古色蒼然とした歴史的名盤によって、すでに遠く過去の人だと思っていたロドリーゴが没したのは1999年だった。ある日私は新聞で作曲家の97歳の死を知った。もうその時には私のスペイン旅行からも10年以上が経過していた。この曲は過去の記憶の古さを増幅させてくれる効果があるように思う。

2020年8月12日水曜日

モーツァルト:セレナード第7番ニ長調「ハフナー」K250(フランス・ブリュッヘン指揮18世紀オーケストラ)

モーツァルトには「ハフナー」の名の付く管弦楽曲が2つある。そのうちの1つが1776年に作曲されたニ長調のセレナードK250である。もう一つの交響曲第35番ニ長調K385は1782年の作品で、この頃にはモーツァルトは、すでにウィーンに出てきていた。後期六大交響曲の最初の作品でもあるK385とは異なり、「ハフナー」セレナードはザルツブルク時代の若きモーツァルトの作品である。「ハフナー」とはモーツァルトが親しくしていた一家の名で、ザルツブルクの市長も務めた富豪だった。ハフナー家に依頼されて、モーツァルトはこれらの曲を作曲した。

「ハフナー交響曲」は20分程度の短い曲だが、「ハフナー・セレナード」は1時間にも及ぶ長大な曲である(もっとも交響曲の方は、もともとセレナードだったものから抜粋されたのだが)。モーツァルトはこのセレナードを、ハフナー家の結婚式の前夜祭のために作曲した。そして、この楽団の入場のために別の曲を作曲した。それが行進曲ニ長調K249である。多くのCD録音では、この2つの曲がこの順番に演奏されていることが多い。ここで紹介するフランス・ブリュッヘンによる演奏もまた同じである。

長い演奏時間を要する「ハフナー・セレナード」を聞くと、丸で2つの交響曲作品を聞いたような気持になる。第1楽章はアレグロを中心としたソナタ形式、第2楽章はアンダンテ。ここでソロ・ヴァイオリンが活躍する(これは第4楽章まで続く)。第3楽章メヌエット、第4楽章はロンドとアレグロである。ここで作品が終わったかのように感じるが、この曲はまだまだ続く。第5楽章は再びメヌエット、第6楽章がアンダンテ、第7楽章はみたびメヌエット、そして終楽章はアダージョで始まり、アレグロ調で終わる。

第8楽章まである曲が1時間もかかるのは、ひとつひとつ楽章が平均7分にも及ぶような長い曲だからである。なので、聞いていると徐々に退屈するかと思いきや、そこはモーツァルト、天才的な美しいメロディーの連続で心地よい。屈託のない若い頃の作品であるにもかかわらず、音楽的な充実度には驚くべきものがある。特にブリュッヘンの演奏で聞くと、若々しいエネルギーの迸りによって、ともすれば急ぎ過ぎる傾向がやや抑えられて、大人の響きになっている。

ハフナー・セレナードを聞きながら、猛暑の古都を歩きたくなった。 

今年の夏は、長く続いた梅雨が明けると一気に猛暑となった。湿度は相変わらず高いが、ある日の関東平野は快晴の青空だった。私が原体験として持っている夏の日。雲は沸き、光あふれる夏の一日を、私は古都鎌倉の散策に費やした。関東の他の地域とは違い、ここは中世の街である。さほど広くない土地に、寺や神社がひしめく。その狭い路地を人々が群れを成して歩いている。だがその道も少しそれると、静かで時間が止まったような路地が出現する。鎌倉の面白いところだ。出会ったお寺に詣でると、そこは長い年月を経た有名な古刹 だったりする。そう、できればガイドブックを持たずに歩くと面白い。目立たない標識と勘を頼りに、行ったり来たり。たとえ道に迷ったとしても、それはそれで発見がある。

映画:「シラート」(2025年、スペイン・フランス)

「大統領のケーキ」を見た翌日、またもや救いようのない映画を見てしまった。作品のタイトルは「シラート」。アラビア語で「審判の日に天国と地獄の上に架けられる細い橋」を意味するらしい。つまり、死んだ人が集う場所から、それぞれが天国に行くか地獄に行くか、いったいどうやって決まるのか。それ...