2025年6月9日月曜日

第2039回NHK交響楽団定期公演(2025年6月8日NHKホール、フアンホ・メナ指揮)

背筋がゾクゾクとする演奏だった。2010年の第16回ショパン国際ピアノコンクールの覇者、ユリアンナ・アヴデーエワがラフマニノフの「パガニーニの主題による狂詩曲」の有名な第18変奏を弾き始めた時、それはさりげなく、さらりと、しかしスーパーなテクニックを持ってこのメロディーが流れてきたからだ。丸でショパンのようだ、と思った。こんなに流麗に、モダンに、そして確信に満ちた演奏に出会えたのが嬉しくてたまらなかった。

この日のコンサートの指揮者は、当初予定されていたウラディーミル・フェドセーエフから、バスク人のフアンホ・メナに変更されていた。フェドセーエフだったらこんなに職人的に、そして献身的なサポートだったかどうかはわからない。しかしメナという指揮者は、最初のプログラムであるリムスキー=コルサコフの歌劇「5月の夜」序曲の時から、細かい表情まで丁寧に音楽づくりをする人だと感心した。

3階席最前列ながら私の席は端から5つ目で、オーケストラからそれなりに近いのだが、ピアノの細かい表情までは感じ取ることができない。音はストレートに響いてはくるが、会場が大きすぎて発散してしまう。それでもアヴデーエワの鮮やかな技巧と、そこから放出されるエネルギーに圧倒されながら、次々と進む変奏が面白くてたまらない。この曲を聞くのは何度目かだが、間違いなく今回の演奏は圧巻だった。

大喝采の聴衆に応えたアンコールは、同じラフマニノフの「6つの楽興の時」作品16 から第4番「プレスト」ホ短調という作品だった。これも大変な難曲だと思ったが、さらりとやってしまうテクニックに唖然とするうち、終わってしまった。今年は5年毎に開かれるショパンコンクールの年である。来シーズンのN響では12月のC定期で、その優勝者との共演が予定されている(もっとも第1位がいなかったらどうなるのだろう?)。

今日のコンサートは当日券の発売がなかったことを考えると、チケットが売り切れだったのかも知れない。それはフェドセーエフが「悲愴」を指揮する予定だったからであろう。フェドセーエフの「悲愴」と言えば、80年代の頃、日本のメーカーによってモスクワでデジタル録音されたLPレコードが売り出された時、私もその演奏に接したひとりである。彼は丁度売り出し中の頃であった。その演奏は、当時の定番とされていたカラヤンなどに少々辟易しかけていた頃、錚々たる同曲のレコードの中に堂々とランクインするもので、新鮮さと録音の良さが印象に残るものだった。

あれから40年ほどがたち、フェドセーエフも90歳を超えた。それで現役を続けていることも驚きなので、今回の来日が本当に実現するか、実際のところ不安だった。だがその不安は的中した。意外だったのはB定期にも登場するメナが代役となったことだ。このことで、来場しなかった客も一定数いたのではないかと思われる。プログラムを変更せず、ロシア物で固めるという今回の演奏が、果たして良いものかどうか。だがそれは杞憂だった。

私は初めて聞くメナという指揮者は何歳なのか、プログラムに記載はないので詳しいことはわからない。だが彼の演奏するチャイコフスキーの「悲愴」は、冒頭の重々しいファゴットのメロディーから印象的な音色の連続で、そうか、「悲愴」とはこういう曲だったのか、と改めて感じる結果となった。毎年数多くの演奏会で取り上げられ(とりわけ梅雨のシーズンにはなぜか多いような気がする)、少し食傷気味な「悲愴交響曲」を、私は過去に6回聞いている(その中で思い出に残っているのは2回だけ=ノイマン指揮チェコ・フィルと小澤征爾指揮ボストン響だけれども)。

とりわけ第4楽章の見事さについては、特筆すべきだったと言える。この楽章にこそ重心が置かれ、クライマックスにおける絶望と、ついには諦観へと至る心象的な移り変わりを、これほど見事に感じたことはない。最後の消え入るようなコントラバスの一音までもが、広いホールでも手に取るように感じられた。この作品はまぎれもなくチャイコフスキーのひとつの到達点を示す作品だと思った。

会場はすぐに大きな歓声と拍手に包まれ、オーケストラが去っても拍手が鳴りやまない光景となった。N響の定期も今シーズンはあと2回のみ。来週はメナがブルックナーの交響曲第6番を指揮する。私はチェリビダッケの指揮するこの曲のビデオを見て、ブルックナーの音楽に目覚めた記憶がある。メナはそのチェリビダッケの弟子だから、この演奏を逃すのは惜しい。だがサントリー・ホールのチケットはただでさえ入手困難であり、しかも私は東京を離れることになっているから、この演奏を聞くことができない。後日テレビで見るしかないが、何かいいコンサートになるような予感がする。

2025年5月26日月曜日

チャイコフスキー:交響曲第4番ヘ短調作品36(エフゲニー・ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団)

まだ土曜日が休日でなかったころ、私は中学校から帰ってきて昼食を済ませたあとのほんのひととき、NHK-FM放送で我が国のオーケストラの定期演奏会を録音したものを放送する1時間の番組を聞くことが多かった。他に聞きたい放送があるわけでもなく、私は習い事に出かけなければいかねい憂鬱な気分と、週末を迎えた幸福感が入り混じる複雑な心境の中で、この番組に耳を傾けていた。

すると決まって睡魔が襲ってくるので、その日も少し眠っていたような気がする。そしてしばらく気持ちよい睡眠を謳歌している最中、急に耳をつんざくようなトゥッティが爆発音のように聞こえてきた。これが私のチャイコフスキーとの出会いだった。迫力のある音楽は10分足らずの間中ずっと鳴り響き、瀑布のように雪崩落ちるアレグロが何度も押し寄せ、コーダはこれでもか、これでもかと狂気のように幕を閉じた。アナウンスによれば、その曲はチャイコフスキーの交響曲第4番ということだった。私は嬉しくなり、チャイコフスキーの音楽が一気に好みとなった。

チャイコフスキーには、初めて聞くものを虜にさせるようなメロディーを思いつく天才のようなところがある。すべての曲がそうではないのだが、一度聞いたら忘れられない音楽に、しばしば出会う。ピアノ協奏曲第1番、ヴァイオリン協奏曲、弦楽セレナーデ、バレエ音楽と数えたらきりがない。そして交響曲の分野では、この第4番から第6番「悲愴」まで名旋律の宝庫と言っていいのではないだろうか。

交響曲第4番は、力強い金管楽器が大活躍する。「運命のファンファーレ」と呼ばれる冒頭は、憂鬱だがそれを越えて激しく痛々しい。私はこの部分があまりに激しいので、時に不快なくらいに苦痛でさえある。そしてそのファンファーレは終楽章でも回帰されるのだから、たまったものではない。私はこの作品をさほど楽しい作品だとは思えない。

だが、そうかと思うと美しい抒情的なメロディーが顔を出し、哀愁を帯びたチャイコフスキー特有の感傷が琴線に触れる瞬間もないわけではない。長い第1楽章においてでさえ、それは現れる。そして第2楽章は木管の寂しげなメロディーが切なく、何と言おうか、痛さをこらえていると時に訪れる安らぎの時間のような、不安をかかえながらも痛みは緩和し、辛うじて凌いでいるような安心を覚える。ちょっと分裂気味な気分にさせられるこの曲は、あまりに実際的な気分をのようでもあり、そういうわけでちょっと生々しいのである。

変わっているのは第3楽章。このスケルツォは、管楽器とピチカートによる弦楽器のみで演奏される短い曲である。集中力を伴って高速で演奏される。苦痛が取り払われて安寧の時間が過ぎ、戸惑いの中で短い時間が過ぎてゆく。音楽が一瞬止まったかと思うと、一気に大迫力の全奏が会場に鳴り響く。このお祭り騒ぎのような音楽もどこか神経症的である。演奏によっては扇動的で、落ち着きがなく、かといって楽しい感じもしない。

「運命を乗り越えて歓喜に至る」というのはベートーヴェン以来続く交響曲の伝統的モチーフだが、チャイコフスキーの音楽はもはやそれが観念的なものではなく、病気の苦痛のようにあまりにリアルに響く。であれば、そんな単純に運命が克服できるわでもなく、葛藤はしばしばぶり返し、何かわけがわからないまま、気が付いたら少しはましになっていた、というのが実際の闘病ではないだろうか。ただその現実を見せつけられるような気がして、スッキリと楽しめなくても良いとするのは、芸術性が勝っているからだと思うことにしよう。

というわけで、私はこの曲を定番のエフゲニー・ムラヴィンスキーが指揮するレニングラード・フィルの演奏で聞いている。この演奏はスゴイ。最近何でも「凄い」といって感想を述べるのが流行っているが、この形容詞はこのような演奏にこそ使ってみたい。冒頭からコーダに至るまで、全くを隙を見せず一直線に突き進む。それは圧巻で、ソビエトの演奏家がまるで西側にミサイルでも打ち込むように、冷徹な完璧さで聴く者を圧倒する。

1960年にウィーンを訪れたソビエト屈指の演奏家が、西側のレコード会社にスタジオ録音を敢行したことが、雪解け時代の奇跡のひとつだったのかも知れない。この時、まだ共産主義は後年ほど廃れておらず、西側と拮抗する力を持っていた。演奏自体もそういうパワーを見せつけられているようなところがあり、それがいっそ曲のモチーフを強調しているようなところがある。第5番、第6番「悲愴」とともにすべてが記念碑的名演であることは言うまでもないが、決して自意識過剰なところはなく、ロシア音楽の神髄を音楽的に表現している。

私は大学受験が終わって、入試会場からの帰り道、当時まだ発売されたばかりのコンパクト・ディスクを記念に買おうと思って大阪ミナミの繁華街を歩いていた。心斎橋筋商店街に小さなレコード屋を発見して入ってみたが、ただでさえ少ないクラシックのコーナーに、わずか数枚のCDが売られているのみであった。1986年のこの当時、1枚の値段は3500円した。しかも輸入品ばかり。私は当時発売されたばかりにカラヤンの「英雄の生涯」を買うと決めていたが、このCDは残念ながら発見できなかった。代わりに見つけたのが、同じカラヤンがウィーン・フィルを指揮したチャイコフスキーの交響曲第4番だった。

私はそのCDを買って持ち帰り、買ったばかりのCDプレイヤーに乗せてかけてみた。晩年のカラヤンは、往年のオーラを放つ統制力が低下し、ややヒステリックな演奏に聞こえた。試験の出来はあまり芳しくなかった。合格発表までの数日間は、放心した気分であった。そして長い受験勉強の苦痛と、それが過ぎても気持ちが直ちには変わらない不思議な感覚でこの曲を聞いていた。妙にしっくりくるものがあった。もしかすると憔悴しきったチャイコフスキーが、ヴェニスでこの曲の作曲に取り組んだ時も、これとよく似た心境だったのかも知れない。

2025年4月30日水曜日

NHK交響楽団第2036回定期公演(2025年4月27日NHKホール、ファビオ・ルイージ指揮)

N響は来る5月、オランダのアムステルダムで開かれる「マーラー・フェスティヴァル2025」に、アジアのオーケストラとして初めて登場し、首席指揮者ファビオ・ルイージの下交響曲第3番と第4番を演奏するらしい。これは画期的なことだと思われるが、その公演に先立ち5月の定期公演では、同じプログラムが演奏される。今回出かけたA定期では、交響曲第3番が取り上げられた。

交響曲史上おそらくもっとも長大なこの作品は、普通に演奏しても100分に達する大曲である。女声合唱、少年合唱、それにアルトの歌手も必要とする。このたびの独唱はロシア人のオレシア・ペトロヴァで、彼女はこれまでたびたびN響とも共演しているようだが、私は初めて聞く。一方、合ペトロヴァ唱団はオランダでは地元の団体を起用するようだが、今公演では東京オペラ・シンガーズとNHK東京児童合唱団が受け持った。広い舞台に何段にも設えられた合唱席が高らかと並び、大規模なオーケストラを含め壮観である。

3800人も収容するNHKホールは、紅白歌合戦を開催するために設計されたため、クラシック音楽のコンサート会場としては広すぎて音響が悪いことで有名である。でもこのような大規模な作品では、このくらいの広さを必要とするのだろうか。そして2日ある両公演ともチケット完売というのも珍しい。3階席の隅にまで誰か座っている。その私も3階席の脇の最前列である。ここからだとグラスがないと表情を見分けることは難しい。

マーラーの交響曲第3番は、3つある「角笛交響曲」の真ん中の作品だが、長い曲にもかかわらず静かで精緻な部分が大半を占め、集中力を絶やさず演奏することは並大抵のことではあるまい。コーラスが歌うのは第5楽章に限られるので、最初から登場すると待ち時間が長いし、途中で退場すると緊張感が失われる(本公演では第1楽章の後に合唱が、第2楽章のあとにソリストが登場し、第5楽章を歌い終わった時点で着席した)。

さてその演奏だが、私の数少ないこの曲の経験(たった3回)の中ではベストであり、おそらくこの演奏を上回るものに今後出会う事はないと思われた。気合の入った演奏は、第1楽章冒頭からの、異様にも感じられる凝縮度を見ればよくわかるくらいで、ルイージも緊張を隠せないくらい。大きな身振りでグイグイとひっぱってゆく。そのことが、ちょっと演奏に堅苦しさを与えたと思う。もう少し余裕があるととは思ったが、それも30分にも及ぶ第1楽章では、そこそこ大きな音も鳴って聞きごたえがあるし、客席もまだ体力があるので、胸に熱いものを心に感じつつこれから始まる長い旅への期待を膨らませる。

それにしても今回の聴衆は、とても思い入れが強い人たちが大挙して押し寄せているように見えたし、オーケストラも首席奏者揃い踏みの布陣である。8本のホルンが冒頭で奏でるユニゾンもまるで単一の楽器のように見事で、それに続く2つのティンパニ、3つのシンバルもピタリと揃っていた。

