北海道旅行から帰ると私の鉄道旅行熱は冷めてしまった。だからその後、どこに何度出かけたか、徐々に記憶が曖昧となっている。唯一、律儀にも集めていた「私の旅スタンプ」の順序が、その行程をたどる手がかりとなっている。そしてそれによれば、最終回の国鉄最後の日を迎える直前に、最後の鉄道旅行をしたことになる。だがどうもそのつながりが記憶にないのだ。
それは何と紀勢本線の各駅のスタンプであった。紀勢本線の旅は1983年7月にすでに実施済みのはずである。にもかかわらず、私はここの区間のスタンプを押している。つまり2度目の旅行に出かけた可能性が高い。もしかすると当時釣り客を乗せて走っていた天王寺発の深夜普通列車に乗ったのかも知れない。この列車は天王寺を23時頃出発し、当時は紀伊半島を新宮まで結んでいた。かつては「はやたま」という名の列車で、その運行区間は何と亀山まで(その前は名古屋!)である。しかも寝台車を連結し、臨時の列車も運行されていたから結構な需要があったのだろう。私も一度は乗ってみたいと思っていたが、その思いを果たしたかどうかあやふやなのだからいい加減なものである。
この列車に乗ったとすれば、朝のうちに三重県に入り、参宮線との分岐駅多岐駅には午前中に着いたはずである。伊勢神宮に参拝するための列車として、参宮線は存在しているが、その運行本数は並行して走る近鉄電車には及ばない。しかも終点の鳥羽駅は近鉄との共有である。鳥羽駅は伊勢湾の島々へ渡るフェリーの乗り場でもあり、また海女さんによるショーでも有名な真珠島などもある観光地だが、ここの駅は完全に近鉄の独壇場である。よく国鉄(JR)の駅の片隅に民営鉄道の駅が併設されているケース(例えば京成千葉とか)は多いが、鳥羽や松坂はその逆である。
伊勢神宮は最近でも観光客が後をたたないようだが、門前町が綺麗に整備されたのは最近のことである。それでも二見ヶ浦と合わせてここを訪れるのは、昭和の雰囲気が漂う。その参宮線を往復した私は、次に律儀も伊勢線という、津と四日市をショートカットする路線に乗車している。この列車は特急列車を通すためにできたような路線だと思ったが、その区間もやはり近鉄の地盤である。
おそらく四日市で引き返し、関西本線を経由して亀山へ戻った。このあたりは何度も来ているのでこの時の旅行は、参宮線と伊勢線のみが新しく、それ以外は、まるで国鉄の路線を惜しむかのように、別れを告げるような旅行となった。
「私の旅」のスタンプ帳も残り僅かとなっていた。スタンプを集めるために列車に乗っていたわけではなく、途中下車や停車時間の間にちまちまと押していたら、いつのまにか全国の駅のスタンプが揃っていた。そのノートは今でも所持しており、このブログの文章を書くきっかけとなった。順番に駅を追いかけて行くと、何度かの旅行に分かれること、そしてその時の様子が記憶に戻ってきた。同行した友人や旅行先で出会った人のことも思い出された。
関西本線を奈良まで乗る間中、私は全国を回って集めたスタンプを見いていた。列車はかなり空いていた。そうなったらいっそ出来る限り途中下車をして、最後までスタンプを押してやろう、などと思ったのだろう。奈良から湊町までの区間に、おそらく時刻表で知りうるほとんどの駅のスタンプを押したと思う。
終点の湊町は関西本線の始発駅である。大阪にも国鉄のおおきなターミナルがいくつかあって、大阪駅と天王寺駅、それにこの港町駅であった。特に湊町はれっきとした国鉄の櫛型のターミナルである。それはいまから思えば、錆びれた風情満点の駅舎で、どこかヨーロッパの場末の駅を彷彿とさせていた。かつては名古屋方面へ向かう蒸気機関車も発着し、ホームも何本もあったのだが、ここを発着する列車は当時でもすでに、近郊区間の各駅停車に限られていた。
地下鉄のなんばはここから近いが、離れていてわざわざ歩くような距離ではない。ところが関西空港ができるとここはJR難波駅として蘇っている。だが当時はそんなことを想像することもできなかった。私が今回乗車したのは、住んでいた大阪に近く、まだ乗車していない区間が中心で、その中に新今宮と湊町の区間も含まれていた。ここの湊町駅が、私の国鉄列車旅行の最後の終着駅となった。
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