急行「大雪5号」網走行きは、今では懐かしい寝台車を連結した急行列車だった。周遊券を持つ私はもちろん自由席の座席車で、この日は立つ人もいるくらいの混雑だった。ある女性はウィーンからの帰りだと行って私の前の席に座った。農業関連の交流でオーストリアに行った帰りであるという。成田空港から千歳に帰り、札幌に出て夜行に乗り込んだ。当時はまだこのような旅行者がいた。本格的な車社会が到来するのは、丁度この後、バブルの頃であると思う。
連日の早朝の遠軽駅は、やはり雨で寒かった。この日はふたたび中湧別に向かい、そこから湧網線を経て網走に向かう直通列車に乗った。この列車も混んでいた。そして外は雨か霧である。オホーツクの海は見えないか、見えたとしても白く、寒々としていた。網走に着いても天気は変わらない。仕方がないから今度は特急列車「おおとり」に乗って北見を通り、再び旭川を目指したのである。
特急「おおとり」は函館行きで、今ではもうなくなった食堂車を連結していた。流れるように走る特急列車はすこぶる快適で、私はずっと眠っており、辛うじて北見の郊外の風景を覚えているだけである。
再び旭川。私の目的地は富良野線であった。富良野線はその後「北の国から」などの舞台で有名になった富良野町を通る風光明媚な路線で、遠くに大雪山を見ながらラベンダー畑などを通る北海道らしい風景に出会える。鉄道を写した写真の多くに登場する。私は途中の美瑛で途中下車した。アジア風の観光客が切符売り場で切符を買おうとしていた。このようなところにも外国人が旅行するのかと思った。
富良野に着いた時には、けれども雨が本降りとなってきた。この雨はもう3日も続いている。そしてこの先どうしようかと思っていた私は、帯広方面へ向かう列車に乗り、新得駅で折り返すというマニアックなことを思いついた。大雨の中を列車は走り、掘っ立て小屋のような新得駅に着いた。夜になって雨はいよいよひどくなり、駅では列車を待つ人が遅れてくる特急を待っていた。ひとりの所在なさそうな男が話しかけてきた。この人はもう何年も北海道をうろついている、というような風貌で北海道の魅力とは何かと語ろうとした。意見を求めるので私も「北海道の人は北海道を愛している人が多いと思う」などと答えると、彼は妙に頷いた。
しばらくして特急「おおぞら」札幌行きが到着し、私は辛うじて空いていた自由席に座った。私の隣にはスーツを来た老人が座っていた。札幌に着くまでの2時間余を、この人は何箱ものタバコを吸って過ごした。チェーンスモーカーだったのである。私は気分が悪くなったが、席を移動するわけにもいかず頭痛に耐えた。私は今回も、特急列車より普通列車の方が乗りやすいなどと思った。
北海道旅行の思い出は、時々出会う風変わりな人々と、そして降り続いた雨だけである。札幌の眩しいネオンの中をビジネスホテルに投宿したのは深夜近くになってからである。明日はいよいよ大阪へ向けて出発する。けれども大阪へ帰り着くのは、秋田での友人宅に寄る日を含め、4日後のことである。
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