長い第1楽章が終わっただけで相当疲れたが、まだ音楽はそのあと1時間以上続く。第2楽章と第3楽章はいわゆるスケルツォ風だが、ここの聞き所は満載である。だからまだ緊張感は抜けない。特に第3楽章にはあの長いポストホルンの独奏がある。私はここの部分に入った時、その奏者がどこにいるのかを、何度も何度も目を皿のようにして探したが見当たらない。あとでわかったのだが、奏者は舞台裏にいたようだ。だがその音色はまるで舞台前面で演奏しているかのように朗々と会場にこだまし、見事というほかないものだった。

長大な第1楽章といい、精緻を極める中間楽章といい、CDなどで落ち着いて聞くことになれすぎていると、ミスなく演奏して当然と思ってしまう。このような長い曲ほど、実演に接する機会が少ないので、つい完璧に演奏されてしかるべきなどと思ってしまうが、それはとんでもない間違いで、実際には音楽は一期一会の芸術である。客席と演奏者が一体となって作り上げる時間の連続が、最高にエキサイティングであり、またいとおしくもある。

第4楽章のペトロヴァの声が聞こえてきたとき、低く垂れこめた雲の合間から光が差すような瞬間に身震いを覚えたのは私だけだっただろうか。マーラーの曲ではしばしば化学変化が生じ、ある瞬間から会場全体が一種の神がかり的モードに入ることがある。今日の演奏会の場合、このあたりだったと思う。ここから先、特に終楽章の見事な弦のアンサンブルをまるで雷に打たれたように聞き入ったのは、私だけではない。徐々に築かれるクライマックス、長い長い道のりのあとに到達する愛の賛歌。だが第3番は第2番と違ってただ熱演をすればいいだけの曲ではない。

聞かせ所のうまい指揮者がオーケストラとがっぷり四つに組んで、最高の聴衆を得たときにのみ実現され得る音楽の奇跡が、あったと思う。もっと頻繁にコンサートにでかける余裕があれば、あるいはもっと完成度を上げた演奏に出会える可能性はあるかも知れない。だが、私に許された制限の中では、この曲のベストだと思うことにしようと思う。5月11日のコンセルトヘボウでの演奏会は、現地でビデオ収録される予定だそうで、NHKで後日放送されるだろう。その時に今回の演奏を思い出しながら、よりこなれた演奏(になっていることを期待する)に酔いたいと思う。

とにかくN響の持てる力が十二分に発揮された演奏会だった。演奏が終わっても指揮者がタクトを下ろし終えるまで音を立てる者はいなかった。そしてあふれ出すように始まった拍手とブラボーが、これほどにまで大きかったことを私は知らない。満員御礼のNHKホールをあとにして、新緑の眩しい代々木公園でやさしい風に吹かれながら、いくつかのフレーズを思い起こしていた。これはこの作曲家の「初夏」の音楽である。

2025年4月28日月曜日

ヴェルディ:歌劇「仮面舞踏会」(2025年4月26日サントリーホール、広上淳一指揮)

流れるように綺麗なメロディーと、情熱に溢れる歌声、そして息をつかせないほど緊張感に満ちた舞台。三位一体となったヴェルディ中期の大作「仮面舞踏会」をサントリーホールで見た。セミ・ステージ形式とされた舞台は、いわゆる演奏会形式ともまた違ってしっかり演出がされており、衣装や舞台道具、それに照明までついて本番さながらの演技力が要求される。それは時に民衆の、時に暗殺集団の声を表現する合唱団にも言える。

いわゆる歌劇場と異なるのは、舞台の真ん中にオーケストラと指揮者がいることだ。舞台はサントリーホールの構造を生かしてオーケストラをぐるりと囲んでいる。合唱団はオルガン前のP席に黒い幕を覆って客席の一部であることを上手に隠し、オルガン前にもずらりと金管の別動隊が並ぶ。その数、20名余り。

指揮者の広上淳一は、音楽の自然な流れをとても重視し、その中から音楽的なバランスを極めて上手く引き出す指揮者だ。それは職人的と言っていいほどで、その音楽がマーラーであれモーツァルトであれ、音符の長さを十分に表現し、強弱をつけて生理的にもっともしっくりくる位置に定めることができる。その広上がヴェルディを振るときいたとき、歌手をさしおいてこれは「買い」だと思った。発売日にチケットを買うのは、私にとっては異例のことだ。カレンダーに丸印をつけ、大型連休が始まるので他の予定を誤って入れぬよう細心の注意を払った。もちろん体調を整えることも。

前奏曲の簡潔にして表情豊かな音楽が聞こえてきたとき、やはり今回は並々ならぬ力がこもっていると感じた。最大音量のアンサンブルでも乱れることはなく、枠役の歌唱を含め、そのバランスが理想的に文句のつけようがなく美しいことは言うまでもない。東京に数多くのオーケストラがあって、評判の指揮者が多くのコンサートを開いているが、広上の指揮する日フィルの音はその中でも一頭上をいっていると確信している。それを実現させているのが、あのひょうきんとも言えるような指揮姿だが、決して笑いを取るためのものではなく、理想的な音楽表現を体現するためにあのような姿になるのだろう。

それは歌唱を伴った場合でも同じである。だが今回の部隊、その歌手陣の見事さたるや、何と言っていいのだろうか、一点の非の打ちどころもないくらいの高水準で、誰から記載していいのかもわからない。登場順で行けば、ヴェルディの作品としては異例の小姓役である森田真央(オスカル)の、よく動き回る役作りに感心したし(もう少し印象的な衣装をつけていても良かった)、登場するのが前半に偏っている謎の占い師を演じたメゾ・ソプラノの福原寿美枝(ウルリカ)には、地の底から燃え上がるようなおどろおどろしい歌声が会場にこだまし、この歌声で是非ともアズチェーナ(「イル・トロヴァトーレ」)を聞いてみたいと思った。

総督の友人にして忠実な部下であるレナート役を歌った池内響は、実直でスマートな印象をもたらすもので、痩せて高身長な容姿も含めピタリとはまっている。ヴェルディがもっとも力を注いだのは言うまでもなくバリトンで、その役柄としてこの上なく素晴らしいのだが、サントリーホールは響きが良すぎて残響が大きいのが、この場合難しいところだ。だがこんな贅沢な悩みを語るのはよそう。

さて、「仮面舞踏会」の二人の主役、すなわちアメーリアの中村理恵とリッカルドの宮里直樹について語る時が来た。これほどにまで理想的で素晴らしいヴェルディの歌声を聞いたことはない。特に宮里のテノールは終始圧倒的な存在感を示し、この舞台の主役として文句のつけようがないくらいである。やや小太りなのに声は高い、という容姿の適合感もさることながら、その高貴な歌声は、パヴァロッティのようないわゆるベルカントオペラのそれではない。一方、中村理恵は世界中のオペラハウスで活躍する我が国を代表するディーヴァだが、アメーリアの役でも「愛の二重唱」に力点を置いて葛藤に満ちた女性心理を歌い上げた。

どの重唱が、どのアリアが、などと言うのではなく、次から次へとつながれてゆく力量に満ちた音楽は、集団テロという陰惨な企みを扱ったストーリーとは違って歌、また歌の醍醐味を味わわせてくれる。だから深刻になることはないばかりか、極上の娯楽作品のようですらある。さりとて滑稽すぎるわけでも、陰鬱なものでもない。ヴェルディの作品は、総じて極めて常識的なのでそこがいいところ。こういう作品が30もある。

私は中期と後期の作品を中心に、多くを最低1回は舞台で見てきた。体調が悪くて昨年「マクベス」を聞き逃したのは惜しかったし、「運命の力」と「ドン・カルロ」はまだなのだが、こういった作品も是非取り上げて欲しいと思う。

セミ・ステージ形式(演出:高島勲)というのが、新しいオペラの表現形態として十分に成立することを示している。登場するのが全員日本人であるというのも悪くない。外国から有名歌手を招聘するとコストがかかるし、練習にも制約ができる。そうでなくても我が国の歌手は、これらの外国勢に隠れて、実力ある人でも主役を歌う機会に恵まれない。だから、こういう企画は大いに称賛されるべきだし、チケット代が下がることで真の音楽好き、オペラ好きが気軽に楽しめるようになればと思う。

次第に高潮して行く舞台に引き込まれ、途中からブラボーの嵐が飛び交ったのは当然だった。広上はその時その時で指揮をストップし、客席と一緒に拍手を送る。オーボエやチェロがソロを担当するシーンでは、そこに照明が当たるのも面白い。普段はピットに隠れてオーケストラを意識することがない(ようになっている)。普段はほとんどオペラを演奏しない日フィルも、舞台で思いっきりヴェルディ節を奏でるのが楽しそうに見えたし、それに何と言っても広上の陽性な指揮と一体となった舞台が、まるで歌舞伎をみるかのように楽しく、字幕を含めどこに視線を送ればいいのか大忙しだった。合唱も良かったが、何と言っても舞台に隠れていたヴェルディの音楽が、ヴェールを脱いで間の前に溢れたことが新鮮だった。

興奮冷めやらぬ聴衆からは惜しみない拍手が続き、出演者も会心の出来だったと見えて長く舞台でカーテンコールに応えていたのが印象的だった。

2025年4月16日水曜日

NHK交響楽団第2034回定期公演(2025年4月13日NHKホール、パーヴォ・ヤルヴィ指揮)

2022年までN響の音楽監督を務めたパーヴォ・ヤルヴィが、久しぶりにN響の定期に出演する。5月の海外公演を控え、今月の定期は2回(A定期とB定期)のみで、このうちB定期は予定があって行けないから、行くとしたらA定期だと思っていた。演目は前半がベルリオーズの「イタリアのハロルド」、後半がプロコフィエフの交響曲第4番という贅沢なもの。どちらもヤルヴィの歯切れの良さとリズム感のセンスが光る名演になると予想された。

ベルリオーズの好きな私は、いまだに「イタリアのハロルド」を実演で聞いたことがなかったので、いつか、と思っていた。この曲はヴィオラ付き交響曲という珍しいもので、当然のことながら優秀なヴィオラ奏者を必要とする。我が国には今井信子という世界的に有名なヴィオラ奏者がいるが、私はいままで接する機会を持てないでいる。このたび招聘されたのは、アントワーヌ・タメスティというパリ生まれの奏者で、「ソロ、アンサンブルの領域を自在に行き来する現代最高峰のヴィオリスト」とプロフィールに書かれている。

チューニングが終わって指揮者が舞台に登場し、タクトを振り下ろしたときに、ソリストがまだいない。あれ、と思ったのもつかの間、舞台左袖からそろりそろりと登場したタメスティは、ゆったりとした序奏のあいだに何とハープ奏者のそばに行くではないか!最初のハープとの重奏が、なんと室内楽のような趣で演奏されたのには驚いた。以降、独奏者はオーケストラの間を行ったり来たり、指揮者の横に居続けることはなかった。

N響の見事なアンサンブルは、ヤルヴィの指揮によくマッチし、まさにベルリオーズの音を奏でていた。ときおり見せる幸福で歌のあるメロディーは、ややくすんだヴィオラとオーケストラに溶け合って幸福感に満ち溢れ、どちらかというと高音中心の軽い旋律は、何となく春の季節に相応しい。ここの第1楽章は、ベルリオーズの真骨頂のひとつだと思う。

一方第3楽章の躍動感あるリズムは、この曲最大の聞きどころのひとつだが、2つのタンバリンの連打と太鼓が織りなす独特のリズムは、聞いているものを何と楽しい気分にさせることか。不思議なことに胸が熱くなり、涙さえも禁じ得ない美しさが進む。ヤルヴィに率いられたN響のアンサンブルの面目躍如たる名演だと思った。

ヴィオラは終楽章で一時退場し、再び登場した時には第一ヴァイオリン最後列の二人と競演。そういった見事な演出を繰り広げながら終演を迎えた時、満席に近い会場から盛大なブラボーが乱れ飛ぶ事態となった。コンサート前半でこれだけの拍手と歓声が起こるのは、私の400回に及ぶコンサート経験(そう、今回は丁度400回目だ)でも初めてではないかと思う。

地味であまり目立つことはないヴィオラという楽器の魅力を十二分に発揮して見せたタメスティは、バッハの無伴奏チェロ組曲第1番をヴィオラ用にアレンジした一曲を披露。さらにはオーケストラのヴィオラ・パートのみを起立させたことは、この楽器に対する愛情の現れとして思い出に残るだろう。

後半はプロコフィエフの交響曲第4番だった。この曲はボストン交響楽団の創立50周年記念のために作曲されたが、初演は成功せず後年大改訂を施した。本日演奏されたのは、その改訂版での演奏である。プロコフィエフは日本を経由してアメリカに亡命し、さらにパリで生活したことは有名だが、この作品はパリで作曲され、その後ソビエトに帰国して改訂された、ということになる。

演奏はN響の機能美が満開で、ヤルヴィのきびきびしたタクトのもと、オーケストラのアンサンブルの見事さが光った大名演だった。第1楽章の行進曲風のリズムは、大オーケストラが高速で突き進むさまを楽しむことができる。この演奏が始まる前、指揮者の正面にピアノが置かれ、そういうことのためかオーケストラはいつもより前面に位置している。このため3階席最前列の私の位置にもオーケストラの音は十分に伝わって来る。

ヤルヴィは翌週のB定期にも登場し、ストラヴィンスキーやブリテンの魅力的な作品を演奏する。これはまた聞きものだが、私は約40年ぶりに韓国・慶州への旅行に出かける予定である。4月にはもう一度C定期があって、これはルイージがヨーロッパ公演で取り上げる曲を演奏するらしい。マーラー・フェスティヴァルにアジア初のオーケストラとして登場し、交響曲第3番と第4番を披露するらしい。私は今回、シーズン・チケットを買ったため、このうちの第3番の演奏会に行くことになっている。今から楽しみである。

2025年4月15日火曜日

東京春祭オーケストラ演奏会(2025年4月12日東京文化会館、リッカルド・ムーティ指揮)

