2025年12月10日水曜日

ベッリーニ:歌劇「夢遊病の女」(The MET Live in HD Series 2025–2026)

荒唐無稽なストーリーを持つ歌劇《夢遊病の女》を理解するには、想像力が必要だ。主役のアミーナ(ソプラノのネイディーン・シエラ)は美しい女性だが、孤児として水車小屋で育てられた。舞台はスイスの田舎の集落で、そこは閉鎖的な社会である。彼女は自身の出自へのコンプレックスと、閉ざされた環境でしか生きられない不遇さに、強いストレスを抱えて成長したはずだ。それが「夢遊病」という形で表れている。本当の自分は、強く抑圧され、表出を許されない。だが夜になると、別の――いや、本来の彼女が姿を変えて彷徨い、無自覚のまま幽霊のように村に現れる。

ところがベルカント時代の、あまりに陽気で美しいベッリーニの音楽は、こうした暗い側面を覆い隠してしまう。ヴェルディの時代になると、「薄幸な女性」の心理がより細やかに描写される。《椿姫》を挙げるまでもなく、それは儚く美しく、そして残酷である。しかしアミーナという役柄には、そこまでの心理の闇を感じるのが難しい。想像力を大きく補ってもなお、深く描きにくい役である。

そんな作品を、新演出として担ったのが、かつてテノール歌手として一世を風靡したメキシコ出身のロランド・ヴィリャソンである。閉鎖社会に生きるアミーナの心理を、過度に現代風に寄せるでもなく、かといって古めかしくもない絶妙な距離感で描いている。歌を中心に据えながらも、物語の要点を的確に押さえた秀逸な演出である。いくつか気づいた点を記しておこう。

まず舞台には、スイスらしいアルプスの高峰が大きくそびえている。その前には複数のドア(各住居を示すのだろう)に囲まれた村の広場が広がる。合唱団が演じる村人たちの、閉鎖的で因習に縛られた生活はこの広場で展開される。そこへ旅人として現れる謎のロドルフォ伯爵(バスのアレクサンダー・ヴィノグラドフ)は、なんと山のほうから塀を越えて梯子で下りてくる。外の世界が「越えるのも困難な高い壁」で隔てられていることの象徴だろう。

塀の上、すなわち山々を背景に、アミーナの“分身”とも言うべき無言の女性が登場し、アミーナがアリアを歌うたびに同じ仕草でシンクロする。古い慣習に押しつぶされそうになる彼女の無意識の本心が、夢遊病の際にこのもう一人の女性として舞台上に具現化しているのだ。

外の世界を知る徳の高い伯爵は、夢遊病を理解しており、夜中に彷徨う彼女の無実を証明しようとしている。しかし、アミーナの婚約者エルヴィーノ(テノールのシャピエール・アンドゥアーガ)は、一度は熱烈に愛した彼女を誤解から責め、自暴自棄になる。そして伯爵が宿泊することになった宿屋の女主人であり、アミーナの“元々の”恋敵でもあるリーザ(ソプラノのシドニー・マンカソーラ)に言い寄って結婚しようとする。この浅はかな行動について、アンドゥアーガ本人が「尊敬できない役柄だが、困難な歌にエネルギーを集中している」と語ったインタビューが面白かった。

このプロダクションは今シーズンのMET Liveの開幕演目である。幕開けにベッリーニを置くのは斬新だが、ベルカント作品の難しさを考えると冒険でもある。だが満を持して歌手を揃え、この分野の気鋭であるリッカルド・フリッツァを指揮に起用したことで、本公演の成功が裏付けられたことは容易に想像できる。

歌手に目を向けよう。私は近ごろの体調もあり、長時間の映画や公演にやや疲れていて乗り気ではなかった。映画仕立てのライブ上映であり、急いで観る必要もない。東劇では3週間のロングランだし、夏にはリバイバルもある。しかも私は、ナタリー・デセイとファン・ディエゴ・フローレスが出演した2008年のジマーアマン演出の名プロダクションを観ており、昨年の新国立劇場の舞台も記憶に新しい。「無理して行かなくても……」という気持ちは確かにあった。

しかし映像が始まり、冒頭でリーザを歌うマンカソーラのアリアが聞こえてきた瞬間、私は一気に画面へ引き寄せられた。めくるめくベルカントの歌声に、思わず身震いしたのである。彼女は主役ではない。主役はアミーナ役のシエラで、彼女は今もっとも注目すべきアメリカのベルカント・ソプラノだ。相手役エルヴィーノを歌うスペイン出身のアンドゥアーガについては、冒頭でゲルブ総裁が「若き日のパヴァロッティを思わせる」と述べていたが、私は声質や風貌から、むしろ若き日のカレーラスを思い起こした。

ロドルフォ伯爵を歌ったヴィノグラドフはロシア出身。若いながらも艶と威厳を備え、高貴な雰囲気が抜群である。二人のソプラノが恋敵として対照をなす点も舞台の見どころだが、声に個性を持つマンカソーラがとりわけ印象的だった。ただ、やはり舞台はシエラの独壇場である。アミーナの聴きどころは多く、どれも素晴らしいが、最大のハイライトはやはり第2回目の夢遊病のシーンだ。夢遊状態で歌うアリアと、そこから目覚めて歌うアリアとで、歌の性質がどれほど変化するかが見どころである。舞台がガラリと明るくなるなどの工夫があってもよいのでは、といつも思うのだが、今回もそうした演出はなかった。

ただし、舞台左手から階段が現れ、傾いた村の扉の上からアミーナの“分身”と触れ合う。彼女は外の世界――伝統に縛られない新しい世界へと向かっていく。恋敵リーザとの抱擁は、女性としての感覚を共有する象徴的な場面であり、その後、例の階段を上って村の外の世界へ羽ばたこうとするところで幕となる。

息もつかせぬ歌声に寄り添い、繊細なルバートを交えながらも歌手をしっかり導く指揮者の音づくりは見事というほかない。そのおかげで出演者たちは難度の高いアリアを次々と熱唱する。2幕のオペラが終わるころには、心の底から充足感が押し寄せてきた。音楽を聴く楽しみ、歌と舞台を味わう喜び――その時間を持つ幸福を深く実感した3時間であった。

2025年12月9日火曜日

NHK交響楽団第2052回定期公演(2025年12月5日サントリーホール、ファビオ・ルイージ指揮)

イタリア・ジェノヴァ生まれの指揮者ファビオ・ルイージが、パーヴォ・ヤルヴィの後任としてN響の首席指揮者に就任してから三年が経過した。ルイージとN響の関係は、観客の好みを超えて一種の発展と成長を遂げ、そうでなければ到達し得なかったであろう音楽的表現のレベル、関係性を獲得しつつあるように思えてくる。9月定期のメンデルスゾーンにも、今回のサン=サーンスにも、同様の傾向が感じられた。

直線的でこれ以上ないスピード。体を大きく揺らしながらそれにくらいついていくN響メンバーからは、かつて見たこともないエネルギーが感じられる。各プレイヤーは身を乗り出し、必死の形相でさえある。何か一線を越えたような表現力、それを生み出す開き直ったような覚悟とエネルギーが、首席以外のプレイヤーからも如実に感じられる。このさまはライブで演奏を見る楽しみでもある。上品な日本のオーケストラで、このような果敢で集中力の高い演奏は、かつてあまり感じられることはなかった。もっともそれを成功させているのは、各プレイヤーの高い技量が前提になっているのだが。

そのようにしてルイージのN響は、今やかつてない高みに達しているように思えてくる。12月定期を聞いて、その思いを新たにした。B定期2日目、クリスマスの飾り付けがこのシーズン独特の華やかなムードを高める中、3つの曲が演奏された。まず我が国を代表する現代の作曲家、藤倉大の新曲で、N響委嘱作品の「管弦楽のためのオーシャン・ブレイカー~ピエール・ブーレーズの思い出に~」。勿論世界初演である。渡された解説によると、この作品はロンドン在住の藤倉が見つけた雲の本にインスピレーションを得て作曲したとのことである。しかし題名に「オーシャン」という名詞が使われており、これは「雲」をヒントに「海」をモチーフとして描いた作品ということになるのだろうか。

いずれにせよ、「雲」あるいは「海」が持つ絶え間ない分子の動きと光、あるいはその変化を音にしている。少なくともそういう風に聞くことになる。オーケストラは大編成で、ヴィブラフォンも登場するが、音楽自体は親しみやすい。テンポがあまり動かないからかも知れない。激しい部分もあって、聞いたことがない楽器の組み合わせによる音の変化を楽しむ。ルイージは丁寧にこの曲を演奏し終え、舞台から作曲家が登場すると大きな拍手に見舞われた。約15分の曲だった。

ピアノが中央に配置され、続くフランクの「交響的変奏曲」が演奏された。ここでピアノ独奏を務めたのは若きイスラエル人の俊英、トム・ボローであった。もっとも私はこの曲を聞いたことがなく、丸でピアノのための小協奏曲のような佇まいを15分余りにわたって楽しむことになった。フランクはベルギーの作曲家だが、フランス音楽に分類され、実際、フランス風のメロディーが聞こえてくる。

ピアノの音からは、自信たっぷりにほとばしる若いエネルギーを感じるので、そのことが何か嬉しいのだが、特にアンコールとして演奏されたJ. S. バッハの「無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第3番ホ長調BWV1006」から「ガヴォット」(ピアノ版、ラフマニノフ編)の方が、何か彼自身の瑞々しさをストレートに伝えていたように思う。もっといろいろな作品(特にベートーヴェン)を聞きたいと思った。

後半のプログラムはサン=サーンスの「オルガン交響曲」であった。サントリーホールの正面に設えられたパイプ・オルガンの前に登場したソリストは、近藤岳であった。作曲家でもある彼は、ときどきNHKの音楽番組にも登場しているそうである。

この「オルガン交響曲」を何と形容すれば良いのか迷うのだが、冒頭に書いたようにめっぽう速く、一気に演奏されたので、その様子に見とれているうちに終わってしまった、という感じである。とにかく第1楽章が始まると直に、並々ならぬ勢いでグイグイと進むさまは壮観でさえあった。第1楽章の後半、すなわち通常の交響曲では第2楽章に相当する緩やかな部分は、いよいよオルガンが登場して通奏低音のように底を支え、弦楽器から大変にロマンチックなメロディーが聞こえてきてうっとりする曲である。ところが今回の演奏は、そういう部分に酔う間を(少なくとも私には)与えてくれなかった。

迫力に満ちた第2楽章は、打楽器やピアノも交じって大変カラフルな曲だが、ここでもルイージは煽るかのようにオーケストラをドライブし、それに食らいついてゆくオーケストラとのやりとりを見るのは、奮い立つような時間だ。こういう演奏は実演でしか見ることができないとも思えてくるので、これは貴重である。ともすれば我々は、録音されたメディアでの音楽体験に依存しずぎているのが事実で、本来音楽は実演で聞くものである、ということを思い出させてくれる。

ルイージの指揮は、まるでトスカニーニが生きていたらこんな演奏だったのかなあ、などと少し考えてみたりしたが、つまりは空回りしているわけではなく、オーケストラが一皮むけた状態で必死になっている。かつてのN響ではなかった光景が生まれつつある。そのような関係性を構築し、完成度を高めつつあるこのコンビは、そこそこ評価されてよいだろうと思う。だが、音楽そのものに魂が宿っておらず、どこかに置き忘れてきた感がある。その結果、後から考えてどのような音楽だったかを思い出すことができない。つまりは心に残らないような部分がある。そこが今後の課題であり、リスナーとしての注目すべき部分だと思った。

2025年12月3日水曜日

R・シュトラウス:交響詩「英雄の生涯」作品40(ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、1985年)

私の育った家庭は決して教育熱心でなかったわけではないが、かといって受験などは放任主義で、CDが出始めた時も受験直前になってプレイヤーを買った。私の部屋は、ステレオ装置の置いてあるリビングの真向いにあって、ドアを閉めていても音が聞こえてくる。夏はクーラーもなかったから、音が筒抜けだった。

まだCDが出始めた頃で、タイトルは輸入盤が中心でごく僅か。値段はそれでも一枚3500円した。LPにない魅力をうたったCDは、まだ高嶺の花だった。私が小遣いで買うことはできないし、したくない。むしろ安くなる一方のLPにこそ、手を出していた。

そんな私が初めて自分のお金で買おうとしたCDが、カラヤンの「英雄の生涯」だった。もっともカラヤンの新盤くらいしか、レコード屋に置かれていない。それも隅っこの方に申し訳程度。これでは、選択肢がほとんどない。そのような中で、カラヤンの「英雄の生涯」は、自身のCD第1号に相応しいと思った(思うことにした)。1986年、40年前にことである。そして受験がすべて終わったその日が、ついにやってきた。

私は試験会場を後にして、大阪ミナミの道頓堀に近くを彷徨しながら、レコード屋を探した。普段はキタのレコード屋(ワルツ堂や大月楽器)に行くことにしていたが、堺市の大学を受験したので、難波界隈での買い物を試みたのだ。ようやく訪れた解放感に浸りながら、ゆったりと人混みの中を気分良く歩いていると、長かった受験生活の間に硬直して固まった緊張が、ゆるゆると解けていくような錯覚に見舞われた。

心斎橋近くに小さなレコード屋を見つけ、中に入った。ところがCDなど置かれているようには見えない。ましてクラシックのコーナーなど片手のてのひらで厚さを計れるほど小さいスペースである。これではCDなど買えるはずがない。しかし、CDは今日買って今日聞きたい。何せ、受験が終わった記念の日の、自分へのささやかなご褒美なのだから。

そのレコード屋には、それでも数枚のクラシック音楽CDが並んでいた。店員に頼んで見せてもらうほど高い位置にあって、どんなタイトルかわかりにくい。もっともジャケットが黄色いので、ドイツ・グラモフォンのCDであることはすぐにわかった。となれば、カラヤンのCDもあるに違いない。私はリリースされたばかりの「英雄の生涯」を探した。しかしあいにく「英雄の生涯」は売られていなかった。仕方なく、私は代わりにカラヤンが指揮するチャイコフスキーの交響曲第4番(ウィーン・フィル)のものを買って帰った。音楽の性質は、まったく違う。「英雄の生涯」が自尊心に溢れた若きエネルギーを感じる陽性の曲なのに対し、チャイコフスキーの方は、自身を失って挫折状態から、空虚な勝利妄想に至る神経症のような曲だ(と当時の私は考えていた)。

帰宅してさっそくチャイコフスキーのCDをかけていると、もしかすると自分の今の気分に合っているのは、むしろこちらではないか、と思うようになった。受験の出来栄えが、あまり芳しくなかったからである。しかし2週間後には合格が発表された。私はその学校が第2志望だったので、進学こそしなかったが、そのような受験の日々を懐かしく思い出す。

前置きが長くなった。ではその時買おうとしたカラヤンの新盤「英雄の生涯」はどうなったか。それから十年近くも経過してCDの値段も落ち着き、私は上京してサラリーマン生活を送っていたから、あるとき池袋のHMVで思い出したようにこのCDを買った。45分程度の曲なのに、CDにはこの1曲しか収められていない。西ドイツ製。もっともカラヤンには、59年の録音もある。晩年のデジタル録音がいいとは限らないので、これは私の個人的な思いの入った選曲であることをお断りしておく。

若いリヒャルト・シュトラウスが書いた交響詩の中では最後に位置するのが、この「英雄の生涯」である。正式には「大オーケストラのための交響詩」となっていて、105名のプレイヤーを要する大曲である。ここで「英雄」とは、歴史上の人物でもなければ、ナチスの党首でもなく、作曲家自身を指すと言われている。なんとも自惚れた曲だが、そのあたりが面白いと思った。ということは第3部の「英雄の伴侶」は、恐妻家で知られるシュトラウスの妻が描かれているということになる。ここで登場するヴァイオリン・ソロ(コンサートマスターが弾く)は、最初めっぽう粗くて起伏に満ち、時に高音を発するヒステリックな音楽である。

音楽で表現できないものはない、と語ったシュトラウスは、このような方法で妻へのささやかな攻撃を試みた。なんともいじらしく、微笑ましい話のように思える。いや切羽詰まった思いの吐露か。ただ大作曲家にはほかにも多くの敵がいた。それは批評家である。ただシュトラウスのために言っておくと、「英雄」が自身を指すということは公式には述べられていない。従って余計な雑念を配して聴くのが良い、とされている。

さて、「英雄の生涯」は以下の6つの部分から構成されている。ただし、音楽は続けて演奏される。

  1. Der Held (英雄)
  2. Des Helden Widersacher (英雄の敵)
  3. Des Helden Gefährtin (英雄の伴侶)
  4. Des Helden Walstatt (英雄の戦場)
  5. Des Helden Friedenswerke (英雄の業績)
  6. Des Helden Weltflucht und Vollendung der Wissenschaft (英雄の隠遁と完成)

大音量のゴージャスな響き、親しみやすい旋律、数多くの楽器やソロパートを聞く楽しみ、そしてそれらが重なり合い、うねりとなって進行するさまは、まさにオーケストラを聞く醍醐味といっていい。人気があるからだろう。毎年数多くの演奏会でこの曲が取り上げられる。録音の数も多い。演奏会に行くと、有名なフレーズの練習に余念がない団員が、早くも舞台上で直前のおさらいをしている。

勇壮な冒頭から一気に引き込まれ、気が付いたら第2部になっているという感じで音楽はスタートする。この冒頭は一度聞いたら忘れられないが、主題のメロディーは何度かあとにも登場する。力強くて威勢が良く、若きエネルギーを感じさせる。

それに対し第2部は、「英雄」敵が登場する。彼らは批評家なのか無理解な聴衆なのか。いずれにせよ、ここは暗く焦燥感に満ち、心が安定しない。

第3部になって女性が登場。この女性、キンキンと声を張り上げて奔放に振舞うが、芸術家である英雄は煮え切らない態度である。そのやりとりが比較的長く続くが、ここはソロ・ヴァイオリンの腕の見せ所となっている。私の所有するカラヤンの新盤では、レオン・シュピーラーが弾いている。

この第3部は結構長い。そして後半になると芸術家の心も解けて相愛となり、ロマンチックな愛の情景が描かれる。このような音楽はシュトラウスの十八番であって、ヴァイオリンを絡めながら壮大な情景が繰り広げられてうっとりする。

