「青春18きっぷ」は春と夏に発売されていた。次の鉄道旅行はその年の夏、すなわち1983年の7月に実行されたのは当然のことであった。高校2年生であり、受験勉強にはまだ少し早く、夏休みは長かった。
前回の飯田線旅行を誘った友人のN君が、今度は紀勢本線を乗りつくそうと言って誘ってきた。このコースは大阪から日帰りで行ける鈍行列車の旅としては、誰もが思いつくコースである。海沿いの風光明媚なルートであるものの、とにかく長距離である。だが私は二つ返事で行くと答え、夏休みが始まったのを待っていそいそと出かけていった。
天王寺駅は大阪の南の玄関口である。天王寺を管轄する天王寺鉄道管理局は、大阪駅北側にあった大阪鉄道管理局とは別で、天王寺以南と奈良方面については、北摂在住の私にとっては、何とも不思議な地方である。天王寺の駅は環状線などが停まるホームとは別に、いわゆる櫛形のホームがあって(この構造は上野駅に似ている)、ここが和歌山方面への起点であった。すなわち、特急「くろしお」などの列車はみな、ここから出発していた。私が乗った早朝の阪和線和歌山行き電車も、このホームから出発した。
特急「くろしお」は私が生まれて初めて乗った特急列車で、祖父母に連れられて夏の白浜へ出かけた時に乗った記憶がある。小学校の2年生だったと思う。しかしそれ以降は特に和歌山以南へは出かけていない。そして釣り客や海水浴客でごった返す真夏の紀伊路を行くのは、何とも胸踊る気分であった。私は丸でプロバンス地方へ行くバカンス客のような浮かれた気持ちで、天王寺駅を出発した。
和歌山から新宮までは電化区間であり、この区間を軌道車に引かれた客車列車が私たちの次に乗る列車であった。古い客車列車は、いつものようにすべてのドアは空いたままであり、当然クーラーもなく窓は開け放たれ、最後尾でも線路が丸見えの列車である。その10年後に私はマレーシアを旅行し、クアラルンプールから南へ行く長距離列車に乗ったが、この時の列車の3等車が当時の客車列車にそっくりだった。
磐越西線でそうしたように、私たちはドアから身を乗り出してカメラを構えたりしながら、新宮までの区間を楽しんだ。困ったことは、トンネルが多いことであった。トンネルに入ると、列車からぶら下がった状態の私には迫力が満点である。ところがトンネル内は鉄の粉や機関車の吐く煙(ということはディーゼルだったか?)などが蔓延する。そこに気温30度を超える暑さのせいで汗びっしょりになるため、臭くて真っ黒になってゆくのだった。
新宮駅へ到着する手前で大海原を見ながら快走する区間があるが、このときの感激はいまでも忘れられない。持っていたラジオからは偶然にもシューマンの交響曲第3番「春」の冒頭が流れていて、その音楽とともに良く覚えている(演奏はジュリーニ指揮のロサンジェルス管弦楽団だった)。
新宮で小1時間の待ち時間を利用して足早に駅前を歩き、弁当を買って次の列車に乗り込んだ。ここからは意外にも山間ルートとなる。険しい山をいくつも超えていくのでぐっとローカル線の趣である。駅間距離は長く、利用客も少ない。電化もされておらず、ディーゼルの短い車両での運行である。それでも人は少ない。
この山の続く区間は、日本一の降雨量を誇る尾鷲などを通り、三重県の深い山々を抜けて松坂に達し、さらに関西本線との分岐となる亀山まで行く全行程5時間弱の旅であった。ディーゼル車なので空いたまま走るドアにぶら下がる楽しみはないが、1車両に私たちしか乗客のいない時間も結構あって、車掌さんと話をしたこともある。ディーゼル車はうなり声をあげて上り坂を登るが、分水嶺を過ぎて下りに入るとカタコトと響くレールの音のみが伝わってきて何とも心地よい。限りなく続く田園風景の夕暮れを、飽きることなく眺めていた。
手元に2011年の時刻表があったので、このような長距離列車がまだ走っているのだろうかと思って調べたら、まだ残っていた。新宮発の列車は3時間に1本程度の運行である。単線なので途中の駅で特急「南紀」とすれ違うたびに結構長く停車したりする。窓の向こうに特急の客がカーテンの隙間に見える。窓が開かないのでクーラーのきいた車内である。だが当時の私は、自分のほうが楽しい旅行をしているような気がして、何か妙な優越感に浸ったものだった。
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