2005年「東京のオペラの森」として始まった音楽祭は、今年でもう21周年を迎えたことになる。2010年からは「東京・春・音楽祭」として、丁度桜の咲く3月から4月にかけての上野公園一帯で繰り広げられる音楽祭として規模も拡大し、今ではすっかり春の風物詩となった。

私は2014年から4年かけて行われた「ニーベルングの指環」の演奏会を鑑賞したのをはじめ、今年までほぼ毎年、何らかのコンサートに出かけてきた。最初は小澤征爾を中心に、新作オペラを上演するというのが恒例だったが、2006年(たった2年目)からはリッカルド・ムーティも登場し、その後毎年のように何らかのコンサートを指揮するようになった。今彼が指揮するオーケストラは、専ら若手を中心に特別編成された東京春祭オーケストラで、海外の劇場とのコラボレーションや教育的なプログラムなど、様々な企画が始まり、その他にも多彩な顔ぶれと普段は聞けない珍しい室内楽曲など、意欲的で興味深い日々が続く。

今年の管弦楽のコンサートのトリを飾るのが、リッカルド・ムーティが指揮するイタリア・オペラの序曲・間奏曲などを集めたプログラムであることを知った時、私は即座にチケット購入を決意、妻と二人で出かけることにした。何と言っても御年84歳にもなるムーティが、(それでも彼は毎年何回か来日しているようだが)なお現役の指揮者として意欲的な演奏を繰り広げているのを観たいと思ったし、いまや巨匠とも言えるような指揮者は、ティーレマンを除けば彼が最後ではないか、などと考えたからに他ならない。

ムーティを聞くのはこれが3回目(正確には4回目)である。最初は1990年、旅行先のニューヨークでのことだった。この頃ムーティは、オーマンディの後を継いでフィラデルフィア管弦楽団のシェフを務めており、ニューヨークへもたびたび訪れて定期的な演奏会をしていた。この時聞いたのはベルリオーズの「夏の夜」(独唱:バーバラ・ヘンドリックス)とスクリャービンの交響曲第3番「法悦の詩」だった。1階のオーケストラ席真正面で聞いた演奏は大変見ごたえがあったが、当時の私にとっては馴染みの曲ではなく、あまり印象は残っていない。

その後ムーティの指揮する極めつけの2つのオペラ(「ナブッコ」と「シモン・ボッカネグラ」、いずれもローマ歌劇場の来日公演)を大枚を払って立て続けに見て、もうこれ以上のものはない、と思って遠ざかっていた。その間にアバドや小澤征爾が亡くなり、メータやバレンボイムも活躍を聞かなくなった。私がクラシック音楽を聞き始めた頃、まだ若手だった指揮者が次々と姿を消してゆく中で、ただ一人まだ精力的に活躍を続けているのがムーティである。今年のウィーン・フィルのニューイヤーコンサートは、ムーティの指揮だったことは記憶に新しい。

けれどもこのムーティのニューイヤーコンサートは、私を少々がっかりさせた。ウィーン・フィルの響きがいつもとは違って精彩を欠いていたからだ。録音の方はそう思えず、これはテレビのライブ中継を見た時の感想である。もしかしたらムーティも、高齢による衰えを隠し切れなくなったのだろうか。だとしたら私は今回の来日コンサートで、もはや精彩を欠いた彼の指揮姿を見ることになるのだろうか?まあそれはそれで、記念になると思いつつ当日を楽しみにしていた。

だが指揮台に現れたムーティは、足取りも軽やかで指揮姿も勇みよく、確かにかつての若々しさはないものの、なかなか切れのある音楽を作るではないか。この若手中心のにわか作りのオーケストラを、短期間のうちに手中に収め、歯切れのよいリズムと旋律がくっきりと浮かび上がるカンタービレに特徴付けられた往年の音作りは、まさにムーティの真骨頂であり、誤解を恐れずに言えば、正真正銘のイタリア流であった。

ムーティはまず「ナブッコ」序曲(ヴェルディ)で期待を膨らませたあと、「カヴァレリア・ルスティカーナ」間奏曲(マスカーニ)のうっとりするようなメロディーを、実際幕間に聞こえる間奏曲らしく演奏した。前半のプログラムで私が最も感動したのは、「道化師」間奏曲(レオンカヴァッロ)だ。「カヴァレリア・ルスティカーナ」と合わせて上演される2つのヴェリズモ・オペラのうち、「カヴァレリア」の方が親しみやすく音楽もきれいだが、「道化師」の方がやや複雑な心情を表現しており、音楽的充実度が高い。イタリア・オペラの神髄ともいうべき人生の宿命と儚さを、簡潔かつ雄弁に表現している。

ムーティはこのあと、「フェドーラ」間奏曲(ジョルダーノ)、「マノン・レスコー」間奏曲(プッチーニ)と続けて演奏し、これらはいずれも実際の劇中で演奏されると極めて印象深いが、このように間奏曲のみ立て続けに演奏されるとやや単調になる。けれどもこれは贅沢な悩みでしかない。思えばムーティのプッチーニなどどいうのも珍しい。

前半最後を飾るのは「運命の力」序曲(ヴェルディ)で、これは十八番中の十八番。確かフィラデルフィア管弦楽団との来日の際にもアンコールで演奏された記憶がある。トスカニーニ張りの緊張感を保ち、音の強弱を際立たせながら、流れるようなメロディーとたたみかけるようなリズムは健在だ。そういうわけで満員の客席からは前半からブラボーも飛び交うこととなった。

今回の客席には高齢者が目立ち、足どりも重い人が多い。にもかかわらず東京文化会館というところは、トイレに行くにも階段を上り下りしなくてはならず、しかも狭い。傘立てもなく客席は狭いが、音響は悪くない。

後半のプログラムは2つ。まず、カタラーニの「コンテンプラツィオーネ」というめずらしい曲。この曲を聞くのは勿論初めてだったが、わずか10分余りの長さながら、やはりそこにはレガートで音と音がなめらかにつながれてゆくさまを味わうことができる。なお、コンサートマスターはN響の郷古廉である。

もう後半最後になった。「ローマの松」(レズピーギ)である。オーケストラが最大に拡張され、3つの鍵盤楽器のほか両脇に金管楽器の別動部隊も配置された。クラシック音楽で最大の音量を誇るこの曲は、その圧倒的なコーダで有名だが、きらびやかな冒頭と夜の静けさを表現した中間部、それに朝もやにこだまする小鳥のさえずりなど、聞き所には事欠かない。ムーティはゆったりとしたテンポで味わい深く音を刻み、その印象は、これまで同曲を聞いた中では最高のものだった。

オーケストラは指揮に極めて忠実に対応した。コーダに向かって大団円を築く時、フォルティッシモになっても乱れない響きの綺麗さには圧倒された。イタリア音楽を演奏するとき、音というのがどのように重なり、繋がり、あるいは引き延ばされるべきか、何度も細かく練習したのだと思う。これはムーティにしかできないような職人技に思えた。拍手の大喝采、ブラボーの嵐が満員の会場にこだました。退場時に抱き合って喜ぶオーケストラのメンバーに惜しみない拍手が送られた。そしてムーティも、退場しかけたオーケストラの中に再び登場、花束を持って会場に手を振っていたのは印象的だった。

2025年4月12日土曜日

ヴィヴァルディ:ギター協奏曲集(g: アンヘル・ロメロ、アカデミー・オブ・セント・マーチン・イン・ザ・フィールズ)

社会人になってはじめてのボーナスで買ったスピーカーを、33年ぶりに買い替えた。長年聞いてきたONKYOのスピーカーは、ツイーターが壊れてノイズが乗り、コーン紙は破れて音が割れていた。その状態で20年以上我慢したのは、ひとえに部屋が狭かったり、子供が小さかったからだ。引越しを繰り返した若い頃は仕事に忙しく、そもそも音楽を家で聞く余裕はなかった。私の音楽体験は、月に一度程度の演奏会と、あとはイヤホンで聞く携帯音楽プレーヤーに限られていた。

昨年の春に息子の受験が終わり、家を出て行ったので、我が家にようやく自分の時間と空間が生まれた。そうだ、スピーカーを買おう。そう決心したのは涼しくなってきた秋の頃で、そうなると居ても立っても居られなくなり、家電量販店に赴いて試聴する時間も勿体ないので、評判の良さそうな代物をネット検索するうち、YAMAHAのトールボーイ型に目が留まったのだ。YAMAHAにしたのは、かつて聞いたいい音の体験が、ことごとくYAMAHAだったことに加え、舶来品はこのところの円安で、値段が高騰しているからだった。YAMAHAのスピーカーは、ピアノに使われる素材でできており、艶があって高級感を放ち、インテリアとしても抜群に思われた。3-wayというのも気に入ったし、これを機にスピーカー・コードも新調した。

新しいスピーカーで聞く音楽は、買わなくなって久しいCDに、再び耳を傾ける機会を与えてくれた。それまで聞いていたCDでは聞き取れなかった細微な音まで再生してくれるので、ごく小さな音量でも落ち着いたムードに浸ることができる。今まではある程度大きな音で聞かないと、音楽が楽しめなかった。このことは、演奏の好みに影響を与える事態となった。そして今日は、春爛漫の陽気の中、朝から何かを聞こうと思い、取り出したのがヴィヴァルディの協奏曲集である。

バロック時代の後期にヴェネツィアで生まれたヴィヴァルディは、600余りの協奏曲を作曲したことで有名で、このほかにも50を超えるオペラ、70を超える室内楽曲を作曲した大作曲家である。当時、音楽の都はまだウィーンではなくヴェネツィアだった。そのヴィヴァルディの、特にギターを独奏楽器とする協奏曲集が、私の手元にあった。ギターの名手アンヘル・ロメロが独奏をつとめる。もっとも収録されている7つの曲は、もともとはギターのための曲ではない。その収録曲をオリジナルを含めて記すと以下のようになる。

1. 協奏曲ト長調RV435(フルート協奏曲)
2. 協奏曲イ短調RV108(フルートと2つのヴァイオリンのための協奏曲)
3. 協奏曲ニ長調RV93(2つのヴァイオリンとリュートのための協奏曲)
4. トリオハ長調RV82(ヴァイオリンとリュートのためのトリオ・ソナタ)
5. 協奏曲ニ短調RV540(ヴィオラ・ダ・モーレとリュートのための協奏曲)
6. 協奏曲ト長調RV532(2つのマンドリンのための協奏曲)
7. 協奏曲ホ長調RV265(ヴァイオリン協奏曲)

ヴィヴァルディと言えば「四季」が突出して有名だが、たしかに我が国の入学式で演奏されるのが「四季」の「春」となっていて、桜の咲くシーズンのイメージにぴったりである。イタリアの春を旅行したことはないのだが、不思議なことにヴィヴァルディで聞くヴァイオリン協奏曲は、この時期の明るく霞がかかり、少し眠気も誘う物寂しい心境によくマッチしている。

日本人は古来、桜に人生の儚さを見出し、その心象風景は陽気一辺倒なものではなかった。「ひさかたの光のどけき春の日にしづ心なく花の散るらむ」(紀友則)というわけである。この心理にピタッとくるのが、膨大な数に上るヴィヴァルディの協奏曲、その緩徐楽章であると感じている。そのヴァイオリンのパートをギターで奏でると、さらにムードが増す。もともと音量が小さく繊細で、弦をはじいてもすぐに減衰する音波は、まさに儚い音楽の物理学的証明でもある。チェンバロもその類で、これによる通奏低音などが加わると、風景は「動」ではなく「静」となって目の前に現れる。

YAMAHA NS-F700

イタリアの春は、日本の春に似ているのだろうか?少なくとも四季がはっきりと分かれ、そのそれぞれに思いを巡らす伝統があるとすれば、このヨーロッパ文化の核を成していた国に大いに共感を抱くことになる。ともあれ、今朝は心地よいイタリアのバロックに耳を傾けた。このロメロのディスク、かなり久しぶりに聞いたが、アカデミー室内管弦楽団(と我が国では呼ばれる)の明瞭な伴奏が心地よく、あっという間に最後まで聞いてしまった。

実は今日、東京・春・音楽祭でリッカルド・ムーティの指揮するイタリアの管弦楽作品を聞く。そのための序奏として、この演奏は大いに気持ちを高揚させるものだった。桜の歌をもう一つ。「世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」(在原業平)。

2025年4月8日火曜日

ベートーヴェン:ミサ・ソレムニス(2025年3月6日東京文化会館、ヤノフスキ指揮)

CDなどのメディアで聞く時と、実演を聞く時とでは、同じ曲でも印象が随分異なることが多い。どちらがいいかは、一概に言えない。このたび私は、生まれて初めてベートーヴェンの大曲「ミサ・ソレムニス」を聞いた。一生に一度は生で聞いてみたいと思っていた曲だ。2020年、ベートーヴェン生誕250年の年にこの曲は演奏されるはずだった。ところがコロナ禍で多くのコンサートが中止を余儀なくされた。この曲を聞く機会は、いったん消えてしまった。あれから5年、ようやく再びその機会が訪れたのだ。

ベートーヴェンは「第九」の前に「ミサ・ソレムニス(荘厳ミサ)」を作曲した。この2つの大曲は並行して作曲が進められた。「第九」の方はほとんど人がメロディーを知っており(だって年末のスーパーマーケットに流れている)、一部の人は一節を原語で歌えるほどであるのに対し、「ミサ・ソレムニス」の方はまったくそういうところがない。何度聞いても、この曲を口ずさめるようにはならない。だが「ミサ・ソレムニス」は「第九」に比して劣る作品かというとそうではなく、むしろ秀でた作品とされている(それはベートーヴェン自身が言っていることだ)。