舞台裏からトランペットが鳴り、小太鼓の音が聞こえてくると第4部に入る。3拍子。戦場。ということは、作曲家は芸術に邁進し、新しい境地を次々と切り開く時期ということか。格闘するのは敵なのか、それとも芸術的理想なのか。いずれにせよ最終的には大勝利を収め、音楽はクライマックスを形成する。人生の絶頂期。だがこの曲を作曲したシュトラウスはまだ30代である。

第5部。「ドン・ファン」のメロディーが聞こえてきて驚くが、それ以外にも数々の交響詩の音楽がちりばめられているようだ。やはりこれはシュトラウス自身の業績とその回想である。成功した英雄は、心穏やかな平和な日々を送る。現代に置き換えれば、さながら引退直後の60代といった感じだろうか。一仕事を終えてなおまだ健康を害してはいない。だから、この時期にこそ人生は謳歌すべきである(と私は思うことにしている)。

第6部は、高齢者となった英雄の最期である。イングリッシュ・ホルンが印象的。体が弱り、穏やかな隠居生活に入るのだろう。過去を振り返りつつ、伴侶に看取られて世を去る。壮大なコーダとなって、音楽は感動的に終わる。

この音楽を演奏するのに、カラヤンの右に出る者はいない、と思った。その考えは今でも変わっていない。何度も録音しても良さそうな曲だが、59年の古い録音と、74年のEMI盤、そしてデジタル時代の85年盤が良く知られている。ここで取り上げたのは84年版。久しぶりに聞いて、やはりいいな、と感じる。CDの時代が去って久しいが、このCDは最後まで手元に置いておきたい。

この新しい録音が再度リリースされた時には、「死と変容」が収められていた。一方、59年盤を聞くと演奏自体はさほど変わらないが、より引き締まった感じがする。ヴァイオリン・ソロのミシェル・シュヴァルヴェが素晴らしい。そして余白にはワーグナーの「ジークフリート牧歌」が収録されている。音楽配信が主流の今では、まあどうでもよいことなのだけれど。

2025年11月27日木曜日

映画:宝島(2025)

映画「国宝」を見た翌日、「宝島」を見た。「宝島」は直木賞作家の真藤順丈による小説が原作だ。私はこの本を出版と同時に読み、その内容に深く感動して自身のブログにも書いたほどだ(https://diaryofjerry.blogspot.com/2019/10/2018.html)。その作品が映画化されてすでに公開されているとは、最近まで知らなかった。両作品とも3時間に及ぶ大作だが、「宝島」には「国宝」の2倍以上の製作費がかけられたらしい。それにもかかわらず、「国宝」の評判に比べると「宝島」の評判は圧倒的に低い。

なぜそうなったのかを考える上で、注意すべきことがある。タイトルに「宝」の文字が入っているものの、両者の映画はまったく異なる性質を持っている。「国宝」は歌舞伎役者の人生や関係者との対立・親睦を描いており、映像作品としての美しさも手伝って極上のエンターテインメントに仕上がっている。一方、「宝島」は米国占領時代の沖縄の現実を描いた社会ドラマであり、その内容は非常にシリアスである。

「宝島」が描き出す、まるで発展途上国のような当時の沖縄の現実は、これまであまり取り上げられてこなかったように思う。あまりに激しく、悲しい現実だからだ。しかし、小説「宝島」はこの問題に真摯に向き合い、東京出身の作家であるにもかかわらず方言を巧みに使い、見事な長編小説に仕上げている。登場する5人の主人公、オンちゃん、グスク、レイ、ヤマコ、ウタをはじめとするすべての登場人物が、当時の沖縄の人々の立場や考え方の違いを象徴的に体現している。しかし、彼らが共通して抱き続けるのは、沖縄の厳しい現実をなんとかしたいという根源的かつ人間的な欲求であり、それがこの物語の主題である。

アメリカ兵にひき殺されても、小学校に戦闘機が墜落しても、占領下の沖縄には自治権がなかった。戦前の沖縄は日本の一部であるにもかかわらず、太平洋戦争の戦場となり、住民の4人に1人が亡くなった。しかも、そのあとの長い占領時代が続いた。さらに、それが終わって本土復帰した今でも、多くの基地が存在し続けているのは周知の通りだ。したがって、この映画は少し前の沖縄を舞台にしているとはいえ、今日的な問題としての性質をそのまま受け継いでおり、それがこの映画を見ることの意義である。「国宝」にはそのような社会的視点はない。本質的にテーマにしていることが違うのだ。

長い原作を映画化するに際して、『宝島』もずいぶん苦労したのではないだろうか。当時使われていた沖縄の方言が多用されていることも難解さに拍車をかけているが、これは公開からしばらく経って、字幕を付けることにより解消された。この字幕がなければわかりにくいだろう。しかし、字幕があってもこの小説を読んだことがある場合と比べると、やはりストーリーの複雑さは否めない。

共通の目的があった初期の「戦果アギヤー」からしばらく経って、3人の進む道は少しずつ分かれていく。彼らを含め、その周りにいるコザの人たちや米軍関係者、日本政府関係者など、それぞれの立場が微妙に異なることは今日の沖縄の複雑な政治状況にそのままつながっている。だからこそ、その違いをもう少し強調すべきだったように思う。

行方不明になったオンちゃんを追う3人は、それぞれ異なる道へ進むが、孤児として花売りをしていた少年ウタによって結びつけられ、共通の目的であるオンちゃんの消息を長年にわたって探ろうとし続ける。その間にコザ暴動や毒ガス武器配備の隠蔽事件などが次々とおこるが、その多くは事実に基づいている。映像が作り出すどこか中南米の植民地のような基地の街でデモが起こり、車がひっくり返されて火がつけられ、「アメリカ出ていけ!」とデモが叫ぶ。メジャーな映画でこのような作品が、あっただろうか?

しかも、この映画は沖縄の人によって書かれたわけではなく、沖縄の俳優によって演じられているわけでもない。それにもかかわらず、真正面から沖縄の問題を取り扱っていることに震えるような感動を覚える。多大な費用がかけられ、気鋭の監督が指揮し、第一人者の俳優が演じるというのは、恐ろしいほどに見事だし嬉しい。

しかし、小説を読み終わったときに感じるのは、沖縄の海に吹くすがすがしい風だ。その心地よい、どこか寂しい気持ちを内に秘めた中に、三線が鳴り響き、エイサーが踊られる。海が青ければ青いほど、沖縄の悲しみは深く、大きい。この沖縄の情景を、最後にもう少し表現してほしかった。

だが、そういったことはあと一歩で満点になるテストに難癖をつけるような話だ。もっと多くの人が見てほしいと思う映画であるからこそ、あとわずかな改善がなされるといいなと思う。あるいは、この映画を機に、今まで正面から語られてこなかった現代の沖縄史を、もっと多くの人が取り上げていくことになればと思う。それほどの重量感を持つストーリーは迫真に満ち、真摯な感情表現に魂を揺さぶられるが、見終わると不思議と気持ちが浄化されたような気分になる。そんな魔法のような話を「国宝」を上回る時間、まったく飽きずに一気に見ることができる。

2025年11月26日水曜日

映画:国宝(2025年)

今年公開された映画の中で最大のヒット作である「国宝」は、吉田修一による同名の小説を原作としている。私は原作を読んでいないが、映画で見た本作は、大変見ごたえのあるものだった。その理由は、二人の主役を演じた俳優(吉沢亮、横浜流星)の名演技に加え、ツボを押さえた大胆な脚本の見事さと、アップを多用した集中力あるカメラワークにあったと思う。結果的に、小説では味わえない映画作品としての成功を収めているのだろうと感じる。

長崎で始まるストーリーは、すぐに関西が中心となって続き、最後に少し東京へも移る。俳優はみな関西人ではないが、セリフのほとんどが関西弁であることは、大阪出身の者として何か嬉しい。歌舞伎はそもそも上方で発展したから、ということもある。登場する演目に「曽根崎心中」や「二人道成寺」のような、関西を舞台とするものも多く登場する。

私は歌舞伎を見たことはないが、実は幼い頃に大阪ミナミの新歌舞伎座で、祖母に連れられて見たことになっている。まだ4、5歳の頃だった。幼い私は開演前のわずかな時間、花道の上で遊んでいたらしい。やがて係員が来て、「そろそろ降りて下さい」と言われた。私はそのことを良く覚えていて、もしかするとそれが最も幼い頃の記憶ではないかと思う。

その歌舞伎の女形を目指す若い二人の若者が、本作品の主人公である。あまりに多くのことが語られているので、その詳しいあらすじをここに書くことは控えよう。私が書きたいのは、その3時間にも及ぶ作品をみた簡単な感想だ。これまで映画のことなど書いて来なかったし、造詣が深いわけでもない。年に数本見ればいい映画鑑賞経験の中で、しなしながら本作品については少し書き留めておきたい衝動に駆られている。その理由は、おそらく作品が持つ解釈の多面性にあると思う。どこをどう切り取って話すにしても、それなりに深みのあるものになっていく作品は、さほど多くはない。

オペラと同様、長い小説を映画化するにあたって、映像として残す部分のみを最小限とし、一方で、歌舞伎の演目と主人公の心理描写をシンクロさせつつ、綺麗で鮮やかなカメラワークを多用した。その結果、多様な解釈の余地を残しつつ完成度の高い作品に仕上げることに成功した。もしかすると、二人の主人公の心理的な側面、交錯する友情や対立を、もう少し丁寧に描くことができたかも知れない。しかしそれでは、3時間の尺に収めることなどできなっただろう。かといって連続ドラマ化すると、集中力が失われぼけた作品になる。そのギリギリのせめぎ合いの結果、小説なら細かく描かれているであろう部分は、見る者に委ねられることになった。映像作品としての完成度に重点を置くことで、結果的に小説にはない魅力を得たような気がする。

二人は同い年、しかも少年時代の俳優を含め顔つきがそっくりである。二人が長い準備期間において獲得した歌舞伎独特の所作や円舞の技術は、見事というほかない。カメラはそれらを追い、しばしばアップで写す。歌舞伎好きの人が作ったのだろう。このような伝統芸能を主題としながら3時間もの間、息をつかせないほどに観客の目を惹きつけていく手法には、ただ驚くばかりである。

テーマは血筋が才能か、といったことだが、60歳近くになる者にとって、まあそれはどうでもよいことのように思えてくるのが正直なところ。まだ若い彼らは、向上心も劣等感も強く、そのことが嫉妬を生み、情熱を喚起する。私はそのような若者の持つエネルギーやどうしようもないやるせなさを思いつつ、そうか、この映画は多くが男性の論理に貫かれている、今では少ない作品であることに気付いた。つくづく男の人生は過酷だな、などと思った。女性の視点で見ると、また異なった見方があるのだろうけど。

6月に公開されたにもかかわらず、11月末になっても多くの観客を集めて上映されている。私が見たのは日曜日だったので、広い映画館はほぼ満員。迫真の演技に見とれながら、細かいところであの人はその後どうなったのか、なぜここはこのようなことになるのか、など多くの疑問が生じた。その答えを見つけるのは、見る人にかかっている。何度も細かく見れば、ヒントがあるのかも知れない。しかしそうしなくても、そして歌舞伎のことなど何の基礎知識がなくても、十分に楽しめる作品である。

2025年11月24日月曜日

NHK交響楽団第2050回定期公演(2025年11月21日サントリーホール、ラファエル・パヤーレ指揮)

もともとN響のB定期は、やや玄人好みの選曲だと思っていた。従来からN響では、同じ指揮者が約1か月間滞在して、3つのプログラム計6回の公演を指揮する。公式には記されているわけではないが、Aプロは指揮者の十八番、Cプロはポピュラー作品が中心に組まれているものと思われる。しかしN響もいまや世界的指揮者を多く招聘することによって、長い期間マエストロを、極東の島国に拘束しておくことは困難になったように思われる。今シーズンで言えば、移動に伴う疲労が心配な超高齢のヘルベルト・ブロムシュテット、首席指揮者のファビオ・ルイージ、それにウクライナ戦争であらゆるポストを辞任したロシア人、トゥガン・ソヒエフを除けば、毎回指揮者が入れ替わる。11月はAとCが名誉音楽監督のシャルル・デュトワで、Bのみベネズエラ人のラファエル・パヤーレとなっていた。

デュトワのC定期は世紀の名演だったと聞いている。ここで演奏されたラヴェルのバレエ音楽「ダフニスとクロエ」(全曲)には、私もできれば行きたった。しかしあの広いNHKホールで、演奏を堪能しようと思えば1階席の中央に座る必要があり、それには座席の確保が困難な上、席自体がやや狭く視界も良くない(端の席はほぼ絶望的)。しかも夜の渋谷の雑踏、もしくは休日の代々木公園のお祭り騒ぎの中を会場に向かうのは、私にとってもはや苦行である。そういうわけで、最近NHKホールに出向くのは避けている。

そのデュトワがB定期も振るかと思いきや、そうではなかった。年間会員としてはちょっと残念だったが、こればかりは仕方がない。そういうわけで今月は、パヤーレの登場である。パヤーレを私はかつて一度聞いている(2017年)。ところが今回配布されたプログラム・ノートによれば、彼のN響への初登場は2020年2月と記されている。これはどういうことかと思ったら、定期公演の話であった。私が出かけたのは「N響『夏』」と呼ばれるコンサートで、ここはいわば若手指揮者による名曲プログラム。実はほとんど印象は残っていないが、聞いたという事実は覚えていたので、まだましな方である。

そのパヤーレも、今やモントリオール交響楽団のシェフに抜擢されたようだ。ベネズエラ生まれと聞けばドュダメルを思い出すが、独自の音楽教育プログラム「エル・システマ」のホルン奏者出身とのことである。しかし今回のプログラムは、新大陸の音楽ではなくドイツ音楽、それもシューマン、モーツァルト、それにリヒャルト・シュトラウス。言わば王道の選曲と言うべきか。だから曲は名曲ばかりでも、これは指揮者にとっての意欲的プログラムであると思われた。B定期としてのこだわりは、そういうところだろうか。

さて、シューマンの「マンフレッド」序曲は、かつてフルトヴェングラーのCDで聞いたくらいで、ほとんど知らない。シューマン独特の、あのくすんだ音色がN響から聞こえてくる。指揮はこの曲だけ完全な暗譜で、指揮台は置かれていなかった。特に心に残るようなわけでもない平凡な演奏が終わって、舞台左奥に置かれていたピアノを、どうやって舞台中央に運ぶのか、私はこれまで何度もサントリーホールに通っているが、ちゃんと見るのはこれが初めてである。

舞台は階段状になった半円形の台が設えてあり、指揮者を中心に後方の奏者ほど高い位置に並んでいる。この階段を乗り越えるため、何と舞台の一部の段差が電動装置によって切り取れたように沈み、そこの部分だけがフラットになったのだった。その作業のため、第1及び第2ヴァイオリンのセクションは一時退場を余儀なくされた。このような舞台の準備作業を、私は興味深く見ながら、次のプログラム、モーツァルトのピアノ協奏曲第25番を待った。

再び舞台の階段が正常位置に戻り、ヴァイオリン奏者の椅子が並べられると、団員たちの一部が再登場。ピアノのC音を合図にチューニングが開始された。程なくしてソリストを務めるエマニュエル・アックスと指揮者が登場した。

アックスと言えば、私は子供のころから録音で知られているアメリカ人のピアニストで、ヨーヨー・マと競演した録音などで良く知られているが、実演で聞くのは実はこれが初めてである。そしてモーツァルトのピアノ協奏曲第25番もまた、実演で初めて聞く曲である。この曲はハ長調で書かれており、モーツァルトのハ長調と言えば、「リンツ」や「ジュピター」などが思い浮かぶ。いずれも壮大でストレートな華やかさを持った曲で、誤解を恐れずに言えば、奏者を選ぶというか、なかなか難しい曲に思われる。

だからかどうかはわからないが、この25番のピアノ協奏曲は、いい曲と思うのだが演奏されることは少ない方だ。パヤーレはその最初音を、ふわっとしてスッキリとした音色で始めたのは印象的だった。アックスのピアノがまた、モーツァルトに相応しく、雑味なく響く。全体に好感の持てる演奏ではあったのだが、それ以上でもそれ以下でもない。もしかするとパヤーレの音作りは、やや雑なところがあって、細やかな音の表情や音色の変化に乏しく、N響はうまく取り繕ってはいるがちょっと平凡な演奏に終始したように感じた。しかしアックスのピアノは何とも素敵で、その真骨頂はアンコール曲(ショパンのノクターン第15番)で示されたと言って良いだろう。

休憩を挟んでオーケストラが倍増され、舞台上にずらりと並んだ姿は壮観だった。リヒャルト・シュトラウスの交響詩「英雄の生涯」と言えば、毎年数多くの公演がなされる名曲中の名曲だが、たしかにこの曲ほどオーケストラの醍醐味を味わわせてくれる曲もない。にもかかわらず、私はかつて2回しか聞いていないのは意外であり、しかもそのうちの1回は、すでに忘却の彼方にあった。今回検索してみると、2020年1月にN響で聞いている。しかもこの時の会場もサントリーホール、指揮はファビオ・ルイージ、ゲスト・コンサートマスターはライナー・キュッヘルとなっている。

私が聞いた位置が悪かったのか、それとも体調が悪かったのか、あるいはこの曲についてまだあまり多くを知らなかったのか、そのあたりはよくわからないが、その前に初めて「英雄の生涯」を聞いた時の読売日本交響楽団による演奏会(2015年3月のサントリーホール、指揮はジェラール・コルステン)はよく覚えているので、ルイージの演奏はどこか物足りなかったのかも知れない。

さてその「英雄の生涯」のパヤーレだが、これは前半のプログラムにおけるやや精彩を欠いた演奏に比べると、少なくとも私の個人的な印象としては悪くなかった。というよりも、結構よかったんじゃないかと思っている。もしかするとパヤーレの音は、どこかフランス風のオーケストラのように平べったく、しかしながら色彩感は豊かであった。この結果、何とも言えないようなムードを醸し出していた。全体として見た場合に、ずっとうっとりとして自然に身を任せておけばいいような気分が私を被い、それは最後まで続いた。

