2012年10月4日木曜日

国鉄時代の鉄道旅行:第2回目(1983年3月)(1)

「青春18きっぷ」を使った鈍行旅行を本格的にしてみたいと考えた高校1年生の私は、翌昭和58年の春に全行程5日間の旅行計画を立てた。中学時代の友人の希望も入れ、当面の行き先を東京とし、夜行は使わずに昼間のみの移動とした。これは景色を楽しむためである。私たちは鉄道車両にも写真にも興味はなく、ただ旅行のための移動手段と思っていた。鈍行列車にしたのは、このきっぷが桁違いに安い、というのが、当初の理由だった。

新大阪を早朝に出発して米原、大垣で乗り換え、古い浜松駅に降り立ったのは昼過ぎであった。この名古屋付近を走る快速列車はなかなか快適で、以降私もしばしば利用することになる。ところが浜松から沼津までの区間は、いまでもそうだが、いつ乗っても混んでいる。私が乗った車両も通常のみかん色の列車で、しかも編成も短かかった。

浜名湖、安倍川、大井川、富士川と大きな橋を渡るこの区間は、車窓が楽しめる。そして富士駅で途中下車して駅前のデパートの屋上に上り、富士山を眺めたのを記憶している。沼津から東京までは16両編成の長い列車の最後尾に座り、少しずつ乗降客が増えていく様子と、徐々に首都圏へ近づいていくにつれてスピードを増す感じが大変楽しかった。藤沢や茅ヶ崎といった駅でもすでに都会で、しかもそれは横浜、川崎と近づくにつれ、さらにごみごみとした感じになった。夕暮れが夜に変わり、通勤客でいっぱいになったまま東京駅に着いたのは18時を過ぎていたと思う。

その日は上野駅に近いビジネスホテルに宿泊した。上野駅から銀座線で稲荷町に行くとき、旧型の地下鉄は時おり電灯が消える車体だった(今では考えられないが)。稲荷町は地下1階にいきなりホームがあって、行く方面によって降りるべき階段が違う。ここを電車が通るたびにホテルが少し揺れた。合羽橋近くの小さく汚いホテルは今はもうないが、上野駅と上野公園の入り口の雰囲気は今も当時のままである。そう言えばここの東京文化会館の前は、私が生まれて初めて東京へ出掛けた「パンダの年」(昭和47年だったか)からほとんど変わっていない。

東京はとても忙しい街だと思ったが、同時に古い街だとも思った。

※写真は当時の東京駅。

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