けれども「ミサ・ソレムニス」が演奏される機会は非常に少ない。4人のソリストと合唱団を揃えるのが大変で、コストに見合わない、というのは事実ではない。なぜなら同じ規模の「第九」は、それこそ(我が国では)年中演奏されているからだ(曲が難しいから練習が大変であるにもかかわらずチケットが売れない、ということはある)。おそらく音楽的な要素が両曲で異なり、ミサ曲にはそれに合わせた複雑な技法が駆使されている、と見るのが正しいのではないか。私は楽譜も読めないが、おそらくこの曲は歌うのもかなり難しい。第一、4人のソリストと合唱はほぼずっと歌っており、オーケストラも大変な力量を要するように思う。それを束ねる指揮者となれば、いわゆる素人の熱演では済まされない側面があるのだ。

巨匠が残した録音でも、これを80分にもわたって聞き続けるだけの集中力を維持するのは難しい。いっそ実演で聞くことができれば、その音楽の実際のところが見えてくるのではないか。私はそう考えた。そしてその時が来た。今年21年目となる東京・春・音楽祭で上演されたワーグナーの「パルジファル」は大変な名演だったようだが、その際に登場したソリストと合唱団、それに指揮者とオーケストラが、わずか数日後にこの曲を披露する、というのだからちょっとしたものである。

その独唱陣は次の通り。ソプラノはグアテマラ出身!のアドリアナ・ゴンサレス、メゾ・ソプラノがアリアーネ・バウムガルトナー、テノールにステゥアート・スケルトン、そしてバスはタレク・ナズミ。いずれも世界的に活躍するワーグナー歌手陣。グルネマンツやクンドリを歌った歌手が、そのまま東京に残って歌う贅沢なもの。マレク・ヤノフスキ指揮NHK交響楽団、合唱は東京オペラシンガーズ。4月4日にも同じ演目のコンサートがあったから、これは1日空けての2回目ということになる。

全体に8割程度の入りに見えた。私は3階席の向かって左端で、少し視界が遮られるがオーケストラを見下ろす感じで悪くない。歌手陣はオーケストラの後、合唱団の前に陣取るから良く見える。そして驚いたのは、その音の生々しさだった。4人のソリストのみならず、オーケストラの響きの豊穣さに圧倒された。これはNHKホールではありえない音だと思った。3階とは言え、この席は悪くないのか、それともホールがいいのか、あるいは音作りが抜群に上手いのか。とにかく家でスピーカーから聞こえる音とはけた違いにヴィヴィッドである。特に管楽器と低弦の響きが大変美しいと思った。

ヤノフスキの指揮は速すぎるという人がいるが、これは体感的なものだろうし、最近はこの曲もスッキリした演奏が増えているので、私は違和感はない。そして冒頭にも書いた通り、これほど見事な音楽が生き生きと響いてくることに、心から驚かざるを得なかった。それが最初だけなら、良くある話だ。しかしヤノフスキの指揮は弛緩することなく集中力を維持し、全体の長さと規模の大きさを見通すバランスも見事だった。短期間とはいえ、「パルジファル」から続く共演によって生み出された一体感、呼吸の良さ、インティメーションとでも言うべきものが感じられた。

ベートーヴェンの大作は、途中から訳が分からなくことがある。「フィデリオ」の第2幕がそうで、熱量が過剰気味となりストーリーなどどうでもよくなってくる(その意味で極めてバランスの悪いオペラだ)。「第九」の第4楽章にも若干そのような傾向があるが、この「ミサ・ソレムニス」にも同様なものを私は感じていた。ところが今回の演奏では、そのような歪みが感じられなかった。醒めた演奏ということだろうか?そのあたりは、他の演奏を聞いていないのでよくわからない。ただ、もしかするとこの曲は、弛緩して退屈するか、あるいはエネルギー過多に陥って、無駄なシンチレーションを起こすか、どちらかになってしまうような気がする。ヤノフスキの演奏はそういうことがなく、これは職人的に大名演の類ではないかと思われた。

4人の独唱は総じてうまく、だれのどこがどうの、という印象ではない。またコンサートマスターの川崎洋介が起立して演奏した「ベネディクトゥス」の独奏部分には目を見張るような気分にさせられたし、最後の方でトランペットが太鼓とともに鳴るシーンも(ここでハッとする)、やはり実演で聞いていると大変印象的であった。

当然拍手は鳴りやまず、オーケストラが去った後でもカーテンコールが続いた。そしてそれが2回目に及ぶのは、やはり珍しいことだ。それほど聴衆は、この滅多に演奏されることのない大曲の類まれな名演に盛大な拍手を送った。

上野の春は桜が満開で、大勢の人で賑わっていた。そのまま帰るのは何となく惜しいので、桜の通りを不忍池方向まで下った。昼に降った雨もすっかり上がって快晴となっていた。傾きかけた太陽の光に照らされて、ピンクの花びらがいっそう輝くのを惜しむように眺めながら家路についた。

2025年4月3日木曜日

ブラームス:「ハイドンの主題による変奏曲」変ロ長調作品56a(クリストフ・フォン・ドホナーニ指揮クリーヴランド管弦楽団)

ブラームスの今一つの管弦楽作品「ハイドンの主題による変奏曲」は、ハイドンの作品を元にしたものではない。ハイドンの作品とされていた頃のディヴェルティメント第46番変ロ長調Hob.II.46の第2楽章を題材としている。この曲は「聖アントニウス」というタイトルが付けられているように、古い讃美歌の旋律が用いられている。もっともこの作品が疑作とされたのは最近のことのようで、手元にある「クラシック音楽作品名辞典」(三省堂、1981年)にはハイドンの項に「6つの野外組曲」の第6番(1780年頃)として、「ブラームスが変奏曲の題材として用いた」と掲載されている。

ブラームスはこの変奏曲を、まず2台のピアノのための曲として制作した(作品56b)。その後管弦楽作品に編曲したが、実際には管弦楽作品としてよく知られている。主題と終曲に挟まれた8つの変奏曲から成り立っており、演奏時間は20分に満たない。しかし他の作品同様、なかなか味わい深い素敵な作品である。

クラシックのCDを毎月1枚と決めて買い求めていた学生の頃、ブラームスの交響曲第2番が聞きたくなった。私には珍しく当時新盤として発売されていたクリストフ・フォン・ドホナーニ指揮クリーヴランド管弦楽団のCDを、どういうわけか買った。おそらくレコード屋に並んでいて目に留まったのだろう。レーベルはTeldecであった。その余白に「ハイドンの主題による変奏曲」が収録されていたことは、ほとんど気に留めなかった。

演奏は案外つまらないものだった。CDは月1枚しか買えないため、できるだけ自分にとっての名演奏を揃えたいと思っていたから、これはショックだった。新譜CDであるためそこそこの値段だったこともある。だが長い熟慮の末、もしかしたらと思い切って買う時には、賭けのような楽しさもあった。後年お金に余裕ができると、そのギャンプル傾向は拍車がかかった。ところがある日、交響曲ではなく「ハイドン」の方を聞いたみたところ、その演奏が何とも素晴らしいのである。地味だと思っていたドホナーニのブラームスが、その熱い演奏によって素晴らしく印象に残るものとなった。このCDは私にとって専ら「ハイドン」を聞くためのものとなった。

この曲の記事を書くにあたって、当然のことながらこの演奏にしようと決めていた。ところが、久しぶりに聞きなおそうと我がCDラックを漁ったところ、1000枚は下らないその中に見つからない。実家に置いてきたか、あるいは見切りをつけて中古屋に売ったか(CDとして所有する上での最大の問題点は、その収容スペースの確保である)、いずれにせよ聞くことができない。仕方がないから音質は劣るが、Spotifyで聞こうとした。ところが、どう検索してもこの曲がヒットしないのである。

Spotifyの音源を管理するデータベースは、おそらく一般的な関係データベースではない。若干専門的な話になるが、インターネットの検索エンジン同様、キーワードに対しもっともよく検索されるものを先に表示することを優先するグラフ型のデータベースを構築しているのではないか。このデータベースでは、検索条件に合致するものを正確にあまねく検索するわけではない。検索のスピードは向上するが、条件に合うすべてを結果表示するものではないことに留意する必要がある。まさに「芋づる式」であるが、全体がわからないのである。

ドホナーニの演奏では、最新のフィルハーモニア管弦楽団とのブラームスの録音は、かなり上位に表示される。この全集には「ハイドン変奏曲」は含まれていない。クリーヴランド時代の演奏は地味であまり売れなかったから、今や廃盤になって久しい。こういう演奏を検索するには工夫を必要とする。ところがどう検索しても現れないのだ。ある時私は意を決して、ドホナーニに演奏を表示される限り探っていったが、やはり出てこないのだ。

Spotifyでは聞くことができないのかも知れない。そう判断した私は、いっそ中古盤を買うか(といっても第2交響曲は不要だが)あるいはダウンロード購入ができないか、と考えた(いつものやり方だ)。このため普通のGoogle検索を試したところ、何とこの曲は「Cleveland Orchestra」というタイトルで配信専用のリリースがされていることが判明したのだ(Warner)。クリーヴランド管弦楽団はジョージ・セルの輝かしい時代に多くの演奏が残っているが、その古い録音を含む、いわばアーカイブとしてこの音源はリリースされている(2023年)。何とこの中に「ハイドン変奏曲」が含まれていることが判明した。そしてSpotifyで「Cleveland Orchestra」と検索したところ、たちどころにヒットした。幸運にしてこのように私は、数十年ぶりにドホナーニの「ハイドン変奏曲」にたどり着くことができたのだった。

私はこの曲を、まるで交響曲のように聞いている。主題と第1変奏までは第1楽章で、旋律が明確に示されて期待が高まる。そのあと第4変奏あたりまではゆったりと、伸びやかなメロディーが続く。いわば緩徐楽章である。第5変奏からはスケルツォとなり、中間部のような第7変奏を経て短い第8変奏に至る。終曲は長く、ここでコラールの主題が回帰しクライマックスを築くのである。ここは「パッサカリア」と呼ばれる形式で、ブラームスはあの交響曲第4番の第4楽章で、長大な「パッサカリア」を作曲していることを思い出す。

久しぶりに聞いたドホナーニの演奏は、剛直でキリっと引き締まった熱演である。他の演奏をあまり聞いていないから何とも言えないのだが、定評あるザンデルリンクでもどこか退屈であり、ジュリーニの演奏などは遅くて聞いていられない、というのが私の率直な感想。この2つの名演奏は大変評価が高いが(モントゥーも)、交響曲でも取り上げる機会がなかったので、ここで少し触れておいた。

2025年4月2日水曜日

サン=サーンス:ヴァイオリン協奏曲第3番ロ短調作品61(Vn:アンドリュー・ワン、ケント・ナガノ指揮モントリオール交響楽団)

3月に入って足踏みしていた春の陽気もようやく本番となり、東京では桜が満開である。このような時期にサン=サーンスのヴァイオリン協奏曲第3番第2楽章を聞いていたら、妻が何と今に相応しい春の音楽か、と言った。たしかに明るく朗らかな気持ちにさせてくれる曲である。第3番は3曲あるサン=サーンスのヴァイオリン協奏曲の中でも、とりわけ有名で演奏機会も多い。1880年に完成し、サラサーテに献呈された。

私はCDを買わなくなって久しいが、長年Spotifyのプレミアム会員である。音質はCDに劣るものの、スマホを含め日常的に、膨大な数の音源を無制限に楽しむことができる。このサン=サーンスのヴァイオリン協奏曲の場合も、定評ある歴史的演奏から最新の演奏まで、数えきれないくらいの録音が検索された。自分にとっての決定版がない曲では、さてどんな演奏が良いかは、この検索結果によって何を聞くかで決まる。Spotifyはどういうアルゴリズムになっているのかわからないが、視聴数の多い(つまりは人気がある)順に表示されるような気がしている。

かつては店頭でたまたま試聴するか、さもなければ事前に音楽評論家の文章を手掛かりに、購入するディスクを決めてレコード屋に赴いたものだが、今ではそれに代わって、もっとも良く聞かれている録音がたちどころにわかる塩梅である。その結果、意外な演奏や、決して試聴などしなかったであろう演奏、あるいは長年聞きたかった歴史的名演奏に出会うことが多くなった。そしてサン=サーンスのヴァイオリン協奏曲第3番に登場したのは、アンドリュー・ワンが独奏を務める全集だった(2015年)。伴奏はケント・ナガノ指揮モントリオール交響楽団である。

アンドリュー・ワンというヴァイオリニストを、私は知らなかった。調べてみると、彼はカナダ人でモントリオール交響楽団のコンサート・マスターであることがわかった。ナガノは長年音楽監督を務めていたから、その頃の録音ということになる。モントリオール交響楽団はシャルル・デュトワが世界一流のオーケストラに育てたことで、とりわけフランス音楽に定評があった。だからサン=サーンスのヴァイオリン協奏曲にもうってつけ、というわけである。

その演奏は現代風のきれいな音色に、きちっと楷書風の伴奏が付いて録音もいい。もともとフランチェスカッティやシェリングといった旧い演奏家が、個性的な演奏を聞かせる名曲だった。パールマンは80年代、新しい演奏に思えたし、その魅力は今でも新鮮だが、このディスクの欠点はバレンボイムの指揮するパリ管弦楽団で、何かもやのかかった中途半端なものに聞こえる。ヴァイオリンが風味満載でもオーケストラがいかにも凡庸、ということはよくあることで、この曲もそういう演奏が多い。

一アマチュアがどうこの曲を聞こうと、それは勝手で自由なので、私はいつもこの曲に北アフリカの風景を重ね合わせている。第1楽章の冒頭は、チョン・キョンファで聞くとアリランのように聞こえるが、そういう異国を思わせるような情緒があるように思う。これは偶然ではないだろう。なぜならサン=サーンスはしばしばアルジェリアに避寒し、無類の旅行好きとして知られているからだ。ピアノ協奏曲に「エジプト風」というのもあるくらいである。

その第3協奏曲の最大の聞き所は、何と言っても長い第2楽章であろう。過ぎ行く夏を惜しむようなメロディーは(妻は春の曲だと言ったが)、誰もが口ずさみたくなりような曲だ。木管と絡みながら、何度もこのメロディー繰り返されるのを聞いているうちにうっとりとする。サン=サーンスを聞く時、このような魔法のメロディーにしばしば遭遇する。