なぜかとても心地が良く、聞いているだけで気持ちが満たされるような感覚は、オーケストラの技量によって作り出されたのか、指揮者の意図するところだったかのかはよくわからない。しかしこの丸で韓国ドラマを見る時のような、魔法のようにしっとりとした演奏は、まぎれもなくオーケストラを聞くことの喜びを感じさせてくれた。饒舌なヴァイオリン・ソロを弾いたコンサートマスターは、長原幸太だった。そしてファゴットもホルンも小太鼓も、十分に巧く、そつがない。そのことが演奏に余裕を与え、指揮者が大きな身振りでドライブする姿が上滑りすることもなかった。

客席全体がこの演奏を良いと感じたかどうかは、正直なところわからない。N響の定期となるとほぼ会員で埋まっているから、皆相当耳の肥えた人たちである。そしてこの演奏にはブラボーはなかった。感動しているのは私だけかとおもった。ところが、消えかけていた拍手がわずか数人に減ったにもかかわらず、それを熱心に続けている人がいる。そしてその拍手は、あろうことか次第に大きくなってゆき、オーケストラが退場してしばらくしても絶えることはなかった。よく見ると、私の隣の席のいつもの夫婦も、珍しく退場せずにずっと拍手している。

「一般参賀」などと揶揄されるコロナ禍後の指揮者に対するちょっと大げさな反応には、少し辟易している。この若手指揮者に対し、東京のリスナーは良い印象を持って帰ることを土産に、今後の成長を見守りたいという老婆心に導かれている要素がないとも言えないかも知れない。しかし、私はまた自分がそうであったように、この演奏には(すくなくとも後半の「英雄の生涯」に限れば)、実にいいものだったと素直に思った人が、一定数いたということだ。それを証明するかのように、長い時間の後、再び舞台に指揮者が登場した時には、多くのブラボーが叫ばれたのだ。

そもそも我が国には、クリスマスを祝う伝統はない。にもかかわらず、いやだからこそというべきか、東京では早くもクリスマス・ムードになっていた。サントリーホール前の噴水にもクリスマスツリーがお目見えし、階上には赤と緑の垂れ幕が下がっている。一層華やいで見えるこの頃、いつのまにか11月も後半になって師走の足音が聞こえてきている。長く夏が続いた今年は、もう少し秋を楽しみたかった、という本音を言い出すまもなく、来る年の準備に追われるのだろうか。そいうえば、在京オーケストラの来シーズンのプログラムが出そろった。会場前で配布される大量のチラシの束を繰りながら、早くもカレンダーに注目のコンサート情報を書き込んでいる。

2025年11月19日水曜日

ハーゲン四重奏団演奏会(2025年11月13日トッパンホール)

地下鉄有楽町線の江戸川橋駅を出て首都高速5号線の高架をくぐり、神田川沿いにしばらく歩くとTOPPANホールがある。ソロ・リサイタルや室内楽向けの小さなホールだが、今年25周年を迎え、毎年数多くのコンサートが開かれているから、そこそこ定評のあるホールと言ってもいい。同じ規模のホールは都内各地にあって、銀座の王子ホールのように単独のホールもあれば、東京文化会館小ホールやサントリー・ホールのローズ・ホールのように、大ホールに併設されたところもある。私は、主に室内楽が専門のTOPPANホールに行くのは、実は初めてである。

少し不便な場所にありながら、世界的な演奏団体がここを使用することは多い。そして世界屈指の四重奏団であるハーゲン四重奏団も、ここの常連である。いやそれどころか、解散を決めた彼らは、TOPPANホールを最後の公演地とすることを決めたそうだ。そのファイナル・プロジェクトの第1弾が催されることとなった。

私は滅多に室内楽の演奏会には行かないが、こうなると話は別である。一応クラシック音楽を趣味とする人間として、ハーゲン四重奏団の演奏会に行くのも悪くない、と思った。そもそも熱心な聞き手からすると、何とも不謹慎な話である。言わばウィーン・フィルの演奏会にだけ出かける俄かクラシック・ファンと同じである。そしてウィーン・フィルのチケットが取りづらいのと同様に、ハーゲン四重奏団のチケットも発売即完売。私が辛うじて手にできたのは、3日ある演奏会の最終日。クラリネットにイェルク・ヴィトマンを迎えたクラリネット五重奏曲のみの演奏会で、その前半には彼自身が作曲した作品が日本初演される。

このような玄人好みの演奏会に、私は仕事を早々に切り上げてしばし睡眠をとり、満を持して出かけた。何せ静寂さが際立つホールで、うとうととしようものなら大変である。そしてまさしくその通りの聴衆で、これほど品のいい客層の演奏会に出くわしたことはない。身なりがよく気品が漂っている。かといって、熱狂的な感覚むき出しの人々とも違う。さらには、このヴィトマンが作曲したクラリネット五重奏曲は、何とレントが40分も続くというではないか!まさにこれはTOPPANホールの聴衆向けの音楽で、沈黙と音楽との境界線を行くような作品だそうである。

プログラム・ノートによると、楽譜上で"TOPPAN Staccato"と敢えて記載されている部分がいくつかあって、ここを最弱音で弾くことが求められているそうである。それを他のホールでどう演奏するのか、よくわからないが、この曲はこのホールの音色に触発されて作曲された。そして私が初めて感じたTOPPANホールの音響は、これまでのどの小ホールにも増して素晴らしいものであったことは確かである。舞台に立つ演奏家も、ホールの持つ響きの良さと、静かな聴衆との間いに生じるインティメントに感応し、このような音楽の作曲、演奏に及んだのだろう。

ハーゲン四重奏団は、ザルツブルクのモーツァルテウムの奏者で結成された四重奏団であり、その構成は4人の兄弟である(現在、第2ヴァイオリンは交代)。1981年には活動を開始しているというから経歴はかなり長いが、ウィーンの伝統を受け継ぐ四重奏団かどうかはわからないが、アマデウス四重奏団、アルバン=ベルク四重奏団のあとを受け継いだオーストリアのグループとして、ドイツ・グラモフォンなどに多くの録音がある。私もベートーヴェンの何曲かを持っている。そのベートーヴェンを本当は聞きたかった(第2夜)が、これは仕方ないだろう。

四重奏団に混じってクラリネットのヴィトマンが登場する。丁度私の位置(前から4列目の左端)からは、そのクラリネットだけが、第1ヴァイオリンの影になって見えない。音楽の始まりは、まさに静寂からの境界ギリギリの音の「生まれ」で、その瞬間から何かが始まりそうな予感が果てしなく続く。レントといっても音の強弱はあり、現代音楽でもあるからそれまでに聞いたことのないような音色に、新鮮なものが詰まっている。弦楽器の様々な奏法は、長い歴史のなかで育まれ、多様にして多彩かつ良く知られているが、クラリネットとなると私などはあまり馴染みがない。それで、この40分余りの間中、私は興味津々であった。

クラリネットという楽器の表現力の広さに感心したのだが、中でもまるで尺八のような音で、幽玄なムードがただよう部分など。どこか能舞台を見ているような錯覚に捕らわれた。かと思うと、やはりそこは西洋音楽の伝統に回帰するような部分もある。クラリネット五重奏曲と言えば、何と言ってもモーツァルトとブラームスが2大巨峰で、この2つの曲に太刀打ちできるものはないと言ってもいいくらいである。当然、作曲者はそのことを意識するわけで、これらの曲のモチーフが使われているようだ。

熱心な聴衆は音楽が終わると、盛んに拍手をしてブラボーさえ飛び交った。作曲家を目指す学生や、現代音楽に興味のある聞き手が揃っていたのだろう。にしても、このような音楽に生で触れることは、もうないだろうと思った。やはり音楽は一期一会の芸術であり、そのことがいい、と年を取ると感じるようになった。

20分の休憩時間は、階上のカフェで過ごす。そして後半のプログラムは、ザ・クラリネット五重奏曲とも言うべきモーツァルトである。何度も聞いて耳にタコができているような曲だが、勿論私にとっては初めてのライブ。有名なメロディーが始まった。その演奏は終始安心して聞いていられる、完璧の、まさに夢のような時間だった。この曲に触発されたブラームスは、それ以上に素晴らしいクラリネット五重奏曲を残している。この2つの曲をカップリングしたディスクは多い。

ハーゲン四重奏団に委託され2009年には作曲されたヴィトマンの作品が、今日の白眉だったかも知れない。その意味では、モーツァルトの有名な曲は、まるでアンコールのように気さくな気分で、奏者がどう考えていたかはわからないが、終演後にアンコールはなかった。モーツァルトの方が、有名曲だけあって聴衆の拍手は大きかったが、前半にあったようなブラボーは聞くことがなかった。

このフィナーレ・シリーズは今後も続くようで、今回はパート1と記されている。私はそんなこと知らなかったので、ちょっと何か拍子抜けである。だがTOPPANホールの音響の素晴らしさと、ハーゲン四重奏団の生の演奏、それに新しいクラリネット五重奏曲の日本初演に、満足な一夜であった。

2025年10月15日水曜日

チャイコフスキー:交響曲第5番ホ短調作品64(エフゲニ・スヴェトラーノフ指揮ソビエト国立交響楽団、1990年)

今年は10月に入って、ようやく長い夏が終わりそうである。秋の夜長に音楽をゆっくり楽しむ期間は、年々短くなっている。しかし今年は、いよいよSpotifyがロスレス配信を開始したことにより、私のオーディオ環境に変化が生じた。WiiMという新しいネットワークオーディオ機器を購入し、昨年新調したスピーカー(YAMAHA NS-F700)に接続したところ、見違えるような音質になったのである。これまで聞いていた音楽とは、明らかに異なる臨場感。まるでそこに舞台があるような音場空間が、とうとう我が家にも誕生したのだ。

そういうわけで、ここはかねてから書く気でいたチャイコフスキーの交響曲第5番を、家族のいない静かな夜に聞いている。演奏はロシアの偉大な巨匠、エフゲニ・スヴェトラーノフが指揮するソビエト国立交響楽団である。スヴェトラーノフが指揮したこの曲の演奏には何種類かあるが、私がいま聞いているのは1990年に東京で行われた全曲演奏会のライブ録音。その3年後にスタジオ録音された盤もあって、それも有名だが、この録音には終演後の盛大な拍手も収録されている。

チャイコフスキーの作曲した交響曲の中で、私はこの第5番がもっとも親しみやすく、かつ完成度が高い作品だと思う。世界中の多くの指揮者とオーケストラが競うようにして演奏し、それは今でもそうであることから、この曲の人気の底堅さがわかる。実際、誰が演奏してもいい作品だと感じることができる。いわば「名曲の条件」を満たした曲である。だが、その中でもひときわ高くそびえているのが、スヴェトラーノフの演奏である。

第1楽章は、その後全編にわたって響く主題「運命の動機」が、クラリネットによって厳かに奏でられるところから始まる。序奏であるこの部分は、これから始まる長い曲に相応しく、たっぶりと抒情的であることが好ましい。一気にロシア世界に入り込むような主題は、その序奏に続き提示されるが、たちまち快活なアレグロに移行してゆく。弦楽器が広い平原を飛行するかのように、歌うような3拍子を奏するのが魅力的である。

ロマンチックな第2楽章は、チャイコフスキーが作曲した最も美しい音楽のひとつであろう。陽気な部分と陰鬱な部分が交錯するチャイコフスキーの魅力を湛えているのは、各楽章に共通している。それをいかにバランスよく聞かせるかが鍵である。ノスタルジックでロマンチックなアンダンテ・カンタービレに酔いしれていると、やはりここでも「運命の動機」が顔を出す。

第3楽章はスケルツォではなく、陰影に富んだワルツ。それがこの曲の新鮮なところで、チャイコフスキーの舞踊曲は常に楽しいが、ここでも同様に、まるでバレエを踊るかのようなメロディーである。

「運命の動機」が再現されると、一気にリズムが加速され、凱旋する軍隊のように前に進んでいく。第4楽章は勝利の祭典ある。特にコーダ部分に至っては、行進曲風の力強さで締めくくられ、気分も高揚する。音楽を聞く楽しみを、通俗的に味わわせてくれる。

数ある演奏の中から、この曲にスヴェトラーノフを選んだのには理由がある。それは私がNHK交響楽団でスヴェトラーノフによるこの曲の実演を聞いているからだ。記録によれば、それは1997年9月のこと。ピアニストの中村紘子を迎えたオール・チャイコフスキー・プログラムで、そのシーズンの幕開きを飾る定期公演だった。丸で戦車のように突き進む演奏からは、普段N響ではあまり聞くことのできない野性味が感じられ、それはあの広いNHKホールの隅々にまで浸透していった。

ある人の書いた文章によれば、スヴェトラーノフの練習はロシア語でなされるそうである。いったいどれほどの団員がその言語を解釈するのかわからないが、音楽家には音楽を通して可能なコミュニケーションが、別に存在するのかも知れない。とにかくこの演奏会は、歴史に残る名演だった。私はこの演奏会を含め、都合3回スヴェトラーノフを聞いている。ほとんどがロシアものである。

ライブ収録された1990年の演奏では、スケールの壮大さ、ロシアを彷彿とさせる深い抒情性、そして畳みかける凄まじいまでの大迫力が収録されており、この曲の魅力が詰まっていると言える。

2025年10月14日火曜日

NHK交響楽団第2045回定期公演(2025年10月10日サントリーホール、ヘルベルト・ブロムシュテット指揮)

御年98歳の世界最高齢指揮者が、一か月間も東京に滞在して3つのプログラム(計6回)の演奏会に挑む。それを聞いただけで、これは得難い経験になるのではと思うのが人情と言うものだろう。その演奏の良し悪しがどうのこうのという前に、まず長い移動時間を耐えて日本へ飛来し、何回もの練習をこなし、そして舞台に登場する。若ければ当たり前のこのような営みを、ある程度年を取った人なら驚異的だと思うに違いない。とりわけ私のように持病があると、海外旅行など相当な覚悟が必要なのだから

2025年10月10日、サントリーホールで行われたNHK交響楽団の第2045回定期公演(Bプログラム2日目)に、私は定期会員として出かけた。今回のプログラムは、スウェーデン系米国人ブロムシュテットに相応しくすべて北欧系の曲。まずグリーグの組曲「ホルヘアの時代から」に始まり、続いてニルセンのフルート協奏曲。後半はシベリウスの交響曲第5番である。ここでフルート独奏は、スイス生まれのセバスティアン・ジャコー。彼は日本での演奏は数多いようだが、私ははじめて聞く。

前半の2曲は編成が小さく、並べられた舞台上の椅子の数も少ない。対向配置されえた第一バイオリンとチェロの間を、オーケストラのメンバーに混じって、ゆっくりと歩行器につかまりながら巨匠が登場すると、会場からはブラボーの掛け声とともに、より大きな拍手に見舞われた。係員に見守られながら自力で指揮台に登り、慎重に専用の椅子に腰掛ける。第一ヴァイオリンの椅子が再び元に戻され、おもむろにチューニングが始まった。

このようにしてグリーグの組曲「ホルヘアの時代から」が始まった。前奏曲から始まるノルウェーのやや物悲しい風情に満ちている。N響の弦の暖かな音色が自然に響いている。テンポはむしろ速めで、頭脳は明晰であるのか指揮の衰えを感じないのは驚きである。ゆったりと叙情的な中間部も、チェロのソロなど聴きどころの多い曲だが、終曲でコンサートマスターの郷古廉が、印象的なソロを聞かせる。

ところでブロムシュテットのグリーグといえば、私は「ペールギュント」の演奏が、青春の音楽と言っていいぐらいの愛聴盤である。特にシュターツカペレ・ドレスデンを指揮した古い録音は、当時としては珍しい劇音楽としての全曲もので、私は学生時代、それこそ毎日のように聞いていた。このことについては、またあたらめて書こうと思う。

丁寧な「ホルヘアの時代から」が終わり、マエストロは一旦舞台裏へ。間おおかずして、今度はフルーティスト、ジャコーと共に登場。デンマークの作曲家ニルセンの「フルート協奏曲」が始まる。この曲は初めて聞く。ニルセンはグリーグより20年ほど後の作曲家で、シベリウスと同年代。その晩年の作品である。

ここで私は、この曲が非常にめずらしく、バス・トロンボーンが使われ、しかもフルートとの掛け合いをするのがとても新鮮だった。しかもそこにティンパニが加わるのである。オーケストラの中に3つの頂点を結ぶような舞台上のやりとりを、いつもの2階席右寄りより眺める。2楽章構成の短い曲が終わって、ジャコーはアンコールにドビュッシーの「シリンクス」という曲を披露した。

さて記録によれば私は、これまですべてN響でブロムシュテットを計7回聞いている(今回が8回目)。その中には記憶に鮮明なものもあれば、そうでないものもある。とりわけ印象に残っているのは、モーツァルトのハ短調ミサと、シベリウスの交響曲第7番だった。敬虔なキリスト教徒であり、特にストイックな性格からか、厳しい練習が課されるとN響メンバーがインタビューか何かで言っていたのを聞いたことがある。しかるに真面目な日本のオーケストラとの相性は、良かったのだろう。私が東京で初めてN響の定期を聞いた頃には、ずでに名誉指揮者として毎年のように来日していたが、それが40年を経てもなお続いていることは、両者関係が極めて強い信頼関係で結ばれていることの証であろう。

この時のシベリウスの名演奏は、そのままCDにしてもいいと思った。他の指揮者での経験も合わせると、N響とシベリウスの相性はとても合っている、と私は思っている。だからあの飛び立つ白鳥のモチーフにした、明るく伸びやかな交響曲第5番がプログラムに上った時、これは聞いてみたいものだと思った。そしてその時が来た。

澄み切った透明な早朝の湖。私がイメージするこの曲の第1楽章は、そこに一羽の白鳥がまさに飛び立たんとしている光景である。N響の音がややぎこちなく聞こえたが、それはむしろ白鳥が飛行に備えて、試行を繰り返している時の様子にさえ感じられた。後半になると、大空へ舞っていく。

第2楽章は民族的なムードを感じ、この曲の持つまた別の美しさを感じるのだが、それも第3楽章に再び飛来する白鳥の主題への、ちょっとした間奏曲のようでもある。広大な自然の中に、大きく羽ばたいていった白鳥たちの飛行が、間を置かずしてクライマックスを迎え、簡素ながらも壮大なコーダを築くとき、得も言われぬ幸福な感覚が私を襲うのだった。

指揮者は各パートごとに楽団員を立たせ、抱擁と握手を交わす。高齢者にこれ以上の負担を強いるのは、やや酷ではないかと思われるものの、鳴りやまない拍手に応えて舞台に再度現れたマエストロには、盛大な拍手とブラボーが送られた。盛況のうちに無事第1回目のプログラムが終了した。今月はあと2種類のプログラムを指揮する予定であり、それらは広大なNHKホールを連日満席にしているようだ。そして何と、来シーズン(100周年記念)にも来日することが発表されている!御年99歳になっているであろうマエストロは、ブラームスとブルックナーを指揮することが決まっているそうである!

