2012年10月19日金曜日

国鉄時代の鉄道旅行:第6回目(1983年8月)

気違いじみた中国地方と越美線の旅から帰宅した翌々日、私は飛騨高山までの鈍行旅行に出掛けた。8月8日のことである。新大阪から大垣を経由して岐阜で乗り換えるまでは(もっと正確に言えば美濃太田までは)、3日前の行程と同じである。だがこの時は家族旅行で、しかも私と弟だけが各駅停車で高山まで行くという、ちょっと変わった行程だった。

高山本線は何度か乗っていたし、この時も高山までの乗車で、私にとって初めて乗る区間というわけではなかった。しかも高山で一泊したあとは、父の運転する乗用車で乗鞍岳を越え、信州松本まで行くというドライブ旅行であった。

ドライブ旅行は私を鉄道の旅から開放し、鉄道では行けないような地域、すなわち乗鞍岳の山頂方面や上高地の近く、さらには信州の霧ヶ峰高原などが存在することを新めて認識させた。だが当時高校生の私にとって、鉄道旅行がもっとも身近であった。安くしかも長距離に旅行ができるのである。車は勿論運転できないし、出来る資格があっても車がない。あったとしても運転は労力を要するし危険も伴う。かといって安くもない。

当時、車の旅行はちょっとした贅沢だった。それにくらべれば、特別急行列車に乗らなければ、鉄道なら安く旅行することができた。今では死語となったワイドやミニの周遊券も豊富にあった。一方バスに乗らなければ行けないところは、バス代が高く付くために敬遠することとなる。思うに今でも我が国で鉄道ファンが多いのは、当時から鉄道の旅行が比較的安全で安価なためと思われる。鉄道は、いわばマーケティングに成功していた。それにくらべると、自動車の旅は想像を超えていた。そのようなお金があれば、私はむしろ海外旅行に行きたいと思っていた。

高山本線が下呂を過ぎる頃から、列車は川沿いの渓谷を進んでいく。ディーゼル車が上りの区間をゆっくりと走っていた。夏の日がその日もきつく、時おり渡る鉄橋から川面を見下ろすと、深い緑色の滝壺が見えた。

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