しばし時の流れるのも忘れるような気分が、決然としたカデンツァによって打ち消されると第3楽章である。この楽章は長い。ヴァイオリンの特性を生かした、また一つの素敵な協奏曲だと思う。明るく伸びやかなメロディーがロンド風に変奏されてゆくのを聞くと、幸せな気分になること請け合いである。そしてワンとナガノによえう演奏は、じっくりと細部にも気を配りながら、きっちりと演奏している。ヴァイオリンの個性や技巧に驚くようなところはないが、そうでない方法で、音楽としての魅力を伝えることに成功している。それがこのライブ録音の魅力である。

2025年3月31日月曜日

ブラームス:「悲劇的序曲」ニ短調作品81(レナード・バーンスタイン指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団)

ブラームスの2つある演奏会用序曲はほぼ同時期に作曲された。片方が「悲劇的序曲」なら、もう片方の「大学祝典序曲」は喜劇的作品(ブラームス自身「スッペ風」と言った)である。ブラームスは丸で喜劇的傾向を埋め合わせるかのように「悲劇的」を書いた。「喜劇的」(笑う序曲)の方は必要に迫られて嫌々?作曲したが、「悲劇的」(泣く序曲)の方はそれを皮肉るかのように?作曲した。ブラームスとしては、「悲劇的」にこそ重心を置き、自らの精力をより重点的に注いだ、と思われる。

これは聞いてみると明らかだ。「悲劇的序曲」はわずか十数分の曲ながら、交響曲を聞くような重厚さと複雑さを有している。交響曲のレコードの余白に収録されることが多いため、長い間私は、この作品を軽視してきた。コンサートで取り上げられる時も、どこか気乗りのしない気分だった。「悲劇的」などというタイトルが付けられていることが、どこか暗くて楽しめない作品に思えていたのだ。だがそれは違った。メロディーは時に静かで美しく、かと思えば激しく迫力がある部分もあって飽きることがない。その全体にブラームスの香りが充満している。

レナード・バーンスタインが2度目となるブラームス交響曲全集を、ウィーン・フィルと録音したのは80年代初頭の頃だった。この頃のバーンスタインはウィーン・フィルと蜜月関係にあって快進撃を続けており、その金字塔とも言うべきベートーヴェン交響曲全集をリリースして少したった頃だった。だが、ベートーヴェンの方はデジタル録音の時代に間に合わなかった。ドイツ・グラモフォンのLPジャケットの右上が、ペロッとめくれているのが「デジタル録音」のしるしで、これがあるととても新鮮な感じがしたものだった。

我が家にはそのバーンスタインのベートーヴェン全集に続き、ブラームス全集が揃えられた。4枚組。順番に聞いていった。3つの管弦楽作品が各交響曲の後に収録されていた。演奏時間の関係からこれらの作品は、第2番や第3番とカップリングされることが多いが、作曲されたのも丁度この時期である(バーンスタイン盤のこの曲は第4番の後)。ブラームスの作品はその多くをウィーン・フィルが初演しているが、この「悲劇的序曲」もその一つである。

バーンスタインの演奏は、それまでにない共感を覚える新鮮さに加え、艶と深みのある魅力的なものだった。ウィーン・フィルの特徴を最大限に引き出すと当時に、これをライブ収録することで、熱のこもった臨場感と二度と同じ演奏はできないと思わせるほどの緊張感を併せ持っていた。この様子は今でも色あせることがない。久しぶりにそのバーンスタインの「悲劇的序曲」を聞いている。

数ある「悲劇的序曲」の演奏の中で、バーンスタインの演奏は遅い部類に入る。この曲ではキリっと引き締まった直線的演奏が多いが、バーンスタインは丸でシューマンの曲のようにテンポを揺らす。和音がバシッと決まると、続いて大海原を行くかのような深い呼吸に合わせ、管楽器が思い入れを込めて歌う。この中間部にある静かな行進曲風のメロディーの印象的なこと!

音楽は多様に変化しつつも、その過程に目まぐるしさを覚えることはなく、複雑であるにもかかわらずむしろ自然に進む。凝縮された中に次々とメロディーが浮かんでは消え、そのそれぞれに作曲家と演奏家の息遣いを感じるのは、曲の完成度がすこぶる高い証拠だろうと思う。ずっしりと重いが、無駄がない。筋肉質の体操選手に見とれるような感覚とでも言おうか。そしてフィナーレで一気に弦楽器が駆け上り、鮮やかに曲が終わる。バーンスタインのように、表情付けが堂に入って多彩であればこそ、短い中に多くの要素を味わうことができる素晴らしい曲としての真価があらわになる。

2025年3月30日日曜日

ブラームス:「大学祝典序曲」ハ短調作品80(ブルーノ・ワルター指揮コロンビア交響楽団)

いまの大学入学共通テストが共通一次試験と呼ばれていた頃、理数系の大学を目指す受験生として私が毎晩耳を傾けていたのが、旺文社の提供する「大学受験ラジオ講座」だった。この番組は全国のAM局でも放送されていたが、私が専ら聞いていたのは日本短波放送(ラジオたんぱ。現、ラジオNIKKEI)での放送で、確か夜の11時台だったように思う。テキストを買って毎晩異なる教科の講座を聞くのだが、日によっては受信状態が悪く、ノイズや伝播障害で聞き取れないことも多かった。

その番組のテーマ音楽が、ブラームスの「大学祝典序曲」の一節だったことはよく知られてる。ラジオたんぱにはこのほかに、「私の書いたポエム」(モーツァルトのト短調交響曲)や「百万人の英語」(ハイドンの「時計」)といった番組もあって、クラシックの有名曲がテーマ音楽に使われていたのでよく覚えている。だがその「大学祝典序曲」が何と、われらが阪神タイガースの元主砲、掛布選手のヒッティング・テーマの原曲であることは、80年代以来の阪神ファンである私も知らなかった。

それほどにまで我が国では有名な同曲だが、この曲を演奏している指揮者はさほど多くない。というより、大指揮者でもこの曲だけは演奏していない人がなぜか多いのだ。カラヤンしかり、ジュリーニしかり、ベームしかり。いずれも「悲劇的序曲」や「ハイドンの主題による変奏曲」には名演奏を残しているにも関わらず、である。なぜだろうか?

想像するにブラームスは、あまに気乗りしないまま作曲したので、安直な、従って低俗な曲だとみなされているからではないだろうか?それはブラームス自身が言っている。彼はある大学から贈呈された博士号に対するお礼のため、学生歌をつなぎあわせるような形で作曲した。並行して作曲した「悲劇的序曲」とは対照的に、明るく楽天的な曲である。口ずさめるようなメロディーが次々と現れるので親しみやすい。おそらくブラームス嫌いの人でも、この曲は楽しめると思う。

私も音楽を聞き始めて、初めて親しんだブラームスの作品だった。わずか10分の曲で歌謡性に溢れているが、それでもブラームスらしい音運びは十分に感じられる。大学合格を目指す受験生には相応しく、最後にはシンバルやトライアングルも伴って華やかに盛り上がり、大変ハッピーな気分で終わる。初演の指揮は作曲者自身だった。

私の好みの演奏は、ブルーノ・ワルターがコロンビア交響楽団を指揮した一枚ということにしたい。この演奏は、ステレオ初期にハリウッドで録音された交響曲全集に含まれているもので、何度もリマスターされては再発売されているが、録音も大変ヴィヴィッドで晩年のワルターとは思えないほどの溌剌さが感じられる。演奏として大変立派だが、ドイツ風の重厚な響きを求める人にとっては、本物ではないと感じられるかも知れない。ワルターはウィーンの正統的な指揮者だから、敬意を表しないわけにはいかないので、大変ユニークな演奏と言えるだろう。しかし「大学祝典序曲」に関しては、このような議論は不毛である。

さてこの曲をテーマ曲としていた「大学受験ラジオ講座」はいつまで放送されていたのだろうか。いろいろ調べてみたところ、それは95年頃までのようだった。今から30年も前のことである。一方、1952年には番組が始まっているというから大変な長寿番組だったということになる。伊藤和夫、寺田文行、J・B・ハリスといった名講師陣の声が思い浮かぶ。

2025年3月26日水曜日

ブラームス:交響曲第3番ヘ長調作品90(クラウディオ・アバド指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団)

4曲あるブラームスの交響曲の中で、第3番は私が最も親しみやすいと感じている作品である。にもかかわらず、この曲が演奏されることは他の3曲に比べ少ない。何故だろうか?よく理由に挙げられるのは、すべての楽章が静かに終わる点と、中途半端な長さである。しかし哀愁を帯びた第3楽章は、ブラームスの最も美しいメロディーとして有名だし、両端の楽章はそれなりに迫力もあって飽きることはない。他の曲があまりに有名で立派なので、その陰に隠れてしまっているからではないだろうか。

この曲の特徴はシューマンの影響がもっとも色濃く出ている点だろう。特に同じ交響曲第3番の「ライン」は、冒頭などが似た感じである。シューマンの匂いがほのかに香り、少しもやのかかったような明るさが感じられて好ましい。ブラームスの作品の中では特にリラックスした作品で、その真骨頂は第2楽章ではないだろうか。それは第2番以上に落ち着いた室内楽的ムードであり、静かで孤独でもあるのだが、不思議に淋しくはない。

春霞の中を散歩するような緩徐楽章に引き続いて、第3楽章は深まる秋に戻るのは面白いが、これは私の勝手な感覚である。この曲の第4楽章を初めて聞いた時、これは意外にも大規模な曲だと思った。静かに終わると聞いていたので、もっと地味な作品だと思ったのだ。だがコーダの直前までアレグロで突き進む。大規模なコーダで華やかに終わるのが好きなのはクラシック音楽を聞き始めた若い時だけで、歳を取ると次第に静かに終わる曲が好ましく思えて来る。

そのような第3交響曲の演奏は、どのようなものが思い出に残っているだろうか。私の好みは、この曲をあまり壮大に演奏しないことだ。特に第1楽章の冒頭を大きくロマンチックに演奏すると、どこか締まりのないものに聞こえる。もっとも私はシューマンの「ライン」についてジュリーニの演奏が好みなのだが、どういうわけかこの曲については、縦のラインをそろえたきりっとした演奏を追い求めてきた。

そして私のお気に入りは、クラウディオ・アバドがベルリン・フィルを指揮したものである。アバドには若い頃に、この曲をシュターツカペレ・ドレスデンと演奏しているようだが、私は聞いたことがない。アバドの演奏は、この曲のそれまでのドイツ的名演奏を聞いてきた人にとっては、少し物足りないものではないかと思う。だが私はあまりそのようなものに捕らわれることなくこの曲に入ってきたので、アバドの新鮮な解釈は大変好ましく思えた。新しい時代のブラームス像を、この演奏は示していると思う。

2025年3月12日水曜日

サン=サーンス:序奏とロンド・カプリチオーゾ(Vn: ジノ・フランチェスカッティ、ユージン・オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団)

サン=サーンスのヴァイオリン協奏曲第3番を実演で聞いたことをきっかけに、このブログでも書いておこうといろいろな演奏を探していると、この曲は昔からフランチェスカッティによるものが名演であることを思い出した。そういえば我が家にも、彼の演奏するレコードがあった。ただ、それはメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲だったような気がする。伴奏はセル指揮クリーヴランド管弦楽団。その余白に収録されていたのが「序奏とロンド・カプリチオーゾ」だった(と思うが実は怪しい)。

ヴァイオリン独奏とオーケストラのための10分足らずのこの小品は、親しみやすいメロディーで一度聞いただけで忘れられない曲である。明るい音色と、どこか懐かしさを感じさせる抒情性がマッチして、フランス音楽の最も特徴的な側面がストレートに表現されているように思う。ビゼーやドビュッシーがこの曲を編曲していることや、そもそもヴァイオリンの名手サラサーテに捧げられていることからも、この曲の人気が不動のものであることを裏付けている。

その「序奏とロンド・カプリチオーゾ」は、息子が小さい頃に習っていたヴァイオリンの発表会で、先生がその演奏を披露することが多かった曲である。師走の休日の、静かな快晴の午後。ピアノを伴奏に甘く切ない音楽に耳を傾けていると、時が昔にタイムスリップしたような感覚に捕らわれたものだった。そういうことからかこの曲は、私にとって古色蒼然としたセピア色の思い出に染まっている。

ジノ・フランチェスカッティは、フランスの技巧派ヴァイオリニストで、サラサーテの作品やサン=サーンスの演奏で知られている。米コロンビアに残した数々の名演は、録音が古くなってしまった今でも独特の光を放っている。確かな演奏家の音は、録音の古さを乗り越えて輝きを放つ。フランチェスカッティもまたその一人である。

「序奏とロンド・カプリチオーゾ」は、バックをユージン・オーマンディが務めている。当然オーケストラはフィラデルフィア管弦楽団である。その演奏を改めて聞いてみた。ステレオ録音なのに丸で蓄音機から聞こえてくるようで、レトロという言葉がこの演奏にピッタリである。耳元でクリヤーに蘇ったその音は、一音一音が鮮明で指使いまでもが手に取るように伝わって来る。キリっと引き締まった楷書風の演奏が、またいい。

仕事が終わって夕食のあとのひととき、グラスに少々のウィスキーを傾けながらひとりこの演奏に耳を傾けていると、無性にセンチメンタルな気分になった。音が少しやせていることまでもが、魅力に思えてくる。あばたもえくぼ、ということだろうか。

2025年2月24日月曜日

NHK交響楽団第2033回定期公演(2025年2月21日NHKホール、下野竜也指揮)

これまで私は、N響の聴衆というのは高齢者が多く、どこか醒めていると感じていた。例えば杖をついていても歩きにくい人をよく見かけたし、そういう人が休憩時間に並ぶトイレはやたら時間がかかって混み合い、時間が足りない(そのせいか、いつの間にか15分の休憩時間が20分に延長された)。補聴器への配慮を促すアナウンスにも最初は驚いたものだった。