2025年9月24日水曜日

読売日本交響楽団第144回横浜マチネーシリーズ(2025年9月21日横浜みなとみらいホール、ケント・ナガノ指揮)

私はケント・ナガノという指揮者について、あまりよく知らなかった。実際、彼は日本のオーケストラをほとんど指揮したことはない。今回日本の常設オケに客演するには、1986年に新日フィルを指揮して以来の実に39年ぶりということだった。彼は日系アメリカ人3世であり、しかも奥様も日本人だという割には、日本での演奏機会が少なかったようだ。日本を避けてきたのだろうか、とさえ思っていた。

過去の彼のインタビューを聞くと、意見が非常に醒めていて冷たいという印象があった。カリフォルニア生まれの知識人らしく実にクールでドライ。だから音楽も、などと考えていた。私が所有していたCDはわずか2枚で、一つはリヨンの歌劇場のオーケストラを指揮したドリーブの「コッペリア」、そしてモントリオール交響楽団を指揮したベートーヴェンの「エグモント」と第5交響曲をカップリングした一枚である。これらの2枚のCDはとても素敵なので、愛聴盤でさえあるのだが。

そういうわけでこのたびの来日で読響を指揮すると分かった時も、実際どうしようかと迷った。プログラムは2種類あって、ひとつはマーラーの交響曲第7番。最も演奏機会の少なかったマーラーこの難曲が、最近はプログラムに上ることが多いが、私の場合さほど喜んで聞きたくなる曲ではない。一方、もう一つのプログラムは、シューベルトの「グレイト」交響曲である。「グレイト」は誰が指揮しようと聞きたくなる曲なので、私はこちらの方を選んだ。会場は横浜のみなとみらいホールの1回限りで、日曜日のマチネー。席はまだある。というわけで、秋風がようやく吹き始めた週末に私はひとり出かけることとなった。

桜木町で国電を下り、重慶飯店で期間限定のアヒルの玉子入り月餅餅を買う。そのあと長い歩道を歩いてみなとみらい地区へ。右手には日本丸とその向こうに遊園地が見える。この横浜ならではの光景は、やはり気分が変わっていいものだ。そしてビルの中に入ると、フィレンツェのジェラート屋があった。つまらないカフェでもコーヒー1杯500円するのは当たり前の昨今、ビールでも飲もうものなら軽く1000円近く取られるインフレ日本で、アイスクリームが税込み500円というのは安い。私もあのフィレンツェのアイスクリームは懐かしいから、ここでラズベリー入りのソーダを注文して時間を調整。横浜に来る楽しみがまた増えたことが嬉しい。横浜から直接みなとみらい線に乗ったのでは、ここには来られない。

会場のロビーから見えるコンベンション・センターの風景も、東京の他の会場では見えることがない風景である。そこで今度はビールを飲む。これも600円と良心的。このようにして上演前のひとときをプログラムを見ながら過ごした。このような贅沢な時間もまた、コンサートの一部である。

本日のプログラムは3つ。まず前半は野平一平の「織られた時IV〜横浜モデルニテ」という作品。世界初演だそうである。冊子によれば、近代化の象徴とも言える横浜の光景を音にして、前衛的な雰囲気も含めた作品と本人が解説している。教会の鐘の音に模したファンファーレで始まり、我が国初の鉄道や汽船の音などもモチーフになっているようだ。ナガノは8分余りのこの曲を丁寧に指揮、会場にいた作曲者も登壇して喝采を浴びていた。

続く曲はモーツァルトのピアノ協奏曲第24番で、数あるモーツァルトのピアノ協奏曲には珍しい短調の曲である。このような曲を取り上げるのは、実力あるピアニストの意欲だろうか。そのピアニストはイタリア人のベネデット・ルポ、私は初めて聞く。もちろんこの曲も実演はおそらく初めて。ところが演奏が始まって驚いたのは、その音色の粒立ちの格調高い気品である。モーツァルトを弾くに相応しい確かなタッチと、ほとんど飾って見せないストレートな表現。すべての音符が考え抜かれ、理想的な強弱レベルで明晰に聞こえてくる。例えていえば、グルダに似ている、という感じだろうか(もっともグルダは録音でしか聞いたことがないのだが)。

第2楽章でのオーケストラは、そのピアノを側面から寄り添い、確かなリズムを刻む。席が良かったからかも知れないが、読響の音ももはやヨーロッパのレベルである。第3楽章のカデンツァに入る部分など惚れ惚れする響きは最後まで続き、同じように感じ入った聴衆も多かったに違いなく拍手も多い。何度もカーテンコールに応えてルポは、ラヴェルの「亡き王女のためのパヴァーヌ」を弾いた。これも惚れ惚れとする印象を残した。サービス満点の演奏だった。

休憩を挟んでのシューベルトは、「天国的に長い」とされる曲だが、いい演奏で聞くことになるといつまでも聞いていたいと思う曲に変身する。ところが今回の演奏時間の記載を見ると約48分と書かれていた。これは繰り返しを一切しないことを意味していると思ったが、実際そうであった。そもそもこの曲をすべて繰り返して演奏するには、演奏家によほど覚悟がないと難しいのだろうし、聴衆がそれについて来られるのかが気がかりである。実際、この曲の間中、いや前半でさえも、私の両隣のご婦人は終始居眠りをしておられる始末。いやそれだけではない、後方の席にいた拍手をいち早くする高齢男性も、演奏中は熟睡。いつ果てるともわからない音楽を生で聞きながら眠るのは、さぞ気持ちがいいに違いない。

ところがその演奏は、私はこれまで聞いたシューベルトの曲中、最高の部類に入る名演奏になったことは疑いがない。第1楽章から、そのバランスといい継続的な完成度といい、申し分がないだけでなく、オーケストラがすこぶる上手いと感じた。もしビデオ収録されていたら見てみたいが、どうもそういうこともなさそうで残念である。だがそこに居合わせた聴衆は、この演奏のレベルの高さを確信していた。終演後、間を置かずして圧倒的に盛大なブラボーが沸き起こったことも、そのことを示している。

読響の定期で、これほど大きな拍手を聞いたのは初めてである。そしてこの曲をここまでの完成度で、しかも長い時間維持し続けたことはちょっとしたものだ。特に私が一番注目している第3楽章のトリオの部分を、ナガノは十分な時間を保って演奏した。ここを中途半端に通り抜ける指揮者が多い中で、私は初めて理想的な演奏に巡り合った心境だった。CDでスタジオ録音されたものなら(例えばアバドの演奏)、ゆっくりと時間をかけてこれを理想的な演奏に仕上げることもできよう。しかし実演となると、なかなか難しいと思われる。そもそも長い曲を覚悟しているブルックナーの場合とは、ちょっと事情が異なる。

第4楽章のリズムが淡々と進みつつも気迫のこもった演奏は、次第にオーケストラも聴衆も熱を帯びて聞き入る。もっと長く聞いていたいと思う演奏になってゆく。それにしても読響の木管楽器の巧さが際立つ。まわりを見ると、皆さんまだ船を漕いでいる。熱を帯びた演奏家や一部聴衆と対照的なのが実に面白く愉快である。実は今、名古屋へと向かう新幹線「のぞみ」に乗って、昨日のコンサートを思い出しながらこの文章を書いているが、まるでその車窓風景のように快速に進む音楽が、とうとう終わりを迎えた時、割れんばかりの聴衆が指揮者を何度も舞台へ呼び戻し、それはオーケストラが退散しても続いたことは、言うまでもない。

最高の読響の演奏、最高のシューベルトの余韻を残しながら会場を後にしようとしたとき、何と「サイン会場」と書かれたプラカードを持った係員がいるではないか。聞くと「今日は特別のようです」とのことだった。私もプログラム冊子を持って行列に。インタビューで聞くナガノの醒めたコメントとは違い、こんなにも熱い演奏をする指揮者とは思わなかった。そして一人一人にサインをする指揮者とピアニストに、私は「これまで聞いた中で最高のシューベルトでした」と話しかけると、とても喜んで笑顔で答えてくれた。そういうわけで、これは忘れ得ぬコンサートになった。

帰りはみなとみらい駅で恒例の「シウマイ」を買って、そのまま電車へ。家から1時間とかからない横浜にも、これからは時々出かけたいと思った。このホールは、場所も座席の心地も音響も悪くはない。ただあの最前列席の目の前に張り巡らされた金属線が、舞台の視界をさえぎらなければもっと心地よいのに、と思った。

2025年9月20日土曜日

NHK交響楽団第2043回定期公演(2025年9月19日サントリーホール、ファビオ・ルイージ指揮)

今シーズンからN響の定期会員になった。定期会員になるのは1992年以来、34年ぶりのことである。丁度就職して東京に住み始めた頃で、思いっきり演奏会に出かけることができることが大いに嬉しかった。この年、9月から始まる新シーズンのNHKホールのチケットは、最安値がたしか1000円で、これは3階席後方(E席自由席)だった(この席は今では3000円になっているが、学生割引というのもある)。

私はまだ初任給をもらったばかりの新入社員だったが、同じ3階席の前方の席を確保した(D席3000円)。広いNHKホールに毎週のように通い、あまり聞くことのない曲も楽しんだ。満員になることはまずないから、席を移動してゆったりとすわり、時に睡魔に襲われるのもまた良いものだ、などと考えていた。当時、サントリーホールでの公演はなかった。

N響の定期会員だったのはこの1年だけだったが、その後もN響の公演にはしばしばでかけてきた。平均すると毎年数回は聞いている。そのほとんどがNHKホールでのもので、それも2階席かそれより後。1階席は中央に座らないとオーケストラを後方から眺める感じになるのが面白くないからだが、中央の席はすでに埋まっていることが多く、しかも高い。NHKホールの座席は狭く、両隣に人がいると窮屈な上、前の人の頭が視界を遮る。1階席からはオーケストラを見上げる位置になって、後方の演奏家が見えない。2階席なら全体が見渡せるが、そこはすでにかなり後方になってしまい、臨場感に乏しい。

とにかくNHKホールで聞くN響の演奏会は制約が大きく(しかも渋谷の繁華街を通らなければならないことが決定的につらい)、音響も悪いので最近はよほどいいプログラムでなければ敬遠しているのが実情なのだ。しかし、サントリーホールであれば、家からも行きやすい上に音響も良く申し分がない。本当はサントリーホールでN響を聞いてみたい。ところがこのサントリーホールでの定期公演は、毎回ほぼ売り切れ。すなわち定期会員だけですでに満員になってしまっている。その定期会員は、NHKホールの場合と違って1年更新だから、更新時期に合わせて1年分のチケットを買う必要がある。安い席やいい席は継続の会員に優先的に売り出されるから、さらにハードルは高い。

そういうわけでサントリーホールでのN響定期は、なかなか聞くことができないのである。しかもサントリーホールでの公演プログラムは、玄人好みの凝ったものが多いという特徴があって、招聘される指揮者の意欲的なプログラムとなっているのはいいのだが、いわゆる定番、あるいは名曲の類は巧妙に避けられており、それらはNHKホールでのプログラムに回されている、という次第である。

前置きが長くなったが、とにかく今シーズン(25~26シーズン)、私は意を決してサントリー定期の会員になった。これで来年6月までに開催される全9回の定期公演にS席が確保された。あとは毎回、何らかの事情で行けなくなる事態を回避しつつ(これが意外に多いのが、これまで定期会員を躊躇ってきた理由でもある)、月1回は金曜日(2回ある公演の2日目)に赤坂まで出向くことになった。今年、N響は99周年。なかなか意欲的なプログラムが並んでいる。先日はヨーロッパ・ツアーに出かけたばかりで、その模様はようやくテレビで放送された。

今回の公演は、そのヨーロッパ・ツアーにも同行した首席指揮者のファビオ・ルイージで、プログラムはまず武満徹の「3つの映画音楽」(これもヨーロッパ公演の演目)、ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲(独奏:マリア・ドゥエニャス)、それにメンデルスゾーンの交響曲第4番「イタリア」である。猛暑の今年は、いったいいつになったら秋が訪れるのだろうかと、もう諦めの境地で過ごしていた矢先、ようやく気温が下がった19日、サントリーホール前の広場には多くの屋台も出て、金曜日のオフィス街が賑わっていた。その合間を抜けて会場へと入る。いつものサントリーホールではあるが、どことなく行儀のいいN響の聴衆ですでに満席である。

最初の曲「3つの映画音楽」は弦楽合奏のみの曲である。武満が生涯にわたって作曲した映画音楽から「ホゼー・トレス」「黒い雨」「他人の顔」に使われた曲を編曲し、1つの管弦楽曲として構成したもの。私もCDを持ってはいるが、実演は初めてであった。私の座席はRCセクションの7列目で、オーケストラを斜めに見下ろす位置にあり、とてもいい。そこから聞くN響の音は、いつもNHKホールで聞くものとは全く違っていた。

特にそれを実感したのが、次のベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲である。白いドレス姿で登場したドゥエニャスは初登場。まだ若い彼女は、しかしながらなかなかしなやかで音色も美しい。聞きなれた曲が、まるで初めての曲のように感じられるのは、N響を含めた音のバランスの良さ故だろうか。これまで聞いていたこの曲がいったい何だったのだろうかとさえ思った。私は公演前に飲んだワイン(サントリーの赤)のせいもあって心地よい睡魔に襲われ、しばしば夢見心地で長い第1楽章に酔いしれた。

注目すべきはそのカデンツァで、何と彼女は自前のそれを披露するではないか!この曲のカデンツァと言えば、だいたいヨアヒムのものと決まっており、私もしれしか聞いたことがない。ところが彼女は、そう、あとの第3楽章のものも含め、自前の、それも大変聴きごたえのあるカデンツァを聞かせたのである。何と言おうか、さほど技巧的でもなく、しかし斬新さがあって長い。それが自然に入り、静寂な聴衆の前で圧倒的な量感を持って奏でられ、そしてすっとオーケストラに溶け合ってもとに戻る時の得も言われぬ美しさは、今日のコンサートの白眉であった。

第2楽章の精緻な表現も見事で、特に後半の美しさは特筆すべきものだった。第3楽章で見せた迫力のあるロンドは、この曲の魅力を100%以上に引き出し、聴く者を興奮させていった。それにしてもN響の音は、さらにボリュームを増したかのようで、普段は大人しい聴衆も熱い拍手を送っていたが、今日の演奏会はマイク一本垂れておらず、テレビ収録されたのは前日のコンサートだったのだろうと思う。これは放送された時に再度見てみたい。

休憩を挟み、後半は「イタリア」交響曲のみ。30分1本勝負のアレグロを、ルイージはこれ以上にないくらいのスピードで演奏した。その迫力たるや、まるで上に向けた水道の蛇口から、天に向かって水がほとばしり出るようで、一糸乱れぬアンサンブルの極致と化したN響の演奏は、いまやヨーロッパの一流オーケストラにも比肩しうるものだと確信した。特にチェロとコントラバスによる低弦の響きは、かつて非力だった日本のオーケストラとは見違えるほどの充実ぶりで、第4楽章まであっという間の演奏。ただ速いだけのうわついたものではなく、木管が宙を舞い、ホルンが咆える。実演で聞くオーケストラの醍醐味である。

これまで幾度となく聞いてきたN響の演奏会なのに、このサントリーホールで聞く異常なほどの素晴らしさは、一体どういうことなのだろうか、と思った。いや白状すれば、サントリーホールでN響を聞くのはこれが初めてではない。とすればこれは指揮者による効果としか考えられない。ルイージという指揮者は、表現的にはやや無機的で、深い感銘を残すことがあまりない指揮者だが、音作りについては超1級品なのだろうと思った次第である。その良さがNHKホールでは拡散してしまうが、サントリーホールでは凝縮されて迫って来る。ルイージのコンサートはまだあと2回(11月、4月)あるし、他の指揮者とも聴き比べることができるのが楽しみである。

次回は早くも10月10日、ヘルベルト・ブロムシュテットが予定されている。御年98歳の指揮者を聞くことができれば、それだけで生涯の記憶に残るものとなるだろう。

2025年9月1日月曜日

ベートーヴェン:歌劇「フィデリオ」(The MET Line in HD Series 2024-2025)

こう言うとオペラ好きの人から笑われそうだが、私はベートーヴェンの「フィデリオ」が大好きである。これまでに実演で2回、CDで4種類、DVDで2種類は見聞きしているだろう。その「フィデリオ」がMET Liveに登場するのは初めてである。待ちに待った感がある。もっとも日本での公開は5月頃だった。私が見るのは、夏休みに上演されるリバイバルになってしまった。忙しくて行けなかったからである。なお、ニューヨークでの公演(収録日)は、本年3月15日となっている。

「フィデリオ」の魅力は何と言ってもベートーヴェンの音楽そのものに尽きる。舞台はスペインの監獄で暗い。男装したレオノーレはフィデリオ(ソプラノのワーグナー歌手、リーゼ・ダーヴィットセン)と名乗って刑務所に侵入、そこの看守ロッコ(バスの重鎮、ルネ・パーぺ)の部下となり、夫であるフロレスタン(テノールのデイヴィット・バット・フィリップ)を救い出す、という救出劇。

