2012年10月17日水曜日
国鉄時代の鉄道旅行:第5回目(1983年8月)①
紀勢本線を中心とした紀伊半島一周日帰り阿呆列車の旅は、その数日後に始まる山陽・山陰本線と越美線をめぐる夏の鉄道旅行の、いわば前哨戦であった。友人のN君はさらに私を、数字の8の字のように回るおかしな旅行に誘ったのだ。私はもちろん同行した。
朝大阪駅を出て姫路、岡山、福山を通り広島で1泊。大阪から今度は西へと向かうのである。山陽本線の旅は、東海道を上京する旅とはまた味わいが違う。頑張れば九州まで行く事も可能だが、それはまた次回とし、広島からは松江を目指して中国山地を横断する。芸備線と木次線を乗り換えなしで走る急行「ちどり」を使い、私たちは松江に行く。そこで2泊目。
ここまでの旅行はグループ旅行だった。私たちは各駅で途中下車をして後楽園、福山城、広島原爆ドームなどを見学することも旅の目的だった。出発したのが記録によれば8月2日となっているので、広島原爆の日の数日前にあたる。そしてその日もまた大変に暑かった。私は大阪生まれだったから、夏の暑いのには馴れていると思っていた。しかし瀬戸内特有の無風状態の暑さは筆舌に尽くしがたい。まだ朝だというのに岡山の後楽園で私はそれまで経験したことのないむし暑さに、卒倒しそうなほどだったことを覚えている。
山陽本線の普通列車はもちろんオレンジと深緑の電車で、複線電化区間らしく都会的に走るが、それが面白く無い。しかも都市が連続するので乗客は減らず、さらに車窓風景も単調だった。尾道のあたりで海(といっても運河のように狭い、川のような海だ)を見た記憶はある。だが対岸に見える造船所は私を憂鬱な気分にさせた。
急行「ちどり」などという列車がいつまで運行されていたのかは知らないし、私は記録を読み返すまで、その列車の名前などはとっくに忘れていた。三次に近づく時、盆地の中に静かに佇む街並みの光景を少し覚えている程度だし、木次線の有名なスイッチバックの時の興奮も、いまでは思い出せない。急行の車内は普通列車のような作りではあるものの若干ゆとりがあって乗り心地は少し上だったことと、わずか3両編成だったにもかかわらず車内販売があったことを記憶している程度だ。
木次線に入ってけわしい分水嶺を超えると、山陽から山陰に切り替わったことがよくわかる。風景が違うのだ。田畑の広さや家の作り、今では裏日本などという言い方がすたれてしまったが、なるほど日本海側に入るとどことなく暗い感じがした。私は大阪生まれだが、実家の故郷は島根県である。それでこの地域に関心が強かった。神話にも登場する出雲の山奥が、何かスピリチュアルな感じを宿しているように感じられた。
急行列車は下り勾配の続く単線をゆっくりと、しかし快調に飛ばした。松本清張の小説「砂の器」に登場する亀嵩駅も通過したはずである。この小説に出てくるこの地方は、冬には雪の降るような寒村で、しかも東北弁の訛りに似た方言を話すらしい。そう言えば私の祖父母もかつて、何やらぼそぼそと話しをする傾向があった。少なくとも饒舌で陽気な人柄ではない。そのような独特の風土の中を私は進んでいたし、私の性格の一部のルーツをその中に見出そうとしていた。いまでもよくこのときの風景を思い出す。それ以来島根県には足を踏み入れていないので、これが今もって唯一の記憶だからであろう。
松江駅に到着してしばらくするともう夕暮れだった、夕日に染まる宍道湖を眺めることができる宿に入り、夕食までの間をしばしたたずんだ。夏の夕暮れはそこでも暑かったが、夕凪の広島のように西日のどうしようもなく強烈な夕方とは違い、風が吹き、何かとても爽快だった。
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