それがいつからか変わり、今ではオーケストラが出てくるだけで拍手が起こる。補聴器のアナウンスは聞かなくなった。そして今回出かけた第2033回定期公演では、何と若い人や外国人が非常に多かった。とうとう世代が変わったのだろうか。2月はC定期のみ出演者は全員日本人だし、スッペやオッフェンバックの小品を集めたコンサートは、コスト削減を目的とした安易な企画として、お堅いN響の定期会員には人気なく、席はガラガラだと思っていた。ところがそうではなかったのだ。私の購入した2階席など、ほぼ埋まっているではないか。

いわゆる名曲コンサートの類であれば、これも頷ける。しかし本日は定期公演。5月には欧州公演も控えているようで、しばらく定期公演はお休み。けれども私は、定期公演としての演奏されるなら名曲ばかりのプログラムも好ましく、つまり軽い曲を軽く演奏するのではなく、一球入魂の力で演奏することに密かな期待を抱いていた。同じことを思っている聴衆も多かった。かつてカラヤンのビデオ作品などがそれを彷彿とさせて、私のお気に入りだった。それこそロッシーニの序曲やシュトラウスのワルツを、まるでシンフォニーにようにゴージャスに演奏するのだから。

2日同じプログラムで開催されるN響定期の初日というのは、FM中継に加えてテレビ収録されることになっている。ところがこの日は通常のカメラに加え、マイクロフォンの設定がいつもより多い。これは何を意味するのかわからないが、もしかするとこの演奏は、何か特別な録音でもなされるのかも知れない。まあそんなことを考えながら、開演を待った。

最初の曲がスッペの喜歌劇「軽騎兵」序曲だったことを忘れていた。あの勇壮なトランペットのファンファーレが聞こえてきたとき、N響の管楽アンサンブルの見事さに圧倒された。いつのまにか、金管楽器のフォルティシモの醜さ(それは我が国のオーケストラの欠点だった)が消えてなくなり、磨かれて美しく聞こえるのだ。これは3番目の曲、同じスッペの喜歌劇「詩人と農夫」でも同様だった。

ただ「詩人と農夫」では、そのあとチェロの独奏が朗々と会場にこだまし、さらにハープが加わってうっとりするようなメロディーに酔いしれる。そうかと思うと濁りのない弦楽器のユニゾン、金管のアンサンブルと聞き所に事欠かない。

前半の2曲目にはヴァイオリニストの三浦文彰を迎えての、サン=サーンスのヴァイオリン協奏曲第3番が演奏された。この曲は有名だが、私は会場で聞くのは初めてである。まるでヴィオラのような低音で始まる冒頭から、こなれた手つきで演奏するソロに見入った。

演奏は後半ほどこなれて上手く、もしかすると明日の2日目はもっと緊張感が取れていい感じになるのではと思われた。最後の曲、オッフェンバックの「パリの喜び」(ロザンダール編)は、言わずと知れた楽しい曲だが、これは40分近く続くという贅沢なもの。N響のようなプロ中のプロが奏でる「カンカン」が、そして夢のように美しい「舟歌」が、まるで交響詩のように響く。オーケストラの楽しさをこれほどにまで体験できる贅沢な時間は、なかなかないものだ。指揮の下野竜也も終始楽しそうで、表情は客席からはわからないが、これはテレビ放映時の楽しみである。

2025年2月18日火曜日

ブラームス:交響曲第2番ニ長調作品73(ジョージ・セル指揮クリーヴランド管弦楽団)

今日は東海道新幹線に乗っている。名古屋方面へ出かけるのは今年に入って3回目である。耳には、ブラームスの第2交響曲。

この曲は、オーストリアの風光明媚な観光地ヴェルター湖畔にあるペルチャッハにて、交響曲第1番の完成からわずか1年のうちに作曲された。第1番の完成に21年もの歳月を要したのに比べると、圧倒的な速さである。

私はウィーン以外のオーストラリアへ出かけたことはなく、その自然の美しさを知らない。毎年ニューイヤーコンサートで見る各地の古城や田園風景は、それはまるで絵画のように美しく、このような環境の中に身を置いてこそ、豊かな音楽性が開花し名曲が生まれるのだろうと想像している。実際作曲家自身も、自然が創作意欲を掻き立てることを手紙などに記している。ブラームスも例外ではない。

自然をそのまま音楽にしたような牧歌的で明るい曲想が、44歳のブラームスを通して第2作目の交響曲となり、100年以上の歳月を経て我々のもとにある。50年前の演奏でも、録音されていれば再生が可能だし、楽譜によって演奏家が同じ音楽を再現するのをコンサートで体験することもできる。「ブラームスの田園交響曲」と言われるこの第2番に、私はこれまで幾度となく接してきた。ある作家が死の直前、ここの第1楽章の主題をレコードでかけるようにと言い、それを再生機で聞いた彼は静かに「そうだ、これでいいのだ」と辞世の言葉を残したそうである。

私もクラシック音楽を聴き始めた中学生時代、たった4曲しかないブラームスの交響曲を第1番から順に聞いていった。いや、第1番の次はいきなり第4番で、第3番が最後だった。他の家庭はどうか知らないが、少なくとも我が家には第1番のレコードが10枚近くあり、次いで多いのが第4番だった。第2番と第3番は1枚もなかった。知り合いの家に遊びに行った折、そこにあった第2番のレコードをはじめて聞くことになった。演奏はシュミット=イッセルシュテット指揮ウィーン・フィル。そのときは、なんだか大人しく地味な曲だという印象しか残らなかった。

中学校3年生になって、ある寒い土曜日の朝、寝床でFM放送を聞いているとこの曲が流れた。当時は土曜日でも通学する必要があった。暖かい布団の中で、そわそわしながら耳を傾けていた。すると第4楽章になってアレグロの音楽が勢いよく流れてきた。最後はこんな風になるのだと思った。コーダでは思いっきりクライマックスを築き、気持ちよく終わる。朝からこのような曲を聴き爽快な気分で学校へ出かけたが、私の頭からはこの曲が、一日中鳴り響いて途絶えることがなかった。

この時の演奏は、カール・ベーム指揮ウィーン・フィルのものだったと記憶している。ここで取り上げようかとも思ったが、第1番でベームを推したので、それとは異なる演奏にした。それはジョージ・セルがクリーヴランド管弦楽団を指揮したものである。古い60年代の録音であるにもかかわらず、今もってこの演奏を超える印象を残すものに、私は出会っていない。同様のことを思う人も多いのか、この古い録音は何度もリマスターされ、未だにリリースされ続けている。

第2番の聴きどころは多い。まず、第1楽章の冒頭の旋律。弦楽器が出てすぐにホルンから木管へとメロディーが受け継がれていく。やがて弦楽器がひらひらと降りてきて風が滞ったかと思うと、おもむろにそよ風が頬をそっと撫でるように現れる。ここは第1の聞き所で、春風のように明るく朗らかにやるか(バーンシュタイン)、テンポを揺らして想い深く通り過ぎるか(モントゥー)、スコットランド民謡のように素朴に演奏するか(バルビローリ)。この主旋律は、そのあと繰り返しの際にも出てくるが、再現されるときにいかにハッとさせるかを私はいつも注目する。おそらくそういう演奏に過去出会ったからだろう。

ここは特に印象的でなければならない。ジュリーニのように遅すぎると緊張感が続かず、ショルティのようにせっかちというのも、私の感性に合わない。セルの中庸の美学は、ここでも大変好ましい。

第2楽章は、この曲の演奏の善し悪しを左右するものだ。ただこのことは、何度もこの曲を聴いてきて次第にわかってくるものである。クラシック音楽の魅力を知るには時間が掛かるが、その楽しみは長く続く。セルの演奏は、骨格がしっかりとして居ながら抒情的な面も豊かで、表情付けにメリハリが効いている。中音域のメロディーラインが一定の幅の中で上昇・下降を繰り返しながら進むが、決して明るく晴れたりはしない。

このあたり、シューマンの音楽もそうで、いわばドイツ・ロマン派の伝統という気もするのだが、ブルックナーやワーグナーのように(ブラームスと対立関係にあった)、南ドイツ風の時折日差しが差し込むというものではなく、あくまで曇り。このような閉塞的な気象と気性から、ブラームスの難しさがあるように思う。難しさと書いたが、これは好みの難しさ。つまり心から好きになれないけど、だからといってそんなに嫌いでもないのである。

第3章は素朴でほのかに明るく、3拍子のリズムはここの楽章を舞曲とする交響曲の伝統に回帰するようなところがあって好ましい。一方、第4楽章の爆発するようなリズムとメロディーをどう解釈するのがいいのだろうか?この曲を通して自然がひとつのモチーフだとすれば、ここはやはり春から初夏にかけての、浮き立つような喜びということではいだろうか?セルの演奏で聞いていると、民族舞曲がベースとなっているかのように聞こえてくる。ただそれでも南欧風の快晴ではない。

この曲は有名で人気がある割には、演奏の良し悪しや好みというものがよくわからないのが事実。同じことがベートーヴェンの「田園」にも言える。曲に問題があるかのようだと最初は思っていたが、セルの演奏に出会ってから、その考えは間違っていたことに気づいた。

新幹線の車窓風景に流れる冬の静岡の風景は、この曲のこの演奏によくマッチしている。

2025年2月14日金曜日

ブラームス:交響曲第1番ハ短調作品68(カール・ベーム指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団)

午前8時30分新宿発の列車に乗って、甲府方面へ向かっている。ここ1週間ほど日本列島はずっぽりと寒気に覆われ、それこそ北海道から鹿児島に至るまで平地を含めて雪の陽気であるにもかかわらず、関東平野は連日の快晴続きである。この時期の悪天候は、特に受験生とって大変だと思うが、我が街道歩きもなかなか工夫を要する事態となる。東海道は名古屋での大雪のため行くことがためらわれ、中山道も佐久平を過ぎると、冬季の交通機関がめっきり乏しくなくなる。

関東平野の主要な街道はほぼ歩き終えたので、残るは甲州街道のみである。その大半を占める山梨県は、どういうわけか晴天が続いている。それで次なる区間、甲府柳町から韮崎の間を、飛び石連休を利用して歩くことにした。富士山方面へと向かう外国人の観光客でごった返す新宿駅を後にして、甲府・河口湖行き特急「かいじ」は、立川までまっすぐ西へと延びる中央本線をゆっくりと走る。

私はかつてこの沿線に10年ほど住んでいたので、沿線風景が懐かしい。雪化粧した多摩連山がビルの隙間から顔を出すのを眺めながら、ブラームスの交響曲第1番を聴いている。まだ三鷹だというのに、もう第1楽章が終わってしまった。それほど中央線を走る特急は遅い。私の一番のお気に入りにして、この曲の魅力を最初に教えてくれたのが、今聞いているカール・ベーム指揮ベルリン・フィルによる演奏(59年)である。この時ベームはすでに65歳だった。

ステレオ初期の古い録音にもかかわらず音質は良い。第2楽章に入って静謐な森の中にこだまするような素朴なメロディーが、この列車のスピードに合っている。ベームにはウィーン・フィルと録音した全集もあるが。この第1番だけはベルリン・フィルとのステレオ録音があって(他は確かモノラル)、実のところこちらの方が音楽の骨格がかっちりとしていい。今日のような、寒く引き締まる思いがする天候に合っているな、などといい加減なことを思う。

ブラームスは北ドイツの港町ハンブルグの出身で、そこの陽射しは夏でも弱く、寒々として曇天が続く。我が国に当てはめれば、冬の日本海側を思えばよいだろうか。低く垂れこめた雪の合間からたまに日が差して、明るくなったかと思うと雪が降り出すというような感じである。音楽家の父を持ち、自身もピアノの才能に恵まれた29歳の青年は、ドイツの地方都市からウィーンに赴く。ほとんど同じ境遇だったベートーヴェンを強く意識するのは、当然のことだったに違いない。

そのブラームスが異常ともいえる21年の歳月をかけて、満を持して最初の交響曲を作曲したことは常に言われることである。ハンス・フォン・ビューローはこの作品を「ベートーヴェンの交響曲第10番」と呼んだとも。つまりはそれだけの完成度、充実度を誇り、常に意識の中にあったドイツ音楽の伝統を見事に継承したことは事実である。

だからこの作品は、ベートーヴェンの焼き直しなどでは決してなく、ロマン派後期に属しながら古典的様式を研究し尽くし、新たな交響曲としての金字塔を打ち立てた。このことについてはあまりに多くのことが語られているので、私はこれまでブラームスの作品について、このブログで触れるのをためらってきたほどだ。

最初の停車駅立川で、もう第3楽章となった。一般に第3楽章は3拍子で書かれることが多く、特にベートーヴェンは「スケルツォ」をより劇的に進化させた感が強いのだが、ブラームスはこの楽章を3拍子で書いていない。これはブラームスの独自性を示す例で、この曲が決してベートーヴェンの模倣ではないことがよくわかる。

一方、ベートーヴェンの「第九」との親和性が示されるのが第4楽章のメロディーである。音楽を聞き始めた頃はここにばかり針を下ろしたので、その手前の弦の静かなピチカート部分でプチプチとノイズが発生することになってしまい、レコードに傷をつけたことを後悔したものだ。このメロディーは、第1楽章から聞いていくととても印象的である。私の全く個人的な感想だが、第4楽章は前半がロマン的で後半になると古典的。こういう音楽が昔からあったね、と回顧するような気持ちである。この音楽はベートーヴェンの交響曲第5番の、続けて演奏される第3楽章からのパッセージに似ているとも思う(いやハ短調からハ長調へと向かう「苦悩から歓喜へ」の流れを考えると、これはやはり同類とみなすべきだろう)。

気合を入れて演奏されるので、次第に熱を帯びてそれなりの名演になるのは、ベートーヴェン同様曲自体が引き締まって無駄がなく、隅々にまで考え抜かれた結果だろう。そしt特筆すべきは、様々なアンサンブルに加えて、ソロのシーンの連続でもあることだ。オーケストラの力量が全編に渡って要求され、聴きどころには事欠かない。