第1幕には一応、男女の恋物語として看守の娘マルツェリーネ(中国人のソプラノ、イン・ファン)に言い寄るジャキーノ(テノールのマグヌス・ディートリヒ)との二重唱なども用意されてはいるが、音楽がベートーヴェンとしては未熟なものが多い。「あまり得意でないことをやっているな」という感じである。しかも今回のマルツェリーネはアジア人ということもあって、どうしても私などは「昭和のお姉さん」(つまり「サザエさん」)のようなムードを感じてしまい、やや興ざめ。とはいえ、私はこの無骨な音楽も大好きで、やはりベートーヴェンにしか書けないものを感じるのである。看守ロッコの上司である刑務所長のドン・ピツァロ(バス・バリトンのトマシュ・コニエチュニ)を含めた4人が第1幕を長々と演じるが、そのクライマックスは何と言っても、夫の身を案じて歌う長いレチタティーヴォとアリア「悪者よ、どこへ急ぐのか」である。ベートーヴェンは音楽を中心に据えて歌を書いたので、息継ぎも難しく、このアリアの難易度は相当なものである。

幕間の紹介によればダーヴィットセンは、双子を妊娠中の身だそうで、この公演を最後に育児休暇に入るそうだが、さっそく来年の「トリスタンとイゾルデ」のイゾルデでカムバックするというから驚く。公演が終わった舞台裏の画像で、感極まって涙ぐむ彼女の姿は印象的だった。歌唱の方もさすがに見事だったが、私は第1幕の後半を、折からの猛暑の疲れも手伝って心地よい睡魔に襲われ、あまりよく覚えていない。指揮者は女性のスザンナ・マルッキ。人気はあるようだがどことなく平凡で、あのベートーヴェンの推進力が感じられないのは残念だった。

映像の前口上でゲルブ総裁が、この難しい時代に「フィデリオ」を上演することの意味を訴えていたが、実際にはこのプロダクション(演出:ユルゲン・フリム)は、随分前(一説では2000年頃)から上演されているらしく、古典的な舞台装置である。ロシアの捕虜収容所などでなくて良かったと思った次第。序曲は「フィデリオ」の序曲で、第2幕に「レオノーレ」第3番は挿入されなかった。

短いインターミッションの後、第2幕が始まった。私はこの第2幕の冒頭が気に入っている。ベートーヴェンが書いた最高の音楽のひとつではないかとさえ思う。それがひとしきり演奏されると、いよいよフロレスタン(テノールのデイヴィット・バット・フィリップ)が登場、「神よ!」と叫ぶシーンがこのオペラの真骨頂である。ここから続く長大なアリアは、最大の聞き所の一つである。透明なテノールの響きも含め、このオペラの不思議なところは、舞台が常に暗黒であるにもかかわらず、音楽がむしろ陽気であることだ。それこそベートーヴェンのベートーヴェンらしいところではないだろうか。

従って遂にレオノーレとフロレスタンが再会し、そこに居合わせるロッコとドン・ピッアロを含めた4人によるやりとりは、有名なレオノーレのメロディーや「勝利のファンファーレ」を含め、大いに盛り上がってゆく。緊張感が増すというよりは、ドラマの域を超えてオラトリオと化してゆくのが面白い。ただ、私はマーラーが始めた序曲「レオノーレ」第3番の挿入が、どうしても欲しいと思うので、司法長官ドン・フェルナンド(バスのスティーヴン・ミリング)が水戸黄門のように登場し、勧善懲悪の大団円を迎えるまでのひと時を、間奏曲のように待ちたい気持ちが強い。舞台も急に明るくなって、ここから長大かつ壮大なフィナーレに入るのだが、その前の「溜め」が欲しくなるのである。だが、最近はそういう演出は減ってしまった。

マルッキの指揮も第2幕は調子が良く、高らかに歌い上げられる自由と愛への賛歌に、会場からは惜しみない拍手が送られていた。この音楽は誰がどう演奏しても、ベートーヴェンにしか表現できない音楽とストーリーである。世の中の正義が揺らいでいる今の時代にあって、このような渾身の音楽を聞くと、胸が熱くなる。私はビデオ上映のオペラで涙を流すことは滅多にないが、約1年ぶりのMET Liveでベートーヴェンの感動的な音楽に、改めて心を動かされたのだった。

2025年8月3日日曜日

新日本フィルハーモニー交響楽団演奏会(2025年8月2日ミューザ川崎シンフォニーホール、上岡敏之指揮)


我が国にはかつて、クラシック音楽を聞く層の中心が若者という時代があった。私の親くらいの世代から団塊の世代にかけて、その傾向は顕著だった。そのブームの中心に、帝王カラヤンがいたことは誰もが知るところだろう。日本の音楽界とメジャー・レコード会社がその火付け役となり、極東の非西洋国ながら数多くのコンサートが開かれ、そこに陣取ったのは20代を中心とする当時の人々だった。

思えばクラシック音楽好きとなったのも、そのような時代背景と大きく関わっている。私の場合、うちのクラシック音楽好きの元祖は、昭和10年生まれの伯父だった。伯父が集めたLPレコードの何枚かを、我が家は借りてきて、ステレオ装置のそばに立てかけられていた。まず父がその音楽を聞き、その影響で私は小学生の頃からレコードに親しんだ。CDの時代となり、自前でコンサートに行けるようになると、私はさらに多くの曲を聞き始め、世界中の来日オーケストラのコンサートにも足を運んだ。伯父から父を通して受け継がれたクラシック音楽好きは、その後私の弟にも及び、さらに今ではその息子へと伝播している。

その伯父が、急に亡くなった。先週のことだった。私は急遽、葬儀に参列することになり、週末に予定していた家族旅行をキャンセルした。葬儀はつつがなく終了。翌日は京都に息子を訪ねただけで、台風の接近もあって早々に帰京した私は、旅行で諦めていたコンサートに出かけることになった。「フェスタサマーミューザ KAWASAKI 2025」の一連の公演の中で、もっとも注目していた上岡敏之の指揮するブルックナーのコンサートに行くことにしたのだ。この公演のチケットが、まだ多く売れ残っていたのは意外だった。そして伯父が晩年によく聞いていたブルックナーの交響曲、それもワーグナーの追悼に書かれた長大なアダージョを擁する第7番のみが、この日の演目だった。

何という巡りあわせだろうか。私が伯父の追悼に相応しいとさえ思うコンサートを、ミューザ川崎シンフォニーホールに聞きに出かけた。3階席まではほぼ満席のホールは、冒頭から異様とも思える静寂さを際立たせ、上岡がタクトを下ろした瞬間、それまでに聞いたことがないピアニッシモの弦が鳴り響いてきた。それはいきなり最初から一気にブルックナーの世界に、観客席のすべてを覆うような空気に包まれていた。

最初の第1小節の微弱音から、これほど完成度が高い演奏は聞いたことがない。その音はブルックナーの音楽を知り尽くした指揮者にしかできないレベルの芸当に思われた。どことなくとりとめがなく、散漫にさえ感じる演奏が多い中で、上岡のブルックナーはすべての音符からその意味を理解し、有機的に組み合わせ、連続するフレーズの流れに絶え間なく生命を与えているだけでなく、それが繰り返されたりした際には、また違った表情を湛える。考え抜かれた音楽の再生は、捉えにくいブルックナー音楽の構造を見事に浮かび上がらせ、私はこの作曲家を初めて正しく理解したような気がした。

それは極めて精緻で冷静であり、職人的だったと思う。そうか、ブルックナーの音楽も、正しくはこのようにきっちりと統制され、しかしそうと感じさせないような流れで全体を見渡し、細部に指示を出すのだ。ブルックナー音楽は自然ではなく、構造物なのだ。長大な第1楽章は、その崇高な造形美を再現する技量高い指揮に引き込まれていった。

長いコーダに末に第1楽章がピタリと終わった瞬間、指揮者は指揮台に前のめりになって、ばたっと手をつくという印象的なポーズを取ったことが、舞台斜め左方の2階席からも良く見えた。遅い演奏だ。だが弛緩させることなく、かといって不自然さは微塵もない。そのようにして、あの第2楽章に入った。ここの楽章の間中、私は涙をこらえることはできなかった。副主題のメロディーをヴァイオリンが丁寧に奏で始めると、伯父との思い出が走馬灯のように浮かんできたのだ。

フィラデルフィア歴史地区(1990)
登山や潮干狩りにでかけた幼少期の思い出だけではない。大学進学のお祝いにもらったのが、クライバーの大阪公演のチケットだったことに始まり、単身赴任先のニューヨークに居候して毎日のようにマンハッタン観光に出かける私に、メトロポリタン歌劇場やカーネギーホールのチケットを数多く譲ってくれたのだった(ムーティ指揮フィラデルフィア管、マゼール指揮フランス国立管、テンシュテットが振る予定だったニューヨーク・フィルの定期、それにクライバーの「オテロ」などなど)。この直前、丁度カラヤンがウィーン・フィルとニューヨークを訪れ、交響曲第8番の歴史的名演奏を行ったことを、伯父は何度も話してくれた(そのカラヤンは程なくして亡くなり、その追悼盤としてブルックナーの第7交響曲がリリースされたことは、いまでも記憶に新しい)。

週末には伯父の運転する車でワシントンDCまで出かけ、ホワイトハウスや桜の咲くポトマック川などを周遊し、帰りにはフィラデルフィアの歴史地区にも足を延ばした。伯父は有名なレストランで豪華な食事をおごってくれただけでなく、ナイアガラの滝への日帰りツアーまで手配してくれるという歓迎ぶりだった。その10年後、私が仕事でニューヨーク勤務をすることになった。ある日突然私のオフィスの電話が鳴って「いまKitano Hotelに泊まっている」と告げられたのだ。思いがけないマンハッタンでの再会時も、その時客演していたサンクト・ペテルブルグ響に話が及んだ。退職後も第2の会社人生を送りながらニューヨークに出張に来ていた伯父は、たまたま前日に同じコンサートに出かけていたことが判明したからである。

私に大いなる愛情を持って接してくれた伯父は、私が2002年に白血病に倒れた時に、骨髄移植のドナーを快く引き受けてくれた命の恩人である。白血球の型が2人の兄弟とも一致しなかった私の家族は、最後の望みをかえて親戚中の型を調べ、その中から「大いに可能性あり」と主治医が言った伯父との適合性が、もっとも高かったのだった。この時すでに還暦を過ぎていたから、ドナーとしての資格がなくなるギリギリのタイミングだった。翌日には骨髄液の採取のために上京し、即入院してくれた。暑い真夏のちょうど今頃だった。もしかしたら親戚中で、私との親和性を科学的な証拠とともに示されたことを、何か運命のことにように感じていたのかも知れない。

享年89歳の往生である。ドナーの伯父より先に死ぬわけにはいかない、とこれまで自分に言い聞かせて闘病を続けてきた私は、なぜか少しほっとした気がした。そして伯父の細胞は、私の中でまだ生き続けているとも。それは丁度、今日聞いたブルックナーの悠久の音楽のように、自然でよどみなく、引いては押し寄せる大波のように、そして長い道のりの末に頂点を築く時には、打ち震えるような感動が全身を覆うように、私の体中の細胞を振動させた。

これ以上ないゆったりしたテンポだった。ワーグナーへの鎮魂歌が、私の伯父へのそれに重なった。このコンサートは生涯忘れることのないものになるだろう。そしてそれは個人的にそう思ったのみならず、会場にいた聴衆にとっても、唯一無二のような時間だったのではないだろうか?

この曲は第1楽章、第2楽章があまりに充実しているので、後半の音楽が陳腐に思えることがなくはない。だがよく考えてみると、何となく吹っ切れて追悼の身持ちが昇華され、天国に上るような嬉しさと感じることもできようではないか?上岡の指揮も、第3楽章の後半になると、まるでダンスを踊るように指揮台の上を動きまわり、タクトがきめ細かく各楽器にキューを出す。第4楽章に至っては、これはもう衆生の音楽だろう。還俗して非日常の世界を脱し、気持ちが中和されて現生に戻るように、尻切れトンボのように終わった演奏は、指揮者が動かない間、誰一人音を立てる者がいなかった。聴衆との我慢比べが始まった。やがて誰かが辛抱しきれなくなり、静かに拍手を始めると、それにつられて怒涛のようなブラボーと喝采、それに口笛までもが吹き荒れた。

何度もカーテンコールに応える指揮者は、各楽器のセクションを回ってパートごとに奏者を立たせ、熱狂の聴衆にアピールした。今日の新日本フィルはとても上手かった。こんな演奏が日本でも聞けるのかと思った。プログラム冊子には65分と書かれていた演奏時間は、90分にも及んでいた。短期間でこのような演奏ができるのではない。上岡はこれまでもたびたび音楽監督として新日本フィルで演奏を行い、ブルックナーの交響曲を録音している。有名指揮者コンクールの受賞経歴があるわけではないが、着実にドイツで実績を積み、個性的で真摯な演奏をする上岡の演奏会は、東京でも毎年何度か開かれており、私も目が離せない。だが、今回の演奏会ほど特別なものはなかった。猛暑の中を駅まで歩く。またこれから始まる日常。どこか遠いところから帰ってきたような感覚だった。

葬儀の翌日に訪れた正伝寺(京都)

2025年7月29日火曜日

東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団演奏会(2025年7月27日ミューザ川崎シンフォニーホール、高関健指揮)

決して気を衒った演奏ではない。ただしっかりと楽譜に忠実に、そして誠心誠意音楽を正攻法でまとめた演奏ながら、これほど共感に満ち、聞くものを幸福にする演奏にはそう出会えるものではない、と感じたコンサートだった。特にプログラム前半、小山実稚恵を独奏に迎えたベートーヴェンの「皇帝」は、私の涙腺をしばしば刺激し、この聞きなれた曲がこうも素直に、立派に表現されていることを心の底から喜んだ。

ミューザ川崎シンフォニーホール、で毎年夏に開催される「フェスタ・サマーミューザ」は今年でもう21年になるそうだ。2005年にこの催しが始まった時、私は闘病中で、その存在すら知らなかった。2018年に初めて出かけ、以後何度か行ったことがある。梅雨明け直後の猛暑の首都圏で、国内オーケストラを中心としたプログラムが連日続くというものだ。川崎駅前の雑踏に気が滅入り、いつもちょっと足を遠ざけてしまうのだが、今年はオープニング・コンサートに「言葉のない指環」(ワーグナー/マゼール編)があって、これに行ってみようと思っていた。

しかし考えることはみな同じようだった。このプログラムは早々に売り切れてしまった。仕方がないから他に面白そうなのはないかと探していくと、私の予定が空いている日に開催されるものとしては、7月27日(日)東京シティ・フィルの演奏会が目に留まった。プログラムは前半がベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番「皇帝」(独奏:小山実稚恵)、後半がマーラーの交響曲第1番「巨人」という名曲プログラム。私は小山実稚恵も指揮者の高関健も聞くのが初めてだから、丁度いいと思った。このお二人は、長年東京で毎年限りない数のコンサートを開いているが、どういうわけか私はまだ未経験ということが決定打となり、2階席(といってもオーケストラ後方)を買い求めた。

そして後から知ったことには、この演奏会も満員御礼、すなわち早々にチケット完売となったのだ。首都圏在住のクラシック音楽ファンは、やはりこのような名曲プログラムが好きである。そして私も夏の音楽祭では、こういうのがまあいいか、と思った。「皇帝」と「巨人」、どちらも大好きな曲である。それにも増してこのような企画が20年以上も続き、しかも盛況なのは嬉しいことである。そこには聴衆を裏切ってこなかった歴史があるのだろう、と思った。毎回オーケストラを変えて、様々な指揮者が様々な曲を披露する。その中には学生のオーケストラもある。料金はリーズナブル。

ミューザ川崎シンフォニーホールというところは、音響自体は悪くないのだが、構造が少し変わっていて螺旋状に縦長の形状をしている。どの席からもちょっと視界が悪い。私の座った2階席からも、各楽団員を真横か後から眺める位置だが、その3割程度はそもそも見えない。もっとも指揮者とピアニストは丸でテレビカメラのように良く見える位置なので、悪くはない。落ち着いた衣装で登場した小山とは別の通路から高関が指揮台へ。熟年の演奏会といった雰囲気で、客層も年齢層がかなり高め。

「皇帝」の冒頭の和音が丁寧に鳴り響いた時、私は「そうだ、この音だ」と思った。ベートーヴェンがロマン派の香りを高めつつ、ピアノという楽器の魅力を最大限に引きだそうとした大コンチェルト。それをたっぷりと、味わう。伴奏パートを担うオーケストラの指揮がピタリとポーズを取る間際に、ピアノが阿吽の呼吸でフォルテを連打する。大規模なソナタ形式もわかりやすいこの曲は、味わいのあるカデンツァ的部分(ベートーヴェンはこの曲に「カデンツァ」は不要と記し、それに合わせるかのように自らが作曲した独奏部分を挿入した)で最高潮に達する。それにしてもシティ・フィルからは紛れもないベートーヴェンの絹のような音色が出てくるのが嬉しい。

その様子は第2楽章にも弾きつがれ、うっとりと耳を傾けているうちに第3楽章へ。静謐な中から徐々に主題を醸し出す第3楽章の入口の絶妙な指揮と独奏が、このような角度から明確にわかる演奏に興奮した。以降、変奏を繰り返しながら悠然と進む「傑作の森」の例えようもない幸福感を、私はこの曲を聞くたびに味わう。演奏がというよりは、これはもう曲の魅力が勝っている。ただその魅力を損なわずに演奏してくれればいい、と思う。今日の演奏は、たとえ少しのミスがあろうとも、それはそれで実演の妙味でさえあるのであって、ライブの醍醐味は決して完璧な演奏であることではない。そういう風にして、長い前半の演目が、大盛況のうちに終わった。期待していたアンコールは、何とショパンの「夜想曲」第2番だった。この有名な曲を私は第1人者の名演で触れる時、そこにはショパン弾き(彼女はショパンコンクールの入賞者でもある)ならではの確たる息遣いと音色が感じられた。好感を持って、私は小山の初めての演奏会を心から楽しんだ。

20分の休憩を経てオーケストラがスケール・アップされ、マーラーの「巨人」が始まった。この演奏は後半になるにつれて良くなっていった。あまりに何度も聞いている局なので、どうしてもその比較になってしまう。例えば第1楽章の主題が出るところはもう少し印象的にならないか、第2楽章のリズムはもう少し跳ねないか、第3楽章の中間部は別世界に焦がれるように...と。しかしこの演奏が、少々違和感を覚えた原因は、もしかすると利用されたスコアによるものかも知れない。プログラムによれば本公園では「ラインホルト・クービックによる2019年校訂版」が日本で初めて使用される、とのことである。スコア研究の第1人者たる高関のこだわりを感じるが、ではそれがどういう違いがあるのかと追えば、それはよくわからない。

