小鳥たちは幸せに満ちて歌い、
春に挨拶を送る。
泉は西風の息吹に涌出て、
優しくざわめきながら流れだす。
やがて空は黒い雲に覆われ、
稲妻と雷鳴が春の到来を告げたかと思うと、
嵐は過ぎ去り、
小鳥たちは再び歌い出す。
そして花咲き誇る牧場では、
木の葉がざわめき、
羊飼いたちが、
忠実は番犬のそばで眠っている。
眩いばかりの空の下で、
妖精と羊飼いたちは、
田園風の舞曲に合わせ踊リ出す。
長かった冬も足早に過ぎ去り、気がついてみると桜が満開となった今年の東京。丸で「四季」のソネットそのままのような天候の激変が、春雷をもたらしたかと思うと、冬の天候に逆戻り。それでも春を喜ぶ気持ちは今年、一層強いのは歳のせいだろうか。
「和声とインヴェンションの試み」と題されたヴィヴァルディの「四季」を、1年にわたって聞いてきたが、私は最後に「春」を聞くことにした。この曲はやはり最後に聞きたい。いつかそういうコンサートがあってもいいと思うのだが。
我が国では学校の音楽の時間に「四季」を聞く。まるでバロック音楽の典型のような解説を受けるが、それは少し違うと思う。こんなに情景描写に優れ、まるで標題音楽のさきがけのような作品は異例だからだ。650曲もの協奏曲を作曲したヴィヴァルディの中でも、このような曲は他にない(と思う)。そして「四季」だけが名曲ではない。他にも素晴らしい音樂が沢山あるが、なにせ数が多いので、どれがどの曲かわからなくなってしまう。
古楽奏法が主流になってから、ヴィヴァルディの音樂は息を吹き返したように盛んに演奏、録音されるようになった。その中でもファビオ・ビオンディによる「四季」はセンセーショナルな成功を収め、ある時期のヒットチャートを独占した。だがその画期的な演奏も、今となってはずいぶん大人しく聞こえる。様々な演奏団体の博覧会のように、この曲は取り上げられ録音が繰り返されている。様々な表現方法が試みられ、そのたびに私は驚く。だから「四季」の魅力は捨てがたい。不思議に日本で味わう四季感にマッチしているから、この曲はとりわけ日本人が好む要素を持っていると思う。
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