第1楽章冒頭のティンパニ連打から、それは明らかである。第2楽章は何といってもバイオリンの、高らかに舞い上がるようなソロ。数々の印象的なメロディを吹く第3楽章は、菅のオンパレード。まずクラリネット、そしてホルンとフルートが高らかに弾きならされるとき、聞き手は固唾を飲んで聞き入る。第4楽章後半の、一気になだれ込むコーダまでの凝縮された音楽は、その粘着的性質もあって聞き終えてもいつまでも頭に残る。

高尾を過ぎる頃には、何と曲が終わってしまったではないか。今はこの文章を書きながら、同じベームの指揮する「悲劇的序曲」を聞いている。この曲ではウィーン・フィルが演奏している。ドレスデンやベルリンで活躍したベームは、レパートリーこそ少なかったがモーツァルトの典雅な「コジ」やベートーヴェンの記念碑的「フィデリオ」など、いくつかの歌劇作品で、長きに亘りこれを凌駕することはないほどに完成度が高い演奏を残した。

晩年どちらかというとウィーン・フィルの技量に頼って演奏しているようなところがあるが、若い頃は前衛的な音楽を得意とする指揮者だった。ベルクやリヒャルト・シュトラウスの名高い演奏も多く、逆にブルックナーやマーラーの演奏は少ない。そして古色蒼然としたあのバイロイトのワーグナーもまた、歴史に残る記録である。そんなベームが残したベルリンとの「ブラいち」は、彼の遺産の一つとして今でも燦然と輝いている。

車窓から見る甲府盆地の風景

2025年1月28日火曜日

新日本フィルハーモニー交響楽団第660回定期演奏会(2025年1月25日すみだトリフォニーホール、佐渡裕指揮)

久しぶりに聞いた佐渡裕の指揮は、オーバーアクション気味だった若い頃に比べ随分落ち着いたものになったと感じた。新日本フィルは佐渡を音楽監督に迎えてから、快進撃を続けていると言って良いだろう。特に彼の指揮するコンサートのチケットは、入手困難になりつつある。今年2年目となる24-25シーズン中最大の聞きものであるこの日の演目は、マーラーの交響曲第9番である。

バーンスタインの弟子として自らを紹介する彼にとって、バーンスタインが残したマーラーの交響曲全集は、クラシック音楽史上の遺産と言ってもいいだろう。そのマーラーの最高作品とも言える第9交響曲を指揮するとなると、それはもう一大事である。満を持して入魂の演奏が期待できる。そのように感じていた東京のクラシック音楽ファンは大勢いたであろう。当然というべきか、25日のすみだトリフォニーホールでの公演、および翌26日のサントリーホールでの公演のいずれもが早々に売り切れてしまったのだ!

私は仕方なく、諦めていたところへ1通のメールが届いた。なんと僅かな枚数のチケットを売っているというのである!前日24日のお昼頃である。この時ほど在宅勤務の有難さを思ったことはない。さっそく昼休みに新日フィルのサイトへアクセスしたところ、赤坂の方は売り切れていたが、すみだの方は空席があったのだ!丁度妻も在宅勤務の日だったため、即彼女を誘い、2枚のチェットを入手することができた。S席1階の左端で悪くない。しかも会員だからか、eチケットだからかよくわからないのだが、少し割引もあった。

会場にはまず、マイクを持って佐渡自身が登場し、55年前の大阪万博の頃に来日したカラヤン&ベルリン・フィルと、バーンスタイン&ニューヨーク・フィルのことについて話した。この時のプログラムは、カラヤンがベートーヴェン・チクルスだったのに対し(我が家にもプログラム冊子があった)、バーンスタインは当時まだあまり知られていなかったマーラーの交響曲第9番を演奏したとのことだった。小学生だった佐渡少年は、これをきっかけにマーラーに目覚めていった、云々について軽やかに喋った。

佐渡は京都生まれである。関西人として感じるのは、こういう時の京都人は(そうでなくても、かも知れないが)、あまり本心をさらけ出して心情を語るようなことはしない。むしろあえて何事もないかのように振舞う。しかしそこには並々ならぬ情熱が込められているかも知れないのだ。「80分を超えるかもしれないが、ゆったりとお楽しみください」とさりげなくプレトークを終えた彼は、一旦舞台から去り、チューニングのあと再び登場。振り下ろした指揮棒から流れてきた音楽は、実に自然で、気を衒ったところはなく、それでいて豊穣にして確信に満ちた足取りである。

カラヤンをして「大変疲れる」とさえ言わしめたこの難曲を、いともこなれた手つきで指揮する姿を見て、佐渡の指揮も円熟味を帯びてきたと感じたのだった。私はかつて、N響定期に初登場した「アルプス交響曲」や、新日フィルとのヴェルディの「レクイエム」を聞いたことがあったが、これらはいずれも90年代のことで、彼自身まだ若かった。まるでバーンスタインをコピーしたような身振りが印象的で、ちょっと音楽が上滑りしているときもあったように思う。だが、あれから30年近くが経過して聴く音楽は、より自然体であった。この難曲を軽やかに指揮することは、ものすごく難しいだろう。

ずっと同じような調子で流れている音楽が、惰性に陥ることなく、常に新しいフレーズに聞こえてくる。実際、この長い曲にあって、単純な繰り返しは一切存在しない。派手な打楽器や合唱こそ伴わないにもかかわらず、音楽の凝縮度は一貫して非常に高く、緻密である。両端にアダージョを配するという意外性もあって、長い曲を集中力を持って聞かせるのは並大抵のことではない。だがこの日の演奏は、それを実現していた。第2楽章の中盤以降に至ってオーケストラに自信がみなぎってきたことはよくわかった。第3楽章の後半での迫力は、この日の演奏のクライマックスだった。

長めの休止を経て流れ出る第4楽章の、豊穣にして繊細な音楽は、マーラー音楽の集大成である。ランプの灯が静かに消えていくように、最弱音が長く続くコーダを、これほどにまで見事に表現した演奏は私自身初めてだった(とはいうものの、この曲を実演で聞くのは3回目に過ぎないのだが)。おそらく興ざめだったのは、その最高に美しい瞬間に、若干の咳があったことだ(それも1回だけではない)。このことによってだろうか、手をおろした(佐渡は第4楽章ではタクトを持っていなかった)指揮のあとに沸き起こった拍手には、少し戸惑いが感じられた。もっと余韻に浸りたい気持ちと、早く拍手をしたい気持ちが交錯していた。あの咳がなければ、もっと落ち着いた拍手になったのではなかろうか。定期会員で占められた客席は、だれしもがこの難曲を知り尽くしているわけではない。

だが、そういう外的要因を別にすれば、最高位の水準にあった演奏だったと思う。翌日のサントリーホールの公演では、どのような演奏になっているのだろうかと想像する。それでも諦めていたこのコンサートに行くことができたのは幸運だった。音楽に完成度が増した佐渡裕の演奏に、これからはもっと頻繁に出かけたいと思った。

2025年1月27日月曜日

NHK交響楽団第2029回定期公演(2025年1月24日NHKホール、トゥガン・ソヒエフ指揮)

妻の誕生日が近いので洋菓子を買いに渋谷の「ヒカリエ」なるデパートに赴いた。1月末から2月にかけて、我が国ではチョコレートのシーズンでもある。何軒か覗いてみると、色や味がすこしずつ異なる様々なチョコレートが並んでいる。1粒数百円もする高級チョコレートを買うと、固い箱に入れられ、カラフルな包装紙に包まれていた。わずかな色や味の違いを見せるチョコレート本体の芸術的な美しさと、それを包むパッチワークのような包装。その数十分後、私は公園通りを上ってNHKホールに入り、今宵の演奏会の開始を待った。

もらったプログラムを見ながら、チョコレートのことを考えていた。妙なことに、それは今日のプログラムに似ていたからだ。つまりブラームスの交響曲第1番は、まるで並べられたダーク・チョコレートのように、凝縮された原料が時に芳醇な香りを主張しつつ、一見しただけではわからないような色の変化を楽しむさまであるのに対し、ストラヴィンスキーの組曲「プルチネルラ」は、その包装紙のようにくっきり明瞭な赤や黄、緑といった色が、まるでピート・モンドリアンの絵画のように幾何学的に配置されているような曲に思えたからだ。

素人の変な思いつきにも、少し根拠はある。すなわちこれらの2曲はいずれも、その時代に反してより古典的な様式を取り入れている点である。ブラームスは長い年月をかけて、バッハからベートーヴェンを経てロマン派に至るあらゆる音楽を研究し、古典的様式にのっとって最初の交響曲を作曲したことはいう間でもなく、ストラヴィンスキーはペルゴレージの音楽を模倣して「プルチネルラ」を作曲し(もっそもそのペルゴレージの作品も偽物だった)、いわゆる「新古典主義」の魁となった。いわば2曲とも、ロマン派後期において過去の様式を模倣して作曲された作品という共通点がある。だがその2曲は、上記で述べたように対照的である。これらを同じ日の演目に並べるのが面白いところである。

さて、ロシアの指揮者トゥガン・ソヒエフは毎年1月、NHK交響楽団に客演するのが恒例なっている。かつては優秀な若手指揮者として、十八番のロシア音楽やフランス音楽中心のプログラムが多かったが、最近はベルリン・フィルやウィーン・フィルにも毎年のように登場し、その多忙さは想像に難くない。にもかかわらず我が国に1か月近くも滞在し、今回も3種類のプログラムを振ってくれる。私はショスタコーヴィチの交響曲第7番「レニングラード」(A定期)を聞きたかったのだが、あの広いNHKホールが2日とも満席になるという異常な人気で諦めざるを得なくなり、サントリーホールで開かれるB定期も発売数が非常に少ないため断念。残った選択肢としてC定期を買い求めることとなった。なぜかこの日は多くのチケットが残っていた。

ソヒエフは今や、ドイツものもレパートリーに加えつつあるようだが、彼とブラームスの相性は悪くないと思われた。その理由は、私がソヒエフの音楽に感じるフレーズごとの、しっかりとした音色と音量の変化(それは天才的と言ってもいい)が、まるでチョコレートの風味や色合いのような微妙な違いを完璧に表現する様子が想像できたからである。けだしそれは正しかった。交響曲第1番の冒頭のティンパニ連打に始まる弦楽のうねりは、その一音一音が異なって聞こえた。2階席の奥という、サントリーホールならもっとも遠いような席にも、それは明確に伝わって来るのだった。

各ソロパートが大活躍するのが、この曲の聞き所である。そのクライマックスは第2楽章中盤のヴァイオリン・ソロである。3月をもって退団するマロさんこと篠崎史紀氏がコンサート・マスターを務める定期公演は、これが最後とのことである。おのずと注目が集まるその部分で、実に高らかかつ伸びやかに、確信を持って鳴り響いた時は会場の空気が変わった。例えようもなく美しかった。第3楽章でのクラリネット、第4楽章でのホルンやフルートもさることながら、この瞬間が本公演の白眉だったと言える。演奏が終わって真っ先に立たせ、あるいはオーケストラが退場してもなお拍手に応えるべく再登場した指揮者は、彼を連れてきた。

第4楽章で、あの有名な「第九」風のメロディーが聞こえてくるときも、そこだけを強調する指揮ではなかった。ごく自然に音楽は流れ、クライマックスを築いた。惜しむらくはNHKホールというところ、結局正面の前方で聞いていないと、臨場感が味わえないと思う。結局このホールは、オーケストラにとって広すぎるのである。それでも大きなブラボーは3階席から轟いた。檀ふみ氏が語っているように、もしかしたら3階席の最前列が「隠れた最高の位置」なのだろうか。だがここの席は真っ先に売り切れるので、私は一度も座ったことがない。

「プルチネルラ」の方もソヒエフ流の職人技が光った演奏だった。だが本公演ではやはりブラームスに多くの時間を割いて、音楽を作り上げていたように思う。この曲、私は2回目である。良く考えてみると、私はストラヴィンスキーの作品をまだ取り上げていない。ブラームスの交響曲と合わせて、今年中には書き終えたいと誓った今年最初のコンサートだった。

2025年1月16日木曜日

ウィンナ・ワルツ集:「Ein Straussfest」「Ein Straussfest II」(エリック・カンゼル指揮シンシナティ・ポップス管弦楽団)

言うまでもなくウィンナ・ワルツはウィーン・フィルが専売特許を持っているわけではない。むしろウィーン・フィルがヨハン・シュトラウスの作品を取り上げることが例外で、いわばポピュラー音楽をクラシックのオーケストラが演奏するような趣を持っているとされてきた。しかし時代は変わり、いまではウィーン・フィルまでもが人気取りの野外コンサートのような類のものにまで登場するようになった。この傾向に伴いニューイヤーコンサートの注目度が増し、80年代後半からは特に、お祭り化、大規模化した。シュトラウスの音楽は、世界的指揮者が大見得を切って演奏する難しいものになってしまい、すでに長い年月が流れた。

ウィンナ・ワルツを演奏した今年のニューイヤーコンサート2025は、早くもSpotifyでリリースされた。元日に放映されたテレビ映像と比べると、録音媒体として発売される方が完成度が高い。元日の放送は、今年は特に演奏が粗いと感じた。ウィーン・フィルの技量が落ちたのか、あるいはムーティの指揮がかつての統制力を失ったのか、近年ではもっとも満足度が低い演奏に思われたのだ。しかし本日Spotifyで聞くこの演奏は、いつものように洗練された音がしっとりと鳴っていて悪くはない。ムーティの指揮はとうとう音楽が止まるのではないかというくらいに速度が遅くなることもしばしばで、それはそれで面白いのだが、ウィンナ・ワルツの魅力をそのようにしてまで示し得ているのかどうかはわからない。