冒頭のバンダなどでしょっと聞き苦しいミスもあったシティ・フィルだったが、オーボエやホルン(終楽章では起立した)の熱演もあり、最後は大団円となった。若い団員が多い同オーケストラを聞くのは、私が東京で音楽を聞き始めてから30年以上がたつにもかかわらず2回目である。魅力的なプログラムが安価に聞けるなら、もう少し足を運んでもいいと思った。

2025年6月25日水曜日

ロッテルダム・フィルハーモニー管弦楽団演奏会(2025年6月23日ミューザ川崎シンフォニーホール、ラハフ・シャニ指揮)

唖然とするほど見事な演奏だった。ブルース・リウの長い掌が左右に上下に躍動し、しばしばそれを追うのができないほどだった。テレビで見ているのと同じように、鍵盤上を動き回る両手の高速運動が、目の処理速度を上回るのではないか、という状態だった。ピアニストはもとより、指揮者も楽譜を見ていない(最初から用意されていない)。そしてピアニストは指揮者をも見ていない。そこには練習時の申し合わせと阿吽の呼吸だけが存在していた。彼はそれでもこの難曲(プロコフィエフのピアノ協奏曲第3番)を、一気呵成に弾ききった。

私は終始どこをみていればいいのかわからなかった。テルアビブ生まれの指揮者ラハフ・シャニは、まだ30代中盤の、一般的な指揮者人生でいえばかなり若手の方だが、すでにどのフレーズをどう演奏すれば効果的かを心得ている。そこから自信を持って、絶妙なバランスで、テンポを変え、音色を調整し、精緻でメリハリのある表現が出てくる。まるでスポーツのように若い息遣いが、最初の曲、ワーヘナールの珍しい序曲「シラノ・ド・ベルジュラック」の冒頭から示され、ロッテルダム・フィルハーモニー管弦楽団のモダンで洗練された響きに耳を洗われた。

オランダという国は、コンセルトヘボウ管弦楽団のような世界一流のオーケストラが存在する音楽の盛んな国でありながら、有名な作曲家というのが思いつかない国である。私もワーヘナールという人の作品を聞くのは、これが初めて。解説によればこの曲は、1905年に作曲されているからロマン派の後期。たしかにワーグナーの初期作品のようでもあり、シュトラウスの影響もあるのでは思わせる豊穣な音楽である。ロスタンの小説が丁度発表された頃であるから、その管弦楽曲を思いついたのだろう。結構長い作品だった。

中央にピアノが配置され、オーケストラが再び登場する。2番目の曲であるプロコフィエフのピアノ協奏曲第3番が、今日の目当てである。独奏のブルース・リウは中国系カナダ人。パリで生まれモントリオールで育ったらしい。何と言っても前回、2021年のショパン国際ピアノ・コンクールの覇者として知られる。我が国では2位に入賞した反田恭平に人気が集まっているが、コンクールで見せた「息を飲むような美しさ」(解説書)は記憶に新しい。今年もこのコンクールが行われるが、私はここへ来て、先日のアヴデーエワに続くショパン・コンクール優勝者の演奏に接することが続いている(本命はチョ・ソンジンなのだが、彼は人気があり過ぎてチケットを取るのが難しい)。

さてそのショパン弾きのリウがプロコフィエフをやる。舞台に設置されたのは、YAMAHAやスタインウェイのピアノではなく、FAZIORIであった。このメーカーは比較的新しいイタリアのピアノで、彼はこのピアノでショパンを制しているから、今回そのピアノを持ち込んだのだろうか?その音色が冒頭から聞こえてきたとき、いつもとは少し異なるように思えた。柔らかく、少し音が小さいと思った。そしてこれはショパンには相応しいのだろう、とも。しかし今日はプロコフィエフである。始まってすぐに激しいリズムが次々と顔を出し、見ていて飽きない。

それにしても物凄い集中力で、一気に聞かせるのはピアノだけではない。シャニと言う指揮者は、彼自身もピアニストであり、そして指揮者としてもオーケストラから常に前向きな表情を引き出すことに長けているように見える。あっとする間に終わってしまった第1楽章に続き、長い第2楽章の、次々と展開する変奏の面白さは見事なもので、ちょっとピアノの音がオーケストラに消されているかと思うこともなくはなかったが、これはこれで興奮の中に会場が包まれてゆく。

第3楽章に入ってコーダへ向かって一気に突進するあたりは、もうどこを見てよいのかわからないほどだった。私の席は2階席最前列少し左手というベストな場所で、丸でテレビカメラが設置されるような角度で、手の動きがわかる。このミューザ川崎シンフォニーホールというところは1階席が小さく、2階席が舞台とても近いので、そのアドバンテージを私は最大限楽しむことになったと言える。

月曜日のコンサートというのも、最近は珍しい。私はここのところ、来日するオーケストラというのをほとんど聞かなくなっている。我が国の演奏団体の水準が、海外に引けを取らない水準に達しているので、わざわざ高いチケット代を払う必要はないとさえ感じているからである。しかし、ごくたまに(数年に1回くらい)は、まだ聞いたことのないオーケストラが魅力的な指揮者とともに来日し、その演目が魅力的に思えた時にだけ、私はチケットを買うことにしている。今回のロッテルダム・フィルがまさにそうであった。私のスケジュールも空いており、そしてソリスト、指揮者とも申し分ない。そして何と、1週間前にもかかわらずそのチケットは大量に売れ残っており、直前だということで割引までされているではないか!

これは私にとって偶然の贈り物だった。前半のアンコールではピアノに譜面台が設置され、その前に椅子が2席設けられるという事態が発生した。ブルース・リウと指揮者のシャニが並んで座り、何とブラームスのハンガー舞曲第5番を連弾したのである。これは余興というにはあまりに贅沢なもので、ピタリと合った息遣いから共感の妙を発する至高の時間だった。前半のプログラムの興奮を冷ましたく、久しぶりにワインなどを飲んだが、これは水のようにあっさりとドライだった。

最後のプログラム、ブラームスの交響曲第4番は、私が期待していた通り大いに好感の持てるものだった。まず音色が重くない。ブラームスというと重厚なドイツの響きを期待する向きが多いが、私はむしろこのようなスッキリ系が好みである。これはおそらく古楽器的奏法が影響しているのではないかと思う。聞いた席が素晴らしかったからかも知れないが、オーケストラの各楽器とそのバランスの妙が手に取るように感じられる。イスラエルの若い指揮者となると、どことなく強権的な自信家を想像するが、シャニはそういうところがなく、むしろオーケストラの自主性を尊重しその実力を引き出すことに成功しているように見えた。少し不安定だったのは第1楽章だけで、尻上がりに調和が進み、第2楽章がこれほど共感を持って聞こえたことはなく(私の少ない実演での経験上に過ぎないのだが)、第3楽章でそれは頂点に達した。

第4楽章に入ると、中間部の個性的な木管のソロも言うまでもなく圧巻のコーダまでの間は、フレッシュなブラームスを堪能する10分間だった。この曲を実演で聞くのは、これまでそれほど多くはなかったが、間違いなく私の経験上ベストであったと言えるだろう。このような熱演のとに、2曲ものアンコールが演奏されたのは、来日オーケストラならではの特典だった。いずれもメンデルスゾーンの珠玉のピアノ曲集「無言歌集」を指揮者自らが管弦楽曲にアレンジしたものと思われる。「ヴェネツィアの舟歌」そして「紡ぎ歌」。オーケストラは拍手に応えて何度も会場に振り向き、鳴りやまない拍手に応えて指揮者は何度も舞台に現れた。

川崎には安くて美味しい居酒屋が多い。まだ月曜日だというのに多くに店が遅くまで開いている。私もそのうちの1件に入り、ビールと焼鳥ををつまんだ。こういうことが手軽にできるのが、日本のコンサートのいいところである。梅雨空が続く鬱陶しい東京で、長い夏が始まろうとしている。

2025年6月9日月曜日

第2039回NHK交響楽団定期公演(2025年6月8日NHKホール、フアンホ・メナ指揮)

背筋がゾクゾクとする演奏だった。2010年の第16回ショパン国際ピアノコンクールの覇者、ユリアンナ・アヴデーエワがラフマニノフの「パガニーニの主題による狂詩曲」の有名な第18変奏を弾き始めた時、それはさりげなく、さらりと、しかしスーパーなテクニックを持ってこのメロディーが流れてきたからだ。丸でショパンのようだ、と思った。こんなに流麗に、モダンに、そして確信に満ちた演奏に出会えたのが嬉しくてたまらなかった。

この日のコンサートの指揮者は、当初予定されていたウラディーミル・フェドセーエフから、バスク人のフアンホ・メナに変更されていた。フェドセーエフだったらこんなに職人的に、そして献身的なサポートだったかどうかはわからない。しかしメナという指揮者は、最初のプログラムであるリムスキー=コルサコフの歌劇「5月の夜」序曲の時から、細かい表情まで丁寧に音楽づくりをする人だと感心した。

3階席最前列ながら私の席は端から5つ目で、オーケストラからそれなりに近いのだが、ピアノの細かい表情までは感じ取ることができない。音はストレートに響いてはくるが、会場が大きすぎて発散してしまう。それでもアヴデーエワの鮮やかな技巧と、そこから放出されるエネルギーに圧倒されながら、次々と進む変奏が面白くてたまらない。この曲を聞くのは何度目かだが、間違いなく今回の演奏は圧巻だった。

大喝采の聴衆に応えたアンコールは、同じラフマニノフの「6つの楽興の時」作品16 から第4番「プレスト」ホ短調という作品だった。これも大変な難曲だと思ったが、さらりとやってしまうテクニックに唖然とするうち、終わってしまった。今年は5年毎に開かれるショパンコンクールの年である。来シーズンのN響では12月のC定期で、その優勝者との共演が予定されている(もっとも第1位がいなかったらどうなるのだろう?)。

今日のコンサートは当日券の発売がなかったことを考えると、チケットが売り切れだったのかも知れない。それはフェドセーエフが「悲愴」を指揮する予定だったからであろう。フェドセーエフの「悲愴」と言えば、80年代の頃、日本のメーカーによってモスクワでデジタル録音されたLPレコードが売り出された時、私もその演奏に接したひとりである。彼は丁度売り出し中の頃であった。その演奏は、当時の定番とされていたカラヤンなどに少々辟易しかけていた頃、錚々たる同曲のレコードの中に堂々とランクインするもので、新鮮さと録音の良さが印象に残るものだった。

あれから40年ほどがたち、フェドセーエフも90歳を超えた。それで現役を続けていることも驚きなので、今回の来日が本当に実現するか、実際のところ不安だった。だがその不安は的中した。意外だったのはB定期にも登場するメナが代役となったことだ。このことで、来場しなかった客も一定数いたのではないかと思われる。プログラムを変更せず、ロシア物で固めるという今回の演奏が、果たして良いものかどうか。だがそれは杞憂だった。

私は初めて聞くメナという指揮者は何歳なのか、プログラムに記載はないので詳しいことはわからない。だが彼の演奏するチャイコフスキーの「悲愴」は、冒頭の重々しいファゴットのメロディーから印象的な音色の連続で、そうか、「悲愴」とはこういう曲だったのか、と改めて感じる結果となった。毎年数多くの演奏会で取り上げられ(とりわけ梅雨のシーズンにはなぜか多いような気がする)、少し食傷気味な「悲愴交響曲」を、私は過去に6回聞いている(その中で思い出に残っているのは2回だけ=ノイマン指揮チェコ・フィルと小澤征爾指揮ボストン響だけれども)。

とりわけ第4楽章の見事さについては、特筆すべきだったと言える。この楽章にこそ重心が置かれ、クライマックスにおける絶望と、ついには諦観へと至る心象的な移り変わりを、これほど見事に感じたことはない。最後の消え入るようなコントラバスの一音までもが、広いホールでも手に取るように感じられた。この作品はまぎれもなくチャイコフスキーのひとつの到達点を示す作品だと思った。

会場はすぐに大きな歓声と拍手に包まれ、オーケストラが去っても拍手が鳴りやまない光景となった。N響の定期も今シーズンはあと2回のみ。来週はメナがブルックナーの交響曲第6番を指揮する。私はチェリビダッケの指揮するこの曲のビデオを見て、ブルックナーの音楽に目覚めた記憶がある。メナはそのチェリビダッケの弟子だから、この演奏を逃すのは惜しい。だがサントリー・ホールのチケットはただでさえ入手困難であり、しかも私は東京を離れることになっているから、この演奏を聞くことができない。後日テレビで見るしかないが、何かいいコンサートになるような予感がする。

2025年5月26日月曜日

チャイコフスキー:交響曲第4番ヘ短調作品36(エフゲニー・ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団)

まだ土曜日が休日でなかったころ、私は中学校から帰ってきて昼食を済ませたあとのほんのひととき、NHK-FM放送で我が国のオーケストラの定期演奏会を録音したものを放送する1時間の番組を聞くことが多かった。他に聞きたい放送があるわけでもなく、私は習い事に出かけなければいかねい憂鬱な気分と、週末を迎えた幸福感が入り混じる複雑な心境の中で、この番組に耳を傾けていた。

すると決まって睡魔が襲ってくるので、その日も少し眠っていたような気がする。そしてしばらく気持ちよい睡眠を謳歌している最中、急に耳をつんざくようなトゥッティが爆発音のように聞こえてきた。これが私のチャイコフスキーとの出会いだった。迫力のある音楽は10分足らずの間中ずっと鳴り響き、瀑布のように雪崩落ちるアレグロが何度も押し寄せ、コーダはこれでもか、これでもかと狂気のように幕を閉じた。アナウンスによれば、その曲はチャイコフスキーの交響曲第4番ということだった。私は嬉しくなり、チャイコフスキーの音楽が一気に好みとなった。

チャイコフスキーには、初めて聞くものを虜にさせるようなメロディーを思いつく天才のようなところがある。すべての曲がそうではないのだが、一度聞いたら忘れられない音楽に、しばしば出会う。ピアノ協奏曲第1番、ヴァイオリン協奏曲、弦楽セレナーデ、バレエ音楽と数えたらきりがない。そして交響曲の分野では、この第4番から第6番「悲愴」まで名旋律の宝庫と言っていいのではないだろうか。

交響曲第4番は、力強い金管楽器が大活躍する。「運命のファンファーレ」と呼ばれる冒頭は、憂鬱だがそれを越えて激しく痛々しい。私はこの部分があまりに激しいので、時に不快なくらいに苦痛でさえある。そしてそのファンファーレは終楽章でも回帰されるのだから、たまったものではない。私はこの作品をさほど楽しい作品だとは思えない。

だが、そうかと思うと美しい抒情的なメロディーが顔を出し、哀愁を帯びたチャイコフスキー特有の感傷が琴線に触れる瞬間もないわけではない。長い第1楽章においてでさえ、それは現れる。そして第2楽章は木管の寂しげなメロディーが切なく、何と言おうか、痛さをこらえていると時に訪れる安らぎの時間のような、不安をかかえながらも痛みは緩和し、辛うじて凌いでいるような安心を覚える。ちょっと分裂気味な気分にさせられるこの曲は、あまりに実際的な気分をのようでもあり、そういうわけでちょっと生々しいのである。

変わっているのは第3楽章。このスケルツォは、管楽器とピチカートによる弦楽器のみで演奏される短い曲である。集中力を伴って高速で演奏される。苦痛が取り払われて安寧の時間が過ぎ、戸惑いの中で短い時間が過ぎてゆく。音楽が一瞬止まったかと思うと、一気に大迫力の全奏が会場に鳴り響く。このお祭り騒ぎのような音楽もどこか神経症的である。演奏によっては扇動的で、落ち着きがなく、かといって楽しい感じもしない。

「運命を乗り越えて歓喜に至る」というのはベートーヴェン以来続く交響曲の伝統的モチーフだが、チャイコフスキーの音楽はもはやそれが観念的なものではなく、病気の苦痛のようにあまりにリアルに響く。であれば、そんな単純に運命が克服できるわでもなく、葛藤はしばしばぶり返し、何かわけがわからないまま、気が付いたら少しはましになっていた、というのが実際の闘病ではないだろうか。ただその現実を見せつけられるような気がして、スッキリと楽しめなくても良いとするのは、芸術性が勝っているからだと思うことにしよう。

というわけで、私はこの曲を定番のエフゲニー・ムラヴィンスキーが指揮するレニングラード・フィルの演奏で聞いている。この演奏はスゴイ。最近何でも「凄い」といって感想を述べるのが流行っているが、この形容詞はこのような演奏にこそ使ってみたい。冒頭からコーダに至るまで、全くを隙を見せず一直線に突き進む。それは圧巻で、ソビエトの演奏家がまるで西側にミサイルでも打ち込むように、冷徹な完璧さで聴く者を圧倒する。

1960年にウィーンを訪れたソビエト屈指の演奏家が、西側のレコード会社にスタジオ録音を敢行したことが、雪解け時代の奇跡のひとつだったのかも知れない。この時、まだ共産主義は後年ほど廃れておらず、西側と拮抗する力を持っていた。演奏自体もそういうパワーを見せつけられているようなところがあり、それがいっそ曲のモチーフを強調しているようなところがある。第5番、第6番「悲愴」とともにすべてが記念碑的名演であることは言うまでもないが、決して自意識過剰なところはなく、ロシア音楽の神髄を音楽的に表現している。

私は大学受験が終わって、入試会場からの帰り道、当時まだ発売されたばかりのコンパクト・ディスクを記念に買おうと思って大阪ミナミの繁華街を歩いていた。心斎橋筋商店街に小さなレコード屋を発見して入ってみたが、ただでさえ少ないクラシックのコーナーに、わずか数枚のCDが売られているのみであった。1986年のこの当時、1枚の値段は3500円した。しかも輸入品ばかり。私は当時発売されたばかりにカラヤンの「英雄の生涯」を買うと決めていたが、このCDは残念ながら発見できなかった。代わりに見つけたのが、同じカラヤンがウィーン・フィルを指揮したチャイコフスキーの交響曲第4番だった。

私はそのCDを買って持ち帰り、買ったばかりのCDプレイヤーに乗せてかけてみた。晩年のカラヤンは、往年のオーラを放つ統制力が低下し、ややヒステリックな演奏に聞こえた。試験の出来はあまり芳しくなかった。合格発表までの数日間は、放心した気分であった。そして長い受験勉強の苦痛と、それが過ぎても気持ちが直ちには変わらない不思議な感覚でこの曲を聞いていた。妙にしっくりくるものがあった。もしかすると憔悴しきったチャイコフスキーが、ヴェニスでこの曲の作曲に取り組んだ時も、これとよく似た心境だったのかも知れない。

2025年4月30日水曜日

NHK交響楽団第2036回定期公演(2025年4月27日NHKホール、ファビオ・ルイージ指揮)

N響は来る5月、オランダのアムステルダムで開かれる「マーラー・フェスティヴァル2025」に、アジアのオーケストラとして初めて登場し、首席指揮者ファビオ・ルイージの下交響曲第3番と第4番を演奏するらしい。これは画期的なことだと思われるが、その公演に先立ち5月の定期公演では、同じプログラムが演奏される。今回出かけたA定期では、交響曲第3番が取り上げられた。

交響曲史上おそらくもっとも長大なこの作品は、普通に演奏しても100分に達する大曲である。女声合唱、少年合唱、それにアルトの歌手も必要とする。このたびの独唱はロシア人のオレシア・ペトロヴァで、彼女はこれまでたびたびN響とも共演しているようだが、私は初めて聞く。一方、合ペトロヴァ唱団はオランダでは地元の団体を起用するようだが、今公演では東京オペラ・シンガーズとNHK東京児童合唱団が受け持った。広い舞台に何段にも設えられた合唱席が高らかと並び、大規模なオーケストラを含め壮観である。

3800人も収容するNHKホールは、紅白歌合戦を開催するために設計されたため、クラシック音楽のコンサート会場としては広すぎて音響が悪いことで有名である。でもこのような大規模な作品では、このくらいの広さを必要とするのだろうか。そして2日ある両公演ともチケット完売というのも珍しい。3階席の隅にまで誰か座っている。その私も3階席の脇の最前列である。ここからだとグラスがないと表情を見分けることは難しい。

マーラーの交響曲第3番は、3つある「角笛交響曲」の真ん中の作品だが、長い曲にもかかわらず静かで精緻な部分が大半を占め、集中力を絶やさず演奏することは並大抵のことではあるまい。コーラスが歌うのは第5楽章に限られるので、最初から登場すると待ち時間が長いし、途中で退場すると緊張感が失われる(本公演では第1楽章の後に合唱が、第2楽章のあとにソリストが登場し、第5楽章を歌い終わった時点で着席した)。

さてその演奏だが、私の数少ないこの曲の経験(たった3回)の中ではベストであり、おそらくこの演奏を上回るものに今後出会う事はないと思われた。気合の入った演奏は、第1楽章冒頭からの、異様にも感じられる凝縮度を見ればよくわかるくらいで、ルイージも緊張を隠せないくらい。大きな身振りでグイグイとひっぱってゆく。そのことが、ちょっと演奏に堅苦しさを与えたと思う。もう少し余裕があるととは思ったが、それも30分にも及ぶ第1楽章では、そこそこ大きな音も鳴って聞きごたえがあるし、客席もまだ体力があるので、胸に熱いものを心に感じつつこれから始まる長い旅への期待を膨らませる。

それにしても今回の聴衆は、とても思い入れが強い人たちが大挙して押し寄せているように見えたし、オーケストラも首席奏者揃い踏みの布陣である。8本のホルンが冒頭で奏でるユニゾンもまるで単一の楽器のように見事で、それに続く2つのティンパニ、3つのシンバルもピタリと揃っていた。

長い第1楽章が終わっただけで相当疲れたが、まだ音楽はそのあと1時間以上続く。第2楽章と第3楽章はいわゆるスケルツォ風だが、ここの聞き所は満載である。だからまだ緊張感は抜けない。特に第3楽章にはあの長いポストホルンの独奏がある。私はここの部分に入った時、その奏者がどこにいるのかを、何度も何度も目を皿のようにして探したが見当たらない。あとでわかったのだが、奏者は舞台裏にいたようだ。だがその音色はまるで舞台前面で演奏しているかのように朗々と会場にこだまし、見事というほかないものだった。

長大な第1楽章といい、精緻を極める中間楽章といい、CDなどで落ち着いて聞くことになれすぎていると、ミスなく演奏して当然と思ってしまう。このような長い曲ほど、実演に接する機会が少ないので、つい完璧に演奏されてしかるべきなどと思ってしまうが、それはとんでもない間違いで、実際には音楽は一期一会の芸術である。客席と演奏者が一体となって作り上げる時間の連続が、最高にエキサイティングであり、またいとおしくもある。

第4楽章のペトロヴァの声が聞こえてきたとき、低く垂れこめた雲の合間から光が差すような瞬間に身震いを覚えたのは私だけだっただろうか。マーラーの曲ではしばしば化学変化が生じ、ある瞬間から会場全体が一種の神がかり的モードに入ることがある。今日の演奏会の場合、このあたりだったと思う。ここから先、特に終楽章の見事な弦のアンサンブルをまるで雷に打たれたように聞き入ったのは、私だけではない。徐々に築かれるクライマックス、長い長い道のりのあとに到達する愛の賛歌。だが第3番は第2番と違ってただ熱演をすればいいだけの曲ではない。

聞かせ所のうまい指揮者がオーケストラとがっぷり四つに組んで、最高の聴衆を得たときにのみ実現され得る音楽の奇跡が、あったと思う。もっと頻繁にコンサートにでかける余裕があれば、あるいはもっと完成度を上げた演奏に出会える可能性はあるかも知れない。だが、私に許された制限の中では、この曲のベストだと思うことにしようと思う。5月11日のコンセルトヘボウでの演奏会は、現地でビデオ収録される予定だそうで、NHKで後日放送されるだろう。その時に今回の演奏を思い出しながら、よりこなれた演奏(になっていることを期待する)に酔いたいと思う。

とにかくN響の持てる力が十二分に発揮された演奏会だった。演奏が終わっても指揮者がタクトを下ろし終えるまで音を立てる者はいなかった。そしてあふれ出すように始まった拍手とブラボーが、これほどにまで大きかったことを私は知らない。満員御礼のNHKホールをあとにして、新緑の眩しい代々木公園でやさしい風に吹かれながら、いくつかのフレーズを思い起こしていた。これはこの作曲家の「初夏」の音楽である。

2025年4月28日月曜日

ヴェルディ:歌劇「仮面舞踏会」(2025年4月26日サントリーホール、広上淳一指揮)

流れるように綺麗なメロディーと、情熱に溢れる歌声、そして息をつかせないほど緊張感に満ちた舞台。三位一体となったヴェルディ中期の大作「仮面舞踏会」をサントリーホールで見た。セミ・ステージ形式とされた舞台は、いわゆる演奏会形式ともまた違ってしっかり演出がされており、衣装や舞台道具、それに照明までついて本番さながらの演技力が要求される。それは時に民衆の、時に暗殺集団の声を表現する合唱団にも言える。

いわゆる歌劇場と異なるのは、舞台の真ん中にオーケストラと指揮者がいることだ。舞台はサントリーホールの構造を生かしてオーケストラをぐるりと囲んでいる。合唱団はオルガン前のP席に黒い幕を覆って客席の一部であることを上手に隠し、オルガン前にもずらりと金管の別動隊が並ぶ。その数、20名余り。

指揮者の広上淳一は、音楽の自然な流れをとても重視し、その中から音楽的なバランスを極めて上手く引き出す指揮者だ。それは職人的と言っていいほどで、その音楽がマーラーであれモーツァルトであれ、音符の長さを十分に表現し、強弱をつけて生理的にもっともしっくりくる位置に定めることができる。その広上がヴェルディを振るときいたとき、歌手をさしおいてこれは「買い」だと思った。発売日にチケットを買うのは、私にとっては異例のことだ。カレンダーに丸印をつけ、大型連休が始まるので他の予定を誤って入れぬよう細心の注意を払った。もちろん体調を整えることも。

前奏曲の簡潔にして表情豊かな音楽が聞こえてきたとき、やはり今回は並々ならぬ力がこもっていると感じた。最大音量のアンサンブルでも乱れることはなく、枠役の歌唱を含め、そのバランスが理想的に文句のつけようがなく美しいことは言うまでもない。東京に数多くのオーケストラがあって、評判の指揮者が多くのコンサートを開いているが、広上の指揮する日フィルの音はその中でも一頭上をいっていると確信している。それを実現させているのが、あのひょうきんとも言えるような指揮姿だが、決して笑いを取るためのものではなく、理想的な音楽表現を体現するためにあのような姿になるのだろう。

それは歌唱を伴った場合でも同じである。だが今回の部隊、その歌手陣の見事さたるや、何と言っていいのだろうか、一点の非の打ちどころもないくらいの高水準で、誰から記載していいのかもわからない。登場順で行けば、ヴェルディの作品としては異例の小姓役である森田真央(オスカル)の、よく動き回る役作りに感心したし(もう少し印象的な衣装をつけていても良かった)、登場するのが前半に偏っている謎の占い師を演じたメゾ・ソプラノの福原寿美枝(ウルリカ)には、地の底から燃え上がるようなおどろおどろしい歌声が会場にこだまし、この歌声で是非ともアズチェーナ(「イル・トロヴァトーレ」)を聞いてみたいと思った。

総督の友人にして忠実な部下であるレナート役を歌った池内響は、実直でスマートな印象をもたらすもので、痩せて高身長な容姿も含めピタリとはまっている。ヴェルディがもっとも力を注いだのは言うまでもなくバリトンで、その役柄としてこの上なく素晴らしいのだが、サントリーホールは響きが良すぎて残響が大きいのが、この場合難しいところだ。だがこんな贅沢な悩みを語るのはよそう。

さて、「仮面舞踏会」の二人の主役、すなわちアメーリアの中村理恵とリッカルドの宮里直樹について語る時が来た。これほどにまで理想的で素晴らしいヴェルディの歌声を聞いたことはない。特に宮里のテノールは終始圧倒的な存在感を示し、この舞台の主役として文句のつけようがないくらいである。やや小太りなのに声は高い、という容姿の適合感もさることながら、その高貴な歌声は、パヴァロッティのようないわゆるベルカントオペラのそれではない。一方、中村理恵は世界中のオペラハウスで活躍する我が国を代表するディーヴァだが、アメーリアの役でも「愛の二重唱」に力点を置いて葛藤に満ちた女性心理を歌い上げた。

どの重唱が、どのアリアが、などと言うのではなく、次から次へとつながれてゆく力量に満ちた音楽は、集団テロという陰惨な企みを扱ったストーリーとは違って歌、また歌の醍醐味を味わわせてくれる。だから深刻になることはないばかりか、極上の娯楽作品のようですらある。さりとて滑稽すぎるわけでも、陰鬱なものでもない。ヴェルディの作品は、総じて極めて常識的なのでそこがいいところ。こういう作品が30もある。

私は中期と後期の作品を中心に、多くを最低1回は舞台で見てきた。体調が悪くて昨年「マクベス」を聞き逃したのは惜しかったし、「運命の力」と「ドン・カルロ」はまだなのだが、こういった作品も是非取り上げて欲しいと思う。

セミ・ステージ形式(演出:高島勲)というのが、新しいオペラの表現形態として十分に成立することを示している。登場するのが全員日本人であるというのも悪くない。外国から有名歌手を招聘するとコストがかかるし、練習にも制約ができる。そうでなくても我が国の歌手は、これらの外国勢に隠れて、実力ある人でも主役を歌う機会に恵まれない。だから、こういう企画は大いに称賛されるべきだし、チケット代が下がることで真の音楽好き、オペラ好きが気軽に楽しめるようになればと思う。

次第に高潮して行く舞台に引き込まれ、途中からブラボーの嵐が飛び交ったのは当然だった。広上はその時その時で指揮をストップし、客席と一緒に拍手を送る。オーボエやチェロがソロを担当するシーンでは、そこに照明が当たるのも面白い。普段はピットに隠れてオーケストラを意識することがない(ようになっている)。普段はほとんどオペラを演奏しない日フィルも、舞台で思いっきりヴェルディ節を奏でるのが楽しそうに見えたし、それに何と言っても広上の陽性な指揮と一体となった舞台が、まるで歌舞伎をみるかのように楽しく、字幕を含めどこに視線を送ればいいのか大忙しだった。合唱も良かったが、何と言っても舞台に隠れていたヴェルディの音楽が、ヴェールを脱いで間の前に溢れたことが新鮮だった。

興奮冷めやらぬ聴衆からは惜しみない拍手が続き、出演者も会心の出来だったと見えて長く舞台でカーテンコールに応えていたのが印象的だった。

2025年4月16日水曜日

NHK交響楽団第2034回定期公演(2025年4月13日NHKホール、パーヴォ・ヤルヴィ指揮)

2022年までN響の音楽監督を務めたパーヴォ・ヤルヴィが、久しぶりにN響の定期に出演する。5月の海外公演を控え、今月の定期は2回(A定期とB定期)のみで、このうちB定期は予定があって行けないから、行くとしたらA定期だと思っていた。演目は前半がベルリオーズの「イタリアのハロルド」、後半がプロコフィエフの交響曲第4番という贅沢なもの。どちらもヤルヴィの歯切れの良さとリズム感のセンスが光る名演になると予想された。

ベルリオーズの好きな私は、いまだに「イタリアのハロルド」を実演で聞いたことがなかったので、いつか、と思っていた。この曲はヴィオラ付き交響曲という珍しいもので、当然のことながら優秀なヴィオラ奏者を必要とする。我が国には今井信子という世界的に有名なヴィオラ奏者がいるが、私はいままで接する機会を持てないでいる。このたび招聘されたのは、アントワーヌ・タメスティというパリ生まれの奏者で、「ソロ、アンサンブルの領域を自在に行き来する現代最高峰のヴィオリスト」とプロフィールに書かれている。

チューニングが終わって指揮者が舞台に登場し、タクトを振り下ろしたときに、ソリストがまだいない。あれ、と思ったのもつかの間、舞台左袖からそろりそろりと登場したタメスティは、ゆったりとした序奏のあいだに何とハープ奏者のそばに行くではないか!最初のハープとの重奏が、なんと室内楽のような趣で演奏されたのには驚いた。以降、独奏者はオーケストラの間を行ったり来たり、指揮者の横に居続けることはなかった。

N響の見事なアンサンブルは、ヤルヴィの指揮によくマッチし、まさにベルリオーズの音を奏でていた。ときおり見せる幸福で歌のあるメロディーは、ややくすんだヴィオラとオーケストラに溶け合って幸福感に満ち溢れ、どちらかというと高音中心の軽い旋律は、何となく春の季節に相応しい。ここの第1楽章は、ベルリオーズの真骨頂のひとつだと思う。

一方第3楽章の躍動感あるリズムは、この曲最大の聞きどころのひとつだが、2つのタンバリンの連打と太鼓が織りなす独特のリズムは、聞いているものを何と楽しい気分にさせることか。不思議なことに胸が熱くなり、涙さえも禁じ得ない美しさが進む。ヤルヴィに率いられたN響のアンサンブルの面目躍如たる名演だと思った。

ヴィオラは終楽章で一時退場し、再び登場した時には第一ヴァイオリン最後列の二人と競演。そういった見事な演出を繰り広げながら終演を迎えた時、満席に近い会場から盛大なブラボーが乱れ飛ぶ事態となった。コンサート前半でこれだけの拍手と歓声が起こるのは、私の400回に及ぶコンサート経験(そう、今回は丁度400回目だ)でも初めてではないかと思う。

地味であまり目立つことはないヴィオラという楽器の魅力を十二分に発揮して見せたタメスティは、バッハの無伴奏チェロ組曲第1番をヴィオラ用にアレンジした一曲を披露。さらにはオーケストラのヴィオラ・パートのみを起立させたことは、この楽器に対する愛情の現れとして思い出に残るだろう。

後半はプロコフィエフの交響曲第4番だった。この曲はボストン交響楽団の創立50周年記念のために作曲されたが、初演は成功せず後年大改訂を施した。本日演奏されたのは、その改訂版での演奏である。プロコフィエフは日本を経由してアメリカに亡命し、さらにパリで生活したことは有名だが、この作品はパリで作曲され、その後ソビエトに帰国して改訂された、ということになる。

演奏はN響の機能美が満開で、ヤルヴィのきびきびしたタクトのもと、オーケストラのアンサンブルの見事さが光った大名演だった。第1楽章の行進曲風のリズムは、大オーケストラが高速で突き進むさまを楽しむことができる。この演奏が始まる前、指揮者の正面にピアノが置かれ、そういうことのためかオーケストラはいつもより前面に位置している。このため3階席最前列の私の位置にもオーケストラの音は十分に伝わって来る。

ヤルヴィは翌週のB定期にも登場し、ストラヴィンスキーやブリテンの魅力的な作品を演奏する。これはまた聞きものだが、私は約40年ぶりに韓国・慶州への旅行に出かける予定である。4月にはもう一度C定期があって、これはルイージがヨーロッパ公演で取り上げる曲を演奏するらしい。マーラー・フェスティヴァルにアジア初のオーケストラとして登場し、交響曲第3番と第4番を披露するらしい。私は今回、シーズン・チケットを買ったため、このうちの第3番の演奏会に行くことになっている。今から楽しみである。

2025年4月15日火曜日

東京春祭オーケストラ演奏会(2025年4月12日東京文化会館、リッカルド・ムーティ指揮)

2005年「東京のオペラの森」として始まった音楽祭は、今年でもう21周年を迎えたことになる。2010年からは「東京・春・音楽祭」として、丁度桜の咲く3月から4月にかけての上野公園一帯で繰り広げられる音楽祭として規模も拡大し、今ではすっかり春の風物詩となった。