今年はヨハン・シュトラウス2世の生誕200周年だそうで、久しぶりにウィンナ・ワルツ演奏を取り上げようと思った。ただし、ウィーン・フィルの演奏についてはここにしこたま書いたので、今日はそれ以外のオーケストラが演奏したものを選ぼうと思う。私がウィーン・フィルのニューイヤーコンサート以外で好きな演奏は6つある。うち3つは米国のオーケストラによるもので、そのうちのひとつがエリック・カンゼル指揮シンシナティ・ポップス管弦楽曲によるものでる。

意外に思われるかもしれないが、彼はオハイオ州シンシナティのオーケストラを指揮して2枚のシュトラウスのCDを残しており、なかなかの高水準の演奏を聞かせる。80年代に大ブレークしたテラークの名録音により、様々な効果音が挿入されていて、これはシュトラウスの意思を現代に受け継ぐものとして、私は好意的に評価している。どちらのディスクも、それはもう効果音挿入のオンパレードである。先にリリースされた「Ein Straussfest」のCDにワルツはたった2曲しかない(「美しく青きドナウ」「ウィーンの森の物語」)。それ以外はすべてポルカや行進曲で、しかも効果音が使われるものばかりだ。

数分間の短いポルカやギャロップにどういう効果音が使われているかは、わざわざここに書く必要もないだろう。なぜならその曲名を見ると明らかだからだ。「爆発ポルカ」では爆発音が、「クラップフフェンの森で」ではお馴染みのカッコーの泣き声が、そして「シャンパン・ポルカ」では栓を抜く音が威勢よく飛び出す。あまりにそういう音ばかりが強調されているので、もういい加減にしてくれ、と言いたくなるころにワルツが流れる。

ワルツの演奏はこういう演出が目立つものの、意外にも真面目でオーセンティックである。ウィーン訛りとも言うべき微妙な休拍も表現される。最近のやたらテンポを揺り動かす演奏というよりは、円舞のための音楽という側面を堅持しているのは好感が持てる。つまり、効果音も含め「おふざけ」の演奏とはなっていないばかりか、それとは一線を画している。あくまでシュトラウスが求めたであろう音楽の愉快さを求めた結果である。

楽譜に指定された音だけでなく、録音技術を用いて音楽に挿入されたものもある。2枚目の「Ein Straussfest II」の冒頭に収められたエデュアルド・シュトラウスのポルカ「急行列車」では、蒸気機関車の発車するシーンが登場し、その蒸気を発しつつ走行するリズムがいつのまにか音楽に乗っている。ポルカも楽しいが、やはりワルツのストレートな表現を、私は楽しみたい。嬉しいことにこの2枚で聞けるワルツは、どれも有名な名曲ばかりだ。「天体の音楽」はヨーゼフ・シュトラウス最高の1曲だし、ヨハンの名曲ワルツ「酒、女、歌」に長大な序奏が省略されることなく演奏されているのも嬉しい。

40年余りに亘ってシンシナティ・ポップスを率い、数々のベストセラーを生み出したエリック・カンゼルは、2009年亡くなった。もし今でも生きていたら、ウィーンでワルツを演奏することもあり得たかも知れない。私はカンゼルが、かつてウィーンで学んだ経験があると思っていたが、そのような記載は発見できなかった。だが彼自身がライナーノーツで語っているように、ドイツ系の両親が聞いていたウィンナ・ワルツの虜になって、これらの作品を演奏することがこの上なく楽しい、というのは真実だろう。

【収録曲(Ein Straussfest)】
1. ヨハン・シュトラウス2世:「爆発ポルカ」作品43
2. ヨハン・シュトラウス2世:ポルカ「クラップフフェンの森で」作品336
3. ヨハン・シュトラウス2世:「シャンパン・ポルカ」作品211
4. ヨハン・シュトラウス2世:「山賊のギャロップ」作品378
5. ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ「美しく青きドナウ」作品314
6. ヨハン・シュトラウス1世:「ラデツキー行進曲」作品228
7. ヨーゼフ・シュトラウス:「鍛冶屋のポルカ」作品269
8. ヨハン・シュトラウス2世:「狩りのポルカ」作品373
9. ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ「ウィーンの森の物語」作品325
10. エデュアルド・シュトラウス:ポルカ・シュネル「テープは切られた」
11. ヨハン・シュトラウス2世&ヨーゼフ・シュトラウス:「ピツィカート・ポルカ」
12. ヨハン・シュトラウス2世:ポルカ・シュネル「雷鳴と電光」作品324

【収録曲(Ein Straussfest II)】
1. エデュアルド・シュトラウス:ポルカ・シュネル「急行列車」作品112
2. ヨハン・シュトラウス1世:ギャロップ「中国人」作品20
3. ヨハン・シュトラウス2世:「エジプト行進曲」作品335
4. ヨハン・シュトラウス2世:「芸術家のカドリーユ」作品201
5. ヨハン・シュトラウス2世:「皇帝円舞曲」作品437
6. ヨハン・シュトラウス2世:ポルカ・シュネル「百発百中」作品326
7. ヨハン・シュトラウス1世:ポルカ・シュネル「おしゃべりなかわいい口」作品245
8. ヨハン・シュトラウス2世:「祝典行進曲」作品396
9. ヨハン・シュトラウス2世:「トリッチ・トラッチ・ポルカ」作品214
10. ヨーゼフ・シュトラウス:ワルツ「天体の音楽」作品235
11. ヨハン・シュトラウス2世:「鞭打ちポルカ」作品60
12. ヨーゼフ・シュトラウス:ポルカ・シュネル「騎手」作品278
13. ヨハン・シュトラウス2世:「クリップ・クラップ・ギャロップ」作品466
14. ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ「酒、女、歌」作品333
15. ヨハン・シュトラウス2世:「常動曲」作品257

さて、ここで残りの5つの演奏についても触れておきたい。これらは今もって素敵な録音で、ニューイヤーコンサートでは聞けなくなった打ち解けた雰囲気、リラックスしたムード、肩の凝らない情緒を持っている。これこそウィンナ・ワルツの王道ではないかとさえ思えてくる。

■ロベルト・シュトルツ指揮ベルリン交響楽団・ウィーン交響楽団

ウィンナ・ワルツといえばシュトルツの代名詞だった。彼自身もいくつかの作品を作曲している。シュトルツはウィーンとベルリンのオーケストラを指揮して何十枚もに及ぶワルツの遺産を築いた。そのどれもが色あせることなく、素敵な時間を約束してくれる。その素晴らしさは、ウィーン・フィルと膨大な録音を残したあのウィリー・ボスコフスキー以上と言っておきたい。平日午後のFM放送でたまにシュトルツのワルツ集が放送されると、私は喜んでテープに録音したものだった。

■ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

カラヤンはニューイヤーコンサートにも登場し、それ以外にもウィーン・フィルとは豪華絢爛な「こうもり」全曲を残しているが、手兵のベルリン・フィルとも多くの録音を残している。EMIに録音したCDはここでもとりあげたが、この他に70年代、80年代に何枚組にも及ぶディスクがある(と記憶している)。そのいずれもがカラヤン流の美学に貫かれた豪華な演奏だが、それがウィンナ・ワルツのあるべき姿かどうかはわからない。だがカラヤンでしか聞けない美しい演奏であることも確かだ(https://diaryofjerry.blogspot.com/2014/03/j.html)。

■ヤコフ・クロイツベルク指揮ウィーン交響楽団

ウィーンの2番手のオーケストラを指揮して、夭逝した指揮者クロイツベルクが真面目で正統的なウィンナ・ワルツの録音を残してくれていることは、もう少し注目されても良い。ここのブログでもいち早く取り上げたので、そちらを参照して欲しい(https://diaryofjerry.blogspot.com/2016/01/j.html)。

■フリッツ・ライナー指揮シカゴ交響楽団

ハンガリー人のライナーは機能的に完璧なオーケストラに、完璧にウィンナ・ワルツを演奏する方法を伝えたのだろう。それを真面目に再現するオーケストラをここでは楽しむことができる。私の記憶が正しければ、シュワルツコップが「無人島に持って行く一枚のレコード」に選んだのがこの演奏である。それがパロディなのかどうかはわからないが、この演奏は休日のドライブ中に聞くにはうってつけである。当時の演奏の欠点として、序奏や繰り返しが省略されている。

■ユージン・オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団

もう一人のハンガリー人指揮者は、ペンシルベニアのオーケストラを指揮して黄金の「フィラデルフィア・サウンド」を打ち立てた。その指揮はゆるぎなく完全で、しかも絢爛豪華である。ウィンナ・ワルツの要諦も抑えつつ、機能美を生かした演奏は、ライナーのものによく似ている。いまだにファンが多いのだろう、今になってもリマスターされ発売されている。

(補足)

この他にもフリッチャイ指揮ベルリン放送交響楽団による演奏を取り上げた(https://diaryofjerry.blogspot.com/2015/01/j.html)。また、レハールを中心としたワルツ集(https://diaryofjerry.blogspot.com/2018/08/blog-post_20.html)とワルトトイフェルの作品(https://diaryofjerry.blogspot.com/2019/07/blog-post.html)については別の記事がある。

2025年1月6日月曜日

ブルックナー:交響曲第9番ニ短調(カルロ・マリア・ジュリーニ指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団)

カルロ・マリア・ジュリーニとウィーン・フィルによるブルックナーの交響曲第9番を聞いていると、これは望みうる世界最高のBGMではないかと思えてくる。この演奏をどう評価するのかは聞く人によるだろうし、遅すぎるとかもっといい演奏があるとか言われるかも知れない。しかし私にとってこの演奏は、この曲の魅力を初めて教えてくれたものだった。

今日は真冬の上州路を訪れるため、特急「草津・四万」4号に乗っている。熊谷を過ぎて早くも傾きかけた西日の向こうに、妙義山が見えている。西高東低の気圧配置が強まって、日本海側から吹き付ける北風が谷川岳に大雪を降らせ、そのあとは空っ風となって北関東に流れ込む。ちぢれ雲が空に浮かんでいる。その雲が日光を遮ると手元が明るくなったり暗くなったり。そうこうしているうちに高崎市内へ入った列車は速度を緩めた。ブルックナーの交響曲第9番も終わりかけのアダージョを迎えた。

ジュリーニはウィーン・フィルとの間で、第7番、第8番、それに第9番の録音を残している。ウィーン・フィルの方から録音を希望したという噂を聞いたことがある。その条件として通常以上の長さの練習がなされたらしい。そうしてまで、このブルックナーゆかりのオーケストラはジュリーニとの共演を後世に残すことにこだわった。その結果、私たちの手もとに世界でも屈指の名録音が届けられた。1988年のことである。

この演奏を聞くまで、私はこの曲を誤解していた。少なくとも理解が不足していたようだ。これは私の聞き方が足りなかったからか、あるいはそれまでに聞いた演奏がその魅力を十分伝えきれなかったからであろう。昨年はブルックナー生誕200周年だったから多くの演奏会が催されたが、今年もまたブルックナーの音楽は演奏され続けられるだろう。あまりに素晴らしい演奏だがら、年を越してなお、私はこの曲を聞き続けている。

世の中は激動の年を迎えた。だがまるで嵐の前のように、今年のお正月は穏やかでだった。テレビは例年のごとく低俗な芸能番組を垂れ流しており、その傾向にもはや多くの人が辟易している。家族がこのような番組を見ている以上、私は家庭に居場所がない。仕方がないからスマホにこの曲をダウンロードして、夜中の街を彷徨っている。さすがに寒い。だが極上の音楽が私を幸せにする。そのことに理由も何もない。だたひたすらに美しく、まるで天国にいるような感覚。

ブルックナーはこの曲を第3楽章まで完成し世を去った。未完成ということになっているが、この後にどんな音楽を続けたらいいのだろう。もしかしたら神は、ブルックナーに続きを作曲する必要はないと判断したのかも知れない。それほど完成度が高い。そしてジュリーニの演奏は、まるでこの曲を演奏する使命を帯びているかのようにピタリと寄り添い、どの楽器のどの音も完璧であるように聞こえる。ドイツ・グラモフォンの録音も非常に優れている。70分の演奏時間は丁度CD1枚に収まる。

特徴的なのは第2楽章がスケルツォとなっている点で、調性がニ短調であることも合わせ、この曲はやはりベートーヴェンの第九を想起させる。第1楽章は荘重で、第3楽章はアダージョが起伏を持って表れる。この曲について私は、この程度にしておこうと思う。第1楽章のいくつかの部分、確信に満ち揺るぎない第2楽章、そして第3楽章のほぼ全体を通して、私はブルックナーの神髄とも言うべき美しさに触れる。その恍惚的な幸福感は例えようもない。そこにどんな意味があるかは知らない。いや意味などないのだろう。そういうわけで、ブルックナーの音楽を難しくとらえる聞き方は好きではない。ただ流れに身を浸しておけばいい。

死ぬときはブルックナーを聞いていたい、と多くの人が言う。安寧の臨終であれば、それが最も幸福であると思う。しかし誰もがそのような幸せな最期を迎えるとは限らない。ブルックナーの音楽を聞きながら、こういう風に死ねればいいな、と多くの人は勝手に想うのだろう。

2025年1月1日水曜日

謹賀新年

2025年の年頭にあたり、新年のお祝いを申し上げます。

昨年は能登地震に始まった衝撃のお正月でしたが、今年はいまのところ平穏なお正月を迎えております。今年の作曲家のアニヴァーサリーと言えば、ヨハン・シュトラウス2世の生誕200周年というのが目に留まります。昨年はライブで視聴できなかったウィーン・フィルのニューイヤーコンサートは、リッカルド・ムーティがどのようなプログラムで聞かせてくれるか、今から楽しみであります。

第2039回NHK交響楽団定期公演(2025年6月8日NHKホール、フアンホ・メナ指揮)

背筋がゾクゾクとする演奏だった。2010年の第16回ショパン国際ピアノコンクールの覇者、ユリアンナ・アヴデーエワがラフマニノフの「パガニーニの主題による狂詩曲」の有名な第18変奏を弾き始めた時、それはさりげなく、さらりと、しかしスーパーなテクニックを持ってこのメロディーが流れてき...