私は2014年から4年かけて行われた「ニーベルングの指環」の演奏会を鑑賞したのをはじめ、今年までほぼ毎年、何らかのコンサートに出かけてきた。最初は小澤征爾を中心に、新作オペラを上演するというのが恒例だったが、2006年(たった2年目)からはリッカルド・ムーティも登場し、その後毎年のように何らかのコンサートを指揮するようになった。今彼が指揮するオーケストラは、専ら若手を中心に特別編成された東京春祭オーケストラで、海外の劇場とのコラボレーションや教育的なプログラムなど、様々な企画が始まり、その他にも多彩な顔ぶれと普段は聞けない珍しい室内楽曲など、意欲的で興味深い日々が続く。

今年の管弦楽のコンサートのトリを飾るのが、リッカルド・ムーティが指揮するイタリア・オペラの序曲・間奏曲などを集めたプログラムであることを知った時、私は即座にチケット購入を決意、妻と二人で出かけることにした。何と言っても御年84歳にもなるムーティが、(それでも彼は毎年何回か来日しているようだが)なお現役の指揮者として意欲的な演奏を繰り広げているのを観たいと思ったし、いまや巨匠とも言えるような指揮者は、ティーレマンを除けば彼が最後ではないか、などと考えたからに他ならない。

ムーティを聞くのはこれが3回目(正確には4回目)である。最初は1990年、旅行先のニューヨークでのことだった。この頃ムーティは、オーマンディの後を継いでフィラデルフィア管弦楽団のシェフを務めており、ニューヨークへもたびたび訪れて定期的な演奏会をしていた。この時聞いたのはベルリオーズの「夏の夜」(独唱:バーバラ・ヘンドリックス)とスクリャービンの交響曲第3番「法悦の詩」だった。1階のオーケストラ席真正面で聞いた演奏は大変見ごたえがあったが、当時の私にとっては馴染みの曲ではなく、あまり印象は残っていない。

その後ムーティの指揮する極めつけの2つのオペラ(「ナブッコ」と「シモン・ボッカネグラ」、いずれもローマ歌劇場の来日公演)を大枚を払って立て続けに見て、もうこれ以上のものはない、と思って遠ざかっていた。その間にアバドや小澤征爾が亡くなり、メータやバレンボイムも活躍を聞かなくなった。私がクラシック音楽を聞き始めた頃、まだ若手だった指揮者が次々と姿を消してゆく中で、ただ一人まだ精力的に活躍を続けているのがムーティである。今年のウィーン・フィルのニューイヤーコンサートは、ムーティの指揮だったことは記憶に新しい。

けれどもこのムーティのニューイヤーコンサートは、私を少々がっかりさせた。ウィーン・フィルの響きがいつもとは違って精彩を欠いていたからだ。録音の方はそう思えず、これはテレビのライブ中継を見た時の感想である。もしかしたらムーティも、高齢による衰えを隠し切れなくなったのだろうか。だとしたら私は今回の来日コンサートで、もはや精彩を欠いた彼の指揮姿を見ることになるのだろうか?まあそれはそれで、記念になると思いつつ当日を楽しみにしていた。

だが指揮台に現れたムーティは、足取りも軽やかで指揮姿も勇みよく、確かにかつての若々しさはないものの、なかなか切れのある音楽を作るではないか。この若手中心のにわか作りのオーケストラを、短期間のうちに手中に収め、歯切れのよいリズムと旋律がくっきりと浮かび上がるカンタービレに特徴付けられた往年の音作りは、まさにムーティの真骨頂であり、誤解を恐れずに言えば、正真正銘のイタリア流であった。

ムーティはまず「ナブッコ」序曲(ヴェルディ)で期待を膨らませたあと、「カヴァレリア・ルスティカーナ」間奏曲(マスカーニ)のうっとりするようなメロディーを、実際幕間に聞こえる間奏曲らしく演奏した。前半のプログラムで私が最も感動したのは、「道化師」間奏曲(レオンカヴァッロ)だ。「カヴァレリア・ルスティカーナ」と合わせて上演される2つのヴェリズモ・オペラのうち、「カヴァレリア」の方が親しみやすく音楽もきれいだが、「道化師」の方がやや複雑な心情を表現しており、音楽的充実度が高い。イタリア・オペラの神髄ともいうべき人生の宿命と儚さを、簡潔かつ雄弁に表現している。

ムーティはこのあと、「フェドーラ」間奏曲(ジョルダーノ)、「マノン・レスコー」間奏曲(プッチーニ)と続けて演奏し、これらはいずれも実際の劇中で演奏されると極めて印象深いが、このように間奏曲のみ立て続けに演奏されるとやや単調になる。けれどもこれは贅沢な悩みでしかない。思えばムーティのプッチーニなどどいうのも珍しい。

前半最後を飾るのは「運命の力」序曲(ヴェルディ)で、これは十八番中の十八番。確かフィラデルフィア管弦楽団との来日の際にもアンコールで演奏された記憶がある。トスカニーニ張りの緊張感を保ち、音の強弱を際立たせながら、流れるようなメロディーとたたみかけるようなリズムは健在だ。そういうわけで満員の客席からは前半からブラボーも飛び交うこととなった。

今回の客席には高齢者が目立ち、足どりも重い人が多い。にもかかわらず東京文化会館というところは、トイレに行くにも階段を上り下りしなくてはならず、しかも狭い。傘立てもなく客席は狭いが、音響は悪くない。

後半のプログラムは2つ。まず、カタラーニの「コンテンプラツィオーネ」というめずらしい曲。この曲を聞くのは勿論初めてだったが、わずか10分余りの長さながら、やはりそこにはレガートで音と音がなめらかにつながれてゆくさまを味わうことができる。なお、コンサートマスターはN響の郷古廉である。

もう後半最後になった。「ローマの松」(レズピーギ)である。オーケストラが最大に拡張され、3つの鍵盤楽器のほか両脇に金管楽器の別動部隊も配置された。クラシック音楽で最大の音量を誇るこの曲は、その圧倒的なコーダで有名だが、きらびやかな冒頭と夜の静けさを表現した中間部、それに朝もやにこだまする小鳥のさえずりなど、聞き所には事欠かない。ムーティはゆったりとしたテンポで味わい深く音を刻み、その印象は、これまで同曲を聞いた中では最高のものだった。

オーケストラは指揮に極めて忠実に対応した。コーダに向かって大団円を築く時、フォルティッシモになっても乱れない響きの綺麗さには圧倒された。イタリア音楽を演奏するとき、音というのがどのように重なり、繋がり、あるいは引き延ばされるべきか、何度も細かく練習したのだと思う。これはムーティにしかできないような職人技に思えた。拍手の大喝采、ブラボーの嵐が満員の会場にこだました。退場時に抱き合って喜ぶオーケストラのメンバーに惜しみない拍手が送られた。そしてムーティも、退場しかけたオーケストラの中に再び登場、花束を持って会場に手を振っていたのは印象的だった。

2025年4月12日土曜日

ヴィヴァルディ:ギター協奏曲集(g: アンヘル・ロメロ、アカデミー・オブ・セント・マーチン・イン・ザ・フィールズ)

社会人になってはじめてのボーナスで買ったスピーカーを、33年ぶりに買い替えた。長年聞いてきたONKYOのスピーカーは、ツイーターが壊れてノイズが乗り、コーン紙は破れて音が割れていた。その状態で20年以上我慢したのは、ひとえに部屋が狭かったり、子供が小さかったからだ。引越しを繰り返した若い頃は仕事に忙しく、そもそも音楽を家で聞く余裕はなかった。私の音楽体験は、月に一度程度の演奏会と、あとはイヤホンで聞く携帯音楽プレーヤーに限られていた。

昨年の春に息子の受験が終わり、家を出て行ったので、我が家にようやく自分の時間と空間が生まれた。そうだ、スピーカーを買おう。そう決心したのは涼しくなってきた秋の頃で、そうなると居ても立っても居られなくなり、家電量販店に赴いて試聴する時間も勿体ないので、評判の良さそうな代物をネット検索するうち、YAMAHAのトールボーイ型に目が留まったのだ。YAMAHAにしたのは、かつて聞いたいい音の体験が、ことごとくYAMAHAだったことに加え、舶来品はこのところの円安で、値段が高騰しているからだった。YAMAHAのスピーカーは、ピアノに使われる素材でできており、艶があって高級感を放ち、インテリアとしても抜群に思われた。3-wayというのも気に入ったし、これを機にスピーカー・コードも新調した。

新しいスピーカーで聞く音楽は、買わなくなって久しいCDに、再び耳を傾ける機会を与えてくれた。それまで聞いていたCDでは聞き取れなかった細微な音まで再生してくれるので、ごく小さな音量でも落ち着いたムードに浸ることができる。今まではある程度大きな音で聞かないと、音楽が楽しめなかった。このことは、演奏の好みに影響を与える事態となった。そして今日は、春爛漫の陽気の中、朝から何かを聞こうと思い、取り出したのがヴィヴァルディの協奏曲集である。

バロック時代の後期にヴェネツィアで生まれたヴィヴァルディは、600余りの協奏曲を作曲したことで有名で、このほかにも50を超えるオペラ、70を超える室内楽曲を作曲した大作曲家である。当時、音楽の都はまだウィーンではなくヴェネツィアだった。そのヴィヴァルディの、特にギターを独奏楽器とする協奏曲集が、私の手元にあった。ギターの名手アンヘル・ロメロが独奏をつとめる。もっとも収録されている7つの曲は、もともとはギターのための曲ではない。その収録曲をオリジナルを含めて記すと以下のようになる。

1. 協奏曲ト長調RV435(フルート協奏曲)
2. 協奏曲イ短調RV108(フルートと2つのヴァイオリンのための協奏曲)
3. 協奏曲ニ長調RV93(2つのヴァイオリンとリュートのための協奏曲)
4. トリオハ長調RV82(ヴァイオリンとリュートのためのトリオ・ソナタ)
5. 協奏曲ニ短調RV540(ヴィオラ・ダ・モーレとリュートのための協奏曲)
6. 協奏曲ト長調RV532(2つのマンドリンのための協奏曲)
7. 協奏曲ホ長調RV265(ヴァイオリン協奏曲)

ヴィヴァルディと言えば「四季」が突出して有名だが、たしかに我が国の入学式で演奏されるのが「四季」の「春」となっていて、桜の咲くシーズンのイメージにぴったりである。イタリアの春を旅行したことはないのだが、不思議なことにヴィヴァルディで聞くヴァイオリン協奏曲は、この時期の明るく霞がかかり、少し眠気も誘う物寂しい心境によくマッチしている。

日本人は古来、桜に人生の儚さを見出し、その心象風景は陽気一辺倒なものではなかった。「ひさかたの光のどけき春の日にしづ心なく花の散るらむ」(紀友則)というわけである。この心理にピタッとくるのが、膨大な数に上るヴィヴァルディの協奏曲、その緩徐楽章であると感じている。そのヴァイオリンのパートをギターで奏でると、さらにムードが増す。もともと音量が小さく繊細で、弦をはじいてもすぐに減衰する音波は、まさに儚い音楽の物理学的証明でもある。チェンバロもその類で、これによる通奏低音などが加わると、風景は「動」ではなく「静」となって目の前に現れる。

YAMAHA NS-F700

イタリアの春は、日本の春に似ているのだろうか?少なくとも四季がはっきりと分かれ、そのそれぞれに思いを巡らす伝統があるとすれば、このヨーロッパ文化の核を成していた国に大いに共感を抱くことになる。ともあれ、今朝は心地よいイタリアのバロックに耳を傾けた。このロメロのディスク、かなり久しぶりに聞いたが、アカデミー室内管弦楽団(と我が国では呼ばれる)の明瞭な伴奏が心地よく、あっという間に最後まで聞いてしまった。

実は今日、東京・春・音楽祭でリッカルド・ムーティの指揮するイタリアの管弦楽作品を聞く。そのための序奏として、この演奏は大いに気持ちを高揚させるものだった。桜の歌をもう一つ。「世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」(在原業平)。

2025年4月8日火曜日

ベートーヴェン:ミサ・ソレムニス(2025年3月6日東京文化会館、ヤノフスキ指揮)

CDなどのメディアで聞く時と、実演を聞く時とでは、同じ曲でも印象が随分異なることが多い。どちらがいいかは、一概に言えない。このたび私は、生まれて初めてベートーヴェンの大曲「ミサ・ソレムニス」を聞いた。一生に一度は生で聞いてみたいと思っていた曲だ。2020年、ベートーヴェン生誕250年の年にこの曲は演奏されるはずだった。ところがコロナ禍で多くのコンサートが中止を余儀なくされた。この曲を聞く機会は、いったん消えてしまった。あれから5年、ようやく再びその機会が訪れたのだ。

ベートーヴェンは「第九」の前に「ミサ・ソレムニス(荘厳ミサ)」を作曲した。この2つの大曲は並行して作曲が進められた。「第九」の方はほとんど人がメロディーを知っており(だって年末のスーパーマーケットに流れている)、一部の人は一節を原語で歌えるほどであるのに対し、「ミサ・ソレムニス」の方はまったくそういうところがない。何度聞いても、この曲を口ずさめるようにはならない。だが「ミサ・ソレムニス」は「第九」に比して劣る作品かというとそうではなく、むしろ秀でた作品とされている(それはベートーヴェン自身が言っていることだ)。

けれども「ミサ・ソレムニス」が演奏される機会は非常に少ない。4人のソリストと合唱団を揃えるのが大変で、コストに見合わない、というのは事実ではない。なぜなら同じ規模の「第九」は、それこそ(我が国では)年中演奏されているからだ(曲が難しいから練習が大変であるにもかかわらずチケットが売れない、ということはある)。おそらく音楽的な要素が両曲で異なり、ミサ曲にはそれに合わせた複雑な技法が駆使されている、と見るのが正しいのではないか。私は楽譜も読めないが、おそらくこの曲は歌うのもかなり難しい。第一、4人のソリストと合唱はほぼずっと歌っており、オーケストラも大変な力量を要するように思う。それを束ねる指揮者となれば、いわゆる素人の熱演では済まされない側面があるのだ。

巨匠が残した録音でも、これを80分にもわたって聞き続けるだけの集中力を維持するのは難しい。いっそ実演で聞くことができれば、その音楽の実際のところが見えてくるのではないか。私はそう考えた。そしてその時が来た。今年21年目となる東京・春・音楽祭で上演されたワーグナーの「パルジファル」は大変な名演だったようだが、その際に登場したソリストと合唱団、それに指揮者とオーケストラが、わずか数日後にこの曲を披露する、というのだからちょっとしたものである。

その独唱陣は次の通り。ソプラノはグアテマラ出身!のアドリアナ・ゴンサレス、メゾ・ソプラノがアリアーネ・バウムガルトナー、テノールにステゥアート・スケルトン、そしてバスはタレク・ナズミ。いずれも世界的に活躍するワーグナー歌手陣。グルネマンツやクンドリを歌った歌手が、そのまま東京に残って歌う贅沢なもの。マレク・ヤノフスキ指揮NHK交響楽団、合唱は東京オペラシンガーズ。4月4日にも同じ演目のコンサートがあったから、これは1日空けての2回目ということになる。

全体に8割程度の入りに見えた。私は3階席の向かって左端で、少し視界が遮られるがオーケストラを見下ろす感じで悪くない。歌手陣はオーケストラの後、合唱団の前に陣取るから良く見える。そして驚いたのは、その音の生々しさだった。4人のソリストのみならず、オーケストラの響きの豊穣さに圧倒された。これはNHKホールではありえない音だと思った。3階とは言え、この席は悪くないのか、それともホールがいいのか、あるいは音作りが抜群に上手いのか。とにかく家でスピーカーから聞こえる音とはけた違いにヴィヴィッドである。特に管楽器と低弦の響きが大変美しいと思った。

ヤノフスキの指揮は速すぎるという人がいるが、これは体感的なものだろうし、最近はこの曲もスッキリした演奏が増えているので、私は違和感はない。そして冒頭にも書いた通り、これほど見事な音楽が生き生きと響いてくることに、心から驚かざるを得なかった。それが最初だけなら、良くある話だ。しかしヤノフスキの指揮は弛緩することなく集中力を維持し、全体の長さと規模の大きさを見通すバランスも見事だった。短期間とはいえ、「パルジファル」から続く共演によって生み出された一体感、呼吸の良さ、インティメーションとでも言うべきものが感じられた。

ベートーヴェンの大作は、途中から訳が分からなくことがある。「フィデリオ」の第2幕がそうで、熱量が過剰気味となりストーリーなどどうでもよくなってくる(その意味で極めてバランスの悪いオペラだ)。「第九」の第4楽章にも若干そのような傾向があるが、この「ミサ・ソレムニス」にも同様なものを私は感じていた。ところが今回の演奏では、そのような歪みが感じられなかった。醒めた演奏ということだろうか?そのあたりは、他の演奏を聞いていないのでよくわからない。ただ、もしかするとこの曲は、弛緩して退屈するか、あるいはエネルギー過多に陥って、無駄なシンチレーションを起こすか、どちらかになってしまうような気がする。ヤノフスキの演奏はそういうことがなく、これは職人的に大名演の類ではないかと思われた。

4人の独唱は総じてうまく、だれのどこがどうの、という印象ではない。またコンサートマスターの川崎洋介が起立して演奏した「ベネディクトゥス」の独奏部分には目を見張るような気分にさせられたし、最後の方でトランペットが太鼓とともに鳴るシーンも(ここでハッとする)、やはり実演で聞いていると大変印象的であった。

当然拍手は鳴りやまず、オーケストラが去った後でもカーテンコールが続いた。そしてそれが2回目に及ぶのは、やはり珍しいことだ。それほど聴衆は、この滅多に演奏されることのない大曲の類まれな名演に盛大な拍手を送った。

上野の春は桜が満開で、大勢の人で賑わっていた。そのまま帰るのは何となく惜しいので、桜の通りを不忍池方向まで下った。昼に降った雨もすっかり上がって快晴となっていた。傾きかけた太陽の光に照らされて、ピンクの花びらがいっそう輝くのを惜しむように眺めながら家路についた。

ベッリーニ:歌劇「夢遊病の女」(The MET Live in HD Series 2025–2026)

荒唐無稽なストーリーを持つ歌劇《夢遊病の女》を理解するには、想像力が必要だ。主役のアミーナ(ソプラノのネイディーン・シエラ)は美しい女性だが、孤児として水車小屋で育てられた。舞台はスイスの田舎の集落で、そこは閉鎖的な社会である。彼女は自身の出自へのコンプレックスと、閉ざされた環境...